第18話 混浴

 九条の家に住まわせてもらってから一週間が経った。一緒に学校に行って、一緒に帰って、飯と風呂以外の時間は永遠と組手。話をするよりも殴り合っている時間の方が長い。




「今日はここまでにしておきましょう。今日はどうだった?」




「蹴り以外の動きはまだまだぎこちないな。今のままじゃ、簡単に読まれて相手の利点になっちまう。初めの頃よりは良いが、結局まともに俺に当てたのが蹴りだけだったな」         




「利き手じゃない手で字を書いてるみたいで、思うように動かないのよ」




「そりゃそうだ。今まで足に頼ってばっかだったんだ。無理にメインとして使わず、あくまでも蹴りに転じる繋ぎとして考えた方がいい。慣れてきたら、手と足の両方が武器として使えて、攻めの選択肢も増える。道は長いが、得られるものを考えればやる価値はある」




「ひたすら鍛錬しろって事ね。オッケー、分かった。寝る前に、一度お風呂に行きましょ。風邪でもひいたら、ロクに体を動かせなくなるし」




「俺達は風邪をひかないだろ」




「勝手に私を馬鹿の括りに入れないで!」




 風呂場に移動し、汗まみれの体をシャワーで流してから湯船に肩まで浸かった。気持ち良すぎて思わず声が出てしまう。起きた後に伸びをするような快感が、全身にジンワリと流れていく感覚。




 風呂は熱ければ熱い程良い。そして浴槽の広さも、広ければ広い程良い。九条の家は古風な旅館のような外観通り、湯の熱さや広さも最高だ。




「広い風呂ってのは良いな~。何にも気にせず足を伸ばせる事がどれだけ幸福な事か……」




「一人で入るには広すぎるくらいだけどね」




「風呂も飯も、場所の雰囲気も良いのに、旅館として経営してないんだろ?」




「元は旅館だったのを買い取ったからね。父がこの旅館を好み過ぎたあまり、小切手片手に毎日土下座してたみたい。苦節二十年を迎え、経営が悪くなった所を買い取って手に入れたってわけ」




「凄いじゃないか」




「ただ馬鹿なだけよ。この旅館の経営が悪くなったのも、父が毎日土下座しに来るのが悪影響を及ぼしたんだから」




「最低だな」




「そうそう。最低な父よ。父がそんなんだから、母に呆れられたのよ。おかげで私は、母の顔をロクに憶えてない。赤ん坊の頃の私を抱いている母と、横で涙を流してる父。最初で最後の家族写真……それがある限り、私は父と母の子供」




 九条は湯船の中で体を伸ばし、耳に湯が入るかの瀬戸際まで後頭部を湯につけた。長い足を湯から出し、足の指を開いたり閉じたりしている。




 おかしい。全くドキドキしない。美人で、よく鍛えられた体に、長い足。そんな人物が俺のすぐ隣で一緒の湯船に入っているのに、俺の心は平常のままだった。体をジッと見ても、心拍が速まる事も無ければ、股間が膨張する訳でもない。




 多分、九条だからだと思う。俺の中で九条は女性というより、男性だと認識してしまっている。異性と同じ風呂に入るなんて男の夢だが、そんな夢のシチュエーションにも関わらず、全く興奮出来ない事にガッカリだ。




「……私の体をジロジロ見過ぎ」




 視線を顔に移すと、九条は目を細めて俺を睨んでいた。




「別にいやらしくは見てないさ」




「それはそれでムカつくわね。私を女として意識してないって事かしら?」




「あー……そうみたいだ」




「わざわざ下半身を確認してから言わないでよ、気持ち悪い。あーあ、隣にいるのがお前じゃなくて星野様なら良いのになー」




「お前緊張してのぼせるだろ」




「それはそれでアリよ。のぼせた私を介抱してくれるんだもの。膝枕をしてもらいながら、うちわで煽ってほしいな~」




 よくもまぁ、ロクに話した事も無い相手でそこまで妄想が出来る。水樹に関しての事なら、男の俺より変態なんじゃないか?




 風呂から出て、脱衣所で着替えを終えると、カゴに置いておいた携帯に一件の不在着信が入っていた。確認すると、水樹が俺に通話を掛けてきていたようだ。掛けてきたのは数分前だし、こっちから通話してみるか。




「水樹、どした?」




『九条朱音との生活は楽しい?』




「単刀直入だな。俺がいなくて、寂しくなったか?」




『当たり前でしょ。長年一緒にいたんだもの。胸にポッカリ穴が開いた気分よ』




「ご愁傷様。なら水樹もこっちに来いよ。ここの風呂スッゲェ広いんだぜ! 足を伸ばせるどころか泳げるんだ!」




『それは良かったわね。でも私は遠慮しておく。私達は絶交中だもの』




「あー、そういえばそうだったな……なんで絶交になんかなったんだっけ?」




『さぁ? まぁ、もう高校生だし、これを機に自分の事は自分で考えて行動してみなさい。私はいつでも、アンタを見守ってるから。それじゃあ、体に気を付けて。あ、九条さんによろしく伝えておいてね』




 そう言うと、水樹は通話を切った。まるで故郷にいる母親からの手紙みたいな内容だった。




「誰からの電話だったんだ?」




「水樹から。俺の事をよろしく頼むだって」




「ほ、星野様が!? 私に頼み事!? はぇぇぇ……」




 九条はゆっくりと後ろに倒れていき、後頭部から床に倒れ込んだ。慌てて九条に駆け寄ると、なんとも幸せそうな表情で気絶していた。こんな調子じゃ、九条が水樹と友達になれる未来は遠そうだ。 

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