異説・武田勝頼戦記

沙羅双樹

第1話 武田勝頼の夏休み

その日、武田勝頼は館でくつろいでいた。甲府盆地の夏は暑く、若い娘・佳織里にうちわであおがせていたが、汗が次々と出てきた。


「幸村、この暑さをなんとかならんか」


座敷でかしこまっていた真田幸村に、勝頼は問いかけた。


「申し訳ございません、殿。今年の異常気象で熱中症が多発しております。なんでも来年はさらに暑くなるとか、WHOの理事長が『地球は温暖化を過ぎ沸騰の時代に入った』と言っておりました」


「お前の話はいつもつまらんな。それでは何の解決にもならんぞ」


「申し訳ございませぬ」


「そうだ、今日は諏訪湖の花火大会があるではないか」


「そうでございます。全国から人が集まり、大盛況になるとか」


「行こう!」


「はあ?」


「夕涼みに行くのだ。佳織里も一緒に行こう」


「ですが、織田・徳川連合軍が迫ってきております。何か対策を講じなければ」


「そんなことばかり考えていては良いアイデアも出ない。警備は山県昌景に任せておる。山県は正直者だからしっかりやっているはずだ」


「う~~~~ん」


「幸村、お前、こういう諺を知らぬか。『忙中閑』。忙しい中にも閑(ひま)を見つけるのが重要なのだ」


「それは忙しい人の言う諺では?」


「トップは忙しくしてはいかんのだ。兵隊は怠け者がよい。下士官は働き者、将校は勤勉で、将軍は怠け者がよい。なぜなら、将軍は大局を見て賢明な決断を下せばよいからだ」


「そういう本を読んだことがあります」


「では決まりだ。今日は諏訪湖に行くぞ」


「やった~!とのさま、大好き!」


佳織里は大喜びした。


館から勝頼は馬で諏訪湖へと向かった。続くのは同じく馬上の幸村。二頭の後ろには駕籠が続き、駕籠には佳織里が入っていた。


まさか武田の若君がこんな軽装で来るとは思わない。人々は馬に道を譲ることはあっても、地面にひれ伏す者はいなかった。


諏訪湖が近くなって、勝頼は路上に妙な人影を発見した。


勝頼は馬を止めた。


「日本の女ではないな」


「はっ、中国や東南アジアの女でもございませんな」


「うむ。外国のスパイかもしれぬ。下りて確かめよう」


勝頼と幸村は馬を下りて、木の根元でうずくまっている女のそばへ行った。佳織里も駕籠から下りて勝頼の後に続いた。


うずくまっているのは青い目の若い女だった。日本の娘とは違った服を着ていた。ひどく憔悴している様子だった。


佳織里は竹筒から水を飲ませた。


女は水を飲むと、


「メルシー、メルシー」


と言った。


佳織里はさらに握り飯を与えた。


女はよほど腹がすいていたのか、がつがつと二つあった握り飯を平らげた。


ようやく女の顔に精気が戻ってきた。


「お前は何者だ」


と、勝頼は訊いた。


「フランス人」


「なに。名前は何というのだ」


「ジャンヌ。ジャンヌ・ダルク」


「するとお前は百年戦争でイングランドと戦ったフランスの国民的英雄ジャンヌ・ダルクその人なのか」


「はい」


「それがなぜここに」


「私は戦後、異端裁判にかけられ、火あぶりの計にかけられそうになりました。私を最後まで慕ってくれる仲間たちのおかげで何とか助けられて、ここ、東洋の島国に逃げてくることができたのです」


「お前の仲間はどうした」


「長旅でみんな死んでしまいました」


ジャンヌは涙を流した。


「私は武田勝頼。お前、うちで働かぬか」


「武田家で?」


「うむ。今、実は武田家存亡の危機でね。父、信玄が他界した後、どうも武将たちの統一が取れんのだ。そのすきを狙ってこの瞬間も織田・徳川連合軍が迫ってきている。百年戦争で活躍したおまえの力を貸してはくれぬものかなあ」


「はい、喜んで!」


ジャンヌは目を輝かせた。


続く。


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