ドライブ
@rakuten-Eichmann
ジャンキーと司祭
「なあ、今どれくらい走った。」
『時間、それとも距離?』
「どっちもだよ。察しろそんくらい」
『知らないよ、全く君は言葉が汚ないな。やはりジャンキーという奴らは学がない』
「学がなくて悪かったな。そのかわり良心はあるさ。てめえら司祭と違ってな」
『神を愚弄するな。』
「愚弄なんてするもんか。ただ俺らみたいなジャンキーは何もかも馬鹿にしないと生きてられないんだ。」
『なるほど、哀れな奴らだ。』
ガタン、車体が何かに乗り上げ、肉が潰れる生々しい音が響いた。
『またか、気をつけて運転できないものかね。』
「しょうがないだろう。そこら中に死体があるんだから。」
『全く、これだから地獄は嫌なんだ。』
遠くから腹の底に響く呻き声が聞こえた。数千の亡者達が地獄の釜で茹でられている声だ。それに混じって、はるか後方から彼らの名前を呼ぶ声がする。閻魔大王の駒使いの牛頭馬頭たちの声だ。
『私たちは幸運だ。地獄に落ちた先にたまたまカーディーラーがいたのだから。』
「全くだぜ。奴ら地獄にまで営業に来てるんだから笑えるぜ。」
『私から言わせて貰えば、営業職の奴らは全員地獄行きだね。本当に必要なものを売らず、世の中に悪徳をばら撒いている。』
「生きるためだろ。それにあんたも地獄に落ちてきたんだ。同じ穴の狢じゃねえか。」
『私をそこらの罪人と一緒にしないでくれ。私は安楽死を認め、苦しむ病人に安らぎを与えただけだ。』
「ふん、やっぱり罪人じゃねえか。いいか、生きようとすることは何より尊いことなんだぞ。それを主観でしかない正義感で奪うのは許されないんだぞ。」
『わかったようなことを言うなクズめ。貴様がここにいるのは薬物を売り捌いていたからだろう。』
「ああ、老若男女全員に売りつけたぜ。需要があったから売る。それだけだ。自分でも使いまくったがな。」
『クズめ。』
「ああ、クズだぜ。何回も言ってるじゃねえか。堂々巡りはやめようぜ。ここにいる全員みんなクズだ。」そう言ってジャンキーはハンドルから手を離し、レバーを回して窓を開けた。
一面に広がるガラスでできた砂漠は、立ち上る火柱を反射してキラキラと輝いている。
火柱に照らされて、黒焦げの亡者達がぼうっと浮かび上がる。ごま塩のようだ。死ぬこともできず、動けもせず、炎に焼かれながら、灰になるのを待っている。四肢は端から砕け、風にこそぎ取られて空に舞い上がっている。奇妙なほど晴れ渡った青空に大きな宮殿が浮かんでおり、そのはるか上空に一つ目の太陽がギョロリと地獄を睥睨している。閻魔大王だ。彼は地獄の過去未来全てを見通している。そこから税金の予算をくみ、亡者たちの灰とガラスを混ぜてダイヤモンドを作り、せっせと天国に納めている。
天使はその税金を使い、神様の了承を経て、現世に様々な災害を起こす。そして死んだ人間は篩にかけられる。すなわち天国で祝福を受ける聖者か、地獄で火炙りされる亡者か。そうして世界は回っている。
「ところで、牛頭馬頭の奴らだけどさ、ずっと追いかけてきてるよな。」
『そうだな。連中にとっては亡者に逃げられるなんて生まれて初めてのことだろうからな。馬鹿の一つ覚えで亡者をいじめていた奴らは、僕たちを捕まえて早く毎日のルーティーンに戻りたいのさ。』
「全く哀れな奴らだぜ。」
『そうか?君たちジャンキーだって毎日同じことに必死じゃないか。薬を打ち、自失して眠る。その繰り返しだよ。牛頭馬頭達と何が違うんだ?』
気まずい沈黙が車内を支配した。
沈黙が満ちていたせいか、異変に気づくのは早かった。先ほどまで快音を響かせていたエンジンに、微かだがキュルキュルと雑音が混ざり始めた。車体の後方からは黒煙が立ち上っている。
『なんだ、もう壊れてしまったのか?』
「みたいだ、全くあの営業め、クソみたいな車に乗りやがって。」
『な、言っただろう。営業職は地獄行きだって。』
「わかったよくそ、とにかくエンジンルームを見てみよう。牛頭馬頭がきちまう。」
『なんだ貴様、ジャンキーのくせに車の修理ができるのか。』
「まあな、ヤクの他にも色々売ってたんだ。廃車を修理して中古車として売ったりな。おかげで助かっただろ?」
『それはそうだが…』
「おら、ぐずぐず言わずにお前も車降りろ。」
「こらひでえな。」
エンジンルームは酷い有様だった。何人もの亡者を引いたせいだろう。細かい肉片がエンジンにベッタリとへばりついていた。幸い焦付きはなく、鋭利なもので肉片を削ぎ落とせば問題なく車は走ることが出来そうだ。
「おい、何か先の尖ったものはないか?」
『着の身着のままで地獄に堕ちてきたんだ。持ってるはずがないだろう。お前こそ何かないのか?』
「残念だが俺は風呂場で死んだからな。錆びついた注射器ぐらいしか持ってねえよ。…ん?お前の右ポケットのそれ、そう、その鎖状の。そらなんだ。」
『これか、これは神を讃えるロザリオだ。』熱風で揺蕩うローブから、取り出しづらそうにロザリオを取り出すと、恭しくそれを手に広げた。
『私が神から生を受けた瞬間、父から引き継いだものだ。』
「よし、それをよこせ。」
『何に使う。』
「決まってんだろ、エンジンの掃除だよ。」
『ふざけるなよ、これは曽祖父の代から受け継がれた神聖なロザリオだぞ。それを汚らわしい亡者の肉をこそぎ落とすのに使えるか。』
「ならどうする、牛頭馬頭の奴らはまだ遠くにいるが、10分もしないうちに追いつかれるぞ。そしたら二人仲良く美味しくボイルされた後、火柱でバーベキューだぞ。それでもいいのか。」
『いいわけないだろ!!』
「ならちゃっちゃとそれよこしな。なに、地獄の底なんて神様は見ていないさ。」
『そう言う問題じゃない、私の中の良心の問題だ。』
「ならどうするんだ。」
『こうするのさ。』
そう言うと司祭はロザリオを強く握りしめ、ジャンキーの眼球へ深く突き立てた。耳障りな水音が響いて、微かな呻き声と共に、どさりと肉塊が倒れる嫌な音がした。
司祭はロザリオを器用に弄った。するとロザリオはみるみるうちに小さなナイフへと変わった。それを使ってジャンキーの体を解体し始めた。その行為はひどく手慣れたものだった。続いて肋骨をへし折り、ナイフで手早く削り始めた。1分もしないうちに鋭利で大ぶりな骨製の杭が手に入った。
徐に杭を握り直すと、神父は猛然とエンジンの腐肉を剥がし始めた。骨と鉄がぶつかり合う甲高い音と、肉を剥がす粘着質な音に混ざって牛頭馬頭の鳴き声が遠くから聞こえる。鳴き声の大きさから察するに残り時間5分と言ったところだろうか。
作業に集中しているせいだろうか。あたりは地獄とは思えないほど静かだ。掃除という単純作業は過去を思い出させる。
全ては信仰のためだ。地獄に落ちる前も私はこうやって人を殺していた。いや、あれは殺人と言えるのだろうか。重病人や希望なきもの、彼らがそれ以上尊厳を奪われないよう安らぎを与えていただけのことなのだ。
苦痛が長引かないよう一瞬で頸動脈を掻き切った。彼らもそれを望んでいた。だが世間は私を認めなかった。異端者扱いされ教会を追われた。それでも私は人々に救いを与え続けた。夜毎ナイフを懐に忍ばせ、繁華街を歩いた。そして恵まれない娼婦や浮浪者が人生に対する悔恨を漏らした瞬間、喉にナイフを突き立てた。私の両手は血に塗れていたが、決して穢れてはいなかった。
救済を与えた人数が三十人を超えた頃だろうか。年は10歳にならないくらいの少年から声をかけられた。
「ねえおじさん、なんでおじさんは人を殺すの。」
『殺してなどいない。苦痛に対する救いを与え、穢れのない綺麗な体にしてあげているんだ。』
「なら僕のお母さんに救いを与えてよ。ずっと前から可哀想なんだ。」
私は驚いて少年の目を見つめた。その目は恐ろしいほどに澄んでいた。
「お願い、ずっと汚れていて可哀想なんだ。」その目に懇願されるとどうにも断りきれず、私は少年の家へ向かった。
少年の家は鉄道沿いのバラックの一角にポツンと佇んでいた。他の家と比べても酷い有様だった。壁には大きな穴があき、トタンの屋根は錆びつき半分剥がれかかっている。廃屋と言っても構わないだろう。その中に母親は半死半生といった様子で横たわっていた。薄い白髪は煤煙で黒く煤け、骸骨に皮を貼り付けたような体をしていた。立ち上がる気力もないのだろう。痩せこけた体からは酷い尿臭がした。
今までの私だったら迷いなく救済を与えていただろう。だが子供の前で母親を殺す。そんな悍ましい行為は果たして救いと言えるのだろうか。
「早くしてよ。もうこれ以上見てられないんだ。」少年から懇願され、私は恐る恐るナイフを取り出した。今まで気づかなかったが、ナイフは刃こぼれがひどく、洗いきれなかった血のせいで少し錆びついていた。今までと同じように安らぎを与えられるとは到底思えなかった。
呆然としているうちに母親の呼吸が荒くなってきた。それは素人目に見ても危険な状態で、酷い苦痛を伴っていることは明らかだった。私が今まで与えていた救い、それは本当に救いだったのだろうか。そんな疑問がふと浮かんだ瞬間、ナイフを握る手に衝撃が走った。
ナイフをもぎ取った少年は母親の首元に跪くと、何度も何度もナイフを振り下ろした。心臓も半分止まりかけていたのだろう。血は静かに流れるだけだった。
少年はゆっくりと振り向き、相変わらず澄んだ目で私に尋ねた。
「綺麗になった?」
背後からの声で司祭は回想から引き戻された。背後を振り向くと、ジャンキーの血に濡れた顔がこちらの手元を覗き込んでいる。
『なんだ、もう治ったのか。意外に早かったな。』
「ああ、きっと普段の行いだな。」
『ふふ、きっとそうだろうな。』
「なんだ無駄に優しいな。いいことでもあったか。」
『いや、別に。早く行こう。牛頭馬頭の奴らがすぐ来るぞ。』
「ああ。ところで今お前に殺された時な、走馬灯が見えたんだ。」
『そうか。どうせ薬でラリっていることしか思い出せなかっただろう?』
「それがそうでもなくてな。ずっと忘れていたお袋のことをぼんやりとだが思い出したんだ。」
『そうか…よかったな。』
「ああ…日向ぼっこをして、母親の腕の中で眠りかけていた。そん時の子守唄を思い出した…おいどうした?泣いているのか?」
『いや…やっぱりここは地獄だな。』
「当たり前だろ。変なやつだな。おい窓しめろ。火の粉が入ってくるだろうが。」
『暫くこのまま走り続けてくれ。前だけ見ていろ。』
「わかったよ。全く変な司祭だぜ。」
空に浮かんだ閻魔大王の目は地獄の端から端まで全てを見通している。火柱の向こう側に消えていく一台の車を見て、彼は眩しそうに目を細めた。
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