2-65:アオギリ様の目覚め

 空の日々はのんびりと穏やかに過ぎて行く。

春の花がいつの間にか姿を消して、その代わりのように緑が色鮮やかになっていく。やがて雨の日が少しずつ増え、季節は梅雨へと変わった。そしてそれが続けば今度は日を追うごとに蒸し暑い日が増えてきた。

 そんな日々の合間に今年も蛍が出始めたとの報があり、今度は雪乃が蛍狩りへと赴く日が続く。

 空は今年もそれを何回か応援しに行った。

 十五センチほどの巨大な蛍たちが、儚くないが美しい光を灯し群れ飛ぶ様は今年も華やかだった。

 火魔法をぶつけ合ってライバルを蹴落とそうとするという迷惑行為さえなければ、狩られて数を減らすこともないのに……と空は思うが、それもまた彼らの本能なので仕方ないのだろう。

 そんな季節の風物詩を楽しみ、雨が降る度に激しく色を変えるゲーミング紫陽花を横目に散歩し、たまに明良たちと遊び、空は毎日を楽しく、そしてそわそわしながら過ごした。


「蓮が咲いたそうだ」

「あら、やっとなのね」

「はす……アオギリさまの!?」

 ある日の食卓で、幸生が村の集まりで聞いてきたことを話してくれた。この村で蓮が咲いた、と言われればその場所は一つだけ。

 村の守り神であるアオギリ様の寝所の池に、目覚めの合図である蓮の花が咲いたということだ。

「なつ! なつくる!?」

「ええ、もうすぐね。お祝いに行かなきゃね」

「うん!」

 夏が来れば、東京の家族が帰ってくる。

 空は居間に掛かったカレンダーをじっと見て、それから雪乃の方を振り返った。

「ばぁば、みんな、いつくるかなぁ」

「紗雪と相談したんだけど、お盆を挟んで二週間くらいってことになりそうだわ。隆之さんはその日程は無理だから、一週間くらいで先に帰るって」

「えー、なつやすみ、ずっとじゃないの?」

 父の隆之は無理だろうが、兄弟たちはずっと滞在してもいいんじゃないかなと、空は勝手に思っていた。しかし雪乃は首を横に振った。

「まだ皆、ここでずっと過ごすのはちょっと難しいと思うのよ。ここは食べ物以外にも魔素が多いから。紗雪と、シロに魔力を流せる陸だけなら少し長めに滞在できるかもしれないけれど、それでも念のためそのくらいで様子を見ようってことになったの」

「そっかぁ……」

 魔砕村は東京よりも遙かに魔素が多い。それこそ空気や水にまで魔素が多く含まれているのだ。春の時は一週間ほどの滞在だったが、実はその間米田家には一時的に周囲の魔素を少し減らす結界が張られていた。そのうえで雪乃とヤナは皆が触れる様々な物に注意を払っていたのだ。

 そのおかげで一見皆平気そうにしていたが、それでもやはり雪乃の見立てではギリギリの滞在日数だったらしい。

「今回は、子供たちにも何か魔法を使わせて、魔力を減らすことも試してみようと思ってるのよ。それで様子を見て調整しましょうね」

「うん!」

 夏休みの間中一緒にというのが無理なのは少し残念だが、二週間でも前回より大分長い。短さを嘆くよりも、一緒に色んなことをして遊ぼう。

 空はそう心を切り替えて、夏休みの計画を練ることにしたのだった。



 そして、蓮の花が咲いてから三日後。

 空は朝早くから幸生たちと共に神社へとやってきた。

「フクちゃん、のせてくれてありがとう!」

「ホピピッ!」

 今年の空は雪乃に負ぶわれるのではなく、自分の足で半分ほど歩いた。しかしまだ皆と同じような速度では歩けず、儀式に遅れそうだったので、もう半分はフクちゃんに乗せてもらったのだ。

 土砂降りの中フクちゃんに乗せてもらうのは何だか気が引けたが、フクちゃんは空を運ぶと大きくなったまま譲らず。結局、幸生の傘に半分入れてもらいながらフクちゃんは空を神社まで運んでくれた。

 空は去年アオギリ様に挨拶を済ませてあるので、今年は拝殿でお参りをした後はそのまま境内の片隅で目覚めを待つ。もちろん今年も土砂降りなので、拝殿の屋根の下で待たせてもらうことにした。

「空、フクちゃんをこれで拭いてあげて」

「うん!」

 空はタオルを受け取ると、元の大きさに戻ったフクちゃんを持ち上げて丁寧にタオルで拭く。あらかた水気が取れたところで、タオルを返し、フクちゃんを幸生に預けた。

 空は雨合羽を着ているので、その中にフクちゃんを入れるとちょっと窮屈なのだ。

 フクちゃんは大人しく幸生の頭の上にちょこんと座り込む。

「ね、ばぁば、ちょっとあっちにいってきてもいい?」

 空はフクちゃんが定位置に陣取ったのを確かめると、境内の真ん中の方を指さした。境内にはお参りを終えた村人たちがあちこちで談笑している。その中に明良がいるのを空は見つけたのだ。

「明良くんのところに行くの? 境内から出ないなら大丈夫よ」

「うん! ちょっといってくる!」

 空は雪乃に頷くと、雨合羽のフードをしっかり被って雨の中に踏み出した。

 屋根の下から出ると雨が勢い良く雨合羽に降り注ぐ。顔にも少し水が掛かるが、夏の雨は暖かい。

 空は急いで青い雨合羽を着た明良のところに駆けよった。

「アキちゃーん!」

「あ、そら! そらもおまいり?」

「うん! あ、こんにちは!」

 空の傍には明良の祖父母である秀明と美枝がいた。しかしそれ以外の家族の姿はなく、空は首を傾げた。

「アキちゃん、おとうさんとかは?」

 いつもこういう場に来るときは明良の両親が一緒だったはず、と思った空が問うと、明良はパッと顔を輝かせた。

「あんね、もうすぐかあちゃんが、あかちゃんうむんだ!」

「えっ、ほんと!?」

「うん! すぐかもしれないから、かあちゃんととうちゃんはるすばんなんだよ! ね!」

 明良が美枝の方を見ると、美枝も笑顔で頷いた。

「今日明日っていうわけじゃないけれど、もう産み月だから遠出はしないことにしてるのよ」

「そっか……あかちゃん、うまれたらみにいってもいい?」

「ええ。生まれて落ち着いたら、雪乃ちゃんたちと顔を見に来てね」

「ありがとう!」

 自分より小さい子が近所に生まれるというのは空にも嬉しい。男の子でも女の子でも仲良くしようと心に決めて、空は明良の顔を見た。

 明良の顔は明るく、そしていつもより少しだけキリッとして、もう既に兄になっているように思えた。


 弟妹が生まれたら一緒に何をして遊ぼうか、と気の早い話を明良と楽しんでいると、不意に空はぶるりと震えを憶えた。

「あ……」

 アオギリ様だ、と何となく感じて雨の中顔を上げる。途端に雨粒が顔を打ち、前が見づらい。飛沫を振り払いながら雨の幕の向こうに目を凝らせば、ドォンッと遠くから大きな音が響いた。

 そして拝殿の屋根の向こうに青白く光る巨大な柱がそそり立ち、天に昇ってゆく。

「アオギリさまだぁ!」

 天を突く柱のように太いものが青い鱗を煌めかせ、低く垂れ込めた雲を貫き、ゆっくりと姿を消す。

 そして、遙か高みからオオォォォオン……と雄叫びが村に響き渡った。

 その声と共に雲が割れ、丸い青空がどんどんと広がってゆく。

「なつだ! なつがきたね、そら!」

「うん!」

 子供たちが待ち望んだ夏が、雲の向こうから眩い日差しと共にやってくる。

 空は明良と顔を見合わせて笑い合い、フードを取り去ってピョンと跳びはねた。

 すると拝殿の方から小さなものがパタパタと飛んでくるのが見えた。

「ホピピッ!」

「あ、フクちゃん!」

 雨が上がったせいかフクちゃんも嬉しそうだ。空はフクちゃんを両手に乗せてから、また青空を見上げた。

 目に映るのは一面の青と、遠く高い白い雲。

「今年も夏が来たなぁ」

「ああ、ありがたい」

 村人たちも夏空を見上げて眩しそうに目を細め、口々に喜び、笑い、そして語り合う。

「……明けが、遅かったなぁ」

「そうねぇ……年々、ほんの少しずつだけどそうなってるわね」

「大丈夫だろうか」

 そんな言葉がどこかから聞こえて、空はくるりと周りを見回した。けれどそれが誰の声だったのかはよくわからなかった。

「そら、ゆきのおばちゃんたちがよんでるよ!」

「あ、うん!」

 空はフクちゃんを落とさないように頭に乗せ、明良に手を振ってから雪乃たちに向かって走り出す。

 もうその時には、漏れ聞いた言葉などすっかり忘れていたのだった。


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