第26話 迷宮視察③


 信じられない。

 こいつが、マナ・フィーラがわたしの血縁?


 いや、ある意味で納得してしまう自分がいる。

 呪われた、歪な血。

 その継承者としては相応しい。

 もちろん、悪い意味で。


 マナは語る。


「この部屋はマップ上に存在しない、決してたどり着けない部屋」

「…………っ」


 言葉が、喉の奥から出てこない。

 この魔力、相当貯め込んでいたのだろう。


 そんなわたしにお構いなしに、こいつは語り続ける。


「ん? ええ。わたくしの目的ですか。そうですね、難しいところですが……」


 顎に手を当て、こいつは唸る。


 意味がわからない。

 こいつは、自分の目的すら言葉にできないのか?


「私を捨てたお母様への復讐といえばいいのか、最強の『魔王』であったお父様への自己主張といえばいいのか。……うーん、どちらもしっくりきませんね」


 彼女の境遇に、嘘はなかったのか?

 それが本当なら、彼女は父親には会えず、母親には捨てられた。

 そうした過程での想いが、こいつを、マナを動かしているならまだ納得できる。


 けれど、そうではないと否定した。

 いや、理由なんてどれでもない。

 彼女の、このどす黒い眼の女の思惑の原動力は――


「強いて言うなら、興味……でしょうか?」


 は?


 唯一動く、思考が停止する。

 この行動の源泉が、ただの興味だなんて。

 わたしは、眼の前の怪物に唾を飲む。


「そうですね。魔族は現在、劣性に陥っています。Sランクに君臨する魔族たちはもう昔からの古株ばかり。最強の『勇者』を除いても、人間に分があるのは明らかです」


 で・す・が――と、こいつはワントーン声を上げてわたしをじろりと舐め回す。


「そこに吹き込んだ旋風こそ、貴方なのです! 貴方を中心に、魔族は回っているといってもいい!」

「そ……んなわけ……」

「あら、口だけでも動くようになってきましたか。四年分の魔力を貯蓄したのですが、さすがお姉様ですね」

「う……ざっ」


 わたしの小言に、マナは乗ってくることはない。


「続けましょう! お姉様は自身の価値を低く見積もりすぎです。父はかつての最強の『魔王』。師は現在の次席――吸血公アルフォード。その他にも、お姉様の存在は魔族中でその名を轟かせている。そして何より――――"聖光"の『勇者』、人間側の抑止力である、セイン・ヴィグリッドに宣戦布告したその勇ましさ!! これが一体どうして、無視できるでしょうか!?」


 犯人は、わたしをこれでもかと囃し立てる。

 わたしには、全く響いてこないが。


「そ……れで? そんな素晴らしい存在を消すのが、あんたの目的ってこと?」

「ええ、そうですとも。私は魔族と人間の裏での対立など知りません。ただ、魔族の中の魔族――まさに台風の目であるお姉様を世界から消し去ったら、一体どうなるか……私、興味津々なんです!!」


 ウキウキと、嫣然と微笑む様を見てわたしは理解ができなかった。


「おかしい……狂ってる」

「もう、乙女に向かって失礼ですね~~」


 人生でこれ程、脳が理解を拒否したことがあるだろうか。

 それ程、この女は狂っている。


「最強の『勇者』様と仲直りをして、楽しくデートができて! そうした絶頂で、絶望に落とされる。あの『勇者』様は今頃焦っているのでしょうか!? それも大変興味深いですねえ!!」

「……くそっ!!」


 あらゆる手段を用いて、わたしたちを分断していた。

 完全に、彼女の手のひらの上でわたしたちは踊らされていた。


 いや、セインは最初からその素性を……その腹の内を訝しんでいた。

 ごめんセイン、わたしのせいで悲しい思いをさせて。


「うふふふふ……あははははは!!!」


 やつは、マナは嗤う。

 そして彼女は、世界の中心にいるかのように天井を仰いで嗤い――



 刹那、音もなく。

 その左腕が落ちたのだ。


「……あ、れ?」


 わたしも、何が起こったかはわからなかった。

 だが、その真犯人は察しがついている。



「――先代の"聖光"の『勇者』、人間と魔族との和平を成し遂げた彼女はこう言ったのだという」


 わたしたちの後方に、銀色の少女が立っていた。


「『いつの時代も、世界を悪へと導くのは"魔に取り憑かれた者"』だと。私も思うよ。人間も魔族も関係なく、取り除くのは"魔に取り憑かれた者"だってね」


 空気が、一変する。


 マナは、切断された腕を糸で縫合していた。

 それが彼女に発現した魔族の特性なのか。


 しかし、それでも無事であるはずはなかった。

 その表情からは、既に余裕は失われてしまっている。


「ふぅ……ふぅ……」

「ふうん。そういう種族ね」


 セインは冷たい目で、彼女を睥睨する。


「な……んで。この部屋は、マップにはなかったはず……。それに……魔力探知に引っかからないように防魔壁も張り巡らせた……なのに」

「君の様な、"魔に取り憑かれた者"に説明する義理はない。それこそ些細な問題だ」

「…………」


 彼女は絶句する。

 わたしも、同じ気持ちだ。

 マナが凝らした、わたしを貶める為の様々な工夫。

 それをセインは、些細な問題と一蹴したのだから。


「セイ――」


 セインの表情を見て、呼びかけていたわたしは止まる。

 それは怒りなんてものではない。

 ただの無が、そこにはあった。


 眉一つ動かさず、セインは標的の下へ迫る。


「ああ、失敗してしまいましたね。あと一歩でしたのに」


 彼女は観念したと、両手を上げる。


「セイン。どうするつもり?」

「勿論――殺すよ」

「え?」


 今、なんて言った?

 殺すって、そういったの?


「……ま、まってよ! さすがにそれはやりすぎじゃない? そう! 嘘をついていたとしても、荘魔女学院の学生証にあることは本当! わたしたちよりも三つも年下なのは事実なんだよ!?」

「それだけが事実なのが厄介なんだ。彼女はまだ十三で、今回は未遂に終わった。故に捕縛してもいずれまた、地上に放たれる。そして同じ様に、また罪を企てる」

「そ、そんなのわかんないじゃん! 改心するかもしれないじゃんか!」


 セインは首を横に振る。


「全体を否定してるわけじゃないんだ。ただ彼女は、根本的に歪んだ、"魔に取り憑かれた者"だよ」

「さっきからなんなのそれ。知らないよ、そんな言葉…………」


 セインはらしくないというか、今回に関しては絶対的に揺るがないという意思を感じる。

 一体、なぜだろうか。


「殺すのは……駄目だよ」

「君を殺そうとした相手なのに?」

「うん。それでも、セインが誰かを殺めるのが嫌なんだ」

「……そっか、君の心慮は伝わった」


 そんな中、渦中の人物が声を上げる。


「あの、どうするかお決まりになられましたか? わたくしとしては生きてはいたいんですが」

「無理だよ、殺すから」

「そうですか~~」


 自身の生死に関する情報を、能天気に話す歪な少女。


 ……その姿が、わたしには酷く矮小で可哀想な存在に思えた。

 ただ純粋だっただけなんて、綺麗に脚色することはできないが。


 好奇心が向く方向が、間違ってしまっていた。

 無垢に、黒に染まってしまっていった。


「いや……いやだ」


 そんなことが言いたいんじゃない。

 マナのことなんて、正直どうでもいい。


 わたしはただただ、セインに誰かを殺させるなんてしたくない。

 それだけなんだ。


「やめてよ! やめてよセイン!!」

「無理だよ、これは絶対」

「おかしいよなんか! なんでそこまで頑ななのさ!」

「君が好きだから」



 ――え?

 わたしの中の時間が、止まった。


「それ……は」

「"恋"って意味でね」

「え……あ……」


 今までだって、そうやってからかわれることはあった。

 ただこうして、直球の好意をぶつけられたのは初めてだ。

 顔が熱い。

 頭が混乱する。


「返事なんて後でいいから。今はただ、私に譲ってほしい」


 セインはそうして、マナ・フィーラの前へ立ち塞がる。


「あ~あ、これで終わりですか」

「そう。君の様な巨悪の芽は、ここで摘み取らないといけない」

「方便はいいですから、速くしてくださいな」


 無言で、セインが剣を振り上げる。

 たった一振り――高速の一撃が振り下ろされる。

 それだけだった、筈なのに。


「なんで邪魔をするのかな…………ミラ!!」


 その剣が振るわれることはない。

 わたしの左目――琥珀の瞳が光る。


 動きを止めたのは、わたし。

 なんでだって?

 そんなの、さっきから言ってんでしょうが……!!


「だから、あんたに殺させない為だよ…………セイン!!!」



 ――好きだからと。

 彼女が伝えた好意は、わたしの中で漂う。


 思えば、セインはわたしにとってどういう存在だっけ。

 思い返してみれば、いい思い出ばかりではない。

 むしろろくでもない出来事ばかりが思い返される。


 けど――いえるのは、彼女は「特別」だってこと。

 良い意味でも悪い意味でも、彼女はわたしにとって特別に相違ない。


 この好意に対し、すぐに答えを出すことなんてできない。

 唯一、セイン・ヴィグリッドがわたしにとって「特別」なのは間違いない。


 だからわたしは、セインを――最強の『勇者』を止める。

 彼女の手を汚させたりなんか、しない……!!

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