一日目 皇女様たちの到着

 私には、夢がありました。

 しがない村娘として一般的な、普遍的な夢です。

 皇宮に勤めるメイドさんになりたい。願わくば、皇族の誰かと親しくなりたい。

 そんなありふれた夢でした。


 私が私の夢をこの手で壊したのは、皇立学校支部八年生の頃のことです。

 鮮やかな、一目惚れでした。


 今でも覚えています。

 美しい、記憶です。


 ***


「ねえサヨ」


 ドアの向こうから、幼馴染の声が聞こえて、私は焦ります。


「少し待って。すぐ着替えるから」


 今日は、私にとって大切な日なのです。


「そんなこと言って、もうニ十分たつよ?」


 仕様がないじゃありませんか。だって、洋服が決まらないのです。

 ずっとずっと憧れていました。

 きらびやかな調度品の数々。

 優しい皇様。

 可愛い制服。

 皇宮での生活。

 もちろん私が望むのは従業員としての生活なので、私が想像しているよりは遥かにきつい生活なのだろうとは思いますが、それでも憧れるのには十分でした。


「まあ、待つけどさ。だってサヨ、ずっと言ってるもんね。『皇宮で働きたい』、『メイドさんになりたい』って。私だって、その夢は応援しているよ」

「うん、ありがとう」


 私たちの村に、皇女様がやって来るのです。

 休暇の旅行先に、私たちの村を選んでくださったらしい、とのことでした。

 皇女様が私たちと同じくらいの年なことと、ミナが——私の幼馴染が村長の孫であることが理由で、私たちは皇女様の案内役に任命されました。

 この任務が成功すれば、私は運よく皇女様に取り立ててもらえるかもしれない。

 そんな、淡いけれど強く香る、甘い期待に身を躍らせて、私はようやく決めた服に袖を通します。


「ん? 終わった?」


 部屋のドアを開けると、床に座り込んでいたミナが携帯端末から顔を上げました。


「あー、その服にしたんだ」


 私が選んだ服は、袖の広がったブラウスにウェストのきゅっとしまったAラインの紺色のスカート。全体的に清楚な印象を与えるようにコーディネートしたつもりです。


「水……って感じね」

「うん。皇宮では、こういう服装が好まれるみたいなんだ」


 この世界にある、人の分け方。

 その血に流れる魔力の種類での分け方。

 『水』、『火』、『土』、『風』の四つ。それぞれにイメージカラーがあり、正式な場ではそのカラーに合わせたコーディネートが望まれることがあります。ミナは、それのことを言っているのでしょう。


「でも、いいの? 自分の魔術を偽るようなことして」

「それほど正式な場じゃないから」


 そう、私の本来のカラーは『火』。赤系の色を身にまとわなければいけません。そのルールを知っているからこそ、ミナも茶色系——『土』の色をした服を身に付けているのでしょう。


「ふーん。まあ、じゃあいいか。早めに行っとこ? ただでさえサヨの所為でちょっと遅れてるし、早く行かないと」

「うん。ごめん」

「なんか、そうやって素直に謝られても調子狂うんだけどなー」


***


「ようこそお越し下さいました、リンメルへ」


 止まった車の、開いたドアの前で。出てきた人々を前に、私たちは声を揃えて一礼しました。

 そして顔を上げたところで、私は——いえ。

 私の、息が止まりました。


 黒髪に眼鏡を掛けた背の低い女性がおそらくお世継ぎ様でしょう。しかし、私の目を奪ったのは彼女では御座いませんでした。

 その隣、ほぼ触れ合っているくらいに近く、皇女様の左肩後ろ。

 栗色の髪に切れ長の瞳。

 精巧に作られた彫刻のような造形。

 パテで固められたような無表情。

 小柄ながらに筋肉質な体躯。

 その全てが、私の心に電流を流しました。ばちばち、と。


「本日は、お越し下さりありがとう御座います」


 再び、ミナと頭を下げます。

 『部隊』の皆さんは、全部で十二人。村長さんには、人数を確認した後、村長さんのところに寄ってから、宿泊していただく施設にお通しするように言われています。


「全員揃っていらっしゃいますか?」


 数は確かに十二。ですから、これは形式的な確認です。


「ええ。揃っています」


 やはり彼女が皇女様でしょう。


「では、ご案内します。まず初めに、村長がご挨拶したいと」


 階段を上って、改札を通って。わかっていたことではありましたが、十二人を引き連れて歩くのは大変です。


「わぁ…」


 後ろから声がする。


「奇麗な景色ですね」


 そんな風に、うちの村からの眺望を褒め称える声もする。


「そうですねぇ。私たちにとってはもう見慣れた景色ですが」


 うちの村に一つきりの駅。

 『リンメル駅舎』と銘打たれたその建物は、山の上にあります。

 駅を出たすぐのところからは、はるか遠くの海が見えます。この村は内陸だから海はないのに、ぎらぎら光る水面が見えるのです。


「でもあの海、この村じゃないらしいですよ」

「よく知っていますね。あそこは、隣のみやこです」


 後ろを振り向いてそう言うと、金髪の女の子と眼が合いました。


「そうですよね。えへん、私、きちんと予習してきたんですよ! 旅行先の予習は最重要事項ですっ!」


 ブイ、と口に出しつつ、ニ本の指を立てたサインを、彼女はこちらに見せます。


「えへへー。ブイー」


 ミナも、サインを見せます。

 なんだか二人は似ているな、と思いました。


***


「ようこそお越し下さいました。我が村、リンメルへ」


 村長さんが、さっきの私たちのようにお辞儀をします。私とミナも、慌てて続きます。


「ありがとう御座います、村長さん」


 そんな風に、胸に手を当ててお礼を言ったのは、総白髪の少年。聞いていた話では、彼は皇子様。

 三十一年前に行方不明になって――そして、帰ってきた皇子様。

 まあそんな事情は、この皇国にとって嬉しくないことですし、良いんですけれども。


「そうしましたら、こちらの二人が宿泊所までご案内いたします」

 ほら、皆さん方にご挨拶なさい。


 そんな風に村長さんが促しました。

 ミナが、迷いなく口を開きます。


「私の名前は、ミナ・シャギールと言います。十四歳です。えーっと、他には……あ! 私、キャンディが好きです!」


 あぁ、ミナらしい挨拶です。

 ぱた、と一度瞬いて。

 私は、その人を選んで見つめました。彼は、眼をくれませんでした。

 さぁ、どうしましょうか。


「私の名前は、サヨと言います。サヨ・ウェスターです。ミナと同じ、十四歳です。私の好きな色は、青です」


 あーあ、無難なところに落ち着いちゃいました。まあ、奇抜な自己紹介も、印象に残るような一言も、何も、私には言えないってわかってるんですけど。


「なら、あたしたちも自己紹介したほうが良いのかな?」


 ね、と皇女様が彼女の仲間を見回します。


「そうですねぇ」


 赤毛の美しい人がたおやかに同意します。


「じゃあ、あたしから。十二人もいるんだから、早めにしないとね」


 皇女様が、そんな風に言って。


「あたしの名前は、エリザベスと言います。リサって呼んでくださいね。これから一週間、よろしくお願いします」


 黒髪に黒い目、腰まで届く長い髪をした皇女様はそう言いました。


「僕の名前は、セント・ルカ・フィアー。縮めてサルフィと呼ぶ人が多いです。稀に、ルカ、フィーとか、ね」


 そんな風に首を傾げたのは皇子様で。

 次に口を開いたのが、あの人でした。


「俺はユーリ・クライツと言います」


 口に慣れなさそうな敬語を口にして、目を伏せてみせた彼に、私は完璧に心を奪われました。



 それから後の人々の話は、よく覚えていません。

 わたしにとって大切なことでもありません。

 ぼんやり名前を憶えているかいないかくらいです。


***


 彼らを宿舎に案内してから、ミナと私は家に戻りました。わたしたちの家は隣同士なので、家の前でいつもお喋りをします。今日もそんな風にいろいろなお喋りをして、段々話の流れがお別れに近づいていきました。

 皇女様たちについていろいろな話をして、


「明日は市場に行くんだよね」

「ええ。九時くらいに宿舎に行けばいいよね」


 そんな打ち合わせをして、別れます。

 明日からが楽しみです。


***


 夜になって。

 私は不思議な夢を見ました。


「恋焦がれることは炎に等しい。嫉妬は炎を呼び、炎は幸福を焼き消す。それでも心は炎を呼び、少女は炎を心に燃やす」


 そんなことを、誰かが延々と言い続けるのです。相手は誰かもわからず、声に心当たりもなく、何だか気持ちの悪い夢でした。

 それゆえに、忘れられない夢でした。


 嫉妬の炎という言葉があるように、恋心は炎にも似ています。


 私がこの身に宿す炎と、今日心に帯びた恋心。その二つの厄介な関係を示唆しているようで、何やら不安な心を煽ります。


 まあ勘ぐっても詮の無いことです。


 早々と床を上げて、準備をすることにしましょう。また昨日のように時間がかかってしまうのかもしれないのですから。

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