贖宥符の悪魔と狼の皮 ~ 罪穢れた町が滅びを免れるはなし

稲羽清六

プロローグ

滅びのはじまり。 ── 十七年前。

 深夜に呼びだされるのは辛いものだ。


 しかも外は雪である。


 濡れるとすぐ霜やけになるし、油断すると凍えて動けなくなる。腹がおおきくなってからというものの、どうもよくない。


 丈のあるコートをはおってマフラーを巻き、仕事道具である皇帝勅書【赦しのために】を脇にかかえる。廊下のあかりをつけ、手すりをたよりに階段をおりる。おほうはもう寝ているらしく座敷に姿はない。布巾をかぶせた茶入れの道具が窓よりの畳におかれているきりだ。


 ブーツを履いて玄関の引き戸を開ける。湿りのある大片の雪がそれなりに降って積もっている。滑らぬよう気をつけて踏み石をわたる。


 門を出て歩くと、街灯の下に小学校低学年くらいの少女がひとりでいた。緑色のワンピース一枚という恰好で靴もはいていない。


 少女はこちらに気づくと顔をほころばせた。赤い目を細めて、耳まで裂けた口からちいさな犬歯をのぞかせる。白い息が煙のように漏れる。


 名前を訊いた。


 少女はたどたどしく、フ・ユ・コと発音した。


「キヨエは?」

「キヨエハ――、」


 少女はオウム返しをして「シゴト」と答えた。寒そうなのでコートを脱いでかけてやろうとすると、両手を横に振って断る。自分のお腹を軽く叩いて「タイセツ」と言う。


 ずいぶん頭のよい子だった。この町に連れてこられたばかりだというのに、もうカタコトで会話をする。相手への気づかいもする。


「おまえがこの町を滅ぼすのか」


 訊くと、少女は顔を輝かせてうなずいた。


 携帯で電話をかけておほうを起こし、「キヨエがまたどこからか子どもをひろってきたぞ――」ぼやぼやした声の主に軽い食事と風呂の用意を頼んでおく。ため息をつきつつも、嬉しそうな、張りきる声がする。


 少女を手で招いた。


「じきにこの町の夢が終わるにしても、もうしばらくはおまえに手を出させるわけにはいかん。罪にまみれた人を知り罪にまみれた人として生きよ。余の贖宥符を与える。相は【悲嘆】。記憶とともに心から悲しみを取り除くものである」


 言葉の意味はきちんと伝わったのだろうか。異形の少女は悲しみなど知らない様子で笑っていた。

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