四章 恐ろしきは良き人
腹は満たされたというのに、圧倒的なこの虚無感はなんなのだろうか。
「答えは知ってます」
己の横で半ばやけっぱちな口調で、リロイがはきはきと呟く。
「蟹に心奪われた自分たちのしくじりに、脱力しているんです!」
「だまれ」
瞬時に言い返したクルーガーに、リロイは「だってぇ」と頭を抱え込んだ。
コダマ婦人からご馳走されて三十分後、二人は古びた病院の待合室にやってきていた。診察時間外ということもあって、殺風景な待合室には誰もいない。薄暗い受付の向こうに人の気配はあるものの、その受付担当に「先生が呼ぶまでこちらで待っていてください」と言われてから十分は経っている。待ち時間としてはそれほど長くはないわけだが、本当にこの後呼ばれることはあるのだろうか? そもそもなんでこんなことになったんだ?
「アラサちゃんの助けた女の人が、この病院の魔導具で生命力譲渡をしていたからですぅ」
「人の心を読むような発言をするな。そして年上の女性に対しては「さん」を使え」
うんざりした様子で呟く相棒にクルーガーは再び注意する。だが、事態はリロイの言う通りだった。コダマ婦人が言う通りに、生命力譲渡を繰り返した女性の通っていたという病院に、とりあえず話を聞きにやってきたというわけである。だが、話を聞いてどうするかというと、実際のところは何も決まっていない。
そもそもクオリテッド班は、単に魔導具の苦情を聞いてそれを処理するのが仕事なのだから。
違法な魔導具を使用しているものがいたとしても、それを逮捕することも、起訴することもできないのだ。行政の間に入ってやれることがあるとしたら、単に魔導具の違法性を伝えるだけで、それ以上のことはできないわけである。
だが違法性を伝えるとするならば、ちゃんと調査しないといけない。
調査するには、まず現場での聞き込みをしないといけない。
睡眠時間も足りておらず、疲労困憊なこの状況で。
今日の夕方の列車に乗らねば、今日の間に帰ることが出来ないというのに。
泊まる場所も金もないという状況で、だ。
「蟹の魅力にだまされた、さっきの俺のばかぁっ……!」
欲望に勝てなかったうえ、更にはコダマ婦人のお願いを断り切れなかった自分の弱さにリロイは唸った。でも蟹は美味かった。その美味さが今では憎い。
「……まぁ最悪、事情を話したら教会には泊めてもらえるだろう」
クルーガーは眉間にしわを寄せながらつぶやいたが、言った本人としてもそれは「最悪」という感覚であることに変わりはなかった。どこのカーロン教会でも、教会関係者であれば宿泊を許可してくれる。だが、たいていの教会はどこも部屋が足りておらず、礼拝堂の長いすに、借りた毛布を巻いて眠ることとなる。
つらい。
二人が今後の展開を予想して暗い顔をしていたところ、意外にも受付から「診察室へどうぞ」と不愛想な声がした。先ほども対応してくれた年配の女性が、帰り支度をした様子で奥の部屋を指さしている。このまま帰るらしく、胡散臭そうに二人を見てから早々に扉に向かって歩いていく。その背中に、俺たちも帰りたいよ……と視線を送りながら、リロイ達は出口とは反対の診察室の扉を開いた。
待合室も古びていたが、診察室は更に年季を感じさせるつくりとなっていた。がたつく椅子に、書類かカルテか分からないが紙が山積みとなったデスク、その横にはずいぶん前から使われているようにみえる寝台がある。
そのデスクの前に座るのは、病院の外観から逆算するとずいぶん若く見える中年の男性医師だった。小太りの体を白衣に包み、頬にややめり込み気味の眼鏡をかけた顔は、よく言えば優しそう、悪く言えば気が弱そうだ。だからこそ油断ならないのだ。その医師が、こちらを見てかなり驚いた顔をする。そりゃそうだろう。神父といえば「優し気」なイメージだろうに、入ってきたのは神父服をまといながらも方や異様に美形な青年、方や筋骨隆々な青年なのだから。お互いに胡散臭いと思いながら対面しているわけである。
だが、そこは医師という職業なだけあって、すぐに冷静さを取り戻したらしく
「医師のレーピンです」
と柔和な笑顔で挨拶してきた。
その切り替えの早さに、二人は相手に気づかれない程度に互いに目配せしてから、レーピン医師の目の前の診察椅子に座った。
「お時間をいただきありがとうございます。カーロン教会魔導製品対策処理室のリロイ・ロイロードです」
「同じく、クルーガー・バーズです」
「魔導製品対策……そんな方々がなぜうちの病院に?」
挨拶も早々に尋ねられる。
その受け答えに、今度は互いに目配せしこそしなかったが、二人は確信を得た。教会の部分に反応するのではなく、魔導製品という単語にまず意識がいったということは、この医師は何かしら魔導具に関係しているということが明らかだ。だが「クロ」だとわかったと同時に、それは自分たちの仕事が長引くことを意味していて、今日中に帰れないかもという考えにも繋がった。盛大にため息を吐き出したい気分だったが、どうにか踏ん張ってリロイはいつもの「天使の笑顔」でレーピン医師に話しかける。
「こちらで、違法の魔導製品が使われているという噂がありまして」
「教会は、噂でわざわざこんなところまでやってくるのですか?」
優し気な笑顔を浮かべたままで、随分と攻撃的な物言いをしてくる。
「違法と言われますが、どういった噂なのか教えてください」
否定も肯定もせず、立ち向かうような口調でいってくるレーピン医師。だが、顔は相変わらず笑顔のままである。
これは、結構手ごわいか?
ならばこちらも探り合いはなしで、本題に切り込むのみ。
リロイはまっすぐに相手を見つめた。
「患者間で生命力を譲渡しあうような魔導具を使われていませんか?」
「なんのことかさっぱり分かりませんね」
即座に笑って答えられたが、逆にそれは明確な肯定とも聞き取れた。だが証拠となる者がなければ、警察に伝えることはできない。なんとかして、相手に存在を認めさせねば。
「こちらにこられた患者さんの中で、その魔導具によって救われた人がいると聞きました」
笑顔を消してリロイは丁寧に伝える。その横ではクルーガーは黙って医師を見つめた。本人に他意はないのだが、何も言わないクルーガーに見られていると次第に焦る人間は少なくないのだ。しかし医師はそんなこと気にもせず、悠々と首をかしげて返してくる。
「医師としてはそんな魔法のような道具があればあやかりたいものですね。ただ、うちは祖父の代から続く細々とした町医者です。そんなもの購入することも譲渡されることもありませんよ」
笑顔を絶やさずに医師は言う。
「気になるようでしたら、どうぞ院内をくまなく探してください。必要ならばご案内もしますよ」
両手を広げて「さあどうぞ」と笑う。
そこまで言われたら、探させてもらうしかない。だが、そこまで言うということは決して見つからない自信があるのだろう。ならば切り込み方を変えるか。
「今回我々に相談してきた方は、生命力を譲渡した方のご友人です。その人は、ご友人がその魔導具のせいで死にかかっていることを心配されています」
「死にかかっている?」
リロイの言葉に、レーピンの頬が引きつったのをクルーガーは見逃さなかった。ニコリとした顔なのに、目の笑みが消えたのだ。
「そうです。かなり衰弱された様子で、今も起き上がれない状態だそうです」
「……いや、失礼。そんな恐ろしい話しがあるなんて。魔導具を使うとそんなことがあるのですか?」
不思議そうに聞く割には目がギラギラと光っている。医師の顔というには、あまりにもブラックな顔つきだ。めり込むメガネまでもが今では怪しく光って見える。
だからこそリロイは神妙な表情を崩さずに頷いてみせた。
「そうですよ。使い方を間違えたら。そんでもって、使用禁止の魔導具を使ったら相手も自分も死にかねません」
「自分も………」
「魔力には川のように流れや勢いがあるそうですよ」
黙り込んだ医師に、クルーガーは淡々と話しかけた。
「禁止されている物は、人体に宿る微妙な魔力の流れを揺らがせることが多いと聞きます。自分はまったく魔力関係には疎いのですが、そんなやつでも体内には魔力が血液成分と同じように宿っているそうです」
リロイも頷いて続けた。
「それが突然増大したり減少したりすると、体調の崩れや精神の悪化、ひどければ死ぬこともありますね」
「魔導具の悪いところはそれが知らぬうちに使用した人間以外にも作用するところです」
「正しい知識と対策かできていなくて、使用者以外が何かしら具合が悪くなったのは、本部にもよく相談にきてますよ、ねー、クルーガー?」
「先日来たのは魔導自動鼻吸い機でした」
「は、鼻吸い機?」
リロイのねー?を無視して、淡々と話すクルーガーの言葉に、思わず医師が聞き返す。
「正規品でない格安品を購入した親の鼻水が、目から出るようになったのです。子供の鼻吸いは問題ないのに、使用ボタンを押したら近くにいる親の目頭からドロッとした鼻汁が溢れるようになりました」
「ターゲットは鼻汁、それを吸う、って術式がかかっていたけど、何処からどう吸うか、どの範囲まで許容するかが細かに作り上げられてなくて、結局半径50センチ全体の鼻汁をまず体外に出す魔術が発動したんですよね。お父さんが蓄膿持だったから、一番近い孔として目頭からでてきちゃったんですよ」
「………痛そうだったなアレは」
「痛そうだったねアレは。鼻と目がつながっていても、あれは目から出ちゃいけないやつだよね」
「他には自動魔導耳かき機の事例もあります。体の外に耳垢を輩出する仕組みだったのですが、これも規制品以外を使用して隣にいた祖父の耳が引っ張られるということがありました」
「孫が掃除しようとしたら、そばに座っていたおじいちゃんの耳垢が引っ張られて大変。しかも右耳の耳垢が、左耳の方にひっぱられたから耳垢が鼓膜を突き破っちゃって」
「あれは単に指定された方向に耳垢を引っ張り出すという術がかかっていて、そばにいた祖父の耳垢も対象になっておきた事例だったな」
「あー怖い怖い。鼻汁と耳垢でこんなんだから、ねぇ?」
わざとらしくそう言ってから、リロイとクルーガーはレーピンの方をチラリと見る。
めり込む眼鏡が薄く曇ってきていた。その理由は額にじっとりと浮かんだ汗だ。表情から笑顔が消え失せたレーピンは、グッと黙り込んだままうつむいている。
が、その目が瞬間、リロイ達の背後の扉を見たのに気づき、クルーガーはすぐさま立ち上がると廊下とつながる扉を開いた。
そこには、年配の女性が立っている。先ほど受付に立って、帰り支度をしていた女性だ。扉に耳を近づけ中の様子を聞いていたのだろう。
だが、突然扉をあけられたというのに、さして驚いた様子も見せない。身長差の為、必然的にクルーガーから見下ろされる形になっているが、女性は臆することなく、むしろ挑戦的なまでにきつい眼差しでにらみつけてくる。
「……立ち聞きなどせず、どうぞご一緒に。我々は暴力も振るいませんし、権力もありません。話を聞きに来ただけです」
出来るだけ穏やかに声掛けしたつもりだったが、女性はハッと鼻で笑った。
「どうだか? 教会関係者ほど厄介なものはいないからね」
「ちょっ……ママッ!」
慌てた様子でレーピンが言った。
ママ?
言われて二人は、医師と女性の顔をバッと見比べる。
太さで気づかなかったが、なるほど、言われてみると目と鼻の当たりがそっくりだ。受付だと思っていたこの人は、レーピンの実の母親だったわけか。
「あんたら、うちの病院が何かまずいことしてると立件して、潰そうって魂胆かい?」
都市の頃ならコダマ婦人と同じか、それより上か。しかし年齢には不釣り合いなまでにどすの利いた声をだして、ママは二人を更ににらみつけた。レーピンよりもずっと小さい身体なのに、迫力が違う。さっきのコダマ婦人と言い、戦火を潜り抜けた時代の女性というのは、なんかもう、一言でいえば、強い。
「あんたらの探してる魔導具っていうのは、これのことだろう?」
こちらを睨んだままで、ママはそう言うと自分の鞄の中から一辺が20センチほどの小箱を取り出した。何の変哲もない、白い小箱だ。だが箱に見えるのに、遠目で見ても開け口が見当たらない。箱なのか、ただの立方体なのかは分からないが、クルーガーの鼻はその異臭を、リロイの感覚はそこから漏れ出る魔力を感知した。
「ママ、出しちゃだめだっ」
レーピンが、小さく悲鳴のような声をだした。いくらでも探したらいいという先ほどの威勢は、母親がそれを持って外に逃げ出すことを見越してだったわけである。
だがママの方はというと、片手で箱を持ったままフンと鼻を鳴らした。
「どうせ遅かれ早かれバレることだよ、イリヤ。それなら、この町の現状をこのふざけた神父達に伝えてやるのが、あたし達の使命だと思いな」
「……ふざけた神父」
「け、けっこう真面目に仕事してるつもりなんだけどなぁ……」
言われて少し傷ついた二人だったが、ここに来た最大の原因が「蟹」だったことを考えたら、言われても仕方ない。もちろん、ママはそんな二人の思いには気づかずに憎々し気に箱を突き出してきた。
「この箱は、大戦の最中に出回ったもんだよ。使用途中に、それを操作するものにも副作用が現れるからって今は取り扱いが禁止されている。だが、元々うちに三つあったやつの一つ、これは、大戦後に政府に没収される前にあたしが隠したんだ。その意味が、若造のあんたらにわかるかい?」
聞かれて、すぐに答えられないままでいた二人をよそに、レーピンが「ママ! ママは副作用があることを知っていたのか?」と悲壮感漂う声を出した。それはそうだろう。これまで何も考えずに使用していたものが、実は副作用があったなんて聞かされて、平静でいられる者はまずいない。息子の問いかけに、ママは一切動揺したそぶりを見せることなく頷いた。
「そうさ。使われた者は何ともないけどね、操作した者の体質が変わるんだよ。あたしの場合もそうだったけど、イリヤの場合もそうだね」
そう言って、ママは言った。
「異常に太るんだよ」
「……ああ」
レーピンをふりかえり、至極納得した声をだしたリロイ達に、一瞬とても傷ついた表情を見せたレーピンだったが、すぐさま何か理解したようなすっきりした顔になる。
「……じゃあママがここ二年で急に痩せたのは、その箱を操作する役割が僕に変わったからだったのか」
「二五年間、何しても減らなかった体重が、箱を操作するのをやめたらスッキリさ。ダイエット本まで出せちまうくらいにね!」
「え? 本だしたの?」
「出してないよ!」
リロイの疑問に、ママはピシャリと言い返した。
「鋭意執筆中ではあるけどね!」
「詐欺じゃないか」
思わずクルーガーも唸る。だがママはひるまず言葉をつづけた。
「なんにせよだ。大戦が終わり、物資がうるおい、町も復興しているというのに、なんであたしがこれを手放さなかったか分かるかって聞いてんだよ?」
その勢いについ飲まれて、リロイとクルーガーは言葉を飲み込んだ。わかると言ったら、わかる気はする。だが、それを言うのは憚られた。
だって。
なんか、怖いもん。
ママは黙り込む若造たちを更に怒鳴りつける。
「分からないだろうね。どんなに時代が進んでも、爆弾が落ちてこなくなっても、いまだに必要とする人間が山ほどいるからだよ! 」
ほらやっぱり。
とリロイは思わず言いかけたが、ここでそれ言うのはかなりの勇気がいるわけだし、そもそもママが言おうとしている意味は分かったので、口を噤んだ。だって、ここまで来た原因は、それを必要とした女性がいたからだ。そしてその人に話を持ち掛けたということは、それ以外にも同じ状況下に追い込まれている人間がたくさんいるからだ。
大きな町であればあるほど、貧富の差は激しくなる。人の流れが激しいということは、それだけ多くの立場の人が集まるということだ。行政の手が行き届いていないというのも、教会に所属していれば嫌でも目の当たりにする。それをどうにかするのも教会の仕事なのだろうが……根本的にどうこうするのは教会の仕事ではない。
「仰ることは重々承知しています」
リロイが考えあぐね、ママが次の言葉を発する前に口を開いたのは、強靭な心を持つクルーガーだった。強靭な心というか、リロイから言えば、もうちょっと空気読めよと思うのだが。
「ですが我々に言われましても、その件に関しての抜本的な改革をすることは無理です」
サラッと言ってしまうクルーガーに、背後から「空気読めよ!」と心の中で叫びながらも、リロイは更に押し黙った。相棒が言っていることは正しい。間違いではない。カーロン教は所詮ただの宗教団体なのだ。その末端である自分たちが何か口出しして、できることは限られている。
だがママは納得しなかったようだ。それもそうだろう。
「じゃあアンタらは、単にここまでやってきて、違反だ不正だって言って、弱い者たちがすがっている助けを奪い去ろうっていうのかい?!」
「危険性があるからです。危険だからこそ、法律でそれらの回収が義務付けられているんですよ」
「危険だって言ったって、目の前で死にかかっている子供を放り出すよりずっとマシだね! 貧困で満足な治療や栄養を与えられず、ちょっとした風邪で命を落とす子供を前に、その子の手を握るだけの親を見たことあるか? その顔を! 絶望の淵に立った時、親は誰でも自分はどうなってもいいから子供を助けたいって思うんだよ! その手助けをする道具を、あんたらは悪だというのかい!?」
「生命力がとられすぎて、実際にひとり死にかかっているんです。歩くのもままならないという人が」
「死んでも子供を助けたいっていう気持ちが、あんたは分からないっていうのか!」
クルーガーとママとの話がいよいよ平行線になろうとした時、リロイの横で黙って聞いていたレーピン医師もといイリヤが、声を出した。
「……あの、先ほどから思っていたのですが、本当に死にかかっている人がいたのですか?」
「え?」
言われてリロイはイリヤをふりかえる。眼鏡は変わらず顔にめり込んでいるものの、その表情はこれまでと違って、深く考え、疑問を追求しようとする「医師」の顔つきをしていた。イリヤはデスクの上に無造作に置いてあるファイルの中から一冊を取り出し、その中を確認する。
「今月に入って、魔導具を使用した人は合計で八人。どなたも事前に体調を確認してから使用に踏み切っています。体力的に問題があると判断した人には、いくらお金を積まれても、うちではお断りしているんです」
その発言は、あからさまに魔導具使用を認めていることになるわけだが、それよりもイリヤの目的は「患者に危険が及んだか」ということに重点があるようだ。ファイルの中をリロイが覗き込むと、なるほど、そこには個人名の下に当時の血圧や心拍数、体重に血液濃度などが細かに記入されていた。
「この魔導具を起動させるのに、かなりの魔力を消費しなければならないのです。うちはそうした医療用魔力は薬品メーカーから購入しています。その魔力費用と、生命力をくれた提供者に支払う費用とを、うちでは患者に請求しているわけですが」
「払えない人には代わりに現物で支払ってもらうというわけですか?」
リロイが言うと、イリヤは眉を寄せながら苦し気に頷いた。
「……そうです。患者と提供者が親類の場合はその費用はいただかないことにしています。第三者の提供者にのみ、謝礼として費用を支払うことにしているのですが、そもそもの魔力費用さえ払えない人には後日、提供者として生命力を他の患者に譲渡してもらうことで手を打っております」
「提供者として、ちゃんと承諾はされているんですか?」
イリヤのことを鋭くにらんで、クルーガーが言った。医師がいい加減なことを言っているならば、すぐさま暴れだしそうな気配を漂わせている。だが、イリヤはグッとこぶしを握り締め、目を閉じた。
「……あなた方が言っているのはメイ・リーさんのことですか?」
「いや、名前は知らないんですけど」
思わず横からリロイが呟いたが、イリヤは手の中のファイルをパラパラとめくった。その中に確かに「メイ・リー」と名前が載っていて、その下には「長女 アリサ・リー」と書いてある。子の年齢四歳とあるから、コダマ婦人が言っていた母子に間違いはなさそうだ。
「彼女が娘さんを連れてきたとき、娘さんはウィルス性の肺病にかかっていました。抗生剤投与でどうにかできる病気ではありますが、その抗生剤に耐えるだけの力がすでに娘さんには無かったのです……」
「毎日ちゃんと食事は与えていたみたいだけど、根本的な栄養失調だったよ。四歳は、腹が満たされたらそれでいいというわけじゃない年齢だからね」
ママが当時のことを思い出したのか、フンと鼻を鳴らした。
「少ない稼ぎで努力はしていたようだけどね。そもそも自炊の経験があまりないんだろうね。食べさせているものをきいたら、免疫力がつくとは思えない内容だった」
「とにかく。このままでは抗生剤の投与もできないために、僕は魔導具の使用をリーさんにお話ししました。ただその時彼女が持っていたお金では、到底魔導具を起動させる分の魔力を支払うには乏しく……」
「だから、唯一持っていた指輪を売りに行ったといっていましたよ。十万で」
コダマ婦人の話を思い出して、リロイは横から口をだした。
ミットランでの魔力適正価格がどれくらいなのか詳しくは知らないが、コダマ婦人が支払った十万で足りないとは思えない。もしそれで足りないというならば、やはりこの魔導具は不良品といえるだろう。起動するだけで、この小さな箱が十万分の魔力を消費するとはリロイの経験上、考えられなかったからだ。
「十万?」
それを聞いて、イリヤと、そしてママも眉をしかめた。
思いもしない様子にクルーガーも思わず聞き返す。
「……起動用の費用はいつもどれくらいを請求しているのですか?」
イリヤは慌ててデスクの下の方から、違うファイルを取り出した。
そこには薬品メーカーの明細書が入っている。細かな数字の意味は初見だとわかりかねるものの、魔力費用として書かれた横には「五万」と数字が記されている。
「一度の起動に必要な魔力の費用は五万です。うちではこれに、提供者に支払う費用として一万を上乗せし、一回の使用に伴って合計で六万のお支払いをお願いしています」
リロイがファイルを受け取って過去の分をめくってみても、どのページにも「五万」としか書いていなかった。起動の度に、次の一回分だけの魔力を購入していたのだろう。
変わらぬ購入費用と購入頻度から見て、イリヤが嘘をついているとは思い難い。
「リーさんはご自身の生命力をお子さんに提供するということだったので、一万分は差し引いて五万だけ請求しました。それでも手持ちがないと言われ、一度外に出て行かれた後持ってこられたのが一万だけでした」
「一万だけ?」
聞いていた話と違う。十万で指輪を売ったというのに、五万支払わずに一万だけ渡したというのはなぜだ? いくら貧困だと言っても、十分に支払っておつりがくる金額である。
「うちも慈善事業じゃないんだよ。この病院のボロ具合を見てわかるだろう?」
ママが院内全体を見まわしてため息を吐く。
「いくら可哀そうだからって言ってもね。残り四万分をあたしたちが自腹で払うのは難しいんだ。それにそんなことばかりしていたら、本当に助けが必要な患者が来た時に助けられなくなる」
「なので、支払えない方々には、後日でいいので提供者として生命力を渡す側になってもらい、一回につき一万ずつ返済してもらっているんです」
「……となると、本当に病院側としての儲けは無し?」
リロイは眉をひそめたが、イリヤとママは嘘をついているようには見えない。そもそもこの病院の古びた具合が、それが事実だと物語っていた。
「リーさんには、魔導具を使う前にそのお話はちゃんとしました。そしてちゃんとご本人の承諾を得ています。魔導具使用の代わりに、足りない四万分、合計四回生命力を提供してもらうと」
言ってイリヤが見せたファイルの中には、承諾書と銘打っている欄が設けられており、そこにはなかなかの達筆で「メイ・リー」と書かれていた。記載されているのは他に、足りない費用の代わりに四回分ドナーとして協力するということで、それ以外に何か患者側が不利になるような文言は一切ない。
「聞いていた話と違うな。我々がきいていたのでは、後日の診察で費用が足りていなかったからと請求されたと聞いているが」
眉根を寄せながらクルーガーが呟く。それに食って掛かったのは、やはりママだった。
「そんな詐欺みたいなことするわけないだろうが!」
「僕も今のお話を聞いて引っかかります。確かにあの時、お子さんを助ける為の費用を作ってくると言って外出したリーさんは、戻るまで一時間程かかっていました。出来た費用は一万円だと話されて、その時のそぶりに噓は感じられなかったですし、その後も毎週ちゃんと提供者として来院されています。そんな人が十万のお金が出来たのに、支払わないでいるでしょうか」
「その話を我々にしてくれたのは、指輪を購入したご本人です。リーさんの具合の悪さを見て、医師のやり方に抗議したいと話されていました」
「抗議したいのはこっちの方だよ! なんだい、よく知りもせずに!」
クルーガーの言い分に、ママが再び激昂する。
「あたしたちはこれでも医者だよ? さっきイリヤが言ったみたいに、事前に提供者の体調はしっかり調べる。そして本人が倒れるまでの生命力は譲渡させない。もちろん、使用後に貧血やめまいに似た症状が出ることはあっても、それで死にかかるようなことは医師として絶対にさせないよ」
「医師としての矜持です」
イリヤも頷いた。眼鏡の奥の目が、初めてこちらを真っすぐに見つめている。
ならば、なおさら。
今回の話は様々なところで食い違う。
指輪が売れた費用がありながら、それを支払わなかったこと。
後になって追加費用を請求されたということ。
提供者として生命力を譲渡したが、その後の具合の悪さもそうだ。
「婦人が嘘をついているか、リーという人が嘘をついているか……」
「分かんねぇな……」
クオリテッド班は互いに首を捻った。
コダマ婦人が話を盛っている可能性は、ないとは言えない。なんたって「蟹」を出して二人を今回の件に巻き込んだ張本人だ。リーという女性が悲劇のヒロインだと思い込んだら、それくらいのことは言えるかもしれない。指輪の購入費用も、十万では無かったかもしれない。だが、あの話をする様子からして一万よりも安い価格で婦人が指輪を購入したとは思えなかった。そもそも、孫に贈ろうとしていたものの値段を値切るだろうか?
そして値切るような人が、あれだけ高級な料理を二人にふるまうだろうか?
「その、メイ・リーという人の住所はわかりますか?」
しびれを切らし、リロイはイリヤに持ち掛ける。
こうとなったら、第三の人物であるメイ・リーに直接話を聞くしかない。
とんでもないことに巻き込まれたもんだと二人が思っていると、イリヤが患者の名前が載ったファイルを手に、頷いた。
「メイ・リーさんに話を聞かれるのならば、僕も一緒に行きます」
「……なんで?」
唐突な提案に、つい素でそう聞き返したリロイだったが、イリヤは毅然とした表情のままでつづけた。
「今回の件では僕としても納得がいかないことが多々あります。費用の面や、ドナー了承のこと、何よりリーさんの体調です。そこまで具合が悪くなるほどの提供はお願いしていません。それなのに死にかかっているとあるならば、医師である僕達が気づかなかっただけで、彼女自身に何かしらの疾患があるかもしれません」
ママも息子の様子に頷いた。
「医師として、それを見過ごすことはできないね」
「幸い今日の午後診察はありません。今から僕がリーさんのご自宅まで案内します。僕自身、行くのは初めてですが、あなた方よりもミットランの地理については詳しいですから」
鼻息荒く言われてしまい、その後ろでママが「そうしな、そうしな。うちの車に乗って行け!」と激しく言う。
熱い情熱を抱く二人の親子医師に言われ、クオリテッド班は無言で互いに目配せした。
……なんか。
更に面倒なことに巻き込まれているような気がする。
悪人も厄介だが、熱くなった善人ほど厄介なものはない。
聞かれるとまたママに怒鳴られそうな気がしたので、心の内だけで二人は大きなため息をついた。
クオリテッド! みなかみもと @minakamimoto
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