二十一章 戦いすんで夜が開けて

 柔らかな肌に抱きしめられ、麗しい声に名前を呼ばれたところで、無機質なベルの音にリロイは目を覚ました。


 反射的にガバッと上半身を起こしたが、状況がよくつかめない。

 目の前に広がるのは、白を基調とした高級感のある内装の部屋。一人で扱うには広すぎる空間に、客用チェストだけでなく、テーブルセットにバーカウンターまでついている。自分が座っている場所も、いつもの使い古したベッドとシーツと違い、スプリングの利いた柔らかなマットに肌障りの良いシーツが敷かれたセミダブルのベッドだった。

 その事実を目の当たりにして、反射的にリロイは己の姿を確認した。

 カソックは着ていない。

 だが、ホテル特有のフリーサイズの寝間着は身に着けていた。


 瞬間、ホッとする。

 年相応にやらしい夢を見ていたので、うっかりそんな状態なのかと思ったのだ。

 思ったのだと言いながらも、万に一つもそういった状態に陥ることがないのは自分が一番分かっているのだが。


 電話のコール音が鳴り響く室内で、リロイはボンヤリと横を見る。

 サイドテーブルを挟んだところに、もう一台同じようなベッドが置いてあり、そこには相棒が苦悶の表情を浮かべて眠っていた。眉間の皺は更に深くなっていて、見慣れない人間が見れば思わず飛びのきそうな怖さがある。

 だが、仕事の最中はほぼ寝食を共にしているため、相棒の寝顔は見慣れているので、リロイは特に気にした様子もなく、一度大きく欠伸をした。

 大きな窓から差し込む光を見ると、時間は正午前くらいだろうか。


 朝飯、食べそびれた……。

 そんな風に思いながらも、未だに騒々しくなるコール音に嫌気がさして、リロイは仕方なくサイドテーブルに置かれた電話の受話器を取って耳に当てる。

「……はい?」

『今何時だと思っている』

 出たと同時にそう言われて、リロイはゲンナリした。

 名乗らなくても分かる相手に、何か言おうとしたが、寝起きの口はもごついて言葉が出てこない。


『クルーガーは起きているのか?』

「……寝てる」

立て続けに聞かれて、どうにかそうとだけ答え、再びリロイは大きな欠伸をした。

チラリと見た相棒の顔は、まるで昨夜の戦闘など何も無かったかのように、いつも通りの様子だった。つまり、あれだけ炎に焼かれたというのに、その顔には火傷の一つも残っていない。いつものことだが、恐ろしいまでの回復力だ。

「……朝飯、食いそびれた」

『ホテルから報告は受けている。起きてこれそうか? 昼食は既に用意されているそうだぞ?』

 電話口の向こうで、魔導工学者の社長に言われて、リロイは頭をかきながら返事した。


「……風呂入りたいから、三十分後だったら……」

『分かった、下のロビーで待つ』

 そう言って、電話は唐突に切られた。

「……」

 その様子に「もうちょっと言い方はないのか?」と思いながらも、リロイは三度目の大きな欠伸をしてから、クルーガーの方へ向き直った。

 普段はリロイよりも遥かに耳の良いはずの相棒が、今はまったく気づかないのか、苦悶の表情で伏したままだ。

 

 最初は起き上がって肩でも叩いてやろうかと思ったが、それさえも億劫なので、リロイは指を突き出すとクルクル回して徐に振り下ろした。

 瞬間、小さな電撃がクルーガーの頭に直撃する。

 その微弱な雷撃に目を開けたクルーガーは、すぐさま跳ね起きて辺りを見回した。

「……おはよう、クルー」

「今、魔術で攻撃したか?」」

 挨拶よりも、不機嫌な声で訊ねられて、リロイはつい明後日の方向を見る

「まさか? とりあえず起きてくれて良かった。タジャが三十分後にホテルのロビーで待ってるってよ」

 出来るだけ自然にそう言えば誤魔化せると思ったが、クルーガー自身とても疲れていたのか、それ以上の詮索はしてこなかった。


「……何故ロビーで待っているんだ?」

 訳が分からず訊ねるクルーガーに、リロイは「知らねーよ」と答えてから、いつものカソックを持ってバスルームへと向かう。カソックは昨夜の汚れをそのままに、かなり埃っぽい。

「……ホテルのクリーニング、頼めばよかったな」

 呟いたところで

「中に入れている物全部出さなきゃ頼めないんだろ? その作業にどれだけ時間がかかると思う」

と相棒に毒づかれた。

 ……おっしゃる通りです。

 異様に収納力の高い服を着ていたら、そこに何が入っているのか自分達でもたまに分からなくなりそうになる。なんにしても、昨夜の戦闘の後にわざわざ服の内ポケットからすべてを取り出す作業はしたくなかった。


「さき、風呂つかうぞ」

「おう」

 色気も何もない会話をしてリロイがバスルームに入ったところで、クルーガーは漸くベッドから起き上がった。体の節々は、痛まない。あれほど焦げたと言うのに、皮膚の引きつれもまるでなかった。

 我ながら丈夫なものだと思いながら、昨夜の顛末を思い出す。




 あの化け物が消えて無くなってから、タジャ社長の会社の社員達はすぐさま現場の撤収にかかった。周辺の破損部分を確認し、住民の避難誘導を継続して、滞りなく行政機関へと報告する。

 防護服を着た何名かがすぐさまクルーガーとリロイの元へ駆け寄って、その傷の有無を調べて治療を開始したわけだが、魔導医療ではなく、一般的な医療行為で治療をするところが、この会社らしいなと思わせた。


 なんにせよ、全く持って隙の無い動きをその場にいる全員にされてしまい、クオリテッド班の二人は余韻もへったくれもないままに、社長の話していた通りの一等地ホテルへと案内されたのだ。

 途中クルーガーの傷を診ていた者から「病院でもっと集中的な治療を受けた方が良い」と言ったのだが、二人が断るその前に「その必要はないだろう」社長が言ってくれたのが良かった。実際にその必要は無かったわけだが、焼けこげた神父と異様に美形な神父がやってきたのを見て、ホテルのフロント係が思わず卒倒しかけたことに対しては、申し訳なかったと思っている。





「はい! 中身だけ綺麗になりましたっと!」

 埃っぽいカソックを身にまとって、本人の言う通り顔だけスッキリさせたリロイがバスルームから出てくる。お互い昨夜は食事をすることも、風呂に入ることもなく、寝間着にだけ着替えてそのままベッドに倒れ伏したのだ。おかげでクルーガーのシーツには、黒と赤の染みがやや付いており、あとで洗濯を任されたリネン係がきっと眉をしかめることだろう。

「クルーもちゃっちゃと風呂入って来いよ。少しはスッキリするぜ?」

 まだ濡れているのか、見事な金髪をタオルでワシワシ拭きながら、リロイが言う。

 その腕にいつも付けられているはずの赤い腕輪が無く、黒い腕輪のみになっているのに漸く気が付いたクルーガーは、露骨に眉をしかめた。


「おい、攻撃用の制御装置はどうした?」

「え、いまさら?」

 まさか半日以上経ってその事を言われるとは思っていなかったので、リロイは素直に驚く。

「あの会社の変な空間でさ、メイ・リーを殺しかけた奴に会ってさ。それとガチンコしている時に取った」

「……腕輪の回収は?」

 埃っぽいままの相棒が唸るのを見て、リロイは髪を拭く手を止めて

「……ああ、うん、多分あの空間の中だな?」

 思わず斜め上に視線をやって誤魔化そうとしたが、すぐさまクルーガーが怒鳴る。

「失くしたという事か!?」

「……まあ、そういう言い方も、出来るかな?」

「この痴れ者が!」

 室内が揺れる程の大声を出されて、思わずリロイは首をすくめた。

「だ、だって仕方ねーじゃん! あの時、あの場所で、あの状態で腕輪拾えると思うか?」

 なんとか穏便にことを運ぼうとリロイは話しかけるが、真面目な相棒が許すはずもない。


「外したと同時に拾えと何度言ったら分かるんだ、この阿呆が! あれが無くなると、その都度新調しないといけない! 新調するとどうなる!? 金がかかるだろうが! 金がかかるとどうなるっ!?」

「……お、俺達のボーナスが引かれます……」

「分かっているなら何故拾わないっ!?」

 更に怒鳴られて、リロイは答えようもなく、宙を見る。

「や、でも、ほら、タジャにお願いしたら、くれるんじゃない? 制御装置」

「あの社長がそれを許すと思うか? たとえあの社長が許したとしても、その上にいる会長が許さないだろう?」

 恐ろしい女会長を思い出して、クルーガーは頭を抱えた。


「……今夏のボーナスも、ほぼ無しだ……」

「え、えー? いや、でも、ほら、奇跡が起こるかもしれないし?」

「奇跡を起こすには、昨日以上の働きをしないといけないだろうが!」

 叫んだ後にがっくり肩を落として、クルーガーは叫んだ。

 その姿は、昨夜の奮闘をまるで忘れさせるほど悲嘆に暮れている。


 やだ、所帯持ちってこんなに大変なの?


 思わず恐怖するほどの相棒のしょ気っぷりに、リロイは申し訳なくなりながら、おずおずと話しかけた。


「……と、とにかくタジャには交渉してみるからさ? あの、風呂、入ってきたら?」

「……そうする」

 そう言って、意気消沈した様子でやや焦げたカソック片手にバスルームに向かう相棒の背を見送って、リロイは焦っていた。


 マズイぞ、このままだと弟達に「また兄ちゃん、嘘ついた」と言われかねないっ。


 どうにか名誉挽回、汚名返上する方法を考えようとするが何も良策が浮かばない。

 頭を抱え込みながら、リロイは唸る。


 そんな二人が止まる一等客室のドアの隙間から、朝刊が差し込まれていたことに無論二人は気が付かない。

 そこには「ミットレン、夜の災害回避」と銘打って、昨夜の事件が堂々と一面を飾り、カーロン教神父達のことが褒めちぎられていたわけだが、二人がそれに気づくことが出来たのは、それから三日も後のことだった。




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