第5話 内緒話

 翌日、朱里しゅりは林田と共に過ごしていた。

 一緒に朝食を取り、敷地内にあるという小さな湖まで車で向かえば山々には見事な紅葉が広がっており、その美しさに朱里は歓声を上げる。

 

 「お義父とう様、見て!とても綺麗!」

 「あぁそうだね。いい具合に色づいたようだ」

 

 はしゃぐ朱里を林田は満足げに眺めた。

 まるで昨夜は何事もなかったと、そう強く意識して朱里は殊更明るく振る舞う。

 

 それもこれも音葉と話し合い、林田の前では何もわからぬ無垢な少女のままでいようと決めたからだ。

 

 ――義父ちちがいる間は義父が望む義娘むすめでいる――

 

 そうすれば少なからず義父の矛先が零に向くことはなく、彼を守ることが出来るかもしれない。

 思考より体が動いてしまう朱里には少し難しいことだったが、今の朱里に出来ることはそれだけだった。

 

 湖畔にある小さな東屋で紅葉を愛でながら音葉が準備してくれたお茶を楽しみ、昼過ぎには屋敷に戻ってシェフお手製のランチを義父と共に頂く。

 

 午後には朱里用の新しい服や靴、宝飾品などが大量に運ばれてきてかなり驚いた。

 あまり服飾に興味がなかった朱里は音葉に助けの視線を向けて、なんとかシンプルで使い勝手の良さそうなものだけを選んでもらう。

 

 金持ちは金の使い方がとてもシビアだから金持ちなのだと書庫の本で読んだが、成程、使う時はすごいのかとしみじみ思った。

 

 

 

 「――朱里。いいかい、くれぐれも零には関わらないように。お前が嫌な思いをするのが私は嫌なんだ。分かってくれるね?」

 

 空は夕暮れに染まる頃、朱里の柔らかい黒髪を撫でながら林田はそう言った。

 それに対して朱里も笑顔ではいと答える。

 零だけではない、ここで朱里が対応を間違えればメイド達にもその被害は広がるのだから。

 

 朱里の様子に安心したのか林田はようやく車に乗り込んだ。

 

 「もし、アレがお前を傷つけるようなことがあればすぐこのお父様に言いなさい。いいね」

 

 また来週と言い残して、彼を乗せた車は走り去る。

 

 朱里の長い週末がようやく終わろうとしていた。

 



 「お疲れさまでした、朱里様。夕食が出来ていますよ」

 

 音葉の微笑みがまるで砂漠のオアシスのようだ。

 屋敷内なのだからマナーは気にしなくていいと言われても、格式張った食事はやはり肩が凝る。出てきた音葉お手製のオムライスにたった一日なのに涙が出そうだった。

 

 (そういえば、零の傷は大丈夫なのかな……)

 

 入浴までの時間を美海と楽しくおしゃべりして過ごし、部屋に戻ろうかなと時計を見た。

 彼の事は気になるが、堂珍の事を考えれば私室でもないここで話題を出すのはなんとなく躊躇ためらわれる。

 

 「しゅーりーさーま♪」

 

 そこに小春がにこやかに声をかけてきた。

 片づけを終えた音葉と小春が戻ってきたのだ。

 

 昨日の件以来、また少し皆と距離が近づいた気がして朱里は嬉しくなる。

 

 「あれ?小春も音葉も、その荷物どうしたの?」

 

 二人の手元には手荷物が抱えられていた。

 ふっふーんと胸を張る小春に、たしなめるように音葉が注意する。

 

 「もう、小春ったら。朱里様の優しさに甘えすぎです。……朱里様、本日はお疲れでしょうから皆で浴場の方に行きませんか?」

 

 「……浴場?」

 

 そういえば話には聞いていた。自室のバスルーム以外にも広めの浴場があるのだと。

 結局この一週間は自室で済ませたが、気分転換に大きなお風呂は最高かもしれない。

 

 「それって皆で?」

 

 そうなら、なんだかワクワクする。

 皆でお風呂に入るなんて小旅行気分だ。

 

 「はい、せっかくですから。まだ浴場の方はご案内しておりませんでしたし」

 

 そう笑って、音葉達は朱里を浴場に案内してくれた。

 屋敷の端にある浴場は西洋造りのこの屋敷の中では数少ない和風建築で作られており、個人邸にあるものとは思えないほど、なんとも趣のあるものだった。

 

 「すご――い!」

 

 これはもう小さな温泉宿だ。

 

 手前には和室の休憩室があり、そのまま脱衣所を通って内風呂、そしてその奥には外風呂まである。

 女子四人が入っても窮屈さを全く感じないくらいのゆとり具合だ。

 

 「さぁさぁ、朱里様。入りましょ、お背中流しますよ~」

 「わ、わわっ」

 

 脱衣所で手早く小春と美海に衣服をはぎ取られ、あっという間に身一つで風呂場に押し込まれる。

 洗い場も広く、ゆうに四人並ぶことが出来るほどだ。

 

 「本当は温泉が出てくれたら一番なんですけどね~。現状は毎回温泉地からお湯を運んでこなくちゃいけないので」

 「お湯を運ぶの!?」

 

 外から温泉のお湯を運んでくるなんて、なんて贅沢なんだろう。

 さすがは金持ち。やることが違う。

 

 「朱里様が仰れば明日にでも手配しますよ~」

 「え!?」

 「そうそう、朱里様が望めば温泉くらいすぐに許可下りちゃいますからね」

 「だ、大丈夫だよ!今だってすごく満足だし」

 「そうですか~?でも、温泉につかりたくなったら言ってくださいね。ココは娯楽が少ないから。今からの季節ならたまには温泉もいいかもしれませんよ~」

 

 わしゃわしゃと朱里の髪や体を洗いながら小春と美海は口々にそう言ってきた。

 人懐っこい小春にのんびりとした美海。

 お風呂という解放感もあってか、二人ともいつも以上にフレンドリーだ。

 

 さすがに全身を洗ってもらうのは気恥ずかしさがあったが、あれよあれよと流されて、あっという間に髪もまとめ上げられ、朱里は全身ピカピカになる。

 

 「はいはい、話してないであなた達も早く洗ってしまいなさい」

 

 先に洗い終えた音葉が妹たちに声をかけ、朱里と共に浴槽へ向かう。

 浴槽も広々して足を延ばしても四人並んで入れそうなくらいだ。

 

 「……はー……」

 

 私室のバスルームとは違った解放感に思わず至福のため息が漏れる。温泉ではないけれど、今の朱里には十二分なものだ。

 

(きもちいい……あったかい……)

 

 濃密すぎるくらい、色んなことが起きた一週間だった。

 記憶がなく、不安で頭がパンクしそうになった事もあるし、苦しい思いも悲しい思いもした。

 でもこの屋敷に来てからはメイドの三姉妹に出会えて。

 

 零にも会えて。

 

 「――ねぇ小春……零は」

 

 お湯に消え入りそうな声だったが、小春はすぐに気付いて振り向いてくれた。

 

 「大丈夫ですよー朱里様。零様はぴんぴんされていますから」

 「そうそう。私も今日の朝、朝食をお渡しに行きましたが、お元気そうでしたよ~」

 

 にこにこと美海も笑った。

 

 「今朝も会ったの?」

 

 朱里は林田の対応をしていたから全く気付かなかった。

 このメイド達は一体、いつ、零の世話をしているんだろうというくらい朱里のそばにいるのに不思議なものだ。

 

 「はい。しばらくはお仕事で留守にされるようです。一度外に出られると十日ほどは戻られないのでその引継ぎに」

 

 「……そういえば、お義父様も零に仕事って言ってたけど」

 

 「そうですね~その関係です」

 

 それ以上は笑顔ではぐらかされて聞けなかったけど、零の無事が確認できて朱里はほっとした。

 洗い終わった小春と美海が湯船に入ってきてお湯が溢れる。

 

 「ふふ、ここなら誰にも聞かれないから安心して零様のことを聞いてもいいんですよ~朱里様」

 「へ……!?」

 「美海!」

 「そうそう。朱里様には特別に教えちゃいますよー」

 「小春まで!」

 

 にやにやと楽し気に朱里の傍に寄る妹達に音葉の注意が飛ぶ。

 ぎゅっと朱里にくっ付きながら小春が口を尖らせた。

 

 「だってお姉ちゃん、零様があんな反応するの朱里様だけじゃない」

 「そうだよ~あの零様が感情を出すなんて珍しいのに」

 

 反対側に美海までくっ付いてくる。

 

 「……反応?……感情?」


 なんだろう。よく分からない会話が三姉妹の間で成立している。

 

 零が朱里に対して『そうか』という相槌と『なんなんだお前は』という呆れ以外の反応をしたことがあっただろうか?

 

 はて、と、一週間を思い起こしてみる。

 

 この一週間で驚異の四回も零を見つけ出した朱里だったが、残念ながら思い当たる節はない。

 どうせ自分は零にとっては猪突猛進ガールなのだ。

 

 「あ、そうだ!朱里様は?朱里様は零様のことをどう思います?」

 

 小春の一言で意識を戻した。

 

 「零のこと?」

 「小春!いい加減にしなさい」

 

 少し険を含んだ音葉の声にも妹達は負けなかった。

 メイドという仕事をしていても彼女たちもまだ十代の少女。

 閉鎖されたこの屋敷ではの話題に目がないのだ。

 

 「……零、は……」

 

 改めて聞かれるとすんなりと腑に落ちる言葉は一つしかない。

 

 零に初めて出会った、少し肌寒かったあの夜から。

 

 彼と話したあの日から。

 

 彼が、傷ついたあの夜から。

 

 (零は……)

 

 『……なんなんだ、お前は』


 あの呆れ顔のぶっきらぼうな人は朱里の中で特別な存在になっていた。


 

 朱里はそっと、泣きそうな顔で微笑んで

 

 

 「すきなひと、かな」

 

 

 その気持ちに”初恋”と名前を付けた。


 

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