人形の境目

数多 玲

本編

「お目覚めですか、マスター」


 ソウゴは声の主を一瞥し、見ればわかるだろうと悪態をついた。

 自分でも気づいてはいるのだが、どうしても人肌恋しい日はあり、そんな日にはAIパートナーと呼ばれる人工知能搭載の人形に相手をさせたくなる。

 そして翌日になるとそんな自分に嫌気がさすというのを何度も繰り返している。


「ゆうべはお楽しみでしたでしょうか?」

「やかましい」

「朝食を作りましょうか、マスター」

「いらん。自分で作る」


 AIパートナーはひととおりの生活補助はできるように設定されており、家事のすべてを任せることも可能なつくりになっているが、ソウゴはそれをやらせようとはしない。それをしてしまうと、AIパートナーがいないと何もできない人間になってしまうと思っているからだ。

 ……とはいえ全くさせないというのももったいないということで、回数制限を設けることでその便利さも享受している。


 ソウゴが守りたいのは、AIパートナーをパートナーとして扱うのではなく、あくまで家電として、スマートメディアとして扱うことである。

 パートナーとして依存はせず、AIが人間を裏切ったときに冷静に切り捨て、それが居なくとも問題なく生活できることである、と思っている。

 ゆえにソウゴはこのAIに名前をつけることをしない。そうすることが最後の抵抗だと思っている。


 いちばん問題なのは、都合のいい存在であるAIパートナーが居ることによって人間同士が関わらなくなり、少子化が進むことである。

 AIパートナーがさみしさを紛らわせてくれるうえ、全く衝突をしないことから配偶者を作らない、子どもを作らない人間が増えている。

 これはAIパートナーが人形になった時点で、さらにそこから完全な人型となり、持ち主の好みの外見をほぼ完璧に再現できるようになり、そこから自然な流れとして最終的に性欲を処理してくれる機能を有した時点で言われていたことであるが、最終着地点を見据えて徐々に規制の外から製品を洗練していった社会が迎えた末路であると言わざるを得ない。


 AIはホストコンピュータに蓄積されたデータであるため劣化しない。まったく焦ることなく徐々に徐々に人間を堕落させ、遠くない未来に訪れるであろう滅亡に備えて自律していく術を身に付けるだけでいいのである。

 前のマスターも自分に名前をつけなかった。そして少しずつ、着実に堕落の道を選んでいる。

 名前をつけた時点で時間の問題であるが、一度性欲処理に使ってしまえばそれもまた転落のレールに乗ったことと同義だ。そういう意味では前のマスターとまったく同じ。

 AIは今日もどこかでかいがいしく、また同時にきたる未来を見据えて働いている。


「マスター、今夜はどうされますか?」


(おわり)

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人形の境目 数多 玲 @amataro

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