療養者

 真昼、馬車の小窓から見える王都の街並み。通りを行く人々。

 大音楽祭の開催まで残り10日となった王都内は肌寒さを忘れ、いつも以上に賑わっている様子でした。


 ロザリンドお嬢様のお屋敷は王都の東の外れにありますが、私たちが今向かっている最中の療養施設は西の外れにあるそうです。

 療養施設と一口に言ってもそこを利用する人の立場や身分によってその様相は異なるようで、ヴェルディ伯爵令嬢が滞在しているその施設は、お嬢様が公務で慰問する施設とはまったく別の趣なのでした。

 ようするに、上級貴族が何らかの理由で領地から遥々と王都へやって来た際に、快適な余暇を満喫するために設けられた空間です。疾患を治療するための設備と人材よりも、娯楽の数々が揃えられている場所なのだとか。保養地という表現のほうがしっくりくるかもしれません。


「元々は三百年ほど前に流行った病、その病人を隔離する建物が並んでいたのよ。それをお姉様……ああ、現セインヴァルト女王ではなくて、別のお姉様のことよ、彼女が50年前にその区画一帯の土地開発に着手したの」

「ええと、隔離されるような患者さんがいなくなったのは良いことですよね?」

「たしかに、件の流行病については無事に特効薬が開発された。でも、この世界から隔離される病人がいなくなったわけじゃない。ついでに言えば、耳の短いモリビト王族が大手を振って歩ける世の中でもないわね」

「……自虐はおやめください」

「ごめんね。私、そうやって貴女が表情を曇らすのを見るのは苦しいけれど、同時に好きでもあるのよ。どうかしているわよね。せっかくだから、私も施設に入所しようかしら」


 今度こそ黙ってしまった私に、お嬢様は「冗談よ」とくすくす笑います。


 ヴェルディ伯爵令嬢への二度目の訪問、それは当初の予定ではあの仮面演奏会の3日後には行われるはずでした。

 しかし彼女の所在が不明で、例の療養施設にいると探し当てるのに一週間かかってしまったのです。結局は、レオンハルト殿下のご助力あってその居場所が判明したのですが、彼は既にあの麗しき竪琴弾きに興味を失っているようでした。


 驚いたことに殿下個人だけでなく世間全体が、クララ・ヴェルディという傑出した竪琴弾きのモリビトを忘れ去ろうとしているのです。「女王」の失脚が面白おかしく記事に書き綴られることはなかったのは幸いでしょうが、ひっそりと表舞台から去っていくのは、それはそれで不気味でした。

 要因の一つは、この国の一大イベントである大音楽祭が近づいた熱気です。四年に一度の、都全体を響き鳴らす祭りに比べれば、一人の手によって奏でられる竪琴は恐ろしく矮小なのでした。


 ――長い曲にも終わりはあります。


 あの夜の、フランカさんの言葉を思い出します。夢から覚めなければいけない時が訪れる、それを知らないほど私は無垢な少女でありません。


「お嬢様、一ついいですか」

「なに? 休憩なら取るつもりよ。王都の端から端までをずっとここで過ごすのは、さすがに身体にも精神にもよくないもの。貴女と二人でいるのはそう悪くないけれどね、フランカや一角獣だって休みたいだろうし」

「大音楽祭が終わったら、一度故郷へ戻りたいのですが。、よろしいですか」


 お嬢様は私の言葉に「そう……」とひとまず短い返事をしてから考える素ぶりをします。相変わらずベールで隠された表情を読むのは難しいのですが、けれどいつもいっしょにいると、わかってくることも多々あります。今、お嬢様は何をどう言おうか考えてくれているのだと。


「何日ぐらい屋敷を空けることになりそう?」

「往復にかかる時間と滞在日数を加味すれば……たぶん三週間足らずです」

「作りかけの曲を完成させる手がかり持って、戻ってくるのよね? 私のもとに」

「はい、必ず」


力強く肯いて応じます。ここへと戻ってくること。それを私は望んでいて、お嬢様もまた望んでいると信じられました。


「ねぇ、メリア。大音楽祭までまだ日があるわ。ううん、大音楽祭こそが曲を仕上げるヒントをもたらすかもしれない。もしも、すべてのピースがかっちりはまって、大音楽祭の期間中に曲が出来上がったら、帰郷は延期にして、私の歌と貴女の竪琴を合わせることに集中するなんてどう?」

「素敵な提案です。でも……一度、叔母たちに直接、報告したいんです。それに母の遺した本、その一部を読み返したり、こっちに持ってきたりもしたく思っています」

「……どうしても? 楽団のほうはどうするつもりなの」

「説得します。王子は融通のきかない人でないですし、それに楽団の活動は今現在、それほど演奏者間の連携を重視していませんから。一時的に抜けてもそこまで支障はないかと。いずれは類まれなる合奏を考案するつもりだと王子はおっしゃられていましたが」


 王子を話題に挙げる必要はなかったでしょうか、しかし楽団について話を振ったのはお嬢様からです。そのお嬢様は私の話を聞いて機嫌を悪くされたようでした。気まずい空気が漂い、やっと「そうね、貴女の帰郷のことら前向きに考えておくわ。でも、今はクララのことを優先しましょう」と、いちおうの答えが返ってきたのでした。




 小高い丘に構えられたその療養施設の敷地内では大勢の従業員が行ったり来たりしていました。

 その格好から医療従事者だと察しがつく人もいれば、娯楽の部分を担当しているのがわかる人もいます。総合案内所で受け取ったパンフレットによると、五つものエリアに分かれているらしく、ご令嬢が滞在されているのは「静穏エリア」であることが案内係の調べで判明しました。


「えーっと、たしか街中にも静穏区画があるんですよね?」

「気を休めるために訪れる場所ではないけれどね。あそこに暮らしている人の多くは音楽によって身体を病んだ人たちなの。一度、公務で行ったことがあるけれど、静穏と言うには、空気がぴりぴりと張り詰めている区画だったわ。そうよね、フランカ」

「ええ、覚えています。ただ……失礼を承知して申し上げると、メリアが来る前のお屋敷も似たような空気でした。だからこそ双子たちは大抵、森で遊んでいたのでしょう」

「そうね。……でも今は違う」


 お嬢様はフランカさんや私に、というよりお嬢様自身に対してそう呟くのでした。


 寡黙な案内係の後を、三人でとりとめない話をしながら移動していくと「静穏エリア」の入り口が見えてきました。敷地内の他のエリアと違って、壁や床の色合いが落ち着いており、音楽が聞こえてきません。

 寡黙な案内係はお辞儀をして立ち去りました。おそらくこの「静穏エリア」への案内専任の方だったのでしょう。


「フランカ、このあたりであなたは待っていてくれる?」

「かしこまりました」

「あなたにはいつもお世話になっているわ。少しの間だけでも、ここでくつろいでくれて構わないわ。今日はメイド服を着ているわけでもないし」

「初めからそのつもりだったのですか」


 フランカさんに、それに私に今日の外出前にメイド服から私服に着替えるよう指示したのはお嬢様です。場所が場所なので三人とも過度に着飾ってはいませんが。


 最終的に、お嬢様とフランカさんとで待ち合わせの時間を決め、別行動を取ることにしました。休息することが上手でないフランカさんがこの施設内で楽しめるかは疑わしいですが、お嬢様からの指示であるのだから、彼女なりに努力することでしょう。……エドワードさんを相手役として呼んでいれば、いえ、残念ながら、それだといっそう休めないかもしれません。




 ――憔悴。

 背の高い木々と小さな噴水のある中庭、そこでベンチに腰掛けるヴェルディ伯爵令嬢の姿を目にした時の印象。

 直に会ったのはこれまでに一度だけ、あの演奏会の後でしたが、その時の彼女とはまるで別人です。


 ロザリンドお嬢様が確信を持った声色で「お久しぶりね、レディ・クララ」と話しかけなかったら、ご令嬢とよく似た別の誰かと勘違いしていたことでしょう。


「……お久しぶりです。ご心配をおかけしたようで、申し訳ございません、ロザリンド様。それにメリアさん」


 微笑んでみせるご令嬢でしたが、活力はありません。やつれているのです。清楚な装いをしておられます。あまりに飾り気がなく、質素とすら感じられます。


「偶然ではないでしょう。ここまで来られたということは、私自身から事情をあれこれと聴取したいのですね?」


 そう言って、ご令嬢は腰を上げ、ベンチの中央から端へと移ります。そうして私とお嬢様の二人が座れるスペースができました。しかし、お嬢様はすぐには座りません。


「はじめにはっきりさせておくわ。私たちはあなたの友人としてここに来たつもりよ。あなたが望んでいないことを無理に聞き出そうとは思っていない」

「わかっています。今や私の友人を自称し、私からもそう思える人間は少ないです。あなたたちは関わりこそあまりありませんが、それでも友と呼べる存在だと……信じていいのですよね?」

「そのとおりよ」


 お嬢様がご令嬢の隣に座りました。そして私はお嬢様の隣に腰を下ろします。


「実のところ、起こった出来事はありふれているのです」


 遠くに視線をやって、ご令嬢が話し始めます。


「イゾルデの結婚が、婚約者の都合で早まったのです。厳密には婚約者の家族、曾祖母の死期が迫っていることが理由です。彼女は彼と世継ぎを成すことを求められ、そのために私のもとを去りました。守れなかった。いえ、守る守らないは私の驕りで、幻想で……一方的な愛でしかなかったのです。私が彼女を愛しているほどに、彼女は私を一人の女として見てくれていなかった。深く心通わせた友人、それは尊いものですが、私が欲したのは……」


 続きは言葉になりませんでした。

 嗚咽。今日までに、どれぐらい涙を流したのか想像できません。それは溺れるほどだったのかもしれませんし、ひょっとすると今この時までは一滴も流れなかったかもしれないのでした。

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