74:気の抜ける戦い

 幸生たち四人が連れ立ってヌシのいる田んぼに降り立つと、道の端に据えられていた太鼓がドォンと打ち鳴らされた。それを機に、人々が並んだり距離を取ったりと思い思いに見物の準備を始める。

 空も雪乃に連れられて、側にいた善三と共に田んぼが見やすい土手に上がり、危険がないよう二人の間に立ってピタリと寄り添い幸生らを見つめた。


「さて、ではまず祝詞をあげますね」

 四人がヌシから十メートルくらいのところまで近づいた時、大和がそう言って手にした大幣おおぬさを一旦帯に差し、姿勢を正した。

 稲刈りの始めは、神主による祝詞と決まっている。去年までは祖父である辰巳があげていたが、今年は大和がヌシとの戦いに参加するとあって、ついでとばかりにその役目を譲られていた。

 大和はヌシに向かって丁寧に礼をし、柏手を打つ。そして大幣をまた手に取り、厳かに祝詞をあげはじめた。

「タカマガハラニカムヅマリマス――」

 その少し後ろに立った三人も、神妙な顔でその祝詞に耳を澄ませる。

 短い祝詞はやがて終わり、大和は大幣を何度か大きく振ると、顔を上げ、高らかに声を張り上げた。

「サノカミ様、我らが武勇をご照覧あれ!」


 通りの良い大和の声は、周囲に良く響いた。

 最後の言葉を述べた大和はさっと振り向き、後ろに並ぶ幸生らに向かって大幣を大きく振る。すると三人の体が微かに光を帯びた。

「ヤマにい! それ俺だけでいいから倍増しで!」

 光を受け取った良夫が自分を指さして抗議の声を上げる。

「残念ながら、最初のは平等です」

「えー!」

 良夫が不満げに声を上げた途端、斧を肩に担いだ幸生が大きく一歩前に出た。それを見た和義が、腰に付けていた小さな竹籠から長い棒を取り出す。棒の途中には持ち手が付き、その先には折りたたまれた巨大な鎌の刃が付いている。刈払い用の大鎌だ。ジャキン、と音を立てて鎌を広げれば、それはまるで物語の中の死神の持ち物のようになった。


「……来るぞ」

「おう。じゃあ、俺はこっちな」

「では下がってますね」

「うう、やりたくねぇ」

 幸生がもう一歩、二歩と前に出る。大和はその後ろに隠れるようにゆっくりと下がり、和義は幸生の攻撃範囲に入らぬよう、距離を取って斜めに位置どる。

 良夫は先達二人の動向を見守るように、少し後ろに下がった。


 一瞬の静寂の後、ドォン、と太鼓がもう一つ鳴らされ、それを合図にしたかのように突然地面が揺れ始めた。

 土手から見守っていた空は、地面の揺れに驚いて雪乃の足に縋り付く。

「大丈夫よ、空。ヌシが動き出すだけだから」

「う、うん」

 それのどこが大丈夫なのか空にはさっぱりわからないが、とりあえず頷いておく。

 空は怯えつつも、幸生たちをじっと見つめた。


 幸生がヌシに徐々に近づくにつれ、揺れはさらにひどくなった。

 その揺れによって地面が徐々にボコボコと盛り上がり、そこから木の根のような物が姿を表す。

 足場が悪くなる事も気にせず、幸生は斧を片手で持ち、ブン、と右に大きく振った。

 次の瞬間、ゴッと鈍い音が響き、何かが宙を飛んだ。

「ひゃっ!?」

 遠目で見ていた空が、ビックリして飛び上がる。

 幸生の振った斧にぶつかり、断ち切られて宙を舞ったのは長く巨大なヌシの茎のうちの一本だった。

 幸生を試すように鋭く振り下ろされたその茎は、斧の一撃で半ばから真っ二つにされて高く打ち上げられ、それからゆっくりと田んぼの端に重たそうな音を立てて落ちた。

 それを合図にしたように、エノキダケのように茎が密集していた稲が、バラバラとほどけて姿を変える。

 密集していた茎は根元を起点に斜めに大きく広がり、その隙間から刃物のように鋭く長い葉が現れた。

 最初の姿より随分と稲らしくなったそれには顔や目があるわけではないが、どうやってか足下にいる幸生らを感知し、自分に近づく者を威嚇するように長い葉を振り上げ、大きく揺らす。

 空は姿を変えたヌシが何となく怖くなって、雪乃の後ろ側にススス、と隠れた。

「んな怯えんな。どうせすぐに怖くなくなる」

 空の様子を見た善三がそう言って笑いをこぼし、手を伸ばして頭を撫でる。

「こわく、なくなる……?」

 どういう意味かと空が首を傾げると、善三はすぐわかる、と言って視線をヌシに戻した。

 ヌシは先ほどまでの倍くらいにその横幅を広げ、ブルブルと茎や葉を震わせ、それらを高く振り上げ――


「ほぴょるるるるるうるぅ!!」


 ――とても可愛い声で、甲高く鳴いた。


「え……?」

 空は思わず顔を回し、自分の肩に乗るフクちゃんを見た。フクちゃんはきょるんと首を傾げ、ピッと小さく鳴いたが、さっき聞こえたあの変な声とは似ていない。

「フクちゃん……じゃない、ね?」

「ピッ!」

 空が聞き間違いかと思い雪乃と善三を見上げると、二人ともどこか困ったような笑いを浮かべていた。

「相変わらず気の抜ける声ねぇ」

「全くだ」

 どうやら聞き間違いでは無かったらしい。

(……普通こういうボスって、キシャーとかシャゲーとかもっと強そうに鳴くものなんじゃないの?)

 そんな疑問を抱く間にも、ヌシはまた可愛い奇声を上げていて何だか和む。すぐに怖くなくなる、というのは、確かに当たっていた。

 シリアスさんの気配は一瞬で死んだらしい。

 周囲の村人たちも笑いを浮かべたり、太鼓係に声を掛けたりしている。

「やる気が失せらぁ! 太鼓叩けぇ!」

 その声に応え、太鼓がドォンドォンと勢い良く何度も打ち鳴らされる。小さい太鼓もテンポ良く加わって、それに合わせて声援が上がって周囲はたちまち賑やかになった。


「ぽぽぴゅりりりりり!」

 一体どこから出しているのか、またおかしな声がして稲がバサリバサリと羽ばたくように揺れた。

 その真正面に立った幸生が、もう一歩前に出る。

「あっ、じぃじっ!?」

 幸生の最後の一歩は、空には見えないほど早く、そして大きかった。

 空の目には幸生が不意に姿を消したように見えたほどだ。消えた姿を探そうと空が視線を移動する間もなく幸生はヌシのすぐ根元に現れ、斧を振りかぶってそれを叩きつけた。

 ドンッ、と重い音が響き、幸生に向かおうとしていた茎と葉が何本も断ち切られ、吹っ飛んで落ちる。

 ヌシは怒ったように更に葉を増やし、その鋭い切っ先を幸生へと殺到させ――しかし、それは横合いから振られた大鎌の一閃によって、たちまち右半分がバラバラと地に落ちた。残り半分も、幸生の振るう斧によって断ち切られている。


「あー! やりたくねぇぇえ!」

 バラバラと降ってくる葉や茎を器用に避けつつ、良夫が叫びながら稲の茎を蹴ってどんどん登って行く。身軽で素早い動きはそれこそ物語の中の忍者のようだ。

 それを撃ち落とそうと今度は周囲の穂が揺れ、ラグビーボールのような籾が砲弾のように良夫の方に向けられた。しかしそれが投げつけられる事は無かった。

 様子を見ていた大和が着物の襟元から白い紙の束を出し、それを高く放り投げる。

 大幣と同じ白い和紙で作られた幣紙へいしはバラバラになって宙を舞い、ひらひらと周囲に降り注ぐ。

「かしこみ、もうす!」

 パン、と高く柏手が打たれた次の瞬間、白い紙は地へと向かっていた動きをピタリと止め、今度はその真逆を目指して飛び立った。

 紙たちはまるでそれぞれに意思があるかのように稲穂に向かってヒュンヒュンと飛んで行く。そして良夫に狙いを定めていた穂や葉に次々張り付き、どうやったのかその動きをたちまち封じてしまった。

 動きを止めた葉を足場に、良夫は巨大な籾がぶら下がる穂の間を縫うようにすり抜け、その根元を手にした鎌で次々断ち切った。

 ドサドサと重い音を立てて穂が落ちて行く。合間に飛ばされる籾もあったが、それらは上手く避けられたり鎌や斧で弾き飛ばされたりして、見当違いの方に飛んでは子供たちに網でキャッチされていった。

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