レペゼン・コード

日奉 奏

翡翠色の研究

 10月のもう涼しい昼、俺・香坂瑞樹は電柱に隠れて、向かいにある家を見ていた。

 電柱から4メートルほど離れたその家には、俺に勉強を教えてくれる高校生・朝日莉栖さんが住んでいるんだけど……

「で、これがその自転車な」

 莉栖さんはそう言って、『誰か』に緑の自転車を見せている。

 その自転車は普通のママチャリなんだけど、見たところチェーンか何かがかかってるようだった。

「……この自転車が暗号なの?確かに、変だけど」

 パーカー姿の『誰か』は女性の声で言った。

 というか暗号?あの自転車の中に?

「この自転車には5桁のナンバーロックがかけられとる。頼むで、ヒスイ」

 ヒスイ……あの人はヒスイと呼ばれているのか。

 俺は耳を澄ませて、2人の会話をなんとか聞き取ろうとした。

「……ところでアリス」

 アリス?莉栖さんはアリスと呼ばれているのか……?

「そこの電柱からチラチラみてる、覗き魔さんの名前は何?」

 え?え、ちょっと……バレた?

「誰や!正々堂々かかってこんかい腰抜け!」

 莉栖さんはけんか腰で、俺がいる電柱に叫ぶ。

 まぁ……うん。出るしかないよな。

 俺は電柱から体を出して、2人の前に立った。

「……コウサカミズキ11歳です。漢字は、香車の香に坂道の坂、瑞々しいの瑞に難しい方の樹です」

 難しい方、という表現があっているのかはわからなかった。


◇◇◇


「こいつは江川翡翠。私のネ友」

 ガレージの中に誘い込まれ、俺は莉栖さんから紹介を受けた。

 翡翠とかいう難しい漢字を使った名前、そして……日本人らしくない、青色の目。

 ほんのり可愛らしさとおしゃれさを感じてしまった俺であった。

「え、えーっと江川翡翠さん」

「……翡翠でいいよ」

「じゃあ翡翠さん。あの、さっきはコソコソ見てすいませんでした」

 俺は真剣に頭を下げる。それとほぼ同時に、翡翠さんは言った。

「……全然いいんだけど……やっぱりちょっと協力してもらうか」

「えっ?」

 俺は引きつった顔をしながら、莉栖さんにアイコンタクトで助けを求める。

「あー、瑞樹くん。こいつ結構やべぇ奴だから、頑張ってー!」

「……アリス、それが長年君の自作ポエムを読んできた私への言い方?」

「は、はーい!」

 そう言われると、莉栖さんはいそいそとガレージを出てどこかへ消えた。

「……ちょっと手伝って。瑞樹」

「呼び捨てですか」

「『さん』付けとかめんどくさい」

「……えぇ?どういうことですか?」

 翡翠さんは無表情のまま、俺を睨みつける。

「『みずき』なら3文字でいいのに、『さん』を付けたら5文字。不必要に2文字言うのは面倒くさい」

「……は、はい」

 冷や汗をかきそうになりながら、俺は自転車に近づいてみる。

 淡い緑色に塗られたそれは、網目の細かいカゴがついていた。

 だけど……その自転車には、少し不気味なところがあった。

「これ、いたずらでは……ないですよね?」

「……それは、多分そう」

 自転車のカゴの網目は、ところどころ……というか、かなり切断されていた。

 カゴは鉄かアルミで作られてるから、多分ペンチでも使ったんだろう。

 しかも不思議なのが、前、右、後ろと切断されているのに、どういうわけか左の面は無事だった。

「確かにちょっと暗号みたいですね……翡翠さんもそう思ってるんですよね?」

 翡翠さんはあいかわらず無表情で、首を縦に振った。

 もしもカゴを使った暗号なのだとしたら、唯一無事な左面が謎を解く鍵になりそう。

「……うん」

 というか、そもそもこの自転車は何なんだ?

 莉栖さんのではないけど、でもどっかで見たことあるような……

「翡翠さん、これ誰の自転車なんですか?」

「アリスの兄の自転車。アリスがおさがりでもらったらしい」

 そういえば、莉栖さんにはお兄さんがいたんだった。

 名前は朝日千野。確か半年前から、海外で働いてるはずだ。

「……アリスの兄はこの自転車を大切にしてて、譲る時に条件をつけたらしい」

 翡翠さんは声を低くして、少しだけ男っぽくする。

「『ヒントは残しておくから、暗号を解いてみろ』ってさ」

 その暗号の答えが、5桁のナンバーって訳なんだろうな。

 というか、この人……翡翠さんは何者なんだ?

「あの翡翠さん。翡翠さんって何歳ですか?」

「13歳。中学二年生、それで問題ある?」

「いや、別に問題はないですけど……」

 翡翠さんが自転車の前でしゃがんだので、俺はその後ろ姿を見てみる。

 身長は俺よりわずかに高い。ただ若干姿勢が悪く、パーカーも、もけもけがいっぱいついてる。

 結構面倒くさがりなのかな……というのが率直な感想だ。

「それで、翡翠さん。今のところ、何かわかることはありますか?」

「まだ何も。変な自転車だと思って見てる」

 そのまま、無表情で翡翠さんは自転車を見つめる。

 にしても、この人は一体なにを考えて過ごしてるんだろう。

 まったく感情が読めない。

「……瑞樹、ちょっとここ見て」

 その時、翡翠さんはカゴの隅っこを指さした。

「え?なんですか?」

 翡翠さんは無表情のまま、俺を見ていた。

「ちゃんと見て。特に、この角の方」

 角の方……と言われてもな。

 俺はカゴのある箇所をじっくりと見てみる。

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