第3話:騙しの達人
ノックをして入ってみると、波梛はいつものようにベッドで横になっていた。眠っているようだったが、その顔は不安そうでありどこか苦しそうにも見えた。そんな彼女を放っておけず、そっとを手を握る。
「波梛、帰ったよ」
「ん……」
こちらの声で目が覚めたのか、波梛はゆっくりと目を開けてこちらを見た。すると安心したように微笑み、ギュッと手を握り返された。
「おかえり……」
「ただいま。大丈夫? 怖い夢見た?」
「うん……」
波梛はあたしが帰ってくるのを待っている間に眠ってしまい、夢の中で恐ろしい体験をしたのだという。その体験というのが、姉である自分が帰って来ず、永遠に独りぼっちになってしまうというものだったそうだ。
自分がタコで気絶してしまうような不甲斐ない姉であるばっかりに、大切な妹に怖い思いをさせてしまったという事実が自分の胸を締め付けた。
「良かった、夢だったんだ……」
「大丈夫。絶対、お姉ちゃん勝手に居なくなったりしないから」
「うん……うん、そうだよね……」
少しでも波梛に元気になってもらおうと、一部嘘を織り交ぜて今日の出来事を話すことにした。
この故郷に昔からある
「それでね、なんとお姉ちゃん。部活に入っちゃいました」
「部活……知ってる。それ、テレビとかで見たことある」
「でしょ? さて、それじゃあお姉ちゃんが入った部活って、何でしょうか!」
「え? えっと、えっと……何だろう……」
「ヒントは、瑚登子お姉ちゃんにも関係ある事でーす」
瑚登子は昔からよく家に遊びに来ていた。当然、波梛も彼女のことはよく知っており、もう一人の姉かのように懐いている。それもあってか人見知りの激しい瑚登子も、波梛に対してはあたしを相手にするのと同じように冗談を言ったりふざけたりする。波梛はそんな瑚登子の言動を見て、よく笑顔を見せている。
少しの間考えていた波梛だったが、結局答えは出なかったようで降参を示した。
「それじゃあ正解言うね。正解はぁ~~」
「……」
「なんとっ! お姉ちゃん、海洋研究会に入ったのでしたぁ~!」
「!」
波梛の顔がパッと明るくなる。以前した「いつか家族で海を渡って旅行する」という約束が叶えられそうだと感じたのだろう。
手を握る力が強くなる。
「ありがとう、お姉ちゃん……!」
「気にしない気にしない。お姉ちゃん約束破った事あった?」
「う、ううん。えっと、えっと……船の勉強、するの?」
「もちろんそれもするよ。でも、船旅や海には色々あるからね。そのためのお勉強もするんだよ」
波梛はこちらの言葉を聞いて目を輝かせていた。
いつもテレビかネット、本などでしか外の世界を知れない彼女は、昔からあたしの話を聞くのが好きな子だった。そんな子が自分の夢を叶えられるかもしれない内容の話を聞いたら、もっと興味を持つのは当たり前だろう。
「お、お姉ちゃん。今日、今日はどんなことお勉強したの?」
「うん?」
「きょ、今日から入ったんだよね。聞きたいな……」
しまった。よく考えてみれば、海洋研究会に入ったという事は貝殻の髪留めで証明できる。しかしそこで何を教わったのかというのは説明のしようがない。学校の勉強なら普段からしているため、いくらでもそれっぽい事を言える。だが、知らない事や恐怖の対象についての事など、意識から外しがちなため記憶が
「あっ……すぅーー……」
「お姉ちゃん?」
「あれ、だよ。ほらあれ。そうだ、あれあれ!」
どうにか記憶を
「波梛知ってた? 実はね、タコさんとイカさんって墨の種類が違うんだよ?」
「そうなの……?」
「そうだよ~。足の違いだけじゃないみたいなの」
「おお~……」
波梛は元々海への関心が強い方なのか、興味深そうに話を聞いてくれた。しかし、危機的状況を乗り越えるために絞り出した情報は、あたしをますますマズい状況へと追い込んだ。
「お姉ちゃん、どう違ったの?」
「……え?」
「タコさんとイカさん、墨、どう違ったの……!?」
「お~~……」
このままではマズい。姉としての完璧な姿が崩れてしまいかねない。波梛にとって自分は理想のお姉ちゃんであり、少なくともこの子の前ではそうでなくてはいけない。この子をがっかりさせたくない。
最低な事だとは分かっていたが、妹の楽しそうな顔を崩したくない一心で、自分は嘘をついた。
「実はね、部長さんからクイズ出されちゃったんだ」
「クイズ?」
「うん。どう違うのか、明日までに考えてきてねって」
「す、すぐには教えてもらえないんだね」
「お勉強だってそうだからね。自分で考えることも大切ってことだよ」
「そ、そっか! さすがお姉ちゃん……!」
「ま、ね?」
危ないところだった。
しかしここまで言った以上、その嘘をそのままにするわけにはいかないので、実際にどう違っているのか調べてみることにした。いずれにせよ今後は海洋研究会に入るのだから、知らないままというわけにもいかない。
「お姉ちゃん的にはね、量が違うんじゃないかと思うんだよね。体の大きさ違うしね」
「ありそうだね……。お姉ちゃん、やっぱり凄い」
「褒めても何も出ないよー? ちゃんと明日教えてもらってくるよ波梛」
「うん。わたし、待ってるね……」
「……うん。絶対、叶えてあげるから」
「ありがとう……」
「じゃあこれ、約束のお守りね」
そう言って波梛に貝殻の髪留めを手渡す。志伊良部長からお詫びにと貰った物だったが、自分が使うよりも波梛に上げた方が喜ぶはずだ。海洋研究会に本当に行っていたというアリバイの証拠でもあるが。
「い、いいの? これ」
「もちろん。貰い物なんだけど、波梛の方が似合うと思って」
「あ、ありがとう……! 毎日着けるね……!」
「ふふ。寝る時は外さないと、めっだよ?」
波梛が喜んでくれた事にホッとし、その後は夕食に呼ばれるまで二人で他愛のない会話をしながら過ごした。
その日の深夜、皆が寝静まった頃に自室のノートパソコンを起動させ、墨の違いについて調べることにした。明日直接聞くという手もあったのだが、志伊良部長が実際に本物を持ってくる可能性も否定できず、そうなった場合はまた気が遠くなるかもしれない。そう考えて自分で覚悟を決めて調べることにしたのだ。
検索ワードに「タコ イカ 墨 違い」と入力して検索し、出てくる画像を手で隠しながら良さげなページを読み進めていく。
「なる、ほど……」
そのページによると、タコの墨はサラサラしており、相手の視界を遮ったり嗅覚を痺れさせたりする効果があるらしい。そしてイカの墨は粘り気があり、固まったような形で放出されるのだという。しかもイカ墨にはアミノ酸が含まれているそうだ。
つまりタコ墨は煙幕であり、イカ墨は囮としての使い方がされるのだ。
「そういえばタコ墨パスタが無いのも、そういうこと?」
そう思って少し追加で調べてみると、タコ墨にもアミノ酸は含まれているようだった。しかしイカ墨と違い取り出しにくい位置にある上、量もイカ墨ほどは採れないため、食材としては不向きとして使われないらしい。
自分からすればタコもイカも大して変わらない姿に見えるが、墨一つとってもここまで違っているとは思わなかった。
「よし……これで明日は大丈夫かな」
あらかじめ自分で調べて予防接種したということもあり、明日もしこの話題になってもすぐ答えることが出来るだろう。そうすれば目の前で実践されるということも起こらないだろうし、自分にとってやり易いところから教えてもらえるかもしれない。
必要な情報を調べ終わったあたしは、うっかり画像を見てしまわないように注意しながらサイトを閉じ、パソコンの電源を落としてベッドへと入った。
「……やば」
ベッドに入って目を瞑ったはいいものの、自分の海洋恐怖症の強さを甘く見過ぎていた。実際に画像を見たわけでもないというのに、文字で見た情報だけで頭の中で思い浮かべてしまい、眠ろうとすると今日のタコに襲われたという記憶がフラッシュバックしてしまう。
「お、お母さんとこで寝よ……」
どうにも想像してしまい眠れなくなったあたしは、小さい頃によくしてもらっていたようにお母さん達の寝室へと向かい、そこで一緒に眠ることにした。
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