二日目 市場編

 家の前でミナと待ち合わせをして、昨日の宿舎へ足を運びます。


「こんにちは」


 挨拶をして中に入ると、ロビーのような、応接間のようなところのソファに座っている人が数人いました。


「おはよーっ」


 元気に挨拶をしてくれたこの人は、カリトさん、なんて言いましたか。皇都に古くから続く名家である「サラタール」をその名に冠していたのを覚えています。

 ふと、あの人はいないのかと見回します。付近に影は見えません。少し残念な気持ちになりました。


「今日はどちらに行くのでしたっけ?」


 金髪のマッシュショートを振り乱し輝かせて、活発そうな少女――クリスさんが私に問いかけます。


「今日は、この地域で最大の市場を見学に行きます。人が多いので気をつけていただけると」


 そんな忠告を言ったところで、ここに皆がいるわけではないから意味はないのだが。


「了解です」


 大して様にもなっていない敬礼をして見せたクリスさんが悪戯っぽくはにかむと、ミナが同調して敬礼をして見せます。全く、子供らしくて良いこと。……馬鹿にしては居ませんよ?


「見たところ、こちらには半分程度しかいらっしゃらないようですが。残りは」


 ああ、私もまだ練習が足りません。敬語がなっていないです。


「残りは、それぞれの部屋にいると思うよ。さっき色々あってね」


 カリトさんが私に応えてくれます。私が言葉を交わしたいのはあなたではないのですが。


「解りました。出発時間が迫りましたら声をかけていただくようお願いします。私はこの別荘内を見ていても良いですか」


 了解だよ、と両手で大きな丸を作って見せたカリトさんに軽く頭を下げて、ソファとは反対側の大きな窓に顔を映します。

 さっきも失敗をしてしまいました。ここは彼らにとって別荘ですらないというのに。

 ああ、浮ついているのでしょうか。そんな自分にやや嫌悪を憶えると同時に、少しだけ懐かしくもあります。こんな心持になるのは何時いつ振りでしょうか。


***


 市場はいつも通りに賑わっていました。入り口で挨拶をしてくれた馴染みのおじさんに頭を下げます。


「こりゃすごいね。まるで産物の博覧会だ」


 そんな風にお洒落に言って見せたのは……誰でしたっけ、記憶力の良いところを示したかったのですが、ユーリさんしか見ていなかった昨日の私はどうやら頼りにならないようです。


「タクトさん、だよ。どうしたの、サヨらしくないね」

「うん、ちょっと」


 こっそりと隣のミナに訊いてみると、こちらはちゃんと聞いていたようです、しっかり答えてくれました。成程、こちらの灰色髪の方はタクトさん。わかりました、今からでもきちんと覚えるとしましょう。何やら不思議な方ですね、それにしても。手に何か不思議な機器を持っています。大人たちの持っている携帯端末とはやや形の違う——


「それは何ですか? どうやらスマートフォンではないようですが」


 思い切って聞いてみましょう、こういう時は素直さが大事です。良くやりました、私!


「ん? 内緒っ☆」


 おっと。随分アイドルじみた笑顔です。昨日一目惚れをすませていなければうっかり堕ちて仕舞うところでした。危ない危ない、しかし私は彼が好きなのです。


「下手に触るとやけどするからね。手は出さないで」


 言葉は冗談っぽいですが、手を出すなと言うのは本気のようです。何やら大事なものなのでしょうか。まだまだ気になるところではありますが、目的の場所までついたので、それは遠慮しておきましょう。


「あの、こちら——」


 ご挨拶をしておきなさい、と村長さんに命じられた方。市場の元締めであるモーリスさんです。私が今まで出会った中で一番お髭の似合う、恰幅のいいおじさんです。幼い頃は彼に遊んでもらったことも良くありました。


「おや、ミナちゃんとサヨちゃん。どうしたんだい」

「皇府から皇女様が来たんです」


 軽く口頭で事情を説明すると、モーリスさんは、最近かけ始めた老眼鏡を持ち上げて言いました。


「誰がだい?」


 ……確かにそうでした。十二人です、わかるわけが——って、


「え? タクトさんだけですか?」


 先ほど言葉を交わした人、一人だけ。確かに別荘を出た時には十二人いたはずなのですが、人影は見当たりません。


「んー? ほんとだ、いないね」


 当のタクトさんも、のんびりした口調で手元の端末を操っているだけです。全く頼りになりません。


「ごめんなさい、おじさん! ちょっと、探してきます!」


 モーリスさんに断って、私たちは踵を勢い良く返します。


「行ってらっしゃーい」


 ほんわか手を振って、モーリスさんとお話を始めたらしいタクトさんを一瞬だけ見て、ミナと奔ります。


「ね、サヨ? こんな時に言うことじゃないんだけどさ」

「何?」

「タクトさんってさ、絶対もてるよね」

「万人受けってレベルじゃアなさそうね。学校のアイドルって感じ」


 本当に、今言うことではありませんでした。そんなところがミナらしくもあります。


「何で居なくなっちゃうの」

「ほんとほんと。どうする?」

「来た道を戻ろ、きっと居るから」


 親しい人と話すときは敬語が取れる、典型的なコミュニケーション弱者の私でした。もっと誰とでも仲良く話せるようになれば良いんですけれど。


***


 道の両脇に並んだ屋台。それぞれの屋台から香る煙とおいしさの匂い。そんなものが思考を邪魔して、良く情報が頭に入ってきません。この市場は幼い頃から何度も訪れていて、いうなれば私たちの庭と同じような存在のはずなのですが、やはり焦りは大敵のようです。


「あ! アレ!」


 と、ミナが大声を上げました。いつも大道芸人がショーをやっている、少し開けた場所を指さします。


「ピエロ!」


 そんなのがいるのはいつものことでしょ、と言いかけて眼を見開きました。


「カルさんだ、アレ」


 皇都ベリーズストームの上流貴族、その中でも名家中の名家。サラタール家のご子息は、どうやらジャグリングが得意なようでした。


「あ、ミナさん!」


 いつの間に仲良くなったのでしょう、クリスさんがミナに手を振りながら近寄ってきます。クリスさんは、揺れる金色のショートヘアが奇麗な可愛い女の子でした。今朝も言葉を交わしましたね。


「クリスさん、あれはどういう事なんですか」


 やや詰問のような口調になってしまったことを後悔しつつ返答を待ちます。


「あ、タメ口で良いですよ。同い年です。 ——何か、先輩が急にピエロさんのショーに乱入してしまいまして……興が乗って来たみたいで、楽しくなっちゃったというか」


 タメ口で良いと言われても、なかなか直せる性格ではありません。


 先輩というのは、カルさんのことを示すのでしょうか。とても『興が乗った』という言葉くらいで表せるほどではないと思います。ジャグリングだけじゃなくって、ジャグリングをしながらとんぼ返りとか球の間をくぐったりとかしていますよ?


「奇術師なんですか? カルさん」


 我ながら馬鹿げているな、という質問をしてしまいました。奇術師が皇女様のお友達なわけないじゃないですか。この行幸は皇女様のご旅行なんです、気を許せるお友達と行く旅行に奇術師を連れて行きはしませんよ、


「奇術師ではないですよ、先輩は。あれは多分ご趣味です」

「それはまた、変わったご趣味ですね」


 月並みな感想を口に出して、どうすればいいか考えます。カルさんと同じように、今度は彼自身のショーに乱入する、というのが一番妥当なように思いますが、しかしそれではやや無粋な感を拭えません。どうすればいいでしょうか……。


「私の方からも、先輩にやめてもらえるように働きかけてみます。見たところ、あれでしょう。私たちがばらばらになったから探しに来た、違いますか?」


 合っている、とミナが応えます。


「ですよね。そしたら、カル先輩の他は、ここより手前にいると思います。だから、皆さんかき集めたら、ここに戻ってきて戴けると助かります。それまでには何とかしますから」


 クリスさんとカルさんは仲が良いようです。一方的にクリスさんがカルさんを宥めている、という関係性とも読み取れますが。しかし、彼女が任せてほしい、というならそうしましょう。私たちがカルさんのことをクリスさんよりも良く知っている、なんてことは万に一つもあり得ません。


「ありがとうございます、そうしたら行ってきますね」


 御礼を言って、ミナと市場の人の波に紛れ込みます。前が見えないというほどにはならないと思いますが、時間帯からしてこれから混んでいきます。早めに探さないと。


***


「あら? 探しに来てくださったようですよ」


 五分もしないうちに、私たちは一人の女性に出会いました。


 紫のボブカットの髪の毛が艶つやと光り、鮮やかな色の口紅に魅了されそうです。名前は——


「リオン、どなたです……ああ、サヨさん」


 と、後ろから顔を出した女性がいます。

 真っ赤なロングヘア、若草の色の瞳。眼の中に若葉を住まわせたような爽やかさを湛えた視線に釘づけにされ、目が離せません。——美しすぎるほど、美しい。そう言うのが相応しい方でした。ところで、名前は何でしょう。


「迎えに来てくださったんですね」

「はい」


 ありがとうございます、と赤毛の方が笑いました。


「姉さん、コリンはどこです?」


 おや、リオンさんと赤毛の方は姉妹なのですか。言われれば目が同じ色な気もします。しかし、姉の髪が赤色で、妹の髪が紫とは、どういったわけなのでしょう。


「さっきのお店に居ましたよ。何やら手袋を物色していました」


 手袋? 冬でもないのにですか? それを売っているお店があるというのも驚きですが、買う人が居るという事の方が驚きです。


「戻りました——あれ?」


 戻った、と私たちに声を掛けたのは、見覚えのある金色の髪の男性でした。一度顔を合わせているので見覚えがあるのは当たり前なのですが、そうではなくですね。髪の色が同じなのです、クリスさんと。


「ああ、そう言えば妹からさっき、連絡が有りました。『サヨさんたちが迎えに来てくださっています』と」

「あら、クリスから聞いていたんですね」


 ああ、コリンさんと言うのですね、この人は。それでもってクリスさんのお兄さん……へえ。


「ミレーユにも多分来ていると思います」


 コリンさんがそう言ったことで、赤毛の女性がミレーユという名前だとわかりました。如何いかにも『美しい』という印象の名前です。彼女に似合い過ぎるほどふさわしい、お名前です。


「すみません、勝手に離れてしまって」


 三人を代表して、と言った具合にリオンさんが謝罪してくださいました。


「いえ、無事に出会えてよかったです。この先でクリスさんとカルさんをお見掛けしまして」

「あちらの空地にいる、とクリスから聞きましたが」

「はい。もし良ければ、そこに先に行っていただけると」


 言いながら自分に苛ついてきてしまいました。もっとスマートに敬語を使える、大人になりたくって仕方が在りません。


「わかりました!」


 元気に言って下さったリオンさんに会釈をして、ミナと先を急ぎます。


***


「いえ、あの、お金はありませんし」

「そう言わずに、お嬢ちゃん」


 誰か困っているようです。押し売りをする人なんて市場にはいないと思いますが、と辺りを見回すと——自分の体と同じくらいの刀を大事そうに抱えた少女が眉根を寄せていました。


「サヨさん」


 私と目が合うと、彼女が私を呼びました。確か、アンリさんと仰ったはず——白の混じった薄水色の髪が赤い帽子からこぼれて目に涼しいです。


「あ、サヨ、あっちにも」


 ミナが指さす方向を見ると、背の高い男の人が困惑した様子をうかべていました。その顔は、確かに昨日見たことがあります。というか、結構なイケメンでした。


「お兄ちゃん、いい体してるねえ」


 どうやら、若い男の人が好きなおばさんたちに好き勝手言われているようです。これはピンチですね。何ならアンリさんよりもピンチです——と。


 私たちが救けに入ろう、と足を踏み出すよりも先に、黒い色が通り抜けました。


 鴉が飛んだ、と言ってもおかしくない色合いでしたが、それは確かに人でした。黒髪に涼やかな瞳を持つ、女の人でした。見たことがあるはずなのに、なぜだか思い出せない、そんな人です。


「おじさま。困っています」


 アンリさんと話していた男性を、そのたった一言で退けます。刀を抱き締めたアンリさんは、ぺこりと女性に頭を下げました。


「ありがとうございます、キリコ」

「大したことじゃアないわ」


 どうやら、鴉色の女の人はキリコさんというようです。唇の端に微かな笑みを浮かべた彼女は、続いて男の人の方に向かいます。


「ショウ。何を馬鹿やっているの、行くわよ」


 今度はやや乱暴に、男の人の左手を引っ張ります。


「あら、お嬢ちゃんも奇麗ね」


 そんな風に、キリコさんのことも取り込もうとしたおばさま方を、


「急ぐので、良いですか?」


 さらりと躱して、私たちの方へ歩いてきます。


「勝手に別れて仕舞ってすみません」


 謝り方も堂に入っていて、何とも返答しがたいです。


「いえ……助かりました」


 おじさんはともかく、ああなったおばさま方を相手取るのは私たちにも難しいです。非常に助かりました。


「あっちの空地へ行きましょう。さっき連絡が入っていたわ——それを伝えに来てくれたのよね。ありがとう」


 とんとん拍子、という言葉が間に合わないくらいするすると話が進みます。言葉を挟む暇もなく、三人はすたすたと歩いて行ってしまいました。


「なんか……うん」


 ミナが一人でうなずきます。


「うん」


 私もそれに続きます。


「かっこいい……」


 ですよね。私が敬語を使うことで大人らしさを演出しようとしているのとは全く違って、演出するまでもない恰好の良さが溢れ出ています。


「あんな風になれたらな」


 ええ。同感です。


***


「あと、三人?」

「うん。十二人って多いね」


 そう、後三人です。皇子様と、皇女様。それから——私が恋に落ちた、あの方。


「あ、ミナさん」


 一目惚れの甘さを思い出して一人で楽しくなっていると、前から声を掛けられました。いえ、正確には声を掛けられたのは私ではなくミナでしたが。


「サルフィさん!」


 ミナがそう声を上げたのは、丁度探していた皇子様でした。目の覚めるような白髪に、透き通った碧色の瞳が映えています。


「探しに来てくださったんですね。僕も今から空地へ向かうところでした」


 今更のようですが、クリスさんの連絡は非常に役に立ちますね。感謝を尽くしても足りません。後できちんとお礼を言おうと思います。


「それじゃあね」


 これまたスムーズに別れて、とうとう最後です。


「二人はきっと一緒に居るよね」

「そうね。護衛、でしょ」


***


「あ、サヨちゃん!」


 元気に声を掛けられたので、あなたは立場をわかっているのですか、と言いたくなりました。あなたたちが居なくなって、私たちがどれだけ困ったのかわかっているのですか、とも言いたくなりました。


 これだから皇女様とかっていうのは困るんです。自分が好き勝手に動いても許されると思っていて、それを是正しようともしない。はー……。


「ごめんね、見失っちゃって!」


 元気よく謝られたところで許しませんよ。


「いえ、大丈夫です。皆さんには先に集まっていただいているので、そちらへ向かいましょう」


 まだまだむかむかは収まりませんが、ぐっと堪えてお二人を案内しましょう。いいですか、男の人の心を射止めるには大人っぽさが大切なのです。


***


「サヨさん。お疲れ様です」


 二人を連れてさっきの空き地に戻ると、人はもう全然いなくなっていました。カルさんがつまらなさそうに足元の土をいじっています。


「いえいえ。それじゃあ、モーリスさんのところに行きましょう。タクトさんを随分一人にしちゃいました」


 ミナがそう全員に声を掛けると、十一人が一気に振り向きました。


「わっかりましたよ、っと」


 そんな風にカルさんが返事をして見せて。


「了解です」


 そう答えたコリンさんに続いて、リオンさんとミレーユさんが頷いた。


「付いていくわ」


 涼やかな声色でキリコさんが答えると、アンリさんとショウさんが続きました。

 うふふ、とサルフィさんが笑って見せます。クリスさんが敬礼をして——


 皇女様とユーリさんは、返事をしませんでした。


***


「ああ、サヨさん。お帰りなさい」


 モーリスさんのところに戻ってみると、タクトさんはさっきと同じ姿勢でモーリスさんとお話していました。少なくとも、気まずくはなっていなかったようです。


「サヨちゃん、おつかれさん。楽しかったぜ、坊や」


 えへへ、とタクトさんが笑います。どうやら楽しくお話していてくださったようです。


「それで、二人とも。改めて、どの子が皇女様なんだい?」


 モーリスさんがそう尋ねます。


「えっと……リサさん!」


 ミナが皇女様を呼ぶと、一団の後ろの方に居た彼女が手を振りました。


「はーい?」


 ただでさえ音の多い市場です。声を張らないと良く聞こえません。


「挨拶、お願いしてもいいですかぁー?」


 ミナがそう叫んだのが、伝言ゲームのように後ろへと繋がっていきます。どうやら正確に伝わったみたいで、皇女様が人ごみを掻き分けて前へ歩いてきました。


「こんにちはぁ」


 もちろん隣に彼を連れています。


「こんにちは、お嬢ちゃん」

「モーリスさん、でしたよね」

「そうだよ」

「エリザベスです。リサって呼んでください」

「皇女様、市場は初めてかい?」

「はい。あたし、一年前までは地球に居たので」

「おやおやそうかい。……後ろの皆さんも、いいかい?」


 ぽんぽん、とスムーズに会話が繋がっていきます。初対面の人とそれだけ快闊に会話できるのは羨ましいなあ、と思いながら見ていました。


「是非食べてほしいものがあるんだよ。ミナちゃんたちも、おいで」


 あら。ご相伴にあずかれるみたいです。


***


「わー美味しい!」


 皇女様がそんな風に声を上げました。可愛らしい声です、何となく悔しいことに。


「確かにな」


 そして、ユーリさんが静かに同意します。良い声です。


 私たちは、モーリスさんの経営する旅館の一階——レストラン部分にやってきていました。リンメル名物でもある、果実をふんだんに使った餡の入ったお餅をご相伴になっているところでした。


「来たって言うんなら、一回くらい食べてもらわないとな」


 長いテーブルにみんなで座って、揃ってお餅を口に運ぶ様子を、モーリスさんが楽しそうに見ています。


「確か、リンメルには立派な果樹園があるんでしたよね」


 リオンさんが首を傾げて言いました。


「あーっ! 私、それ学校で習いました!」


 クリスさんが口の端に餡を付けたまま叫びます。横に座って居たカルさんが、それを黙って拭っていました。


「良く知ってるね、お嬢ちゃん」


 モーリスさんが面白そうに言いました。この人は、つくづく子供とお話しするのが好きみたいです。


「連れて行ってあげようか?」


 え? 予定にはないんですけれど。


「気にしない、気にしない。よーし、マルク」


 はいはぁい、と声がして、私たちと同年代の男の子が出てきました。……というか、同学年の同クラスでした。


「あれ、ミナにサヨ? どしたん……ってあれか、皇女様たちのご案内か」

「そうだよー、っていうか、ほら」


 緊張感のないマルクに、皇女様たちをミナが示します。


「うぇ!?」


 マルクがオーバーな仕草で驚きます。


「こんにちはぁ」


 皇女様がにっこり微笑んで挨拶しました。ぺこりとしたその仕草で眼鏡がずれたようで、慌てて直しています。全く、落ち着きのない方ですね。


「おい、果樹園に行くぞ」


 マルクはモーリスさんの孫なのです。休みの日は良くここに入り浸っているという事で、呼びつけられたのでしょう。


「うわ、俺が案内すんのかよ」

「誰が一番果樹園のことを知ってる?」

「そりゃじいちゃん……いや、違うか。俺かなぁ」

「そうだろ?」


 学校では威張っていても、おじいさんと相対するとマルクも形無しです。


「ていうか、じいちゃん。今、果樹園にはレオナがいるみてぇだけど」

「あのじゃじゃ馬か……別に構わないだろう」


 う。レオナ、と聞いて私は少し嫌な気がしました。少し苦手なのです。


「それじゃあ行きましょう、皇女様」


 食べ終わったらしい皇女様たちを、モーリスさんが促します。


「わかりました」


 黒髪を揺らして皇女様が頷きました。正直行きたくないのですが、ここで私が役目を放棄するわけにはいきません。


「おい、サヨ、ミナ。何してんだ、行くぞ」


 マルクは皇女様たちと話してくれればいいのです。わざわざ私を呼ばないでください。


***


 ああ、やっぱり。

 果樹園には予想通り、レオナの姿がありました。


 私たちと同い年、これまた同じクラスの少女です。いわゆる『ボス』という立ち位置で、私みたいに品行方正で大人しくって可愛らしい女の子には手が出せないんですよ。


「何しに来たのよ」


 ほら、高飛車に言ってきます。


「あれ、それが噂の皇女様? ふーん。別に大したことないわねぇ」


 マルクと話していた皇女様をじろりと睨んで、髪の毛を右手で払って見せます。自分が世界で一番奇麗だとでも思っているのでしょうか。確かに村でもまれにみるピンク色の髪は素敵ですが、目つきが悪すぎます。それでしたら、アンリさんの水色の髪と瞳の方がずっと奇麗です。


 皇女様は……知りません。


「何しに来たのよ」

「果樹園の見学です」


 私もこの娘は苦手ですが、ミナはもっと苦手にしています。願わくは話したくないのですが、仕方ありません。


「へえ……ちょっと挨拶してくるわ」


 やめて下さい、と言いたかったのですが、従うのが慣性になっているようです、声が出ませんでした。付いていくことしかできません。


「どうも、皇女様」


 不敬です、その言い方は。


 はあ、羨ましいですね、クリスさんたちが。モーリスさんと一緒に果実をいだりしていて楽しそうです。それに引き換え私たちは……。いえ、考えても仕方ないことですね。


「こんにちは」


 皇女様の礼儀正しさは尊敬します。ただ、レオナに対しては通用しない、とだけ言っておきましょう。


「私、レオナ。あなたは?」

「リサです」


 あれ。エリザベス、と言いませんでした。大して意味は無いのでしょうか。


 それにしても、レオナの声を聞くだけで気が滅入ります。仕方がないので皇女様の隣のユーリさんでも眺めて居ましょう。顔が奇麗なので癒されます。あは、これだけじろじろ見ていてもこっちを見てくれないのは、少しだけ苛ッとしますけれど。


 と、レオナが皇女様に近づき——


「あのね。×××」


 レオナは皇女様の耳に何かを囁いたようでした。聞いて楽しい訳でもないですし、何を言ったのかはわかりませんでしたが。


「おい」


 ユーリさんが静かに声を掛けます。ほんの少しだけ怒っている様子なので、恐らくレオナが何か気に障ることを言ったのでしょう。馬鹿ですね、本当に。権力ごうまんさ賢力かしこさは共存しないというわけですか。


「それじゃあね」


 するり、とレオナは歩いていきます。果樹園を出て行ってくれるようなのでほっとしました。


「ミナさんたちと同じ学校ですか?」


 皇女様たちが訊いてきました。


「そうです」

「じゃあ、今度お邪魔することになりますね」


 そうでした、予定にはそんな項目もありましたね。リンメルが辺境の村で、夏でも授業をやる学校で無ければそんなことは起こり得なかったのに、遺憾で仕方がありません。……遺憾ってこれで合っているんですかね?


「騒ぎを起こさないように気を付けないと……」


 皇女様がぼそりと呟きます。今度は聞き逃しませんでしたが、願わくば聞き逃したかったくらいです。騒ぎが起こるかもしれないなんて、考えたくもありません。


 済んだ青のはずの空が、どことなく曇って見えるのは気のせいでしょうか。これが所謂いわゆる、心象風景ですね、きっと。


 ため息にはリラックス効果があるそうなので息を吐いて、再びユーリさんの顔を見ていると……


「ミナさーん! 見て下さーい、たくさん取れましたー」


 そんな風にクリスさんが駆け寄ってきました。籠に入れた果実が落っこちてしまいそうで少し危なっかしいです。


「あら本当ですね」

「折角だし、リサ皇女様とミナたちもやって行けよ」


 マルクが偉そうに指図します。指図してくるのは気に入りませんが、果樹摘みは大好きですからやることにしましょう。


「よーし! じゃあ、ペアで対戦しますよ!」

「え⁉」


 クリスさんが突然そんなことを言いだしたので、私たちはペアを組んで対戦することになりました。当然、私とミナがペアですね。少しだけ、彼と組んでみたくもありました。絶対に無理ですけれど。だって、彼は皇女様と組みましたから。

 全てのペアをここで説明はしませんが、マルク以外の全員がきっちりペアになった、とだけ言っておきましょう。マルクは『俺はやらないからいいんだ』なんて言っていましたが、寂しかったに違いありません。


***


「美味しいですね、これ」


 クリスさんが摘んだ実を口に放り込みます。落としそうになって少しアクロバティックをしていました。


「そうですね。 新鮮で美味しいです!」


 リオンさんが同意します。確かに、モーリスさんのところの果実はとても美味しいです。ここから皇都などに運ばれている、と考えると何だか楽しいですね。


「もう今日は帰るのかい?」


 果樹園を出たところで、モーリスさんがそう訊きました。果樹摘みに時間を使い過ぎたのか、日暮れが近づいています。


「そうですね、まあまあ遅くなりましたし」

「ご飯はあれかい、村長が用意してるんだろ」

「お母さんたちが作ってるよー」


 ミナが答えます。良いですね、ミナのお母さんの料理。うちの母ほどではありませんが美味しいです。


「うんうん」


 何故だかモーリスさんが満足げに頷きました。


「それじゃあ、帰りなよ。暗い道は危ないから通るんじゃねえぞ。マルク、送ってくか?」

「良いだろ、別に。皇女様たちはともかく、サヨたちは知ってる道だ」


 その通りです。侮ってもらっては困りますね。


「大丈夫ですよ、モーリスさん」

「そうか。じゃあな、ミナちゃんたち」


 手を振るモーリスさんと別れて、人の少なくなった市場を急ぎます。あまり遅くなってしまうと、村長に怒られてしまうので頑張らないとですね。


***


「ミナ。遅かったね」

「ごめーん、おじいちゃん。今日何かあった?」

「県知事の貴族様がいらっしゃる予定でな。まだ到着なさっていないようだが」


 それはまたまた……。媚びでも売る気でしょうか、皇女様は買わなそうですけれど。


「そういうわけだから。ミナとサヨは先に家に帰りなさい」


 子供は帰っていろ、というわけですか。これだから大人ってやつは。


「わかったー! じゃあね、皇女様たち」


 ミナはいつも素直で良いですね。私なんかはひねくれちゃって駄目ですよ。納得はしましたが何となく気に入らないので、会釈だけしてその場を立ち去ります。


「大人ってやだねー。偉い人が来るってなるとすぐ私たちをのけ者にしてさー」

「本当よねぇ」


 思わず声を合わせて笑いました。何だ、ミナも同じことを考えていたんですね。


「それじゃねー」


 ミナの家に着いたので手を振って別れます。それから、隣の家——自分の家に入ってドアを閉めました。


「ただいま、お母さん」

「お帰り」


 楽しかった?


 ——うん、とっても。


 今日は、不思議な夢を……見たんでしたっけ? 見なかったんでしたっけ? 忘れてしまいましたが、どうでもいいことでしょう。


 私は何だか、楽しくって仕方がないんですから。

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