一話完結短編集
花霞千夜
「繋ぐ者たち」
「あ、あああの!た、助けてくださ〜い!」
突然、バンっ、とドアが開く。
「は、はい?」
とある日、事務所にて誰かが自分に助けを求めに来た。急に扉が開くものだから、びっくりしたではないか。一体何事かと思いながら見上げると、白いブラウスに膝丈の黒いタイトスカートを着た女性が立っていた。走って来たのだろうか、お団子にした髪が少し乱れている。
「一体何事ですか?助けるとは?」
別に、俺は誰かを助けるために事務所を設立したのではない。助ける対象が人ではないのだ。まぁ、話を聞くとしようか。
「そこの椅子に腰掛けてでも、、、」
「そんな時間はないんです〜!!」
「うわ、何も教えてくれないんですね。急に来てうるさ、なにこの人。助けないからな。時間なんてめっちゃありそ〜。そもそも、俺が助けるのは人じゃないんだけど」
叫ぶばかりで何も教えてくれないお客に、小言を言ってみる。どうせ聞こえないだろう。ところが。
「何かおっしゃいました?」
「いや?」
「私、耳だけは良いの」
「ほぉ〜。耳“だけ”か。頭悪そうだもんな」
「なっ、何ですって〜!?」
思わず俺は耳を押さえた。
(やっぱうるさいわこの人)
一旦落ち着いて黙ってもらいたい。まぁ、俺が悪いことを言ったのは認める。だが、それを買う方も買う方だ。
「で?」
「で?ってひどくないです?」
(めんどくさいな)
だんだんとやる気がしなくなってきて、終いには適当に返事をするようになる。そんなんだからこそ、俺は周りから嫌われているのだが。
(嫌われても別に構わないんだけど)
ただ、この場所に居られればいい。そう思いながら、毎日を過ごしているのだが、この女性も女性で嫌われていそうである。いや、これはただの偏見か。やめよう。
「まぁまぁ座ってください」
「、、、失礼します」
やっとのことで、俺は彼女を椅子に座らせることができた。
「で、なんです?」
俺は万年筆を手に、彼女の話を聞くことにした。
「あの、毎日誰かの声が聞こえるんです。多分、聞く限り男女の声。それが、誰なのか分からなくて、なんで聞こえるのかも分からなくて。怖くて仕方がなくてっ」
「へぇ〜」
「へぇ〜ってひどい!他人事だと思って!」
「だって他人事ですもん」
「〜ひどい!」
(静かにしてくださいな)
こう見えても俺は静かな方が好きなのだ。
「どうせ、隣の家の人の声とかではありません?たまにあるんですよ、そういうの」
ほんと人騒がせだよね〜と彼女に同意を求める。うん。同意はなかった。普通に睨まれた。
「俺はほんとに重要のあることしか動きたくないんですけど、、、」
そうぼそっと呟く。
「それがですよ!隣の家は空き家なんです!」
さっきのは聞かれなかったようだ。安心安心。
「その空き家に幽霊でも居るんじゃありません?で、あなたの家でうろうろしていると」
「ぎゃー!言わないでそれは!それこそ怖いぃ〜!!」
(もうほんとにうるさい。誰かこの人連れてって)
相変わらずの彼女に、そろそろ飽き飽きしてくる。
「では、細かく教えてくださいって」
なんかここまで来ると面倒になってくるのは、彼女に内緒だ。
「私の家に、ある二人の肖像画があるんです。とても優しそうなお顔をされているのですが、なぜか最近になってからよく聞こえてくるんです。その肖像画の近くから男女の声が。しかも会話をしているようで、あ、途切れ途切れなんですけどね。さっき怖いって言いましたけど、実際には怖いというよりかは、知りたいんです。男女の声は誰のものなのか、なぜその二人の会話が聞こえるのか、肖像画に込められた想いはなんなのか」
叫んでばかりの先程とはまるで違うような、真面目な顔で彼女は話してくれた。
「なんで俺に相談するんです?」
「いやだって、あなたは、思い入れのある物に宿った声が“聞こえる”んでしょう?」
「、、、」
「ね、助けてよ。そのためにこの事務所はあるんでしょ?」
彼女の言う通り、俺には不思議な力がある。それは、昔からある物に宿った声が聞こえることだ。分かりやすく言うとするならばこうだろうか。その家に昔から伝わる物、例えば刀などに手を触れれば、その刀を使っていた者の声が聞こえたり、情景が頭に思い浮かんでくることだとか。この力は俺の家に代々引き継がれているもので、現在この力があるのは俺しかいない。それに、この力がある者は、必ずこの力を使わなければならないという掟がある。だからこそ、実力を発揮するために、こうして事務所を設立したのだが、、、。
(もっとまともなお客が来ないだろうか)
そう。こんな女性が相談に来るから、困ってしまい、素直に引き受けられないのだ。
「まぁ、そういうことなら俺の出番ですかね」
「ね、そうでしょう?」
やってやったわ!みたいなドヤ顔をする彼女。それを、俺は遠い目をして見る。
「いや、あなたが依頼したんですよ。何をそんな偉そうに」
「ん?なんか言いました?」
「いや?」
多分、この関係は一生治らないだろう。そう直感した。
それから数日後。俺は彼女の家に訪れた。案内された彼女の家は、とても大きくて、ザ・お屋敷、という感じだった。人の賑やかな声が聞こえない。どうやら、この大きな家で一人暮らしをしているようだった。
「この家は、私の祖父母の家なんです。祖父母が大事にしていたこの家を、私は継ぎたかったから、今ここに住んでるの」
「あなたの祖父母は今、、、?」
「もういないわ。だから、私が代わりにこの家を守ろうと決めたの。私はおばあちゃんおじいちゃんが大好きだから」
この時ばかり、彼女のことを良いな、と思ってしまった。いや、決して変な意味ではない。ただの感心だ。それと、彼女がずっと叫んでいるだけの変人ではないことは分かった。
「で、例の肖像画はどれなんです?」
お邪魔します、と声をかけながら、彼女の後についていく。
「これです」
彼女が部屋の上の方に手を伸ばす。それを目で追った先に、例の男女が描かれた一つの肖像画があった。古くから伝わっているのか、紙が少し茶色を帯びており、いかにも古びていた。けれど、しっかり手入れされているように感じる。きっと、この家が歴史を重んじる家なのだろう。そして、なんといっても彼女が言っていた通り、優しい顔をして椅子に座っていた。しかし、その顔にちょっとした違和感を感じた。女性が、妙に泣くのを我慢していそうな、でも“誰か”を安心させるような笑みを作っているように見えたのだ。肖像画を描かれるだけなら、泣きそうな感情など芽生えないと思うのだが、、、。それとは対照的に、男性は女性の傍らに立って、左手は女性の肩に手を乗せており、覚悟を決めているように見えた。そこで、俺は彼女にとある質問をする。
「このお二人は、どこのどなたかご存知ですか?」
「多分、私たちの御先祖さまです。祖父母がそう言っていたので」
「なるほど」
まぁ、確かにそうだろう。よっぽどのことがない限り、赤の他人の肖像画を家に飾るわけがない。それも、大事に手入れをしてまで。ここは、すんなり御先祖さまだと考えた方が良いだろう。
「あの肖像画下ろしてもらっていいです?」
「あっ、はい」
彼女は用意してあったのだろう、脚立を持ってきて、それに登り、丁寧に肖像画を持ち上げ、楕円形の机の上に優しく置いてくれた。
「さてと」
俺はというと、机の前に腰を下ろし、鞄から白い手袋を取り出した。受け継がれてきた大切なものに、指紋を付けないためである。
「失礼します」
俺はそう言ってから、やっと肖像画を触れることができた。そして、そのまま目を閉じる。さぁ、これで聞けるだろう。
貴方様はいつも言っておられました。“生きることは幸せなことだ”、“命をかけて散っていくのも、幸せなことだ”と。何かあるたびにそう言う貴方様の言葉を、わたしは矛盾しているなあと思っていました。生きることは幸せ。何かを代償に、自分の命を代償にしてまで散ることは、本当に幸せなのか?、と思ってしまうのです。きっと、わたしは小さい人間なのです。それを貴方様に言うと、優しく教えてくださいました。
『君は小さい人間なんかではないよ。心の優しい人だ。何かを代償にして散ることだけれど、もしそれが君の命なら、私はとてつもなく悲しいよ。君が犠牲になることなんてない、と思うだろうね。けれど、もしそれが自分の命なら?大切な人を守れるのだから、たとえ自分が犠牲になったとしても、それは本望だよ』
そうおっしゃる貴方様のお顔はとてもお優しかった。けれど、一つ思うこともあるのです。
『ですが、それで貴方様がいなくなってしまわれるのは、残った身としてとても悲しいのです。守っていただいたのに、いなくなってしまわれれば、生きた証が、、、』
『生きた証?私が生きていた、という証拠がなくなってしまうということだね?』
『はい、、、』
『なるほど。私の生きた証は、君だよ。君が生きている』
『わ、わたし、ですか?』
『そう。私が君を守った。だから、君が生きている。もし、最初から私が生きていなく、君を助けてあげられないとしたら、君も生きてはいないだろう?守られることなく死んでしまう』
『た、たしかに、そうです、ね』
『ただ単に私も命を散らすだけではないよ。後世に伝えてほしいんだ。昔はこんな人がいて、愛する人たちを守ったんだよ、ってね』
『伝える、、、。命を繋げていくのですね』
『お、良いねそれ。そうしよう。繋いでいこう。そのためにはどうしようか。書物に残しても燃やされてしまうだろうし』
『では、肖像画を描いてもらうのはいかがでしょう?』
『肖像画か。肖像画なら、簡単には燃やされなさそうだね。国からお声がかからないうちに、描いてもらおうか』
そう提案した貴方様の言葉。国からお声がかかる時というのは、きっとそういう時なのだろう。わたしは、覚悟をしておかなければならない。国のために。この言葉は、いつもわたしを複雑な気持ちにさせます。国のためにいくことはとても名誉なこと。けれど、自分を犠牲にしてまで?貴方様は幸せだとおっしゃっていたけれど、、、。貴方様を失ってしまうかもしれないのが、本当に心苦しいのです。
『泣かないでほしいなあ。君にはいつも笑っていてほしいなあ』
貴方様は、いつの間にかわたしの頬を伝う涙を拭ってくださいました。
『あ、、すみませぬ。なぜだか、涙が止まらなくてっ』
いかないで。いかないでほしい。ずっとわたしのそばにいて。言いたい。そう言いたいけれど、この想いは、今の世である場合、軽々しく口に出せないのです。涙を止めようと思っても、止まらない涙。やり場のない想い。もう、どうしようもないのです。
『おいで』
すると、そんなわたしを貴方様は優しく抱きしめてくださいました。
『私も君と離れたくないよ。だけどね、これは絶対に背いてはならない使命なんだ。愛する君たちのために行く。分かってくれるかい?』
『はい、、、』
分かっている。ただ、わたしは、分かっている“ふり”をしているだけなのでしょう。まだ、覚悟がなかった。だから、軍人の妻として、覚悟を持つ必要がある。今が、きっとその時なのでしょう。わたしは、顔を上げた。今ここで、覚悟を決めるのです。
『あ、貴方さまっ、わ、わたしは、、わたしはっ、、、』
情けないことに、声が震えている。やはり、今すぐには、覚悟は決められないようで。すると、、、。
『小夜子』
貴方様はわたしの名前を優しく呼んだ。
『すぐに覚悟を決めなくていいんだよ。ゆっくりでいいんだ』
『で、でもっ、その間に、貴方様がいってしまったらっ』
そう。それが一番恐ろしいことなのです。わたしのいないうちに、別れも言えないうちに、いってほしくないのです。そう思ってしまうわたしは、軍人の妻失格ですか?
『私は、小夜子がいないうちには行かないよ。だから、安心してほしいな』
そうおっしゃる貴方様は、わたしを抱きしめる腕の力を強くしました。
『あ、貴方様、どうか、どうか、』
どうか、生きて帰ってきてください。わたしは、どうしても、この続きを言えませんでした。けれど、貴方様は、それを分かってくださったのか、、、。
『必ず、生きて帰るよ』
次の日のこと。貴方様はおっしゃった通り、早いうちに肖像画を描いてもらうように手配をしてくださいました。他の軍人の妻の方々によると、こうして肖像画を描いてもらうことが多いらしいのです。ですので、肖像画を描いてくださる方は、もう慣れたみたいです。
『さぁ、笑って』
上手く笑えているでしょうか。自信はありません。貴方様が、わたしの肩に手を置く。そこから伝わるぬくもり。このぬくもりに、ずっと浸っていたい。だから、今日、覚悟を決める。昨日の夜、わたしは考えました。わたしがずっとあのような感じだと、貴方様は安心していけないのではないか、と。それは、わたしの本意ではありません。貴方様を困らせることはしたくない。未熟なわたしだけれど、貴方様を精一杯、安心させたい。笑顔で送り出したい。その一心で、わたしは、今、微笑む。もう泣かないと決めたから。
『ついに、行ってしまわれるのですね』
『小夜子。小夜子、愛してる。私の分まで、生きて。それを、忘れないでほしい』
貴方様は、わたしの生きている、というぬくもりを確かめようとして、抱きしめた。
『わたしもです。わたしたちは、生きます。貴方様が生きていた証として。では、貴方様、行ってらっしゃいませ』
『行ってきます』
わたしに敬礼をしてから、去ってゆく貴方様。
『お帰りをお待ちしております』
わたしは、その背中に言葉を放つ。そして、精一杯に頭を下げる。本当に帰ってきてくれるのかは分からない。できれば、無事に帰ってきてほしい。
『泣いてはだめね』
家の中には、まだ小さな子どもたちがいる。わたしは、母として、彼らを精一杯守り抜く。子どもたちは、貴方様との大切な絆なのだから。
「、、、」
肖像画の記憶が終わり、現実に戻ってきた俺は心底苦しくなった。昔の日本には、こんな残酷なことがあったのだと、改めて思い知らされた。彼が行ってしまった後、彼女たちはどのようにして生きていったのだろう。彼女のずっと身につけていた物がとってあるのならば、分かるかもしれない。きっと、心底辛かっただろうと思う。けれど、彼との約束を守るため、必死に、必死に生きていたのだろう。知らぬ間に、俺は涙をこぼしていた。
「、、、泣いてるの?」
依頼人である彼女が、俺の顔を恐る恐る覗いてきた。
「俺は昔から感情移入してしまいやすいんだ」
これだから、この仕事に向いていないんだ、俺は。多分、ほとんどの依頼で涙をこぼしている。まぁずっとそうなので、仕方ないと言えば、仕方ないのだが。
「で、どうだったの?」
いそいそと聞く彼女。
「あのさ、もう少し感傷に浸らせておくれよ」
「忘れないうちに教えてなさいって」
全く、どっちが依頼人なんだか。
「はいはい。これはーー」
「なにそれ、めちゃくちゃ泣けるんですけど」
数十分、俺の話を聞いていた彼女は、ぼろぼろに泣いていた。俺以上に。なんか、悔しい。俺ももうちょっと感傷に浸っていたかった。
「この実話は戦時中だと思うので、やはりあなたの曽祖父母様ではないですか?終戦に近いのと、あなたの見た目の年齢からして、そう考えられます。なぜこの時期になって聞こえてくるのかは、すみません、ちょっと分からないです。このお二方が伝えたいメッセージとすれば、今生きていることを幸せと思い、繋いでもらった命を大事にして生きてほしい、ということだと思います。そして、私たちのことを忘れないでほしい、とも」
「絶対に忘れない。忘れられるわけがないよ!ひいおじいちゃん、ひいおばあちゃん、かな、命を繋いでくださって、ありがとうございます。繋いでくださったこと、私は一生忘れません。伝えていきます」
肖像画の二人に向かってそう言った彼女は、なんとなく眩しかった。
「おじいちゃんたちはこのこと知ってたのかな?」
「まぁ、この肖像画の子どもということに間違いはないと思うので、覚えているのではないかと」
「そっか。聞けば良かった。おじいちゃんたちが生きているうちに」
彼女は残念そうに空を見上げた。
「でもまあ良かったですね。俺も感動を得ました。ありがとうございます」
「いえいえ」
、、、ん?俺が依頼人に頭を下げてどうする。
「こちらこそ、急に押しかけてごめんなさい。本当にありがとうございました」
今度こそ頭を下げた彼女。まぁ、今回は見直してあげようと思う。
「てなわけで、俺の仕事に感動したと」
「はい!めちゃくちゃ感動しました!あなたってすごいですね!」
「俺に対する言動、最初といろいろ違いすぎるだろ、、、。怖くてたまらないんだけど。どうしよう」
そんな俺の言葉はさておき、なんと先程、彼女は目を輝かせながら、俺にあることを頼みにきたのだ。その名も、ここで働かせてください。どこかで聞いたことのあるワードだ。
「いや、大丈夫!俺一人で全然大丈夫だから!やっていけてるし!」
「いやいやいや、やっぱり助手って必要でしょ?ねぇーえ、私をここで働かせてよ〜。絶対あなたの役に立つから〜!」
「それでもいらん!!!」
騒がしい。めっちゃ騒がしい。ずっと騒いでいるきりで、本当に役に立つのか?こんな人が助手になるなんて、絶対に嫌だー!
(俺の平穏な日常が、、、。ん?)
思い出したのだが、俺はまだ彼女に名前を聞いていなかった。
「そういえばなんだけど、あなたの名前は?」
「紗代だけど」
もしかして、小夜子さんの生まれ変わりか?一瞬、変な考えが頭をよぎった。いや、そんなはずはない。断じてそれはない。なぜなら、彼女は、とても騒がしいから。どうにも、あの心優しく穏やかな肖像画の彼女と結びつかないのだ。けれど、その名前になぜかとても懐かしく感じるのはなぜか?深く考えようとして、、、やめる。考えてもどうせ答えは出ないからだ。あぁ、とにかく、この紗代って女性から逃げたい。その一心で、今日も生きている。
『貴方様、来世でも一緒になりましょう』
『もちろんだよ。小夜子となら、私はーー』
どこまでも生きてゆける。
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