揺りかごから墓場まで(一貫した在来種純粋日本人性)V.1.3

@MasatoHiraguri

第1話 おらが村の秋祭り

2024年11月10日、奈良県のある町で行われた「パフォーマンス・フェスティバル」。朝10:30から16:00まで、在来種純粋日本人の子供(3歳)からお年寄り(90歳)までの各種パフォーマンスを、存分に楽しませて戴きました。


  在来種純粋日本人とは、生まれた時から死ぬまで在来種純粋日本人。変に、韓国脳的学校教育や情報(テレビやインターネット)に晒されるから純粋日本人性を喪失していく。  

  しかし、いくらいびつな教育にどっぷり晒されても、本性は在来種純粋日本人。だから、こういう「パフォーマンス・フェスティバル」のような場では、彼らの在来種純粋日本人性が思いっきり発揮されるのです。

  顔も名前も知らないが、間違いなく同じ縄文人・在来種純粋日本人の仲間・家族・一族の演技・演芸を観て、心から一体感を感じることができました。


   在来種純粋日本人性というのは、外来種偽日本人性(外国人移民で日本名を名乗り、昔から日本に住んでいるような顔をしている人たち)と異なり;

  ○ 嘘がない(本名・素のままの人間性で勝負する)

  ○ 平等感がある(スターがいなくても皆で楽しめる)

  ○ ノリがいい(舞台と観客が一体となる)・強い一体感が自然と醸し出される

  ○ 思いっきり明るい

  ○ 何万年もの昔からこの日本という地域に住んできているので、精神的に安定している。


では一体、何が楽しかったのかといって、一言で言えば、ディズニーランドのような、虚構・空想世界での「痴呆化・幻想」という楽しみ方ではなく、あくまで実技・実力・現実に基づいた演技・演奏・舞踏という、本物のパフォーマンス(実力・実演・現実)パワーにどっぷりと浸れた、ということ。

  嘘・作り物のテレビ番組やショーではなく、リアリティー(現実感)満載のパフォーマンスを目の前で見れた。目の前で現実にパフォーマンスを観るといって、サーカスのようなスターがやる演技ではなく、わたしたちと同じ在来種純粋日本人という仲間がやっているという親密感・平等感・楽しさがあり、アッという間の一日(昼休みを除き約5時間)でした。

まるで私は、竜宮城で夢のような楽しい時間を過ごした浦島太郎のような気分。その楽しい一時(いっとき)を、真に自分の思い出として心に焼き付けるために、敢えて「玉手箱を開けよう」というのです。すでに、充分白髪のジジイである私ですから。


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