2-39:保育所での出会い

「じぃじ、ヤナちゃん、フクちゃん行ってきまーす!」

「ああ、行ってらっしゃい」

「気をつけてゆくのだぞ!」

「ホピピピピッ、ホピッ!」


 空は玄関先でブンブンと元気よく手を振り、毎日戸口で律儀に見送ってくれる幸生とヤナとフクちゃんに笑顔で頷いた。

 それからくるっと踵を返し、門の向こうで待っている田亀とキヨに駆け寄る。

「たがめさん、キヨちゃんおはよーございまーす!」

「おはよう空くん、雪乃さん」

「おはよう田亀さん。今日もよろしくね」

 今日は空が保育所に行く日だ。

 春になってから何回か米田家で相談した結果、空は当分は週に何日か、午前中だけ保育所に通うという事に決まったのだ。

 何しろ空は毎日かなりの量の食事を必要とする。保育所では給食が出るし、個人の希望でお弁当を持ってくることも可能で、その辺の決まり事はかなり緩い。

 しかし空が十分満足するだけの十時のおやつとお昼ご飯、三時のおやつを用意するとなるとやはり給食だけでは足りないし、お弁当などを沢山持たせる事になる。量が増えれば食べ終わるのも他の子より時間が掛かる。

 それなら、やはりお昼で家に帰るのが簡単で良いという結論になったのだった。空本人も気兼ねなくご飯を沢山食べたいと同意し、そういう事になった。

 午後から再び保育所に行ってもいいのだが、お昼寝もしたいし、と色々考えると当面は午前中だけの方が都合が良い。

 空がもう少し育って、お昼寝をさほど必要としなくなるとか、足がすごく速くなるとか、食べる量に調整が利くようになったりしたら時間や日にちの延長を考えることとなった。

 そういう訳で、今はこうして田亀が運行している亀バスに乗っての通園だ。

 ちなみにフクちゃんは連れて行くとまだ時々子供たちにもみくちゃにされそうになるので、最近はやはり留守番ということになった。テルちゃんもまだ午後からしか起きてこないので、依り代の石は持っているが保育所にいるときに出てきたことはない。

 フクちゃんたちが傍にいないことが、まだちょっぴり寂しい空だった。


 空と雪乃を乗せたバスは、少し走って隣の矢田家まで行くとまた止まった。するとすぐに家の入り口から明良が手を振って飛び出してくる。

「おはよー、そら!」

「おはよう、アキちゃん!」

 明良は今までは家族と歩いて保育所に通っていたが、母が身重という事もあって米田家が頼んだバスにしばらく同乗する事になったのだ。

「雪乃ちゃん、おはよう。明良をよろしくね」

「おはよう美枝ちゃん、行ってくるわね」

 見送りに来た美枝に手を振り、明良はバスに乗り込んで空と隣り合わせて座席に座った。すぐにバスは動き出し、ドスドスという振動と共に景色が動き出す。

 窓の外には友達と一緒に歩いて学校に向かう子供たちの姿がちらほらと見える。空はそれを見ながら、まだ自分で歩いて行けない事を少し残念に思った。

「ぼくも、いつかあるいてほいくじょ、いけるかなぁ」

「すぐいけるようになるよ! でも、おれバスもすきだなー。らくちんだし!」

「らくちんなの、いいよね!」

 それは確かにそうだと空は何度も頷いた。いつか他の村の子供たちみたいに、自分の足でスタスタと歩いて、あるいは走ってどこにでも行けるようになってみたい。

 だがそれはそれとして、楽ちんな通勤通学って良いよねと前世の空が呟いて頷く気がする。

 頼んで家まで来てもらっているバスには、空と雪乃と明良しか乗っていない。たまに他の人が乗ってくる事もあるが、それでも満員になったことはない。空はそれを大変ありがたいと感じていた。

(満員電車で通勤……うっ、頭が!)

 そんな単語を思い出しただけで、頭痛がして家に帰りたくなるからだ。

 空はその不吉な単語を忘れようとぷるぷると頭を振り、それよりも今日の事を考えようと意識を切り替えた。

「ねぇ、アキちゃん。アキちゃんは、きょうはなにするの?」

「んー、なにしようかな。きのうはかくれんぼしたから、おにごっこでもいいよな! でもこうさくもすきだし……そらは?」

「ぼくは……ぼくでもできそうなこと、かな」

 そんなことをする班が今日も何かあると良いなぁ、と空は小さくため息を吐いた。


「あ、さちえせんせい、おはよーございます!」

「おはようございまーす!」

「はい、おはよう明良くん、空くん」

 保育所についてバスを降り、去って行く田亀を見送ると空と明良は雪乃に連れられて玄関に入った。

 すぐに所長の忍野幸江が二人を見つけて手を振ってくれ、空と明良は大喜びで彼女の元まで駆け寄って元気よく挨拶をした。

「おはよう幸江さん。今日もよろしくお願いします」

「任せてちょうだいな。空くんは今日もお昼までよね?」

「ええ。また昼に迎えにきますね」

「ばぁば、いってきます!」

「はい、いってらっしゃい」

 ブンブンと雪乃に手を振り、空は靴を履き替えて明良と一緒に教室の中に駆け込む。もう子供たちは大半が揃っていて、みんな賑やかにお喋りしたり追いかけっこをしたりして遊んでいた。

 しばらくすると先生たちがそんな子供たちに声を掛け、全員を一度集める。

「はい、皆、朝のご挨拶しましょうねー!」

「はーい!」

 先生が号令を掛けると、「おはよーございまーす!」と元気の良い声があちこちから上がった。タイミングが合わないのもご愛敬だ。

 それから先生たちは真ん中で半分くらいに分かれ、外遊びしたい子はこっちへ、お家遊びの子たちはこっちへ、と子供たちに向かって声を上げた。

 子供たちはそれを聞いて駆け出したり、迷うように行ったり来たりしたりしている。その場で友達と相談を始めた子供たちもいた。

 空は外遊びの方に走って行く子供たちを避けながら、今日はどうしようかと先生たちの方へ視線を向けた。まだ空は追いかけっこなどの激しい外遊びに全くついて行けないのだ。この村の子供たちの身体能力は高すぎる。

 だからできればお家遊びにしたいが、簡単な外遊びがあればそれも気になる。何をするかは先生によって違うことが多いので、空はひとまず様子を窺うことにした。

 魔砕村の保育所では、大体いつも十人前後の保育士たちが子供たちの面倒を見ている。ここだけに勤めていて毎日いる先生たちが大半だが、あまり見ない先生が混じることもたまにある。

 資格を持っているが他の仕事と兼任していて、本業が暇なときに保育所に来る非常勤の保育士もいるらしい。

「あ、きょうはしらないせんせいがいる」

 空は前に並んでいる先生たちを眺め、一番端に知らない男性がいることに気がついた。

 他の先生たちは皆それぞれ手を挙げたりして、外遊びがしたい子をまとめてさらに班分けしたり、あれがしたいこれがしたいと遊びを強請る子供たちを宥めたりしている。

 しかしその一番端の人は、全くその場から動かず声も上げず、気配を消すように項垂れ立ち尽くしていた。

 服装はTシャツとジーパン、青いエプロンで、他の先生と大差がない。しかし前髪が両目を完全に隠すくらいに長くて、猫背でうつむき加減で姿勢が悪い。そのせいで、見た目が何となくとても陰気くさそうな印象だった。

「ね、アキちゃん。あのせんせいだぁれ?」

 空がその人を指さして問いかけると、明良がそっちをくるりと向いた。

「どれ? あ、あれ? あれはたいぞーせんせーだよ! きょうはいるんだ?」

「たいぞーせんせい?」

「そう、さちえせんせーのこどもで、えっと……ほら、あれ! にんじゃのひと!」

「にんじゃのひと?」

「そう、おぼえてない? きょねんたうえまつりで、にんじゃのかっこしてたひと!」

「ああ!」

 そういえばそんなが人いた気がする! と空は目を見開いた。

 忍野といえば、田植えの時に聞いた名だと、幸江に初めて会ったときに空は確かに思い出していた。幸江の夫と、息子と娘が、田植え祭りに出場していたはずだ。そのうちの息子と娘は忍者のコスプレで目を引いていた。

「え……でも、にんじゃのときと、なんかちがう?」

 忍野家の息子、忍野泰造は大会の時はもっとハキハキした印象だった。忍者のコスプレをして覆面姿だったし遠くから見ただけなので顔まではわからないが、何だかもっと自信がありそうな雰囲気だったはずだ。

「たいぞーせんせーは、にんじゃのかっこじゃないとげんきないんだ! いつもは、あんなかんじだよ!」

 それは普通逆じゃないのだろうか、と空は首を傾げた。今の姿の方が、なんだか影に生きている感じがしているのだが。

 空がそんな事を考えていると、明良が空の手を掴んで泰造の方へ行こうと誘った。

「はじめてなら、あいさつしよ!」

「う、うん」

 二人は手を繋いだまま泰造のもとへと走る。明良は繋いでいない方の手をブンブンと振って、泰造に声を掛けた。

「たいぞーせんせー、おはよー!」

「……ああ、はよ」

 ぼそりと一応返事があった。

「せんせー、おれのともだちのそら! せんせーはじめてみるって!」

 明良がそう言って空を前に出すと、泰造は少しだけ顔を動かして空に目を止めた。そしてそのままなにも言わずピタリと固まった。

「……」

「お、おはようございます!」

 なにも言わない泰造に、空はちょっとビクビクしつつも笑顔を向けて元気よく挨拶をしてみた。

 しかし泰造はやはり動かない。空はその半分隠れた顔を下から見上げ、その造作が意外と整っていることにふと気付く。

 この人、髪を上げた方が良いのでは……などと考えた次の瞬間、突然バターン! と倒れるような勢いで泰造が空の目の前に突っ伏した。そして叫んだ。

「うわぁあぁん! 何でだよー!! 何でそんなかっこいい過去持ちなんだよ! 異世界のサラリーマンって何!? 何かわかんねぇけどかっこいいじゃねーかずるいずるいー!」

「ぴえっ!?」

 大人が突然叫びだしてジタバタと身を捩る、その異様な姿を間近で見てしまった空は思わず悲鳴を上げて跳び上がった。

 すると明良がびくつく空の手を軽く引っ張り、だいじょうぶ、と言って安心させるように笑顔を見せ、それからくるりと後ろを振り向いた。

「さちえせんせー! たいぞーせんせーが、またほっさだよー!」

 その途端、近くにいた子供たちが泰造の方を見る。

「たいぞー、またかよー!」

「たいぞうにいちゃん、かっこわるーい!」

「さちえせんせー、はやくー!」

 子供たちは泰造を囲むと、口々にそう言って、ちょんと突く。泰造は床に突っ伏し、うるせーとくぐもった声を上げながら、持ち上げた足をバタバタさせた。

「泰造! アンタ何してんの、子供たちがびっくりするでしょうが!」

「うるせーババア! だったら俺をこんなとこで働かせんな!」

 子供たちに呼ばれた幸江が慌てて走ってきて息子を叱ると、しかし息子は反抗期の中学生のような口調で返した。

「まった口の悪い! せっかく資格取ったんだからたまには活かして働きなさい!」

「だから俺は保育士なんか興味無いって言ってんだろ! 俺はヒヨコの鑑定士になりてぇの!」

「ここにいる子供たちだって可愛いヒヨコみたいなもんでしょうが! 子供たちに、情けないとこ見せないのよ!」

 幸江はそう言ってため息を吐き、泰造の服の背中をエプロンの紐ごとぎゅっと掴むと、ずるずると引きずって教室から引っ張り出した。泰造は足をばたつかせて抵抗しているがものともしない。

「ちょっと落ち着かせてくるから、待っててね!」

「は、はぁい……」

 空はその二人を、半ば呆然と見送ったのだった。

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