山本君といっしょ

@sabure2

第1話 雨の日のこと

「君のことは、友達以上に見られない」


 一人昇降口で立ち尽くす。ざざんざざんと横殴りに降りつける雨音も、その言葉を私の中から消してはくれなかった。長い髪と、形の良い顎の先からポタポタと雨の雫が落ちる。私は俯いたまま、これからどうしたら良いのかもわからず迷子のように佇んでいた。




 その日、私は一年間思い続けていた部活の先輩に告白しようと、手紙で中庭に呼び出した。緊張して時間の三十分も前に待ち合わせ場所に到着してしまって、先輩が来るのを今か今かと待ち侘びていた。今となっては滑稽なことだが、私は今回の告白が成功すると思い込んでいた。先輩と一番仲のいい女子は自分だという自負があったし、二人きりではないが何度か休日に出かけたりもしていた。だから、先輩が苦い顔でその場に現れた時には愕然とするしかなかった。先輩はポケットから手紙を取り出すと私に問いかけた。


「この手紙、志穂ちゃんがくれたんだよね?」

「はい…」

「ごめん、気持ちは本当に嬉しいんだけど…他に好きな人がいるし何より…君のことは友達以上に見られない」

「…はい、すみませんでした…」


 先輩はそんな言葉だけ残すと、それ以上関わり合いたくないというように足早に去っていった。あんなに仲が良かったと思っていたのも自分だけ、先輩は私という後輩に仕方なく付き合っていただけなのだろう。口から乾いた笑いが漏れ出ると同時に、しばらく前から降り出しそうだった雨がついに降り始めた。立ち尽くしている間に雨は勢いを増して、私はあっという間に濡れネズミになった。もう何もかもどうでもいいと思っていたような気がするが、濡れたくないという理性が働いたのだろう。私はカバンを持ったまま昇降口まで幽鬼のようにフラフラと歩いて、自分が傘を持っていないことに気がついて歩みを止めた。




 そして現在進行形で横殴りの雨にさらされながら今に至る。付き合えたらどうしよう、何をしようと考えていた数十分前の私が馬鹿みたいだ。いや、実際馬鹿なのだろう。なんせ好きな人の気持ちも分かっていなかったのだから。そう考えていると俯いた視線の先に泥々のスニーカーが見えた、そして顔にかかっていた鬱陶しい雨がなくなっていることに気がついて、私は顔を上げた。

 そこにはこんがりと日焼けをしたクラスメイトの男子がいた。確か二年になってから転校してきた…そう、山本くんだ。彼は自分がびしょ濡れになるのも構わずに仮にも屋根の下にいる私に向かって黒い傘を差し出していた。


「……」

「……」


 お互いの沈黙が痛い。そういえば山本くんが喋っているところをほとんど見たことがないかもしれない。話すのがあまり好きではないのだろうか。そう思っていると埒があかないと思ったのか仕方なさそうに山本くんが口を開いた。


「何しゆうがぞ、はよう傘に入れ」


 …私は豆鉄砲を食らった鳩のような顔をしていたと思う。イントネーションと言葉遣いが違いすぎて、一瞬何を言われたのかわからなかったのだ。そんな私を見て、彼はイライラしたように言った。


「なんじゃ、わしの傘には入れんいうがか?」

「あ、ごめんそうじゃなくて!ちょっとびっくりしただけ…」

「…ん」


 彼がさらに傘を差し出してきたので、帰宅するのに困っていたこともあってありがたく傘に入らせてもらった。てくてくと自分の家への道を歩いていく。彼は自分が濡れるのも構わず傘を私の方に傾けてくれていた。二人とも無言で、少し気まずい雰囲気だった。


「変か?」

「えっ?」

「わしん言葉が変かと聞いた」


 変か、と言われればこの地方では変わっていると言わざるを得ないが、彼の故郷の方言なのだとしたら変だというのはとても失礼なことだ。


「ううん、方言だよね?変じゃないよ」


 そう言うと彼は少しホッとしたようだった。


「そうか、方言が抜けんきあんまり喋らんようにしちょったがじゃ」

「そうなんだ」


 彼が無口なのはそういった理由があったのか。そう思っていると彼はその調子のまま爆弾発言を落とした。


「さっき中庭で…悪いけんど見てしもうた」

「!!?」


 嫌なところを見られた。彼から見て自分はさぞ滑稽に映ったことだろう…。落ち込んで彼を見たが、彼の瞳は特になんの感情も映していなかった。彼はそのまま吐き捨てるように言った。


「どっちにしてもあの男はやめちょけ。あいたぁクズじゃ」

「えっ、ち、違うよ。先輩は他に好きな人がいるだけで…私を振るのはしょうがないことっていうか……」


 自分で言っていてまた涙が溢れてきた。選ばれなかった自分という現実を突きつけられる。


「あんな奴、おまんが泣いちゃる価値もない。あいたぁ校舎に入ってきて、待ちよったとぎに開口一番何ていうたと思う?「ちょっと遊んであげたら本気になって馬鹿みたいだよね」って言いよったがぞ。多分好きな奴がおるいうんも嘘じゃ。」

「そ、そんなはずない!先輩はそんな人じゃ…」

「そう信じるんはおまんの勝手じゃが、わしは見たとだけ言うちょく」


 山本くんのあっさりした言い方が、逆にその話の信憑性を高めている気がした。何より、そんな嘘をついても彼には何の得もないではないか。自分は好きな人の性格も見抜くことができなかった…というよりそんな人を好きになってしまうほど愚かだったのかと思ってより落ち込んだから、山本くんの次の一言に目が点になった。


「良かったやいか、あんなクズと付き合わんですんで」

「え?」


 私がびっくりしていると山本くんは苦笑いして微笑んだ。初めて見る彼の笑顔だった。


「え?やないやろ。あんなやつと付き合うたらえらいこと振り回されて利用されて、別れるんも一苦労なんが目に見えちゅう。おまんがそんな苦労せんで良かった」


 目の前が晴れるようだった。そうだ、確かに山本くんの言うとおりの人ならそんな人と付き合うのはごめんである。ポジティブに考えれば今振られて良かったのだ。


「そっか、ありがとう!ちょっと元気出たかも…」

「そうか、良かったな」


 笑顔でそう言ってくれる山本くんは、本当にいい人なのだろう。これからは積極的に話したいし、仲良くしたい。今日こうして傘を貸してくれたこともお礼をしよう。そう思っていたら、いつの間にかずんと重く心にあったしこりは無くなって、先輩のことなんて笑い飛ばせそうな気分になっていた。

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