57:少年たちの遊び
空は足下の草鞋がしっかり履けているのを確かめて外に踏み出す。
紐は結衣に結んで貰った。
まだちょっと怒っているので、その足取りはいつもより少し速く、そして荒い。
とはいえ、本当は空が自分で思うほど素早いわけでもなく、その小さな手は明良がぎゅっと握っている。
明良と手を繋いで歩く空を、少し前を歩く勇馬が時折振り向いて面白くなさそうな顔で見るが、流石に小さな子と手を繋ぐ事にまで文句をつける気はないようだった。
その明良も、隣を行く結衣も、武志抜きで外を歩く事が滅多にないせいかどこか落ち着かない様子だ。
それでも家の近所くらいなら道を間違うことはない。
武志が言っていた通り、明良の家から少し行ったところにある路地を曲がり真っ直ぐ進む。
しばらく歩くと先の方から子供たちの声が聞こえてきた。
「そっちいくぞー!」
「足より羽狙え!」
聞こえてくる何だか物騒な掛け声に、空の足取りが思わず少し鈍る。
「そら……やっぱやめる?」
「う、ううん! いく!」
足取りが鈍ったことに気付いた明良の視線を受け、空はぶんぶんと首を横に振った。
勇馬に馬鹿にされたまま引き下がる訳にはいかないと、空は必死で自分を奮い立たせ足を進めた。
林の一番近くにある家の角を曲がると、そこは少し開けた草むらになっていた。山裾の林と住宅街の間の緩衝地帯のような空き地らしい。
その空き地の端、林の近くの草むらで明良達よりも少し年かさの少年たちが大騒ぎしていた。
「あ、もうつかまえてる! いこーぜ、アキラ!」
その騒ぎを見るなり、勇馬は明良に声を掛けて一人で駆けだした。しかし明良はついていかず、空の手を取ったままゆっくりと集団に近づき、少し離れて立ち止まった。
空も釣られて立ち止まり、そこから子供たちの騒ぎを眺める。
子供たちは全部で六、七人くらいいた。年齢も背丈もバラバラだが、皆男の子だ。その中には武志ももちろん交ざっている。やはり虫取りは主に男の子達が夢中になる遊びらしい。しかし空のように小さな子供の姿はなかった。
彼らは皆で一匹の大きくて茶色いものを囲み、もうほぼ動かないそれを前に何か相談しているらしかった。
空は大きく艶めいた焦げ茶色のそれに、ひぇっと息を呑んだ。
「アキちゃん……あれ、カブトムシ?」
「うん。そら、みるのはじめて? おっきいし、ちからもつよいから、ここでみてような」
「ぼく、とおくからしかみたことない……」
空は少し距離を取ってもわかるその大きさにドン引きした。以前遠目から見た時も大きいと思ったが近くで見ると更に大きい。
体だけでも大型犬のように大きく、角はその体の半分以上ある。どこもかしこも固そうで、ぶつかっただけでも痛そうだ。
それを子供たちだけで狩れるなんて、田舎の子供は恐ろしい。
「アキちゃん、みんな、なにしてるの?」
何事かを話し合い、それから数人でジャンケンを始めた子供たちの姿に、空は首を傾げた。
「んーと、だれがあのカブトムシのツノをもらうか、ジャンケンしてるんだとおもう」
「ジャンケン……」
「みんなでつかまえるから、もらうのはがんばったじゅんとか、ジャンケンとかなんだって。おにいちゃんがそういってたよ!」
子供たちの目当ては主にその角だが、カブトムシなら大抵それは一本しかない。だから活躍した順や、その中でのジャンケンで誰が貰うのかを決めるのだという。
「おれたちみたいにちいさいと、もらえるのあとになるだろ? だからなつに、きょうみたいにいっぱいいるとこ、みんなでさがしてねらうんだ」
カブトムシは夏以外はあまり群れないのだと明良は教えてくれた。
群れているところを見つけると、こうやって近所や仲の良い子供たちが集まって、皆で虫取りをするのだという。それなら楽に狩れるし、参加者全員に角が行き渡るかららしい。
それを聞いた空は、ちょっと申し訳ないような気持ちで明良の顔を見上げた。
「……アキちゃんは、よかったの?」
「おれ、いまのクワガタのカマきにいってるんだ。だからカブトムシはまだいいかなって」
そう言って明良はにっこりと笑う。空を気遣っているのか、本心なのか。そのどちらもかもしれないと思うような優しい笑顔だ。
「アキちゃんのカマ、クワガタなんだ……」
普通の金属のカマに見えたのに、と空はそれにも驚いた。
「まえにタケちゃんといっしょにかったんだ」
そしてその角を一本ずつ分けたのだと教えてくれた。
クワガタの角は二本あるので一緒に捕まえた友達と分けるのが普通らしい。
「そらがもうちょっとおっきくなったら、いっしょにつかまえような。そんで、はんぶんこしよ!」
「う、うん!」
「えー、わたしともわけっこしよーよ。いまつかってるの、おにいちゃんのおさがりなの。そらちゃんとならむしとりしたい!」
「んと……あ、じゃあぼくにとうりゅうにする!」
「それかっこいいな! おれもそうしようかなー」
などと和気藹々と話をしていると、それに気づいた勇馬がまた怒ったような顔でこちらに駆けてきた。明良はそれを見て少しだけ空の前に出た。
「アキラ! なんでおまえこっちこないんだよ!?」
「だっておれ、みにきただけだもん。どうぐとかおいてきたし」
「ど、どうぐならオレがかしてやるし! いっしょにやろーぜ!」
せっかく来たのに明良が思ったように乗ってこない事に勇馬は苛立ちを募らせた。その気持ちが溢れて空や結衣をつい睨み付けてしまい、明良がムッとした顔をする。
また喧嘩になるだろうかと空がハラハラしながら二人を見ていると、向こうから聞き慣れた声が聞こえた。
「あれー? 皆来たの? どしたんだ?」
声の主は武志だった。空達がいる事に気がついて、子供たちの輪を抜けて駆けてくる。
「あ、おにいちゃん。あんねー、アキちゃんちにいたら、ユウマくんがいっしょにあそべってもんくいいにきたの」
「いってねーだろ!?」
「いったよな?」
「うん」
結衣の言葉に慌てる勇馬や頷く空達を見て、武志は何となく事態を察したらしい。
「それで見学? っていうか、お前らだけで出歩くなよー。俺がかーちゃんに怒られちゃうだろ。ヤナちゃんは?」
「ヤナちゃん、ばぁばにおとどけものしにいったの」
空がそう言うと、武志は驚いて口をぽかんと開けた。
「もしかして、ヤナちゃんに内緒で来たのか!? バレたら怒られるぞ!」
「えっ!? た、タケちゃんといっしょでもだめ?」
「ここに来る事ヤナちゃんに言ったのか?」
「いってない……ヤナちゃん、もうおでかけしてたから。ばぁばのおてつだいするかもって」
武志はどうしたものかと、ううんと唸って考え込んだ。明良の家からここまでは遠くない。すぐに連れ帰ればバレないし、怒られないとは思う。
しかし隣にいる勇馬は明良の手を取ってぐいぐい引っ張り、一緒に遊ぼうと誘っている。
勇馬は武志とここで顔を合わせ、明良がいないと知るや散々に騒ぎ立てた。そして明良を連れてくると言い張って、皆が止めるのも聞かず明良の家に走って行ってしまったのだ。
武志がすぐに明良や空を連れて帰ると言っても、勇馬は絶対納得しない気がした。
「おーい、タケシー! 次どうするー?」
「あ、先やってて! すぐ行く!」
「おー!」
友達から声を掛けられ、武志は手を振り返してそう叫んだ。
「アキラ、いこうぜ!」
「えー、おれやっぱりかえるよ」
「なんで!」
揉めている二人をとりあえず置いて、武志は結衣に声を掛けた。
「結衣、空とちょっとここから動かないで見ててくれる?」
「うん、いいよ」
「空、結衣と大人しくしてられる? 一回終わったらすぐ送ってくから」
「うん。ごめんね、タケちゃん」
「気にすんなよ。そんで、明良」
武志が声を掛けると腕を引っ張る勇馬と綱引き状態だった明良が振り向いた。
「俺の道具貸してやるから一回だけ参加して行けよ。空は結衣とここで見てるし」
「でも……」
「勇馬だって、一回でも一緒にやれば気が済むだろ? 二人で、空にかっこいいとこ見せればいいじゃん」
明良はその言葉に少し迷った。明良とて別に虫取りが嫌いなわけじゃない。むしろ好きだ。
勇馬と遊ぶのが嫌なわけでももちろんない。
兄弟も近所の小さな子もいなかった明良は、空といる時は良いお兄ちゃんでいたくてちょっと頑張って背伸びをしているだけなのだ。
「アキちゃん、ぼく、アキちゃんがむしとりしてるとこみてるね!」
「うん……じゃあ、おれいっかいやってくる!」
「うん! いってらっしゃい!」
「やった! じゃあいこ!」
空はちょっと大人になって、勇馬に譲ってやることにした。
そうでなければこのまますんなり帰してくれなさそうだし、明良と勇馬の関係が拗れるかもしれない。空は明良の交友関係を壊したい訳ではない。
ここで見学している分には別にそう怖くもなさそうだし、それで駄々っ子の気が済むなら仕方ない。
参加はしないが見学という目的は達成したし、これで空も弱虫とは呼ばれないだろう。
そんな事を考えながら、空は笑顔で走って行く二人に手を振った。
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