[7]与えられた自由

 敷地内に限り自由に動いていいとの許可が出た。

 やしきの外に出ると爽やかな風が頬をなでていった。午後の陽射しが降り注ぎ、辺りはふんわりと春の陽気に包まれている。

 リュヴァルトは足の向くままに小径こみちを進んだ。前方にちょうどいい高さの木を見つけると、幹に手を添えて眺めを一望した。この邸は丘の上に建っているんだよとアネッサが言っていた通り、遥か彼方までよく見渡せた。

 眼下に広がる住居群の屋根屋根。街の中心部には白い塔のようなものがそびえ立っている。すぐそばに円形の広場があり、そこから放射状に道が伸びていた。一角から先へ続く長い屋根はアーケードだろうか。その先には視界の端から端まで悠然と横たわる川面が見えていた。おそらくあれがこの街の名前の由来にもなっているフォルト川だ。陽の光をきらきら反射している。

 くらりと目眩を覚え、顔を背けた。街とは反対側に目をやったリュヴァルトはそこに予想しなかったものを見つけて息を呑んだ。数日前にも目にしたはずの塔。あのときは暗く異様な雰囲気をまとっているように感じたが、天に向かって伸びる塔は穏やかな春の陽射しを受け、白く輝いていた。

 アネッサの言っていた天文観測塔がこれだろう。では街の中にある塔がこちらを模して作られたという観光用のものか。確かにこの街のシンボルとして挙げられるというのも頷ける。どちらもとても優美な佇まいだった。

 リュヴァルトは木の幹に背を預け、腰を下ろした。塔の姿をぼんやり眺めながら深く息を吐き出した。


 あらためてジェラルディオンとの対話を思い返す。いや、あれは命令の形を取った取引か。

 ――身の安全は保証する。代わりに異能の力と知識を出せ。

 彼の言葉は信頼に足る気がした。実際こうして自由を与えられている。それだけ自らの力に絶対的な自信があるともいえるが、とにかく身分の差を考えればかなり破格な提案だ。

 これまでも治癒の力を使ってたくさんの人の傷病を癒してきた。とはいえこういう形での力の行使は初めてだ。被験者と言ってしまうと身も蓋もないけれど。

 ――それもいいか。

 研究のためと治療のため、どちらも力を使うことに変わりない。長い旅だ、たまにはこういう依頼もいいのかもしれない。向こうに帰れば良い話の種になる。


 右手にめた指輪をぼんやり眺めていると視界の端で何かが動いた。子猫だ。灰色の毛並みに黄味がかった緑色の目をした小さな猫。まとう空気は鋭く、茂みの陰からじっとこちらを窺っている。

 リュヴァルトは小さく口笛を鳴らした。


「おいで」


 笑みを浮かべて右手を伸ばした。子猫は警戒しているらしくぴくりとも動かない。これは根比べだな。

 他にすることもなかったのでそのまま待つことにする。子猫は少しずつ近づいてきた。手が届く位置まで来ればこっちのものだ。害意がないことが伝わったのか子猫は大人しくなでられるままになった。

 気づけばリュヴァルトのそばには白い猫とブチの猫もいて、両者思い思いにくつろいでいた。


「わ、すごい。アメがなでられてる」


 子どもの声がした。身なりの良い男の子だ。滑らかな金髪に藍色の瞳をした彼はしっかりした装丁の本を抱きかかえ、興味深そうな眼差しをリュヴァルトに向けていた。


「アメ?」

「そのネコだよ。アンが雨の日に拾ってきたの。それで、アメ」


 男の子はしゃがんで遠慮がちに子猫をなでた。二、三度なでると子猫はふいとその場を離れていった。行っちゃった、と男の子が残念そうな声を出した。


「アメ、あんまりなでさせてくれないんだ。アンが言ってたけど、いじめられて人間フシンっていうのになっちゃったんだって。アンいっぱい引っかかれてたし、ぼくもさわらせてもらえるまで一ヶ月くらいかかったの。おじさんすごいね。ねぇ、どうやったの?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る