2-24:田亀の相棒
「アンタは……」
「空くん?」
名を呼ばれた子供は戸惑ったように周囲を見回し、そして首を横に振った。それから田亀を見て、見覚えがあると気付いたらしい。
「……ばすのおじさん?」
「空くんじゃないのか。じゃあ、陸くんか」
「うん」
「空の兄弟かい? アンタ、何だってこんなとこに急に現れたんだい?」
田亀に頷いた陸は、しかし猫宮に声を掛けられて目を丸くした。ぱくりと口を開きかけ、胸に抱いたテルちゃんをギュッと抱きしめる。テルちゃんは苦しいのか短い手足をもごもごと動かしている。
「ねこさん……しゃべった?」
「そりゃあここではね。アンタも、空と同じ事で驚くんだねぇ」
「しゃべるんだ……そらとおんなじ……」
同じだと言われて、陸はホッとしたよう微かに微笑む。
その姿を上から下まで見下ろし、田亀はちょっと待ってなと言って獣舎の物置に走って行った。そしてすぐに木で出来た椅子を一脚持って戻ってきた。田亀は獣舎の隅に置いてある薪ストーブの近くにその椅子を置き、それから戻ってきて陸を抱き上げるとそこに座らせてくれた。
「裸足じゃ冷たいだろ。寒いとか、痛いとか他にないか?」
「だいじょぶ……おじさん、ありがとう」
陸がお礼を言うと、田亀は安心させるように笑顔を見せた。
「それで、どうしてここに急に現れたのか、わかるかな?」
田亀が問うと、陸はまた首を横に振る。
「わかんないけど……テルちゃんのせい、かも?」
「テルちゃん?」
「そこのもごもごしてる精霊かい?」
「うん」
陸は下を見てハッとしたようにテルちゃんの体を離した。テルちゃんはやっと解放され、ぽひゅっとおかしな音を立てて息を吐くと、陸の膝の上でくるりと回り、自分を覗き込む田亀と猫宮を見回した。
「アンタがテルちゃんかい?」
「ソウダヨ、テルダヨ!」
「君は……空くんの精霊だって聞いてた気がするんだが、何だってこの子をここに連れてきたんだい?」
田亀が聞くとテルちゃんは少し考え、それから田亀をピッと指し示した。
「テルハ、リクノミチノサキヲ、サガシニキタヨ!」
「道の先? ここがそうだってのかい?」
意味がわからなくて首を傾げる猫宮に、テルちゃんはそうだと頷いた。
「テルハ、マイゴニミチヲシメスノガ、オヤクメダヨ! ココガ、リクノノゾムミライニ、イチバンチカイバショダヨ!」
「それは……俺が陸くんを家に送っていけば良いってことかな?」
「ゼンゼンチガウヨ!」
田亀と猫宮は困り果て、陸にも聞いてみることにした。
「ええと、陸くんは、迷子になってこの子に相談したのかい?」
陸は少し考え、首を縦に振る。
「まいごじゃないけど、そーだん、した、かも? ぼく、どうしたら、ここにいられるか、そらといっしょにおおきくなれるか、しりたいの」
「うーん……陸くんは、ここには短い間しかいられないんだよな?」
「うん……おなじものたべたらいいかなっておもったけど、おなかこわして、ねつがでちゃった……」
「なるほど、まだここの物は強すぎたんだね。で、それでなんでここに連れてきたのさね」
猫宮がテルちゃんにそう問うと、テルちゃんは短い手でピッと田亀を指さした。
「テル、リクノキノエダミタ! イロンナミライニツヅクキノエダ! ソノナカカラ、リクノネガイニ、イチバンチカイトコニ、コノヒトイタ!」
この人、と言われた田亀を猫宮が見れば、田亀もぽかんとして自分を指さしていた。
「……まさか、このちんまいのは未来視が出来るっていうのかい?」
「そんな能力、巫女の系譜にだって滅多に出ないやつじゃないか。精霊って言っても、木の精霊にそんな能力の前例は……」
二人が困惑した声でそう言うと、テルちゃんは誇らしげに丸い胸をきゅっと張った。
「テル、ソラニナマエモラッタ! テルハ、テルタママヨヒコ! マヨエルタマシイヲテラスチカラ、テニイレタ!」
「迷える魂を照らす……いや、それでなんでそうなるのかわからん」
「将来に迷ってれば、それも照らしてくれるってのかい? どう拡大解釈したらそうなるのか、さっぱりだね」
しかし猫宮も田亀も、テルちゃんが語ったことを一応は理解できた。
迷いを抱える陸の心に応え、幹から木の枝が伸びるように陸から伸びた様々な可能性のうち、望む未来に一番近そうなものをテルちゃんが選んでここに連れてきた、という事を。
「つまり、この子がこの村にいられる未来に、寅治が関わってるって言うんだね?」
「ソウダヨ!」
「何でまた俺が……まさか、うちの跡継ぎってんじゃないだろう? 都会育ちの子には、魔獣使いは多分無理だろう……」
田亀が困ったように頭を掻く。
猫宮は少し考え、それからふと田亀の頭の上、肩の後ろ辺りに視線を向けた。
「もしかして……坊や、寅治の肩の上、この辺に何か見えるかい?」
猫の前足が田亀の肩の上を指す。陸はその先に視線を向け、じっと見つめた。
最初は何も見えない、と思ったが、じっと見つめているとやがて白いもやがうっすらと見えた。
それに気がつき、そのもやをもっと見よう、と目を凝らして見つめていると段々とそれがはっきりしてくる。
「なんか……しろい、くも? さんかくがふたつ……いぬさん?」
「おや。アンタも空とやっぱり兄弟なんだね。あの子も良い目を持ってるって聞いたけど、こっちもなかなかだ」
「まさか、シロが見えるのか……しかし、うーん……シロは気難しいからな」
「アンタが言い聞かせりゃどうにかなるんじゃないのかい? もとより、シロだけはそのうち誰かに継がせたいんだろう?」
「そりゃあそうなんだが……」
田亀はしばらく唸って考えこみ、それから自分の肩の後ろを見た。田亀にはその姿が生前の彼女と変わらずよく見える。犬居村の犬たちの長であるハチによく似た、強く美しい、田亀の相棒だ。
田亀はその姿をじっと見つめてからまた振り向き、それから陸の前にしゃがみ込んだ。
「陸くん。この俺の後ろにいるのは、シロって言って、俺の相棒だった犬だ」
「あいぼう……」
「俺が子供の頃に契約……ええと、ずっと一緒にいるって約束をして、大きくなって……そして、俺を守って死んじまった」
「しんじゃったの?」
陸はそれを聞いてもう一度その肩の上に視線を向け、わずかに瞳を潤ませた。
「力が強かったシロは、死んだ後も精霊みたいなものになって、ずっと俺の傍にいてくれるんだが……守り神になったって言えば良いのか? わかるかな」
「テルミタイナノニナッタヨ!」
テルちゃんがそう言って手を挙げると、陸は何となく理解したらしく頷いた。
「俺はそれが嬉しかったんだが……だが、このまま行くとな、俺がいつか死んだ時に、シロも一緒に消えちまうんだ」
「きえちゃうの……?」
田亀の後ろのシロは口をパクパクと開けて何かを言っている。田亀にはもちろんその声がよく聞こえていた。
『それで良いと言ってるのに! 寅治と一緒に逝って何が悪いのだ!』
「そうは言ってもなぁ、シロ……俺はお前を二度も死なせたくないんだよ。だが誰かに継いでもらおうにも、俺には子がいないし……」
『寅治……』
田亀は結婚していたが、その妻は若くして急な病で先立ってしまったのだ。それっきり田亀は再婚することもなく、自分の両親と暮らしている。
「寅治は愛情深いが、その分切り替えるのも下手だからねぇ」
「……俺には、犬はシロだけ。女房はアイツだけでいいんだよ」
田亀が寂しそうに、けれど笑ってそう言うとシロは黙り込んだ。
昔、若かった田亀が仕事で山に入った際に思いがけない場所で強い魔獣と遭遇した事があった。
そのしばらく前に田亀は好き合って結婚した妻を突然亡くし、意気消沈して気力や体力を落としていた。そのせいで危機に瀕し、その時シロは田亀をかばって死んでしまったのだ。
シロ自身はそれを後悔していないが、田亀がシロの死をどれだけ嘆いたかもよく知っている。
妻に続いて相棒までも失った田亀は、しばらく立ち直れなかった。シロが守神に昇格し田亀の傍にいるとわかるまで、日々の生活も危うかったほどだ。
だからこそ、二度も死なせたくないという田亀の言葉を否定する事はシロにも出来なかった。
陸はよくわからないなりにそんな田亀とシロの姿をじっと見つめ、そして頷いた。
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