[6]今日はお出かけ!*

 リュヴァルトはあれっと首を傾げた。予想していた反応ではない。見下ろした少年の顔はどこか強張って見えた。


「あの……あのね、ぼくが生まれたときね、お母さんの具合があまりよくなかったんだって。だからね、あの、……かけなかったって」

「……そうなんだ」


 ウィルはリュヴァルトを見上げるとぎこちなく微笑んだ。それから再び両親の肖像画に目を向ける。

 少年の神妙な顔つきと、物憂げな様子で窓の外を眺める佳人の横顔がリュヴァルトには重なって見える気がした。穢れのない澄んだ青藍色の瞳も、思わず触れたくなるようなさらさらの金色の髪も、紛れもなく母親譲りのものだとわかる。誰が見ても血の繋がりを感じずにはいられない相貌だ。




 過日の〝私の子ではない〟発言がリュヴァルトの聞き間違いだったかどうか、結局わからずじまいだった。もし本当に聞き間違いだったとしても夫人とウィルの間に温かな交流があるようにはあまり見えない。彼女の体調を鑑みれば、ともに過ごす時間を設けるのもなかなか難しいのかもしれないが……。

 何が正しくて、何が正しくないのか。考えてみたところでリュヴァルトにはよくわからない。わかりそうにもない。

 誰にだって触れられたくない過去のひとつやふたつはあるものだし、軽率に暴いていいものでもない。あまり立ち入らない方がいいのは十分わかっているつもりだ。

 それでも世話を焼きたくなるのはこの少年にどこか放っておけないと感じさせる何かがあり、それがリュヴァルトの心に細波を立てるからで――。


 リュヴァルトは頭を二、三度軽く振った。


「やめた」

「え?」


 ウィルがきょとんとした顔を向けた。脈絡のない台詞に理解が追いついていないのが見て取れる。リュヴァルトはその肩をぽんと叩き、朗らかに宣言した。


「今日はこれからお出かけ!」

「えっ……、ええ!? ちょっとまって、だって今から宿題するって」

「うーん、そう思ったんだけど……実は俺、やっと外に出てもいいよって言われてさ」


 右手にめた身分証代わりになるという指輪をウィルに見せた。少年は物珍しそうにまじまじと眺めている。


「フォルトレストの街は初めてなんだ。ウィルが一緒に行ってくれたら楽しそうだなあと思って。どう?」


 外出許可が下りたとなれば出たいと思うのは当然だ。そして新しい街を探索するのなら居住者の同伴があった方が断然心強い。――我ながら上手い言い分だと思う。


「え……でもいいのかな」


 少年はおろおろとリュヴァルトを見上げた。その姿を目にしているとますます外に連れ出してやりたくなる。宿題なんて帰ってから取りかかっても問題ないはずだ。

 リュヴァルトは少年の手を力強く握り返した。


「大丈夫、大丈夫。もしアンが怒ったら俺が誘ったって言えばいいから。ほら行こう!」


 困惑する少年の手を引き、リュヴァルトは意気揚々と駆け出した。





 * *





 神経を研ぎ澄まし、全方位に注意を向ける。

 それでいて無駄な動きは最小限に、息を潜め忍び足でできるだけ速く歩く。

 そんなリュヴァルトの緊張は僅かエントランスまでしかもたなかった。やしきの外に出るとすっかりリラックスした様子でのんびり歩き、門番にも普通に挨拶を交わしてそのまま門を出てしまった。


「どこ行こうか。ウィルはどこか行きたいところある?」


 繋いでいた手を離すと、うーんと伸びをした。

 久しぶりの自由だ。薄い雲のヴェールで覆われた空は白くふんわり輝いていた。頬をなでる春風は柔らかくて気持ちがいい。解放感を満喫しながら振り向けばそこにあったのは狐に摘まれたような顔で見上げてくる少年の姿だった。


「なに? 俺の顔に何かついてる?」


 小首を傾げるとそこでようやく目が合った。我に返った少年はあたふたと言葉を探し出した。


「だ、だってリュー、門のおじさんにほんとのこと言っちゃうんだもん。びっくりした」

「街に行くってこと? 行き先はちゃんと言っておかなくちゃ。何も言わないで外に出たらみんな心配するよ」

「それはそうだけど……止められちゃうかと思ってどきどきした」


 ほぅ、と息をつく少年にリュヴァルトは微苦笑を浮かべる。

 ふたりがアネッサから逃げていることを門番が知らなかったからこそ、堂々と行き先を告げたのだった。なにも本気で逃げたいわけではない。ウィルに気分転換をさせたいだけで、身内に心配をかけるつもりは元よりないのだ。だから隠れる必要はない。夕方には戻ることも伝えたし、後々アネッサが気づいたとしても一応の安心材料にはなるはずだ。


 九十九折つづらおりの道から市街地を眺める。半日で行って帰ってくることを考えるとあまり遠くまでは出向かない方がよさそうだ。彼方に横たわるフォルト川からどんどん視線を戻してくると白い塔が目に入った。川と、この丘とのちょうど中間のあたり。


「あの塔は、観光用ってことは中に入れるのかな?」


 指差し尋ねるとウィルは小首を傾げた。


「時の塔のこと? どうなのかな、ぼくは近くまでしか行ったことないからよくわかんないけど……」

「時の塔、っていうの?」

「うん。街の人に時を知らせる塔だって習った」

「時を知らせる、か」


 フォルトレストのシンボルでもあるというふたつの塔。滞在中に一度は行ってみたいと思っていた。ウィルも行ったことがないのならあらゆることを逐一楽しめそうだ。ちょうどいい。


「あそこに行ってみようか。ウィル、案内してくれる?」

「いいよ。でもまちがうかも……まちがったらだめだよね」

「大丈夫、大丈夫。道に迷うのも散歩の醍醐味だよ」


 ひとまず目的地は時の塔ということにし、ぶらぶらしてみようと提案する。

 リュヴァルトが手を差し出すとウィルははにかんだ笑みを見せつつその手を取った。






2章[6]今日はお出かけ!/イメージカット

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