隣の村娘

緋色ザキ

隣の村娘

 森を抜けた先は村だった。


 私は上空へと飛び立つと、夜目を利かせてまわりを見渡す。森に囲まれた平地に家屋は二十戸ほどが建っている。非常に小さな集落である。

 中央部にはその中では立派で大きな屋敷がある。そして、東側に一際おんぼろで小さな家が建っていた。

 私はその家の前へと降り立った。戸は壊れ、家の壁に立てかけられている。中は埃にまみれ蜘蛛の巣が張り付いていた。


 流行病か一家離散か、はたまた別の要因か。なにはともあれ好都合だ。

 こうして、私は久方ぶりに住み着くべき場所を見つけたのであった。




 翌朝、家屋の隙間から差し込んでくる木漏れ日で目を覚ました。

 小さな手を地に着けて起き上がると、汚れを落とすために黒い羽根を振るう。


 それから改めて部屋の内部の調査を始めた。 玄関を越えると、敷居のない一室となっており、椅子や机、囲炉裏が置かれていた。埃や外から風で入ってきたであろう砂にまみれたその部屋からは、かろうじて人の痕跡が確認できたが、恐らく相当の年数人が住み着いていなかったことがわかった。


 一室の奥にも戸があり、そこには人間の握りこぶしほどの間ができていた。覗いてみると、庭につながっており、地面には鬱蒼と草が生い茂り、私の真ん前には一本の木が弱々しく立っていた。

 小さな実をつけていることから、食用として育成していたであろうことが推察される。だがいまは養分が周りを囲う草花に吸い取られてしまっているようで、元気がなさそうである。


 そのさらに先、小さな木の柵を越えると隣家が見えた。こちらの庭とは対照的に、非常によく手入れがされており、畑で野菜が栽培されていた。

 畑の右手には物干し竿が置かれており、生活感があった。


 しばらく庭を眺めていると、隣家の戸が開き、中から妙齢の女が顔を出した。質素な紺色の衣類を身に纏い、少々垂れた瞳が特徴的な女であった。

 女は桶の中にボコボコした板と白い衣類を入れ、庭の左手、畑の横にある井戸端へと足を運んだ。

 水をくみ上げると、桶の中に流し込み、衣類を板にこすりつける。一つを洗い終えるとそれを慣れた手つきで物干し竿へとかけていき、次に移っていく。衣類を洗うその横顔は、心なしかほがらかそうに見えた。


 幸ある日々とは対照的に、悲しき日々を送ったであろうこの家主。柵という境界の分かれ目で一転した人生が現れてしまうという悲しさに私は心を痛めたのであった。




 それからというもの、私はこの村に勝手に住み着き、女の様子を見たり、夜な夜な村を闊歩して家の中から聞こえる談笑に耳を傾けたりした。


 そこで得た情報によれば、女は今年の初めに同じくこの村出身の男と結婚し、隣家で暮らし始めたようである。男は物売りで村を離れて都市に出て商売を営んでおり、一日ないしは数日おきに家へと帰ってくるそうだ。

 私は男の姿を見ることはなかったが、女が洗濯をする様はよく目撃していた。というのも、日中は人間から身を守るという意図もあって家にこもっており、庭を眺めることと家の中を散策することくらいしかやることがないのである。


 しかし、そんな日常は往々にして壊されるものだ。


 ある日の昼下がりのこと。

 その日も私は庭をぼんやりと眺めていた。すると、普段見ることのない鎧を纏ったがたいのいい男たちの姿が目に映った。

 男たちは隣家の女に声をかけ、それからまた違う家へと向かっていった。

 一体何事であろうか。


 その夜、私は集落の中央にある村長の屋敷へふらりと足を運んだ。そして、屋根の上に着地すると耳に意識を向けた。

 屋敷の中では、村長と一部の年老いた村人たち、そして昼間の鎧をつけた男たちが会合をしていた。


「魔族を迎え撃つ戦いです。お力を貸して頂きたい」


 鎧の男の力強い声が響いた。


「しかし、この村は年老いたものも多い。お力になれるかどうか」


「そこをなんとかお願いします。このままではこの村も含め、人間は魔族に蹂躙されてしまう。攻め込んできた奴らを一掃する必要があるのです」


 そんな話に私は身震いを禁じ得なかった。なぜなら、私もまた彼らが呼ぶところの魔族であったからだ。

 彼らに危害を与えるつもりなど毛頭ない。

 けれどもいま、屋根裏に潜伏していることが気づかれれば八つ裂きにされてしまうだろう。

 息を殺して飛び立つと私は潜伏先の空き家へと震えながら帰還していったのであった。


 それからしばらくの間、私は隣家との接点であった戸を完全に閉め、息を潜めながら部屋に閉じこもっていた。再び森へ足を踏み入れ、放浪の日々を送ることも考えたが、もし万が一にも人間を遭遇した場合のことを考えると、戦闘員がほとんど配置されていないこの村の方が安全であると考えたのだ。


 一体どれくらいの日数が経っただろうか。


 私は勇気を振り絞って僅かに戸を開けて隣家の庭を見た。

 そこにはいつもと同じように女がいて、衣類を洗っていた。

 だが、その表情は以前と全く異なっていた。心ここにあらずといった様子で、頬は痩せこけ、顔は青白かった。瞳は充血していて、泣いたことが想像できる。

 何かが起こったのだ。私の心の中の人間への恐怖という感情は、女の身に起こったことへの関心にがらりとすり替わってしまった。


 女の姿に心を痛めた私は、早速その日の晩に村を飛び回った。そこで、衝撃の事実を知ることとなる。

 どうやら、女の夫が戦地へと赴いたとのことだった。先日の鎧の男たちの要請に応えるかたちで、派遣されたのであろう。


 魔族と人間の衝突において、人間はとくに優秀な魔法の使い手を前線へとやり戦いを有利に進めてきた。しかし、魔族との諍いは断続的に起こり、お互いの疲弊は著しく、いまでは人数合わせのかたちで一般人や下級魔族までもが参戦させられると聞く。


 私も魔族の端くれとして、なんとなくではあるが強大な魔力の持ち主を感じるくらいはできるが、この村にはそんなものは一人もいなかった。

 魔力をコントロールできる才あるものが潜んでいるとも到底思えない。

 きっと女の夫は、頭数を揃えるため、村から遠征を要請されたのだろう。そして、女はそれに胸を痛めている。


 人間と魔族の争い。その歴史を鑑みると、この不毛な戦いはいまに始まったことではない。けれども、元来人間と魔族の間に確固たる境界線はなく、それぞれが手を取り合うことも多くあった。それが、魔王を要する魔族らによる人間への戦いを契機として、関係性を大きく変質させてしまった。

 その戦闘は数多の死傷者を出した。


 そして、人間側に英雄を生み出すに至った。英雄とのちに崇められるようになった人間は魔王を討ち滅ぼし、魔族を壊滅させる。以後、人間と魔族の根深い対立の連鎖は終わることを知らず、むしろ深く深く、まるで病巣のように消えることなく世の中を蝕んでいるのである。


 そんな憎しみの連鎖こそが魔族である私がこうやって人から身を隠している理由なのだ。




 夕暮れ時。

 けたたましい叫び声が聞こえた。

 両親の声。兄弟の声。同胞の声。

 そして、それに入り交じる人間の声。


 私たちの種族を特徴付ける漆黒の羽根が紺色の血液とともに地面を汚していく。そしてそれに重なるように人間の真っ赤な血が零れ落ちていく。


 私は一心不乱に羽根を上下に振り、空を飛んだ。後方から魔法が速射され、矢や銃弾が飛んでくる。

 このままではやられる。それは明らかだった。私の中の本能が私を動かした。自身の中にあるなけなしの魔力を振り絞り、羽根に力を込めた。

 一瞬にして、世界は黒く染まる。

 漆黒の羽根が数多の私を生み出し、空からの光を遮るほどに重なった。人間たちは口々に恐怖を口にして攻勢を強める。


 私は振り返ることなく、まだ戦い続ける仲間たちを見捨ててその場から逃避したのであった。


 目が覚めると、そこは暗い一室だった。

 あたりを見渡すと、埃や砂をかぶった家具や食器が瞳に映る。それで、夢を見ていたことを悟った。

 体は汗まみれで、動悸もいやに早い。もう幾度となく見た夢だ。けれど、いつみても私の胸を締め上げる。


 魔族と人間の争いの余波により、人間は私たちの住処を襲撃した。四代前の高祖父の時代は手を取り合って共存してきたという話を幼い頃に祖父から嫌というほど聞かされて育ってきた。だが、祖父の代に人間との対立は激化し、諍いを嫌ってか我々の種族、フェザードは人里離れた森に根城を移した。


 物理的な距離は平穏をもたらす。しばらくの間、相互不干渉によって人とフェザードは一切合切の接触機会をなくした。けれどもそんな束の間の憩いの時間はすぐになくなってしまう。

 魔族への恨みに滾る人間の手は止まることを知らず、ついにはフェザードの根城まで伸びてきたのだ。

 当然、私たちもただでやられることはしない。血みどろの戦いが繰り広げられることとなった。


 私はそんな争いの場から逃げ出したため、事の顛末をつぶさに知っているわけではない。 ただ、あとから風の噂で聞いた話によれば、その衝突は多くの死を生み出し、戦いに参加したもののほとんどが帰らぬものになったそうだ。


 私はその後、魔族の多く住む北部高原へと向かうことにした。人間と魔族の対立構造にあるという現状は、裏を返せば魔族との親交は作りやすいと考えたのだ。


 しかし、結論から言えばこの考えは全くもって間違っていた。

 北の大地に降り立った私を歓迎する魔族はいなかったのだ。あとから知ったことだが、そこら一帯の魔族たちはそれぞれの縄張りを持っており、対立を常とする存在であった。

 人間と魔族の争いの激化により、彼らはやむなく一時的に休戦していたものの、それが手を結ぶということにつながることはなかった。それぞれの相互不干渉が貫かれるようになっただけであった。


 そんな環境下で居場所を与えられるはずもなく、物理的な攻撃をされることこそなかったが、はっきりと拒絶され、再び人間らの住む地方へときびすを返すことになったのである。


 それからまた、人里や森、山などを渡り歩いた。幾度となく、人間に遭遇し、恐怖の感情を向けられたり、殺されそうになったりした。


 魔族と人間の間には大きな溝がある。そして、家族や同胞の命は奪われた。だが、私は人間へ深く激しい恨みを抱くことはなかった。彼らを殺戮したいと思うこともなかった。 


 その一端には自身の臆病な気質があったのは間違いない。

 そしてまた、祖父の「昔は人間の友達もいたんだがな」という言葉や実際の人間との遭遇から、全人類を嫌いきれないという理由もあったように思う。


 だからこそ、私は人間との争いを好まないのだと自身を定義づけしていたのであった。




 私はしばらくの間、女の様子を見ていた。


 女は毎日のように洗濯をしていた。

 その横顔を私は見る。垂れた目尻はいつも以上に下がっているように見え、瞳は虚空を彷徨っていた。


 ひどく弱々しく見えるその顔に、同情を禁じ得ない。世の中の理不尽な荒波に揉まれ、流され、苦心するという姿が己に重なる部分を感じていた。

 もしかすると、私が女の様子を毎日戸の隙間から見ているのは、女へ強い関心を抱いているのだと、そう思わせるくらいには私の日々を女は占有していた。

 そんなある日のこと。


 その日、洗濯中の女の元に一人の来客があった。

 それは鎧の男たちだった。

 久方ぶりに見る魔族の敵である男たちが瞳に映ったことで、私はひどく動揺した。まさか、私がこの村に潜伏していることがばれたのであろうか。後ろの入り口を見やる。そこから抜け出して逃げるのはたやすい。しかしいまは日中でこの黒い体は人目につくため、すぐに見つかって迎撃を受ける可能性も高い。

 ひとまずは様子を見ることにした。


 鎧の男たちの中の一人、とびきり屈強な男が懐からなにか布のようなものを取り出した。元々は白地のものだったようだが、ところどころ赤く染まっている。それが血であることはすぐにわかった。

 男が二、三言女に何かを告げると、途端に女は顔を押さえた。その指の隙間からはきらりと光るものがこぼれ落ち地を湿らせる。


 私は考えた。女を悲しませること。そして、布についた血。おのずと答えは導かれる。女の伴侶は戦地で非業の死を遂げたのだろう。

 鎧の男も顔を強張らせながら、女の肩にそっと手を置いた。

 女はしばらくそのまま肩を震わせながら泣き続けていた。


 結婚後まもなく戦地に行った夫は死んでしまい、女はあっという間に未亡人になってしまった。ただ日々の中で苦しめられ、流されていく。

 もう、女は男の洗濯物を洗って干すことはできないのだ。二人の時間は、その未来は永劫閉ざされてしまったのである。

 私もまた、そんな姿を見るのが忍びなくなってそっと目を逸らしたのであった。




 その夜。

 私はなかなか寝付けず、ゆっくりと身を起こした。外に出て空を見上げると、三日月が雲の隙間から覗いていた。

 私はひょいと飛んで屋根の上へと着地する。見れば、隣家には明かりがついていた。


 まだ女が起きているのだろうか。今日あんなことがあったのだから、まだ涙を流しているのかもしれない。


 そう考えると気になってしまい、家に戻る気も失せてしまった。私はこっそりと隣家の屋根へ飛び移った。


 静寂。その中にときおり嗚咽のようなものが聞こえた。一体いま、女はどんな表情で何を思っているのか。理不尽なこの社会に対して、どんな憤りを覚えているのか。はたまた、自身の無力感に打ちひしがれているのか。

 私はいろいろと考えながらいても立ってもいられなくなってしまった。どうにか女の様子を見てみたいものだと思った。

 なぜ、こんなにも人間の女、しかも至って平凡な村娘に興味が湧くのかは分からなかった。しかし、衝動を止めようにも、止められそうになかった。

 最悪、正体が見つかったとしてもさすがにあの女であれば私を倒すことなどできないはずだ。恐れおののくことはあれど、攻撃してくることなどまずあるまい。


 そう高をくくった私は、庭へすたっと降りた。当然戸は閉まり、中の様子は見えない。 他に入り口があるかもしれないと家の周りをまわっていると、ちょうど庭に設置された戸の真反対にもう一つ扉があることが分かった。

 幸運なことに、扉は拳一つ分くらい開いていた。足音を立てずに扉の前に立ち、そっと中を覗く。


 案の定、女は泣いていた。

 その顔を布に押しつけていた。力なきものは踏みにじられ、悲しみに暮れることしかできない。絶望の前に立ち上がることなどできるはずがない。

 もっとよくその様子を見たいと思い一歩足を踏み出したところでバキッと音が鳴った。どうやら足下の枝を踏んでしまったようだ。


「誰かいるの?」


 女は顔を上げてそう問うた。

 声は少し上ずっており、その瞳は赤く、顔はむくれていた。

 私はそんな悲しみに暮れたことがまざまざと見て取れる様相に愛らしさを覚えた。


 あとから振り返ってみれば、このとき私は簡単に逃げることができた。そのまま暗がりに消えてしまえば、小動物だったのだろうと女は思い、それで全てが終わっていたに違いない。だが、そうはしなかった。


 私は扉を開けると、その黒く醜悪な姿を女の前に晒した。

 途端、女の顔に驚きと憤怒が宿った。


「ま、魔族」


 体を強張らせ、これまで一度たりとも見たことのない鋭い視線を向けてくる。

 私はじわり、じわりと女に近づくように両の足を前に出していった。こうすることで、この力のない女は恐れおののき逃げていくだろうと思った。なんたって、この女は私に対して勝ち目がないのだから。

 女は震えながら後ずさっていった。私はさらに足を前に出す。


 そうこうしているうちに、ついに壁際まで追い詰めた。あとはもう、彼女の背がくっついた扉を開け、屋外へと逃げ出すのを待つのみ。そう思った次の瞬間、銀色の鋭利な物体が私の羽根を掠めていった。


 グサッと、後ろから嫌な音がした。見ればナイフが壁に突き刺さっていた。そして、じわりと私の羽根を掠めた部分に痛みと火照りを感じる。

 続けざま、女は背後を探りナイフを手にすると投げてきた。私は慌ててその攻撃を右に左に躱す。ナイフは対魔族専用の武器などではなく、ただのナイフのようで羽根もかすり傷のみで異常はなさそうだ。

 女は再びナイフを手に取り、今度は私に飛びかかってきた。


「魔族め。よくも私の夫を。殺してやる」


 振り下ろされる軌道をバックステップで躱す。そして続けざま投げられたナイフを右手で受け止めた。

 女は驚きの表情を向けた。だが、ふ-、ふーと息を荒げ、闘争心をむき出しにしてナイフを体の前に掲げていた。


 私はわけが分からなかった。これまでの私の動きを踏まえれば、女が私に敵うはずもないことは誰の目にも明らかなのである。そんな弱い女は私の姿を目の当たりにし、逃げ出して助けを呼びに行く。それが私の想定する動きであった。だというのに、現状はどうだ。 確実に敵わないであろう魔族を前にして、逃げるどころか殺そうとしてきている。

 そんな気迫に私は思わず面食らってしまった。ただの村娘に恐怖を覚えたのだ。


 しばらく視線を交わしたのち、私は後ろの扉から退散したのであった。




 私はひどく震えていた。

 女が私の存在を村中へ知らしめるんじゃないか。そんな不安に昨夜、女と会ったあとから取り憑かれていた。


 無論、この村には大した魔法の使い手などいない。それに、先の戦いによって貴重な若者も少なくなった。しかし、この村以外の魔族との戦いに慣れた人間がやってこないとも限らない。


 ここを離れ、新天地を探すべきか。それとも身を潜め続けるべきか。私は一人、暗闇の中で思考にふけっていた。


 考えながらまた、しきりに外の様子を見ていた。だが、とくに村の巡回が強化された様子はなかった。女が村中に報告すれば、必ず村人たちが総出で魔物を迎え撃とうとするはずである。すると女はなにも言わなかったのであろうか。それもまた奇妙な話である。


 もうなにがなんだかさっぱりで、私はあーだこーだ考えながら戸の隙間から外の様子を窺い続けていた。


 しかしその日、女が家の外に姿を現すことはなかった。これまで、雨の日以外は一日たりとも洗濯を欠かしたことがなかった女がである。

 なにかあったのだろうか。夜になったら見にいこうとも思ったが、先日の鬼の形相を思い出すと足がすくんでしまう。


 その翌日も、またさらに翌日も女は姿を見せなかった。夜も部屋に明かりが灯ることがなく、どうやら家にはいないことが分かった。 もしや、私に恐れをなして家から出て行ってしまったのだろうか。それはひどく納得のできる答えだった。そう考えれば、このあたり一体で村人が巡回しないのも理解できる。魔族が出没する危険性があるため近づかないようにしているのだ。


 だが、その予想は覆されることになる。


 翌朝、女は男を連れて家に帰ってきたのだ。その男に私は見覚えがあった。鎧の男、その中でも最も屈強でリーダー格だった男だ。

 ボディーガードとして雇ったのだろうか。

 そう思い、庭先にいる二人を注視しながら耳を澄ませた。


「本当に、私で良かったんでしょうか?」


「といいますと」


 鎧の男は首を傾げる。


「私は未亡人です。あなたほどの方ならもっと素敵な相手もいたのではないですか」


「いいえ、あなたほど強かな女性に私はこれまで出会ったことがありません。私の方

こそよろしくお願いします」


 そうして二人は抱き合い、唇を重ねた。

 私は思わず心臓の上を手で押さえた。なんだかひどく苦しさを感じた。

 そして、再び自分から隣家との繋がりであった戸を閉めたのであった。




 私はその日からというもの、家屋に籠もり、ただ考えていた。

 なぜ私はあの女に関心を持っていたのか。なぜ私はこんなに苦しさを覚えているのか。

 来る日も来る日も考えていた。

 幸運なことに、あの日から女と鎧の男の声はしなかった。きっと、二人は鎧の男の家へと引っ越していったのだろう。

 鎧の男と言えば、あの言葉もひどく引っかかった。男は女のことを「強かな女性」と表現した。

 それは私の評価からしてみればそぐわない一節であろう。いや、しかし、先日の邂逅のさいの女は私の知る女ではなかった。

 そもそも、私は女のなにを知っていたのだろうか。


 そんなことをただ日々、朝から晩までボロボロの家屋の中で考え続けいていた。答えは私の中になかなか現れなかったが、なんだかこれまでよりは心が少し軽くなった気がした。 来る日も来る日も考え続けた。


 そうして、そんな日々を経たある日。

 その日はひどく晴れていた。

 私はなぜか戸に近づくと、がらっと開けてみた。その視線の先にはもう女はおらず、畑も洗濯物もない。木の柵という境界で別れていたあの頃とは異なり、どちらも草木が繁茂していた。

 庭だけでなく、そのまわりも見てみたが、人影はなかった。


 私はふっと息を吐くと、振り向いた。

 そして、家屋の入り口から外へ足を踏み出した。


 日が差した時間に足を踏み出したのは初めてであり、体がいつも以上に火照る感触を覚えた。けれどもまた、そこに幾ばくかの心地よさを覚えた。


 私は翼を大きく広げ、飛び立った。

 そんな私の新たな門出を祝うかのように、風が強く背中を押してくれた。

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隣の村娘 緋色ザキ @tennensui241

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