二十章 決着

 魔術の神髄と言うのは、己の力を可視化することにあると教えられていた。

 イメージの問題なのだ。

 そこに、作られた術の方程式を重ねていき、現象が起こる。


 だが、魔法は違う。

 魔法は、実際に存在している様々なモノに語り掛け、その人智を超越した力を貸してもらい、現象を起こす。

 こちらが渡すのは魔力。

 話しかけ、交渉するためにも、特別な言葉と力が必要となる。

 怯えた様子を見せたり、へりくだり過ぎたりしてはいけない。

 相手は常にこちらを見ている。

 深い淵から、浅い水面から、暗闇の奥から、光の向こうから。


 神聖魔法は、その中でも「光の方」を司るものの力を借りる技だ。

 光と言うからには「清く」「穏やか」で「高潔」だと思われがちだが、そうした光が強ければ強いほど、奴らは「傲慢」で「高飛車」で「残酷」なのだ。


 全てを無に帰すその技を使うために、リロイは目を閉じ、呪文の詠唱にすべての神経を集中させた。感覚で分かる。相棒のクルーガーは、現在あの化け物社長を相手に悪戦苦闘している。

 もしもこの場が荒野で、周りに誰もおらず、彼一人だけだとすれば、勝負はそれこそ三分もしない間についていたことだろう。

 だが、そうしないのは、クルーガーの現在の立ち位置が「カーロン教の神父」だからだ。そして同時に、そうしないのは、相棒であるリロイとの間に成されたがあるからだった。

 律儀にその契約を守っている相棒の様子に、リロイは目を閉じ、集中しながらも思わず口元に薄く笑みを作る。

 いいやつだな、クルーガー。

 あと少し、あと少しだけ堪えてくれよっ。




 金髪の神父の四方を取り囲むように、白い光が地の底からあふれ出すのを見てアルドは仰天して声をあげかけた。

 昔見た神聖魔法の輝きと同じだったからだ。

 魔術師が十人もやってきて、交代で詠唱を繰り返して出来た魔法を、たった一人の神父が、それも数分で完成させようとしている。そんなことが本当にあるものなのか?

 そう思った瞬間、障壁の向こうでくぐもった呻きが聞こえた。

 視線でそちらを追うと、化け物の炎に気圧された黒髪の神父が、背後に倒れこむ姿が見えた。化け物の炎は天を焦がしそうな勢いで燃え盛り、周辺を青白く照らしていた。

 だが、圧倒的に有利な状況であるように感じるのに、まるで何かに怯えるかのようにして化け物の脚は障壁のあるこちら側とは反対へ走り出そうとする。

 その脚をすかさず捕まえて、クルーガーは満身の力をこめ頭上高くまで化け物を掲げ上げると、地面に叩きつけた。炎が瞬間、肉片のように霧散する。

 体があるわけでも、悲鳴が聞こえるわけでもないのに、その様子は凄惨さを極めており、見ていたアルドの方が思わず短い悲鳴を上げた。


「リロイッ!」

 クルーガーが叫ぶ。

「まだか! これ以上待つと、!」

 その叫びは、些か焦りを抱いているように感じられた。


 恐ろしい光景に体を震わせながらも、若いアルドは疑問に思う。


 殺しかねない? 誰が誰をだ?


 だが、その叫びを聞いたと同時に、アルドの横に立っていた社長が、背後の社員達に指示を出す。


「俺が合図を出したら、を外海へ転送しろ」

「外海っ……そんなところに転送したら、死にますよ?!」

 思わず言ったアルドとは別に、背後にいる魔導服を着た先輩達は「わかりました」とすぐさま応じる。

 訳が分からない。外海に転送すると言うならば、危険な化け物の方だろう?

 だがアルドの疑問に対して、社長は冷たい視線を返して呟いた。

、そのように指示するだけだ。これは黒髪の神父本人も承知している」

 その口調に迷いはなかった。

 

 アルドは再び黒髪の神父へと視線を戻す。

 顔を黒く焦がしているというのに、その力は全く弱まらないように見えた。

 むしろ、先程よりも強い力で炎の化け物を御しているように感じられる。

 炎に身を焼かれているというのに、鈍るどころか俊敏になるその様子は、確かに異様だ。かと言って、炎の化け物が弱体化しているわけではない。その力の末端である炎や、照射された光の帯が当たった建築物は、まるで掘削機でも当てられたかのように砕け散っていた。それだけの力が加わっているというのに、何故あの黒髪の神父は無事なのか?

 クルーガーが化け物の腕を、掴んだ。

 その腕に力がこもるのを見て、横にいる社長が叫ぶ。


「リロイッ早くしろ! クルーガーが、!」


 その正当な意味をアルドが理解する前に、金髪の神父の体から、上空高くに一筋の白い光が放たれる。それはある程度の高さに届くと、瞬間的に四方へとドーム状に照射された。

 

 アルドは目を見張る。

 それはまさに、彼が子供の時に見た神聖魔法だ。

 術者を中心にして、そこから噴水のように光が広がっていく。

 そして光の壁が地面を覆う頃、魔獣はその中で白く燃え尽きたのだ。


 だが、炎の化け物は反射的にその光の危険性に気が付いたらしい。

 腕を掴む黒髪の神父を振り切って、どうにかその光の幕の外へと逃げ出そうとする。

「させるかっ!」

 一言だけそう叫んだクルーガーは、背後から化け物の首を掴み上げ、再び地面へと組み敷いた。炎がより一層激しく燃え上がり、まるで抵抗するかのように黒髪の神父の顔を燃やした。思わずアルドは悲鳴を上げたが、当の本人は怯むどころか、更に強い力で化け物を地面にねじ伏せる。

 抵抗の炎は更に激しくなり、魔導障壁の外を燃やした。障壁があるから無事ではあるが、その勢いに思わずアルドは目を閉じかけたところを

「見ておけ」

と横にいる社長に厳しい口調で叱咤される。


 光の幕は、もう化け物のいる地面を取り囲むところまで来ている。

 アルドの記憶が正しければ、魔の性質を持つ者は、その光のもと、全て白い灰になるのだ。

 

 先程、自分の社長と一緒に聞いた話だと、あの化け物の正体は恐らく目の前にあるコンラッド商会の社長のはずだ。

 魔導具の会社の社長さんで、部下からの信頼は厚く、それなのに貧しい人々を地獄へ突き落とす二面性をもつ男。何故彼が、こんな恐ろしい魔導具に体を捧げたのか、アルドには到底理解できない。

 だが、困惑する若い社員に向かって、横にいる社長、タジャは、はっきりと言った。


「人間の力を超越した現象を起こすのが魔導具だ。それを取り扱う我々は、その力に魅せられても、扱いを怠ってもいけないんだ」

 淡々とした物言いだったが、そこには言葉では尽くしがたいほどの重みがあった。


「見ておけ、アルド。そして忘れるな」

 恐ろしい情景が眼前で繰り広げられている。

 

 黒髪の神父に押さえつけらえた化け物は、それでも人の笑い声をあげながら白い幕にすべて取り込まれていった。

 その瞬間、その炎が端から徐々に崩壊するのが分かった。

 

 もっと美しく消えるものだと思っていた。

 だって、魔法の名前が「神聖魔法」なのだから、神の優しさが化け物を優しく取り込んで、天へと召し上げてくれると思っていた。

 

 まるで燃え尽きた後の炭のように、化け物の体はどんどん消え失せていく。本当に、どんどん、と。そこに優しさも、慈しみもない。すべての存在の事象を拒絶するかのような神聖魔法の力に、アルドは震えながらも、それでも目を閉じなかった。


 やがて、あれほど響いていた笑い声が途切れた。


 後に残っていたのは、何もない空間を抑えるようにして座り込む黒髪の神父と、がっくりと肩を落とした金髪の神父だけだ。


「……第四班はそのまま住民の避難誘導。第五班は魔導障壁の解除だ」

 横でそう指示を出した社長の声は、どこか苦し気な響きを含んでいた。


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