第1章 真夜中に咲く花

ある伝説によると、オーロラは時には空に数時間も現れ続けることがあり、また夏祭りの花火のように一瞬で消えてしまうこともあるらしい。

目に映る光の帯はまるで鮮やかなリボンのようで、真夜中の暗闇にもかかわらず、手元の水筒に書かれた小さな文字まではっきりと読めるほどだった。

何度見ても、その輝きはまぶしいと感じる。

沸騰したお湯のような音とともに「パチッ」と音が鳴り、突然の暗闇に目が慣れず、数秒間視界が遮られた。すぐに手を伸ばして、さっきまで光っていた温かい球形の物体を手に取り、じっくりと観察した。


「愛するあなたへ」


横になったままの姿勢で、その底に刻まれた文字を順に読み上げた。

制作者は不明だけど、精巧な作りと丁寧な磨きから、製作にどれだけの労力がかけられたかが感じられる。毎晩こんなふうに天井を見上げていると、いずれ目に悪影響が出るかもしれない。

プロジェクターを布で包んでバッグにしまい、次に持っていく携帯品を確認した。早く目覚めたので、夜明け前に出発することにした。特に大切なのは、以前ルーク兄から受け取った通行証のようなもの。持ち物に不足がないことを確認し、部屋を出た。


「行ってきます」


広々とした道路、高くそびえるビル。街中の景色は、今まで見たことのないものばかりだった。華やかな街に生まれ育ったはずなのに、書物以外でこのような光景を目にするのは初めてだ。まだ夜明け前なのに、都市の中心部には煌びやかな明かりと時折聞こえる音楽が響いている。それでも、コンクリートでできたこの都市の外れは、やはり静まり返っていて、自分の足音だけが規則的に響いていた。

しばらく歩き、入口の反射ガラスドアの前で立ち止まったが、なかなか開かないので、ガラスに顔を近づけて観察した。数分ほど考えた末に「制服の上着はやはりボタンを外したほうがかっこいい」という結論に至った。

服のことに気を取られているうちに、最近洗ったばかりのラベンダーの香りが再び鼻をくすぐり、無意識に頭を肩に寄せた。ドアに映る自分の姿を見ると、暗がりのせいか、垂れた小麦色の髪がいつもより暗く見える。


「綺麗……わっ!」


突然ドアが開き、慌てて姿勢を正した。出迎えてくれたのは女性だった。


「まあ?学生がこんな夜遅くに城外をうろつくのは禁止されているわよ」

「あっ、すみません、実は……」


慌てて通行証とパスポートを彼女に差し出し、滞在希望の意図を伝えた。


「鈴さんね」


女性は証明書を見終えると、もう一度見上げてきた。


「確かに見慣れない制服ですね、失礼しました」

「いえ、大丈夫です。これは私の趣味です。」


入市の手続きはすべて順調に進んだ。


「水の都」と呼ばれる理由は、古くから重要な交通の要所であり、海上貿易の恩恵を受けて発展してきたためだ。すぐにでも探検したいところだが、この時間ではほとんどの店がまだ開いておらず、街をさまよって情報収集できそうな場所を探すしかなかった。すると、角の目立たないところにかかっている古びた看板に目が留まった。よく見ると、微かな彩りの光で「焼肉・ビール」と書かれているのがわかる。


「なんて怪しげな店だろう」


しかし、手を大衣の後腰に伸ばし、予想通りプラスチックの保護片と鉄が混ざり合った冷たい感触を確認した。旅に出ると決めた瞬間から、すべての身の安全を「未央」に託す覚悟をしていた。


「よし!とりあえず···」


「見たことのない子だね」


突然の声に驚き、手を引っ込めた。振り返ると、声の主は私と同じ年頃の少女で、居酒屋の制服のような服を着ており、非常に可愛らしい外見だった。美しさを称賛するよりも、柔らかなピンク色の長髪が真っ先に目を引き、この場で何となく悔しさを感じた。


「もしかして、バイト探しに来たの?最近多いんだよね。まあ、私みたいな可愛い女子高生が夜中にここで働くなんて、そんな簡単じゃないんだけどね···」


一人で話し続けた。声も確かに可愛らしいが、本人が自称するほどではないようだ。


「あ···違います··」


彼女の熱心さを断ろうとした。


「じゃあお客さんなのね!ようこそ、ちなみに私のことは小夜子と呼んでね!」


少し不本意ながらも、小夜子に引き込まれた。


「居酒屋」といっても、中の装飾は意外と落ち着いた雰囲気で、思っていたような騒がしさはなく、店内にはレモンのような清々しい香りが漂い、食器がぶつかる音が心地よく響いていた。隅の四角いテーブルに座り、彼女も隣に腰を下ろし、メニューを熱心に勧めてきた。


「ちなみに、さっきから聞きたかったんだけど」


突然の質問が飛んできた。


「お姉さん、どこの高校?もしかして…東地区に新しくできた、お嬢様学校?」


「今日は地方から来たばかりで、そんなに見える?」


小夜子は一瞬考え込み、再び私を見てうなずいた。


「なるほど、だから見慣れない制服なんだね。もしかして、学校でいじめられて…」


「鈴って呼んでいいよ」


想像が膨らみ続ける前に、すぐに名前を教えた。


「それから、レモン水でお願いします」


「了解、銅貨一枚で~す」


ここでのバイト事情について少し知ることができた。大都市とはいえ、小夜子のように深夜の居酒屋で働く高校生は少数派で、学校には報告しないでと言われた。数時間ほど話をし、役立つ情報もいくつか得られた。水の都に長居するつもりはなかったものの、得られる情報は最大限活用することにし、さらに居酒屋の古い本棚にはこの街の歴史に関する興味深い本も並んでいた。


外の景色は徐々に明るくなり、車のエンジン音も聞こえ始めた。今朝は興奮して早く目が覚めたため、疲れが一気に押し寄せてきた。


「ねえ、鈴、まだ泊まる場所決まってないの?」


小夜子はそのことに気づいたようで、そう尋ねてきた。


「よければ、うちに来る?」


普段、初対面の人を簡単に信用するタイプではないが、小夜子には不思議と信頼できる雰囲気があった。たぶん、絶対に眠くてたまらないからではない。

居酒屋を出ると外はすでに賑わっていて、新鮮なパンの香りが漂い、喧騒の中に銅製の楽器の音も混じっていた。小夜子の住まいは少し外れた場所にあり、居酒屋を出てからずっと細い道を進んでいたため、パンを買う余裕もなかった。制服のせいか、通学途中の学生たちが時折私を不思議そうに見ていた。


街の建物は複雑に入り組んでいて、道を少し間違えただけで大きく迂回しなければならない気がした。ここに住む人たちの生活力には感心せざるを得ない。特に目の前のアパートは三、四階分の階段を上がる必要があり、途中で引き返すには遅すぎた。


「着いたよ」


「302」と書かれた鉄のドアの前に立ち、入口にはいくつかの鉢植えがあった。小夜子は器用に鉢植えのひとつをどかし、その下から鍵を取り出した。


「ここが私の家だよ。服はドアの後ろにかけてね、あと冷蔵庫のものは勝手に食べないでね」


「一人暮らし?」


入ると、他の人の靴や服が見当たらず、部屋にはトイレと書机以外には特に目立つものもなかった。部屋の広さも、せいぜい私の寝室と同じくらいで、二人以上が住むには想像し難い光景だった。

カーテンを閉める音がした。


「鈴、寝る場所がないんじゃないかって心配してた?まあ一日だけだし、私のベッドを使っていいよ」


「わかった」


素直にベッドに座った。

台灯をつけた小夜子が、突然手を振りながらこちらを向いた。


「ちょっと待って、先にシャワーを浴びておいてよ。居酒屋の衛生状況はちょっとね···」


あなた、そこで働いてるのにね。


髪を乾かし終えると、持参した猫のパジャマに着替え、バッグから日記を取り出した。今日は特に何もなかったものの、少なくとも旅の第一歩を踏み出したということで書き記すことにした。しかも居酒屋のレモン水が意外とおいしかった。その後、地元で有名な焼肉も勧められたが、それは余計だった。

しばらくして小夜子も、クマのパジャマを着て風呂から出てきて、同じボディーソープの香りを漂わせていた。このあたりでも動物テーマが流行っているのだろうか。


「そういえば、店で話していた『オーロラ』って?」


「オーロラのこと?」


彼女にオーロラの目撃情報について尋ねたが、水の都の地理上では見たことがないのも無理はなかった。


「そうそう、鈴の旅はオーロラを探すためのものなんだね?」


なぜか小夜子は急に興味を示した。


「ええ、ある人がオーロラを好きなんだ」


「じゃあ、鈴はその人のためにオーロラを探しているんだ?」


「そして、その過程を本にしようと思っている」


小夜子は「へえ~」と声を出し、しばらく考え込んでいた。


「じゃあ、その人の希望があって、鈴は旅に出たのね?」


小夜子の瞳には、軽い表情ではなく、深みのあるまなざしが映っていて、まるで私を吸い込むかのようだった。

無意識にズボンの裾をつまみながらも、真摯な態度で彼女に応えたいと思った。


「違うよ」


「そっか」


彼女の反応は思ったほど大きくはなく、再び考え込む表情に戻ったが、今度は私のほうが少し動揺してしまった。

やはり見せるべきかと思い、ドアに掛けてあった制服大衣の内ポケットから懐中時計型の物品を取り出した。


「それは…魔導具?」


小夜子は少し驚いた様子で、手にある物を見つめた。

そう、これは魔導具。今の忙しい社会でも、職人たちは唯一無二の存在を作り上げるために努力を惜しまず、若い世代にはさまざまな派手なものもあるが、私のものは少し機能が異なる。


「もともとは時間を止める機能がついていたんだ」


さらに大きく見開いた彼女の目は、手にある懐中時計に釘付けになっていた。


「でも、今はうまく使えなくなっていて…壊れかけてる感じかな?何回使えるかもわからない」


指先でガラスのひび割れをそっとなぞった。もちろん、そこには冷たい感触しかない。


「それは、その子からの贈り物なの?」


うなずいた。すると、小夜子は顔を耳元に近づけ、神秘的にささやいた。


「ダメだよ、そんな大事なものを、見知らぬ人の前で簡単に見せちゃ」


彼女は私の手に自分の手を重ねてきた。お風呂上がりの手は少し温かく、思わず微笑んだ。


「小夜子なら問題ないでしょ。それに、ちょっと眠くなってきたし、そろそろ…」


その瞬間、少し明るかった電灯が暗くなり、彼女の手の温もりも突然消えてしまった。そして、再び短い暗闇に包まれた。


「小夜子!」


急いで呼びかけたが、周囲には誰の気配もなかった。こういう状況に慣れておらず、何も見えないことで冷や汗が乾いていた猫のパジャマを湿らせるほど流れてきた。

そうだ、懐中時計がある、とりあえずそれを…。 探そうとしたとき、時計はすでに手元にないことに気付いた。


「冗談はやめて、早く出てきてよ」


話をしながら、服の中から「未央」を取り出し、弾を装填した。見知らぬ人の家で寝るにしても、最低限の用心はしておくもの。引き金を引き、かすかな音とともに、一瞬で部屋が明るくなった。

この隙に状況を確認しようと立ち上がろうとした瞬間、突然何かに押し倒され、ベッドに戻された。銃はまるでハサミのようなものに挟まれ、耳障りな軋む音がした。先ほど発射した魔法の光は、まるで失効したかのように消え去り、同時に手で口を塞がれた。

その時、恐怖よりもむしろ泣きたくなるような気持ちが湧き上がり、旅の初日からこんな目に遭うなんて、不運の極みだと思った。


「うぅ…」


「とりあえず、静かにしてね。隣の人に迷惑かかっちゃうから」


顔の近くからかすかな声が聞こえ、肩に髪の毛がふわりと触れる感覚があった。徐々に目が光に慣れてくると、そこには見たことのない、純粋な黒髪が広がっていた。

見つめてきたのは、星空のように深い青色の瞳だった。


「手を離すよ」


彼女は優しく言い、精一杯うなずいて「うん」と返事をした。


手の圧力が徐々に緩み、ようやくベッドの隅に逃れて身を縮めることができた。


「本当に危なかったね。幸い、店の入り口で君が怪しいものを持っているのに気づいていたよ」


目の前にいる、どことなく小夜子の雰囲気を漂わせる人物を見つめた。彼女は手に持っていた懐中時計を再びベッドの上に置いた。


「ねえ、驚いた?」


この人物を仮に「小夜子」と呼ぶことにし、彼女は首をかしげて微笑を浮かべながら、私を見つめていた。


「ちょっと説明してもらえる?」


「本当にごめんなさい。まさかそんなに怖がるとは思わなくて」


小夜子は手を合わせて片目をつむり、許しを請うような仕草をした。

今はそのことを気にする場合ではないと自分に言い聞かせ、なぜか目尻に残っていた涙をぬぐった。


「違うよ、聞きたいのは、今のその姿はどういうことなの?」


「えっと…これね」


彼女は机の上に置かれていた化粧箱を差し出したが、見た目には普通の化粧箱にしか見えなかった。


「これはね、ちょっとだけ自分の姿を変えられる魔導具なんだよ。でも、なぜか私にしか使えないんだ」


「じゃあ、今の姿が本当の姿ってこと?」


彼女は少しうつむき、静かに答えた。


「うん」


「未央」の魔法が阻まれた理由については、彼女が持っていたピンク色のハサミを見たときに、心の中で答えを察していたかもしれない。


「本当にごめんね。鈴がこんなに真剣に接してくれたのに、ただ鈴を驚かせたくて」


少しばかりの恨みは残るが、確かに彼女には困らされた。


「こういうことは、もう二度としないでね」


説教するように言い、話を戻すことにした。


「それで、何か言いたいことがあるんじゃないの?」


小夜子は少し恥ずかしそうに手をもじもじさせながら、ゆっくりと答えた。


「実はね、しばらく学校に行ってなくて…それにバイト先でもあまりよく思われていないんだよね……でも、あの、その……私も、もうこんな年だし」


「それがどうしたの?」


「オーロラ…一緒に探しに行ってもいい?」


やっぱり、そういうことだったのか。



腕に鈍い痛みを感じながら目を覚ますと、夕方まで寝ていたことに気づいた。隣にはすでにぬくもりも残っていない。 耳には車のクラクションの喧騒や、動物がゴミ捨て場に飛び込む音が絶え間なく聞こえてくる。 カーテンを開けると、ちょうど退勤時間帯のようで、歩道と車道には人と車がぎっしり詰まっている。簡単に顔を洗って洗面台のものをすべて小さなバッグに詰め込み、乾かしておいた制服に着替えた。 机の上には、きちんと並べられた本、台灯、そしてもう光を放たない球形の物体が置かれている。


「確か、鍵はここに置いてあったはず」


鉢植えが視界から消えると、広がる空と、すれ違うネクタイを締めた人々の姿が見えてきた。このとき初めて、喉の渇きで水を飲み続けなければいけなかったことに気づいたが、不快な感じはしなかった。 鏡を見てはいないが、今の顔にはきっと笑みが浮かんでいるに違いない。


これが、ピンク…いや、黒髪の少女、小夜子との出会いの物語だ。

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