第2話 出遅れのスタート

 周囲と一日遅れで初登校を果たした俺にとって、それは異様な光景だった。教室、廊下、建物の隅々に至るまで、全てが過剰に広い。百人を超える生徒が廊下に出ても、その群衆を走り抜ける隙間は十分にあるほど。まるで自分の体が小さくなったかと錯覚する程に、全てが大きく、そしてやはり広かった。


 更に驚いたのは、その事に誰も興味を示さない事だ。一日早くこの光景を目の当たりにしているとはいえ、見慣れるにはあまりにも適応が早過ぎる。まさに現代人だ。




 連鎖する驚きに立ち尽くしていると、水樹が俺の肩に手を置きながら顔を覗いてきた。 




「いつまで驚いてるんだ。もういい加減慣れてよ」




「慣れろって言ったって……水樹、ここは空港か?」




「学校だよ」




「俺、浮いてないか?」




「それには同意。傍から見たら、今のアンタはさしずめ……動物園の猿。それが自然に放されて、何の介護も無い自力だけの世界に絶望しているよう」




「可哀想だと思ってるなら介護してくれよ」




「もちろんそのつもり。適当に場所を案内するから。私についてきて」




 水樹がイケメンに育って良かった。もし水樹が漫画のようなヒロインの性格だったのなら、間違いなく俺達は途方に暮れていただろう。




 そうして、水樹は俺に様々な場所を案内してくれた。授業に使う教室。食堂。図書室。体育館。その他様々。水樹は淡々と案内してくれたが、何一つとして現実味が無かった。全てが広いというのもあるが、置かれている設備の豪華さが、今見ている光景は非現実的なものだと拍車をかける。それは俺が、前時代な人間だからだろう。




 最後の案内場所として、俺達は屋上に来ていた。周囲を取り囲む柵から、遠い外の景色が見渡せた。柵に寄りかかりながら遠くの景色を眺めていると、この学校は自分の身の丈に合っていないと今になって気付いてきた。   




「……なんか、凄い世界に入ってきちゃったな」




「今更な台詞だね。生徒の数が多ければ、それに合わせて建物や敷地が広くなるのは当然の事。そしてそういう場所に入るのを望んだのは、アンタ自身」




「俺やってけるかな~……」




「どうだろうね。アンタは馬鹿で真っ直ぐで、人を陥れようと考えない不器用な人間だから。ここにいるほとんどの人間は、アンタとは真逆の人間ばかり」




「なんで分かるんだ?」




「アンタの所為よ。アンタの所為で、見分けがつくようになった。馬鹿か、クズかをね」




 水樹は俺の隣に座り込み、あぐらをかいた。スカートじゃないから出来る座り方だ。昔からスカートとか、そういう女性向けな服よりも男性向けの服を好んでた水樹にとって、制服のスタイルを選べるこの学校は合ってるかもな。




 俺は携帯の電源を点け、現在時刻を確認した。時刻は既に九時を回っていた。それなのに、授業開始のチャイムが鳴る様子は無かった。




「この学校はチャイムが鳴らないのか?」




「授業は学校側から送られてくるメールで分かる。ここは高校だけど、大学みたいな授業システムだと考えればいい」




「変わった学校だな」




「好きな物を好きなだけっていう人にはたまらないシステムだね。アンタはどの分野の授業を受けたい?」




「体育! 頭は動かせないが、体は人並み以上に動く自信はあるさ!」




 そして、俺は水樹に体育の時刻と体育館を教えてもらい、初の授業を受けた。授業内容はバスケットボールで、複数のチームに分かれてトーナメント形式で試合を行うもの。バスケットはよく知人に付き合わされていたから、多少の役には立てるだろう。




 そんな甘い考えは、試合開始のホイッスルをキッカケに、粉々に砕かれた。試合展開が早く、即席で作られたチームとは思えない程に連携が取れている周りに、俺はついていくだけでやっとだった。




 結果は初戦敗退。ミスはせず、何度かアシストは出来たが、一度もシュートを打つ場面は訪れなかった。歓声鳴り止まぬ体育館を後にし、外の空気で体の熱を冷ましていると、ポケットに入れていた携帯に着信が入った。見ると、水樹からのメールだった。




【引き立て役、お疲れ】




「……見てたなら少しは応援してくれよ」




 携帯をポケットにしまい、適当に外を歩いて回ろうとした時、後頭部に衝撃が走った。足元を見ると、バスケットボールが俺に寄りそうにように転がってきていた。 




 振り返った瞬間、飛んできたジャージに視界を塞がれ、その隙に腹部に蹴りを入れられてしまった。唐突な出来事に困惑し、尻もちをついた俺は事態を把握する為に、視界を塞いでいるジャージを取っ払う。視界が晴れて見えた光景は、俺を睨む四人の男子生徒。さっきの試合で俺とチームを組んでいた彼らだ。




「お前ふざけんなよ!!! ロクな実力も無い癖に、授業に出て来てんじゃねぇよ!!!」




 中央、おそらく四人の中でリーダー格と思われる男が俺に言葉を吐き捨ててきた。他の三人は俺を睨むばかりで、口を開こうとしていない。




「俺達はな、中学で全国に出れたんだよ! なのに初戦敗退! 負けた原因はお前だ!」




「ちょ、ちょっと待てよ! それはおかしいだろ? 負けてイライラしているのは分かるが、原因が俺だけだと断定するのは間違ってる! 負けた原因を言うのは気が引けるけどさ、明らかに君がシュートを外しまくってたのが原因だろ?」




「……は?」




「確かにさ、ギャラリーには可愛い女の子ばかりいたよ? 男として、良い所を見せたい気持ちはよく分かる。だがな! それで外して笑われたのを俺の所為にするな! お前の努力不足だ!! お前にパスした俺が馬鹿みたいじゃないか!!!」




「ッ!? てめぇ舐めた事ばかり―――」




「やるか? 言っとくがバスケと違って喧嘩に関してはマジで誰にも負けねぇぞ。四対一で数の有利に浸っているかもしれないが、確実に一人は表にも出れねぇ顔と体にしてやる」




 一人は嘘だ。実際は四人全員病院送りに出来る確信がある。証拠はさっきの腹部に当てられた蹴りの威力。あれはやり返してきた経験が無い蹴りだった。リーダー格がこれなら、取り巻きの三人も同程度か以下。




 俺が立ち上がって睨み返すと、四人は途端にバツが悪そうな表情になり、舌打ちをしながら帰っていった。ジャージを後頭部に投げ返してやったが、振り向きもせずにジャージを拾い、足を速めて立ち去っていく。




 久しぶりに同い年との喧嘩が出来ると少しワクワクしていたが、こんな結果になって残念だ。




「現代人だな……はぁ」




 この調子じゃ、恋人はおろか、友人すら危ういな。

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