無限であるがゆえの可能性

森本 晃次

第1話 犯罪という名の殺人

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和6年1月時点のものです。とにかく、このお話は、すべてがフィクションです。


 探偵小説や、ミステリー小説といわれるものの醍醐味は、その事件の犯罪性というものにあるといってもいいかも知れない。

 犯罪といっても、刑事犯もあれば、民事などでいうところの、詐欺罪というものもあったりする。

 中には、

「民事にも、刑事にも含まれる」

 という犯罪もある。

 詐欺事件などのように、相手を騙して、財産を奪ったりして、相手から訴えられるという場合などは、

「民事事件」

 ということになる。

 だが、

「詐欺に遭って、それで全財産を奪われ、ショックのために自殺をしたり」

 あるいは、

「詐欺に遭った人が、その苦境から逃れるために、新たな犯罪に手を染めたりする」

 という場合もありえる。

 だから、

「刑事では、執行猶予がついたりしても、民事では、完全に原告が勝訴」

 ということも普通にある。

 逆に、

「民事で、金は返ってこないが、刑事罰として、犯人は求刑通りの罪に問われる」

 ということもある。

 そもそも、民事事件の立件は、難しいといえるのではないだろうか?

 刑事事件であれば、警察がその陣頭指揮を執ることで、警察が持っている、捜査権というものを生かして、捜査をすることができる。

 もちろん、捜索令状や、逮捕令状のような、

「裁判所が認めたもの」

 でなければ逮捕拘留も、家宅捜索などというものもできないのだ。

 民事事件でも、同じように、民事訴訟に至るだけの証拠を探す場合には、裁判所が発行する令状というものがあり、捜査ができるということであるが、

「民事事件」

 というものは、警察が立ち入ることはできないのが、一般的である。

 つまり、

「民事不介入」

 ということであり、

「例えば、お金を取られた」

 ということであれば、これが、

「窃盗」

 あるいは、

「詐欺事件」

 という形の刑事事件に発展するということであれば、これは、警察権を発動することもできるが、

「刑事事件として立件できないもの」

 ということであれば、警察が介入できないということになるのだ。

 それだけ、

「警察の権力」

 というものは大きいということなのか、いわゆる、

「個人的人権の尊重」

 という憲法の問題に絡んでくるのである。

 しかも、平成になってから、

「個人情報保護」

 という観点から、

「プライバシーの保護」

 というものが、大きな問題となっているといってもいい。

 昭和の頃から、あるにはあったが、平成になってから、特に問題になってきたのが、

「ストーカー犯罪」

 というものであった。

 昔は、

「好きな女の子がいれば、家を確認したくて、追いかけてみる」

 ということくらいは、あっただろう。

 その時に、ストーカー行為をしている本人に、

「悪いことをしている」

 という自覚があったのかどうかということである。

 今の時代には、少なくともあるだろう。これだけ世間で、

「ストーカー事件」

 として騒がれているのだから、嫌でも、

「どういうものがストーカーになるのか?」

 ということくらいは、自覚できているといってもいいだろう。

 それを思うと、

「昔がどうだったのかは分からないが、少なくとも、今では自覚をしているにも関わらず、やめることができない」

 ということで、昔に比べてエスカレートしたことで、社会問題となり、さすがに、

「後手後手に回って、面倒くさいことはやりたがらない政府」

 といっても、マスゴミが騒いだり、

「選挙で不利になる」

 ということから、

「動かないわけにはいかない」

 ということで、政府も、

「重い腰を上げる」

 ということであろう。

 さらに、

「個人情報保護」

 というのは、もう一つ大きな意味もある。

 それは、

「コンピュータやインターネットの普及」

 というものから、問題になっているといってもいい。

 というのも、

「コンピュータや、ネットが普及することによって、新たな犯罪が生まれてきた」

 といってもいいだろう。

 ただ、新たな犯罪というわけではなく、広義の意味では昔からあったことになるのだが、それが、

「詐欺事件」

 というものだ。

 昔はネットやパソコンなどがなかったので、アナログでの詐欺だったりした。

「契約書をわざと分かりにくかったり、見にくいものを作成し、相手に読む気力を失せさせる」

 ということで、騙すというやり方であったり、

「昭和の終わり頃にあった」

 というような、

「人情に訴える」

 ということで、ターゲットを、老人に絞るというようなやり方があったのだ。

 それがどういうものなのかというと、

「昔は、いわゆるバブル崩壊の前というと、老人というのは、金を持っているが、寂しい老人が多かった」

 ということである。

 自分たちが育ってきた時代というのは、

「家族団欒」

 というのが当たり前の時代で、時として、鬱陶しい時もあったが、家族が団欒で食事をするというのが当たり前の時代だっただろう。

 しかも、

「戦後の食糧難の時代」

 というのも知っているので、余計に、人情というものに厚いので、昭和の終わり頃というと、次第に、家族がどんどん、バラバラになっていった時代ではないだろうか?

 家に帰ってくる時間というのも、皆バラバラで、昔であれば、

「お父さんが帰ってくるまで、誰も箸をつけない」

 などというのは当たり前という時代だったのに、途中から、

「父親が何時になるか分からない」

 という時代になった。

 ちょうど時代は、バブルの時代、

「事業拡大を行えば行うほど儲かる」

 という仕組みだった。

 そんな時代なので、CMなどでも、スタミナドリンクの宣伝で、

「24時間戦えますか?」

 あるいは、言葉として、

「企業戦士」

 などという言葉が使われるようになり、今でいえば、

「社畜」

 とでもいえばいいだろうか。

 そんな時代になると、家に帰ってくるのも、最終だったり、下手をすれば、

「会社に泊まり込み」

 ということもあっただろう。

 しかし、当時は会社も儲かっているので、

「残業手当を与えてでも、仕事をさせたい」

 ということで、今のような、

「サービス残業」

 というものはありえなかった。

 もし、残業代を払わなければ、その社員は、すぐに、他の会社に行ってしまうだろう。その時に、会社の情報などを、

「手土産」

 にされてしまうとたまらないということである。

 そんなバブルの時代において、

「父親の威厳」

 というものも次第に衰えてきた。時代が、それまでの、

「会社員というと、時間から時間の定時出勤」

 という時代ではなくなってきたのだ。

 それまでは、給料をそのままもらっているだけだったので、贅沢というものもできなかった。

 そもそも、時代が贅沢を求めない時代で、確かに、いろいろなものが開発され、便利なものが出来上がってきたので、

「月賦」

 という今でいう、

「分割払い」

 というもので、賄ってきたので、何とか給料内で抑えてきた。

 だから、気持ちとしては、月賦というものがあるだけで、

「贅沢をしている」

 という気持ちになっていたのだろう。

 しかし、生活が落ち着いてきて、また、当時は高価だった電化製品も、

「大量生産」

 というものができるようになり、需要も増えれば、当然、価格も下がるというものである。

 そして、大量生産をするには、工場をどんどん広げ、そして、人を雇うことをしなければ、回らなくなるといってもいいだろう。

 だから、そのおかげで、雇用問題も、一気に解決し、さらに、貿易も盛んになってくると、経済発展も目覚ましいものとなることであろう。

 それを考えると、今の時代において、

「会社で働く父親」

 というものが、家庭に居場所がなくなってくるというのも、分かるというものである。

 この時代になると、主婦も子供も、自分の世界を作るようになってくる。

 主婦とすれば、近所の奥様付き合いというのもある。

 特に子供のこととなると、

「自分の子供が一番優秀だ」

 などと思うようになってくる。

 時期も同じくして、当時の子供の世界でも、

「受験戦争」

 というものが、小学生にまで飛び火してくる時代でもあった。

 社会の発展から、それまでは、

「海外の真似をする」

 ということで、経済を回してきたのが日本で、

「真似をさせると、日本に敵うものはない」

 といわれたほどであったが、時代が進んで、

「三種の陣日」

 あるいは、

「新三種の神器」

 などといわれる電化製品が出てくるようになると、今度は、

「日本独自のものを作る」

 ということが言われるようになってきた。

 特に、自動車産業などの発展が、当時としては、目覚ましく、いろいろなところに工場ができて、そこで、いろいろ開発されるようになった。

 のちの時代に、

「貿易摩擦」

 などという禍根を残すことにはなったが、当時の経済成長は、

「奇跡」

 とも言われたほどであった。

 そのため、教育の問題が政府としては急務だった。

 戦後教育で、まだまだ海外に匹敵するほどの開発者が生まれる環境ではなかったということから、

「まずは、国民の学力の底上げ」

 というのが、叫ばれるようになってきた。

 だから、

「詰込み教育」

 といわれるような、少し強引な教育方針を打ち出すことになり、そのうちに、

「ついてこれない者は、捨てていく」

 というような教育現場になってきたのだ。

「落ちこぼれ」

 などという言葉が流行り、落ちこぼれた連中は、不良となり、学校で暴れまわったり、

「警察沙汰」

 になったりして、退学を余儀なくされ、結局、チンピラになったり、やくざの手下になったりという時代になってきたのだ。

 その一方、成績のいい生徒は、どんどんいい学校に行かせて、さらに、その中で、

「ふるいにかける」

 ということになる。

 ふるいに掛けられた生徒たちは、落とされると、その末路は同じだった。

「敗者復活戦」

 というものもなく、一度落ちると、元には戻れない。

 そんな時代になっていたのだ。

 家族もバラバラ、学校でも、差別が平然と行われる。

 学校すべてがどうだとは言わないが、

「優秀な生徒に対しては、その成果を認めるが、成績の悪い生徒は、先生から切り捨てられる」

 だから、落ちこぼれた生徒が学校で暴れまくり、教室のガラスが半分以上割られているというような学校がたくさんあったのだ。

 不良というものは、情け容赦がないが、それを作り出したのは社会である。

 卒業式の帰りなどは、先生たちが、一斉に恐れていたことだろう。

「お礼参り」

 と称し、先生に恨みのある者が、集団で襲撃したりということも珍しくもなかった。

 確かにやりすぎだが、生徒の気持ちも分からなくもない。

 だが、逆に、

「先生としても、境域委員会であったり、文部省の指針というものを守らないといけない」

 ということで、

「どうしようもなかった」

 といわれる時代である。

「じゃあ、どうすればよかったのか、今でも分かる人はいないだろう」

 といえる。

「いや、今だからこそ分からない」

 といってもいいだろう。

 だから、教育というのが、その後の時代になって、

「ゆとり教育」

 という時代になってきた。

 もう、教育水準も、ある程度まで上がってきたということと、さらに、

「それに対して教育現場としては、諸問題が乱立してきて、そちらの方の解決が問題だ」

 ということであっただろう。

 特に、

「いじめ問題」

「不登校問題」

 などがその際たる例で、

「いじめ問題というのは、それまでの不良問題と似たところがあるが、それ以上に、その内容が卑劣化している」

 というところが問題だった。

 昔から、

「苛め」

 というものがなかったわけではない。

 しかし、昔の苛めは、

「虐める側にも、虐められる側にも、それなりの理由があり、いずれは、分かり合えるところがある」

 ということで、それほど大きな問題になったりはしなかった。

 しかし、

「いじめ問題」

 というものが叫ばれるようになると、

「もう、苛めに大義名分というものはなく、その理由もハッキリとしない」

 ということになる。

 苛めをする人にその理由を聞いても、

「虐めたいから虐める」

 としか答えが返ってこない。

 そして、その虐める相手も、かくたる理由があるわけではない。

「ただむかつくから」

 というのが、たいていの理由であろう。

 たくさんの人間で一人の人間を虐める。そしてその内容も、言語道断といってもいいくらいにひどいものだってあるのだ。

 そのうちに、

「自殺をする生徒」

 というのも出てきて、収拾がつかなくなってきていたのである。

 先生も、恐ろしくて口を出せない。だから、先生も見て見ぬふりをして、上には言わない。

 もし、教頭や校長がそのことを知ったとしても、

「教育委員会などに知れたら、自分たちが責任を取らないといけない」

 ということで、逆に、教育委員会にバレないように、学校側が処理できるわけではないのに、

「臭いものに蓋だけをする」

 ということになるのであった。

 それを考えれば、

「学校というところは、無政府状態」

 といってもいいかも知れない。

 そうなると、

「学校に行くことができない」

 という、

「不登校の生徒」

 が出てくることになる。

「前は、登校拒否といっていたのに」

 ということで、若干、意味も変わってくるのだった。

「学校に行きたくない」

 というのが、一番の理由なのだろうが、精神を病んでしまい、

「学校に行くことができない」

 という状態になることから、

「広義の意味の登校拒否」

 ということで、

「不登校」

 といわれるようになったのであろう。

 それが、次第に低年齢化していき、

「不登校問題」

 というのは、どこの家でも見られるようになった。

 最近まで、優等生だった子が、

「急に不登校になった」

 というのも、日常茶飯事ということである。

 親とすれば、この間まで、奥さんたちとの井戸端会議で、

「うちの子は優秀だから」

 ということで、マウントを取っていたものが、今度は、

「恥ずかしくて、お母さん、他のお母さんたちと顔も合わせられないわ」

 ということになるのであろう。

 昔であれば、

「お父さんの顔に泥を塗らないでね」

 というような、

「父親の絶対権力が家庭にはあった」

 ということであるが、その頃になれば、

「家に帰ってこずに、会社で働き詰め」

 という父親の気持ちを知ることもなく、母親は、家族というものを、

「自分がマウントを取るだけの道具」

 としか思っていなかったりする。

 だから、子供には、

「お父さんの顔に泥を塗らないように」

 といい、亭主には、

「子供が頑張ってるんだから、あなたも、早く出世してね」

 といって、うまく狸のように使い分けている人も多いことであろう。

 それを考えると、

「大家族という幻の時代が、かなり昔にはあった」

 といってもいいだろう。

 大家族が幻となり、次第に家族が離散してくるようになると、時代は大きな転機となり、いよいよ、

「バブル崩壊」

 といわれる時代になってくるのだった。

 だが、昭和の詐欺事件というのは、まだバブル経済というものが起こってくる前だったのではないだろうか。

 その時代というのは、

「仕事をすればするだけ、金になる」

 という時代であり、しかも、

「仕事をしているのだから、お金を使う暇がない」

 ということで、

「定年を迎えた人は、年金と貯蓄で、悠々自適の老後が楽しめる」

 というものだった。

 何しろ、今の時代と違って、年金の額も高く、銀行の利子も、けた違いによかった。

 つまり、

「銀行に預金しておけば、利子だけでも食っていける」

 というくらいの人がいたことだろう。

 しかも、

「定年退職をすれば、すぐに年金がもらえる」

 という、本当であれば、当たり前のことが、今の時代ではありえないことになり、

「定年退職もどんどん高齢化していき、さらに、年金がもらえるまで、定年退職してから、5年という歳月を要する」

 ということで、

「定年退職後も、5年間は働かなければいけない」

 ということになる。

 さらに、年金生活になると、ずっと働いてきた給料、つまり、年金として納めてきたはずなのに、その額は、半分以下ということになっているのである。

 これほど理不尽なことはないだろう。

 特に、それを政府が、

「ずさんな管理」

 で、訳が分からない状態にしてしまったということがあった。

 しかも、その事実が、十数年さかのぼるということであった。

 つまり、

「分からずにいた」

 という、最低の仕事しかしてこなかったということなのか、それとも、

「知っていて、わざと世間にバレないようにしていた」

 ということであれば、これこそ、

「国民に対しての背信行為」

 もっといえば、

「政府や国家を転覆させようとしている」

 といわれても仕方がないくらいの隠蔽工作、これこそ、かつての、

「国家反逆罪」

 といってもいいだろう。

 不注意であろうがなかろうが、その罪の重さは、実際に、今の社会の根底を覆すものだったのだ。

「年金制度の崩壊」

 というものを、事もあろうに、政府の役人が行っていて、それを隠蔽していた可能性があるというのは、簡単に許されることではない。

 彼らにどのような罰があったのか分からない。

「まさか、無罪放免」

 はないだろうが、それでも、結局は、一番の悪が処罰されることがないという、いわゆる、

「トカゲの尻尾斬り」

 といってもいいのではないだろうか?

 そんな時代がいずれは来ることになるのだが、当時の老人は、

「お金はあるが、孤独」

 というのが、その代表的なものだった。

 といっても、その定義は、

「すべての人に当てはまる」

 というわけではない。

 確かに今の時代から考えれば、ほとんどの人が、今の時代の老人たちよりも、降伏だった」

 といってもいいだろう。

 今の時代でも、金持ちは金持ちで、昔であっても、貧しい人は貧しかったということである。

 つまり、

「貧富の差の激しさ」

 というのは、今も昔も変わりないということである。

 しかし、その水準は、明らかで、バブル期をピークに、どんどん下がってしまい、どうすることもできないという時代になってきたということだ。

「歯止めがかかる」

 という兆しもなければ、

「それをなしとげられる」

 という人材がいるわけでもない。

 特に、ソーリともなれば、

「今以上の最低なソーリは出てこないだろうな」

 ということで、

「誰がやっても同じだ」

 という諦めで済めばいいが、何と、それ以上に最悪なソーリが出るわ出るわ。

 これも、政治や経済が、奈落の底に落ちていくのと並行して、政治家までもが、奈落の底ということで、

「これでは、元に戻るわけなどない」

 といえるであろう。

 かつての詐欺の時代に、

「寂しい」

 というのは、それまでの、

「大家族」

 であったり、

「父親の絶対的な威厳」

 というものを誇りとしてきた人にとっては、地獄のような思いだったということであろう。

 今の時代のように、

「家族の離散が当たり前」

 という時代に、いまだに、

「かつての、大家族という夢を見ている人もいるくらいなのだから、当時としては、差?しいという思いを持っていた人は、そのほとんどだった」

 ということになるであろう。

 それを思うと、

「お金があって、寂しい」

 という、そんな老人をターゲットに詐欺集団が暗躍するという作戦は、

「さすがといえる」

 と、悪党であっても、その考えに頷かずにはいられないという人もいたことであろう。

 しかも、そのやり口が実に汚い。

 まるで、子供のように寄り添って、相手の気持ちをくすぐるのだ。

 中には、女性では、

「色仕掛け」

 という人もいただろう。

 もちろん、老人に、性的な目的があるわけではないので、気持ちの上でということであろうが、それだけに、卑劣といってもいいだろう。

 だから、中には、遺言書を書かせて、

「遺産のすべてを、世話をしてくれた人に」

 ということになる。

 当時は、介護の仕事などほとんどない時代だっただけに、少しでも面倒を見てもらっただけで、簡単に気を許すという時代だったのであろう。

 そんな時代だったからこそ、

「老人は優しくされると、コロッと騙される」

 と詐欺グループは考えたのであろう。

 詐欺というのは、いろいろある。

 会社を相手取って行うものもあれば、個人を狙うものもある。しかし、狙う相手が、

「金持ち」

 であることに変わりはない。

 これが誘拐ということになると、目的がお金だとしても、本当の動機ということになると、

「怨恨による復讐」

 ということも考えられる。

 たまたま、相手が金持ちだったというだけでの営利誘拐。その場合は、罪の重さはかなりのものであろう。

 ただの復讐だというだけであれば、誘拐さえしなければ、殺人でもなければ、情状酌量ということもありえるであろうが、殺人であったり、営利誘拐などが絡んでしまうと、情状酌量というものは、ないに等しいと思われたとしても、無理もないことであろう。

 それを思うと、

「誘拐というものは、割に合わない」

 といってもいいだろう。

 これは詐欺でも、同じことが言えるかも知れない。

 最初はただの詐欺だとしても、相手の財産を根こそぎ奪うのだから、罪が軽いわけはない。

 しかも、刑事においても、民事においても、罪に問われるだろう。

 ただ、成功した時の報酬はかなりのものだ。

 しかも、本人が死んでから奪うものなので、犯人側とすれば、それほど罪の意識もないに違いない。

 しかも、被害者は、

「家族が構ってくれないから、詐欺師に頼ってしまう」

 という精神状態になったのだ。

 遺産をもらうくらいは当たり前のことだと思うだろう。

 何しろ、家族は、寂しい老人を一人残すことになったのだ。それを思うと、詐欺にあっても、無理もないことで、この際、家族に対しての罪の意識など、かけらもないといってもいいだろう。

 そんな詐欺事件において、さすがに何件も似たような手口で犯罪を犯していれば、気づく人も多いであろう。

 それをマスゴミが嗅ぎつけて。事件を週刊誌やテレビのワイドショーで書きたて、社会問題として浮き彫りにしたのだった。

 そんな時、事件が起こった。

 詐欺集団というのは、会社組織になっていた。そこの社長というのが、実際に犯行の指示をしていて、被害者の被害状況であったり、実際の手口などが明らかになってくると、世間では、

「そんなひどいやつらがいるんだ」

 と、一斉に騒ぎ立てた。

 実際に、国会でも問題になったくらいだったが、問題になっただけで、何もできないのが、政府や国会議員というものだ。

 せめて、犯罪内容を研究し、

「今後そんな犯罪が起きないようにする」

 という程度のことで、

「やっとこれから、法整備を行う」

 という程度のものだった。

 しかし、法整備ができるようになるまで、相当な時間が掛かる。まずは、警察の捜査から、逮捕、起訴、そして、裁判へと進んでいくしかないということであろう。

 その時はまだ、警察も裏付け捜査という程度の問題で、それ以上に、世論やマスゴミが騒いでいるところが、警察としてはやりにくいところであろう。

 しかし、そんなことをしていると、思わぬところで事件は急展開したりするというもので、この事件もそうだった。

 警察が何もできない間に、マスゴミが殺到し、社長のマンションに、まるで囲み取材であるかのように、押し寄せていた。

 口々に、いろいろなことを叫びながら、もみくちゃになっていたが、そんな雑踏の中に、一人の怪しい男が紛れ込んでいたのだ。

 その男は、いつやってきたのか、誰もその男を怪しいとは思わなかっただろう。そんな状態の中、男はおもむろに懐からナイフを取り出し、いきなり、社長に切りつけたのだった。

 その時、何が起こったのか、一瞬では誰も分からなかった。社長が言葉を発せず、苦悶の表情を浮かべていたが、それすら気づかない状況だった。

 しかし、一人が気づいて、

「うわっ」

 と叫んだことで、まわりの人もその場の異常さにやっと気づいたのだ。

 まわりを囲んでいた記者たちは、一斉に、その場から数歩後ろに後ずさった。その時、支えを失った社長は、その場に倒れこむ。それまで、倒れなかったのは支えがあったからで、決して自分の力で立っていたわけではなかった。

 それだけ、

「一瞬のことが、スローモーションのように、かなりの時間が掛かってしまった」

 ということなのかも知れないし、

「まわりを囲んでいた雑踏は、まるで狂喜乱舞の状況だった」

 ということになるのかも知れない。

 記者はその場の出来事をどう感じたのだろう。

「恐ろしい場面を見てしまった」

 という印象なのか、

 それは、最初こそ、皆の共通の気持ちであろうが、そこから先は、次第に違ってくることだろう。

 特ダネ目的でしか行動しない人は、この場面を写真に収めるのに、必死な人もいるだろう。

「いずれ、こんな取材をしていると、殺人とまではいかないまでも、ショッキングな出来事に遭遇するかも知れない」

 と、日々、びくびくしていた人もいるだろう。

 そんな人からすれば、

「想像していたことが起こってしまった」

 ということで、自分では、どうすることもできない。

 と感じているかも知れない。

 ただ、実際に、テレビの生放送で流れてしまったという事実は間違いない。いわゆる、

「放送事故」

 というわけである。

 これが、

「防ぐことができたのか?」

 ということになれば、微妙なところであろう。

 マスゴミは、

「ひどい取材」

 ということであったが、彼らとしても、仕事なのだ。

「だったら、詐欺グループも仕事だといえるのではないか?」

 という人もいるかも知れないが、最初から狙って行っていることと、倫理を一応は考えながら、ギリギリのところで葛藤しているマスゴミとでは、天と地の違いがあるといえるだろう。

 しかし、あまり変わりがないと思っている人は、仕事というものを第一に考えている人であり、天と地の差があると思っている人は、

「人情を先に考えて、そこからすべてが成り立つのだ」

 と考えている人に違いない。

 どちらがいい悪いという問題ではない。

 それらの考え方が、人間としての資質だと考える人もいるだろう。

 だが、あまり、

「人間としての資質」

 ということにこだわってしまうと、

「自分の意見や考え方を、他人に押し付ける」

 ということになり、難しい考えになる。

 この犯人がどういう意志で犯行に及んだのか、そして警察に捕まった後、どのような供述をしたのか、それも、どこまで信じていいのか分からない。

 とにかく、マスゴミの前で、つまりは、全国のテレビを見ていた人の前で、公然と殺人を犯すということを行った男なのだから、少なくとも、その時の精神状態が異常だったのではないかといっても過言ではないだろう。


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