思い出が導く先に(第1話)
藍玉カトルセ
第1話
カーテンの隙間から陽の光が差し込む。ぐしゃぐしゃになった掛布団。窓辺に置かれているキンポウゲの水差し。あ、そろそろ水を替えなきゃなと思いながら頭を搔く。キッチンから聞こえてくるやかんの沸く音。ちょっと焦げ目のついたトースト。お供のキリマンジャロコーヒー。以前はおいしいと感じていたトーストもコーヒーも今では無味乾燥。租借と嚥下を惰性で繰り返している。モノクロカラーで満ちた朝。写真の中の京香の笑顔。直視できず強引に写真立てを倒した。これ以上傷口に塩を塗るようなことはしたくない。それでも、わずかな希望に縋りつきたい。靴紐を急いで結んで玄関を飛び出した。
目的地への道のりは簡単だった。最寄駅からは徒歩5分以内で到着。「アンティークの時計のロゴが目印」ともらった招待状には書かれていた。そのロゴはすぐに見つかった。真鍮の扉の真ん中に大きくデザインされているアンティーク時計。長針、短針、秒針もなく、あしらわれているのは4つのローマ数字だけ。半信半疑だったが、本当にここに辿り着けるとは思わなかった。「horloge(オルロージュ)」。西洋の教会に似たような外観。窓辺には風見鶏。カーテンがかかったその窓は少し埃をかぶっていて、中はうかがえない。花壇は手入れが行き届いていて、色とりどりの花が咲き誇っていた。期待と不安がないまぜになった心。僕は意を決して扉を開けた。
「horloge(オルロージュ)」の噂は会社の同僚・石崎から聞いた。先週の金曜日のことだ。飲み会の後、一緒に駅まで歩く途中こんなことを聞かれた。「旗本は、最近話題になっている時空旅行ができる店の噂は知ってるか?過去に戻って亡くなった人に会わせてくれるんだって」
心臓がドクンと飛び跳ねた。「亡くなった」という言葉に過敏に反応してしまう。
「時空旅行?何だか今どきのドラマや映画の話みたいだな。嘘くさい。常識的に考えてありえないだろ。死んだ人間と再会するなんて」
平気なフリして、笑いながらリアクションしたが明らかに口元が引きつっている。上手く笑顔を作れなかった。
「そう思うだろ?ところがだよ。システム部署の先輩が言ってたんだけど、本当にあるんだって。松田先輩っていうんだけど、先輩は小学生のときにがんで母親を亡くしたらしい。で、どこかで入手した『招待状』を手にその店に行き、めでたいことに亡くなったおふくろさんと会えた。だから、お前ももしかしたら京香さんに会えるかもしれないって訳だ。」
脳裏に京香の声が響いた。少しハスキーで透き通った声。よくつけていた香水の匂い。丸みを帯びた文字。よく身に着けていたリングネックレス。それら記憶の欠片を急いでシャット・アウトした。
「...京香の話はしないでくれ。まだアルバムも、LINEのトーク歴も見ることができないんだ。そんな気休めな言葉を聞くより、もっと別の話をしたい」
震える声に力を入れ、何とか冷静に言葉を繋いだ。石崎はバツが悪そうな顔で「悪い」と小さく言った後、口を閉ざしてしまった。その後も沈黙が続いたまま駅についてしまった。ありきたりな挨拶を交わした後帰宅した。
帰宅後鞄を開けると、中に見慣れない黒いカードが入っていた。カードには「horloge(オルロージュ) 招待状」の金箔文字。どういうことだ?スマホを開くとLINE通知が1件。嫌な予感がする。恐る恐るメッセージを確認した。
ー旗本へー
やっぱりお前はhorloge(オルロージュ)へ行くべきだと思う。京香さんと再会するんだ。それがどんな形であろうと、京香さんに思いの丈をぶつけてほしい。あんなことになって後悔しているお前の姿を見ると俺まで辛くなる。招待状は松田先輩からもらった。これがお前の心を少しでも軽くすることを願っている。 石崎
思わず深いため息が出た。朝倒してしまった写真立てを元に戻す。写真の中の京香の笑顔は眩しくて、また切なさが込み上げてきた。
寺田京香は僕の恋人だ。大学時代、軽音楽サークルで知り合うようになった。同い年で音楽の趣味に共通点が多かった僕らはすぐに意気投合し、交際を開始。大学2年のときだった。彼女を一言で説明するなら、天真爛漫という言葉がぴったりだろう。 純粋で素直で、誰とでも仲良くなれる性格。それに加え、真面目で責任感が強かった。サークル内ではメンバーを引っ張り、良い音楽を作ろうと人一倍練習を頑張っていた。僕は何事にも真摯に向き合う京香のことが大好きだった。 大学卒業後、僕は出版社に就職しライターとして働くことになった。京香は音楽プロダクションに入社し、楽曲制作に携わることに。目まぐるしく過ぎる忙しい日々の中でも、彼女と充実した時間を過ごせた。LINE通話やテキストメッセージをしたり、週末には京香行きつけの喫茶店に行ったりもした。何気ない話で笑い合い、同じ景色を見つめて綺麗だねと呟き合えた日々。あの時間がずっと続くと思っていた。あの日、あの瞬間までは。
ー第2話へ続くー
2042字
思い出が導く先に(第1話) 藍玉カトルセ @chestnut-24-castana
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