その街の人々

沙羅双樹

第1話 その街で出会う人々・ブックカフェの由紀さん

 その日、片桐賢治は、I駅で降りた。勤め先から自宅の途中にある駅。夕方6時ということもあって、エキナカのビルはにぎわっている。

 駅の外に出れば、バスターミナル。タクシー乗り場。商店街。人でいっぱいだった。

 片桐は仕事で疲れるとたいていこの駅で降りた。勤め先と自宅のある駅の途中にあるこの街は、ほっと息抜きをするのに最適な街だった。勤め先の人とも、家の周囲の人とも、誰にも会わないですむ。とても気楽な街だった。

(家のある街を第一の街、勤務先のある街を第二の街とすると、この街は第三の街になる、男には第三の街が必要だ)

 片桐はそんなことを思った。

行き場所はいくつかあった。駅前の書店。深夜までやっている大きなディスカウントストアー。飲み屋街。飲み屋街にはちょっとした風俗店もあった。

 そしてもう一つ、コラールという雀荘だった。

「コラール。雀荘としては珍しい店名ですね」

 初めてコラールに足を踏み入れた1年前、片桐が経営者の松本に訊くと、松本はこういった。

「コラールは牧場という意味でね、私ね、実は栃木県の那須で牧場をやっていたんだ。祖父の代からね。でも、田舎にいるのがいやになってしまってね、両親が他界した時に牧場は人に譲ってしまって、その金でここに雀荘を開いたってわけなんだ。時々、那須の牧場のことを思い出すよ。人に売ってしまったのは間違いだったんじゃないかって後悔することもあるんだ。仕方ないけどねえ。あの辺にいても過疎だからさあ。淋しくなっちゃってね。ま、あの牧場の思い出に、この店も牧場、コラールという店名にしたってわけさ」

 コラールは駅前にあるせいか、いつ行ってもにぎわっていた。


 その日、片桐が入った時には、奥のフリーの卓が二卓。ほかにセット卓が三卓立っていた。

「片桐さん、久しぶりですね」

 松本が来て、満面の笑顔を見せた。松本は、客にはこのような愛想の良い態度をして、従業員には一変して鬼のような姿勢を見せる男だった。

(こういう商売をしているからには、いろいろな従業員を雇わなくてはならない。従業員に甘い顔をするわけにはいかないんだろうな)

 片桐はそんなことを思った。

「フリーの卓、ラス半入ってます。もう少しお待ちくださいね」

 松本は、テーブルにコーヒーを置いた。

 コーヒーを飲みながらフリーの卓に目をやると、時々見かける女の客の姿があった。

 その女は、

「由紀さん」

 従業員や常連客からそう呼ばれていた。

 30歳を少し過ぎたくらいだろうか。品のいい女性だった。OLというわけでもない。水商売というわけでも、ただの主婦というわけでもない。何か仕事をしているようだった。片桐は由紀に興味をもってはいたものの、何の仕事をしているのか訊いたことはなかった。

 由紀は、片桐の視線に気づいて、片桐の方を見た。由紀は、「懐かしい友人に会った」という感じの笑顔を向けた。片桐も笑顔であいさつした。

 少しして、

「1卓ラスト―。優勝は由紀さん!3連勝おめでとうございます!」

 という従業員の声が聞こえた。

 次に、その男性従業員は、

「片桐さん、お待ちどうさまでした」

 と、片桐を由紀の卓に案内した。


 ラス半を告げていた客が抜け、そこに片桐が入る。片桐は由紀の上家(左側)に入った。

 新しい半荘が始まる。

「由紀さん、強いよね。プロになれるんじゃない」

 片桐の対面の客がいった。

「たまたまですよ」

 由紀はそんなことを言ったが、誉められてまんざらでもなさそうだった。

 それから、片桐は由紀と半荘3回を打った。

 片桐は半荘3回ともさっぱりな結果だった。いくら力を出して打っても、由紀にうまくかわされて上がられてしまう。ほかの二人の客も「まいったなあ」という顔をしている。

 結局その3回とも由紀がトップを取った。

 もう午後十時近くになった。

「店を閉めなくちゃ。悪いけどこれで終わりにするわ」

 と、由紀は席を立った。

「店? 何かお店をやってるんですか?」

 と、片桐は訊いた。

「ブックカフェ。このビルの7階。今度いらしてくださいね」

と、由紀は片桐に笑顔を向けた。

 コラールはビルの5階にあって、7階はブックカフェ。片桐も7階にブックカフェがあることは気づいていたが、入ったことはなかった。

(そうか、由紀さんはブックカフェの経営者なのか。今度、この街に来た時にはコラールに入る前に、ブックカフェに入ってみるのも悪くないな。第一、その方がお金を損しなくてすむ)

 片桐は、そんなことを思いながら、コラールのドアを開けて出ていく由紀の後姿を見送った。

(続く)









 



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その街の人々 沙羅双樹 @sara_ituki

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