鳥の報せは諸人に

輿水葉

物語のまえに

 全ての物事には歴史がある。

 降り注ぐ雨は天と地の中ほどで突然現れるわけではなく、木陰で休んでいる額に皺の刻まれた老人は大地が形作られたそのときからそこにいるわけではない。

 そして、それらは必然によって互いが結ばれている。この世を統べる波と粒がときおりそこに撓みを生じさせることはあっても、歴史が紡ぐ経糸と緯糸は途中で断たれることはなく、ましてや道を違えることもない。

 だからこそ、私たちは庭に見慣れない花が咲いているのを見れば風や鳥の存在に考えが及び、急に泣き出した子供を見掛ければ何かしてあげなければならないという気持ちが湧いてくるのだ。

 物事には、必然がある。

 では、名前はどうだろう。

 たいていの物事には名前がある。

 空の上を毎日規則正しく進んでいく丸い光を無名のものとして扱う社会はなく、名のない人々だけで構成された共同体もない。

 世界には、名前が溢れている。

 物事と同じように。

 しかし、そこに必然はない。

 息と唇が定める規則にある程度は促されるとはいえ、音と物事は番いになるよう大勢から命じられ、結果、その中で一番声の大きかった者に従い、ひとところに仕方なく腰を落ち着ける。

 だからこそ、山を一つ越えればそこでは思いもよらない言葉がちらりと顔を出し、海を一つ越えれば親しいはずの物事が見ず知らずの音と手を取り合っている光景に出くわすのだ。

 さて。

 これから始まる物語の世界にも当然歴史があり、そして名前がある。

 問題は、いまからこれを読もうとしているあなたから見て、その世界がどの程度離れた場所にあるのか、私には見当をつけることができないということだ。ある名前の持つ音がどのようにあなたの耳に響くか、それを調べる手立てはない。

 私はこの勝手気ままな存在たちをどのように記すべきだろうか。

 最も正確で間違いのない方法は、そこで話されている言葉をいちから説明することだろう。そしてもちろん、それは現実的ではない。

 ということで……私は結局ありきたりな方法で妥協することにした。音の類似性には目を瞑り、なるべく意味の近い言葉を代わりに当てはめる。異国の物語を記すのに、数多の書き手が選んできた方法だ。

 ときにそれは小さな、あるいは大きな齟齬を引き起こすかもしれない。ある音の並びがあなたの中から呼び起こす歴史は、たとえ似通った物事に関することであっても、これから始まる物語の中においては、異なっている可能性がある。

 しかし繰り返しになるが、その問題に対する完璧な対処は残念ながらない。できることは、私がなるべく間違いを犯さないようにすることのみだ。

 空無から生まれるものはない。

 音で彩られた物事はその名を誇らしく掲げ、

 灰色の世界を彩なし、

 歴史を紡いでゆく。

 あなたと同じように。


   この物語に遅れて来る者より

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