15:田舎の隣は遠い。

 お隣さんは百メートル向こうにあった。

 田舎の隣は遠い、と思いながら空はとことこと一生懸命歩く。幸生から貰った草鞋は思ったよりずっと歩きやすくて、しかもいつもより早く歩ける気がする。空は気になって、手を繋いでくれている雪乃を見上げた。

「ばぁば、ぼく、はやい?」

「うん? そうね、いつもより速く歩けてるわね。善三さんの草鞋だから、防御の他に速度上昇も付いてるのかもしれないわね」

(……わらじとは一体)

 草を編んだだけの履き物への概念が空の中で変わりそうだ。そんなことを考えながら一生懸命歩くと、あっという間に隣の家に着いた。お隣さんも幸生の家と大差のない、田舎の大きな農家といった風情の建物だ。雪乃は勝手知ったるとばかりに門扉のない開けっぱなしの門をくぐり、玄関の戸をカラカラと開けて声を張り上げた。


「こんにちはー! 美枝ちゃんいるー?」

「はーい!」

 答えが返って、奥からパタパタと雪乃と同じくらいの年頃の女性が出てくる。

「おはよう、美枝ちゃん。突然ごめんね」

「いらっしゃい、雪乃ちゃん。あら、もしかしてその子が空くん?」

 美枝と呼ばれた女性は玄関の上がり口にしゃがみ込むと、雪乃の足にしがみつく空ににっこりと笑いかける。

「こんにちは、そらです!」

 空が元気よく返事をすると美枝の笑顔が更に深まる。

「まぁまぁ、可愛いわねぇ! 良かったわね雪乃ちゃん、毎日楽しいでしょう?」

「そうなのよ~、ほんと、可愛くて!」

 雪乃はころころと笑って、空の頭を撫でる。美枝もまたそれを微笑ましく眺めた。

「あ、それでね美枝ちゃん。今日明良くん達が山菜採りに行くって言ってたでしょ? 良かったら空を紹介したいと思って連れてきたんだけど、どうかしら?」

「いいわよ、今支度してたとこだから呼ぶわね。明良ー!」

 雪乃の言葉に軽く頷くと、美枝は振り向いて大きな声で孫を呼んだ。奥からはーい、と高い声が響く。ふすまが開く音がして、パタパタと走る小さな足音が聞こえてきた。


「なに、ばーちゃん。もうタケちゃんたちきた?」

「まだよ。お隣の米田さんちの子が来てくれたの。明良に紹介したいって」

 走ってきたのは五歳にしては少し体格の良い、元気そうな男の子だった。

 真っ直ぐな黒髪を子供らしいさっぱりとした長さに切りそろえて、青いパーカーに上着を羽織っている。

「あ、あたらしい子? このまえとおくからきたっていってた?」

「そう、米田さんちの空くん」

「そらです、こんにちは!」

 空が挨拶すると明良はその姿をじっと見て、それから嬉しそうに笑顔を見せた。

「おれあきら、よろしく! やった、おれよりちいさい子だ!」

 その言葉に空が首を傾げると、美枝がクスクスと笑った。

「この近くには明良より小さい子がいなかったのよ。仲が良い武志くんは二つ上で、その妹の結衣ちゃんは同い年だしね」

「そう言われて見れば、他の町内にはいるけど、この辺では五歳以下の子は今いないわね」

「そう、だから弟が欲しいってうるさくって」

 微笑ましそうに見つめる祖母達の視線は気にせず、明良は玄関に下りると空の顔を楽しそうに覗き込んだ。


「そら、おれこれからさんさいとりにいくんだ。いっしょにいく?」

「さんさい……ぼくでもとれる?」

 空が不安そうに聞くと、明良は美枝の方を見上げた。

「ばーちゃん、ツクシとかフキノトウだったらだいじょうぶだよな?」

「そうねぇ、その二つとあとはこごみくらいだったら良いんじゃない? あんたも初めて連れて行ったのは空くんくらいの頃だったし……」

(三歳で山菜採り……ダジャレみたいだ。早いんじゃないかと思うけど、田舎ではそれが普通なのかな)

 やっぱり田舎の洗礼は早い方が良いのか、と空はそのスパルタぶりに内心でちょっと怯えた。自分が行って役に立つかはわからないが、一応ツクシやフキノトウくらいなら、前世の頃写真や映像で見たことがある。それを摘むお手伝いくらいならできるんじゃないかと思いたい。

「タラの芽は止めておきなさいね。届かないだろうし、近づくとトゲを飛ばすから」

「わかってるって! あれはたてがいるってじーちゃんいってたもん」

(たて……盾? どんな山菜?)

 空がドキドキしてきた胸にそっと手を当てて自分を宥めていると、明良がバタバタと奥に駆けていき、それからリュックを背負って戻ってきた。


「あ、そらどうぐある? かそうか?」

 明良の言葉に、そういえば手ぶらだったと空は雪乃を見上げた。雪乃は背中にナップサックを背負っている。

「空は今日初めて外に出るから、念のため付いていこうと思って道具は私が持っているの。明良くん、いいかしら?」

「いいよ! ゆきのおばちゃんつよいからあんしんだし!」

 明良はそう言って快諾し、玄関で急いで靴を履いた。空の物とは違う、普通の子供靴だ。靴を履いている最中に視線が下がったことで、空の足下が目に入ったらしい。明良は空の履いている草鞋を指さして、首を傾げた。

「そら、わらじ? それもしかしてぜんぞーさんの?」

「うん。なんでわかるの?」

「うちのじーちゃんもはいてるから。すげーつよいからやまにいくときはぜったいこれだって。いいなぁ!」

 その声が本気で羨ましそうで、空は何だか不思議な気分だった。空の目からすれば、草を編んだだけの草鞋より、明良が履いている青と黒のスニーカーの方が格好良く見えるからだ。

「もう少し大きくなったら明良にも作って貰えるよう頼んでくるから。今はまだ必要ないでしょ」

「ちぇっ」

 美枝はそう言うと口を尖らせる明良の頭を撫でて、それから空の足下を見た。

「空くん、足下寒くない? 靴下無くて大丈夫?」

 そう言われて見れば空は裸足に草鞋を履いただけで靴下は履いていない。春だからまだ気温はさほど高くないはずなのに、ここまで歩いてきても気になることはなかった。

「さむくない、みたい?」

 空がそう言うと雪乃も頷いた。

「それが、気候耐性も付いてるみたいなのよ。あと完全防御と、多分速度上昇かしら」

 雪乃が呆れたような口調でそう言うと、美枝は面白そうに大きな笑い声を上げた。

「あっははは、幸生さん、相当頑張って善三さんに頼んだのね!」

「そうなのよ。毎日出かけてると思ったら、材料集めたあと訪ねていって、飲み比べで賭けてたみたい。ほんと、今から過保護で困るわぁ」

 困る、と言いつつも雪乃もまたニコニコと笑っていた。空は自分の足をじっと見下ろし、祖父の過保護さを恐れると共に、深く感謝した。

(じぃじが何か頑張ってくれたらしい事はわかった)



「ターケちゃん、いこー」

「はーい、いまいくー!」

 明良と連れだって次に訪ねたのは、矢田家から二軒隣の野沢家だった。明良は扉を開けると大きな声で呼びかける。その声に応えて奥から出て来たのは、明良より年嵩の男の子と、同じ歳だと言っていた女の子だった。

「お待たせ!」

「アキちゃんおはよー」

 それぞれが明良に声をかけた後、雪乃と空の方を見た。

「雪乃おばさん、こんにちは、どしたの?」

「あ、しらない子! だれー?」

 長い髪を二つに結った女の子が不思議そうに空に近づく。雪乃が空の背を押し、空は二人の前に出た。そして明良がにこにこしながら空の事を紹介してくれた。

「あんね、ゆきのおばちゃんとこにこないだきた、まごなんだって! そらっていうんだ!」

「そらです、こんにちは!」

「えー、かーわいい! ちっちゃい!」

「あ、東京から来た子がいるってかーちゃんが言ってたっけ。そっか、空だな! 俺武志! こっちは妹の結衣。よろしくな!」

「ゆいだよ、よろしくね!」

 二人は元気よく名前を教えてくれた。それだけでもう受け入れられているようで、空も嬉しくなる。ニコニコしていると、雪乃が二人について行ってもいいかと聞いてくれた。

「いーよ。ツクシとかなら簡単だし。じゃあ、行こっか」

「そらちゃん、ゆいとてをつなご?」

「そらはおれといくの!」

 突然できた弟分に、明良も結衣も嬉しいらしい。空は両方の手を二人に一つずつ取られて、武志に先導されながら田舎道を歩き出した。後ろではそれを微笑ましそうに雪乃が眺めていた。



「そら、さんさいなにがすき?」

 田んぼの脇の砂利道を歩きながら明良にそう聞かれて空は少し考えて首を横に振った。

「わかんない。まだたべたことない」

 都会育ちで田舎を知らなかった空は前世でも山菜を口にした記憶がなかった。季節になれば東京のスーパーでも少しは並んでいた気がしたが、量と値段が完全に嗜好品のように感じたし、多分買っても料理の方法も知らなかったと思う。

「たべたことないの?」

「うん」

 そう言うと明良は少し不思議そうにしたが、そっか、と言ってそれ以上聞かなかった。

 代わりに結衣が元気に答えた。

「わたしツクシはいいけど、フキノトウはいや!」

「にがいよなあれ。おれこごみはすき」

「俺山菜あんま好きじゃないなぁ」

 子供達それぞれの言葉に空は首を傾げた。

「すきじゃないのにとるの?」

 そう聞くと、武志がうん、と頷く。

「かーちゃんが、山菜採ってくると肉増やしてくれるんだ!」

「うちはじーちゃんが、たんれんになるからいけって」

「たんれん……」

 こんな小さいうちから鍛錬だなんて、空もやっぱり今からもっと色々しなきゃいけないのだろうかと悩んでいると、雪乃が笑って言った。

「山菜採りは子供の遊びなのよ。遊びながら色んな事を覚えるのが一番いいからね」

「うん、俺も山菜採るのは好きだよ。面白いもん!」

「ゆいもすき!」

「おれもー!」

 全員が笑顔でそう言うので、空はちょっと安心した。どう面白いのかはわからないが、とりあえず遊びなのは間違いないらしい。田舎の子供達の遊びというのは、空の憧れの一つだ。かなり想像とかけ離れた田舎ではあるが、皆が楽しいと口を揃えて言うのだから、ちょっと期待が持てる。

 そんなことを考えているうちに、子供達はようやく目的地に到着した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る