佐原 Ⅴ

「米川玲香、北野修平、水下蓮、國枝淳樹……」


 僕は部屋で、机に置いたノートにリストアップした一軍メンバーの名前を一人一人読み上げた。まだ、自分の心の中では彼らを殺すか、殺さないかの二つの感情が殺し合っている。奴らを殺害する計画は、ある。僕はあの後再びサークル部屋へ戻り、部屋を徹底的に調べ尽くした。そこで、大きな収穫を得たのだ。


 なんと、スケジュール表に「一軍メンバー登山会」という項目を発見した。日時は明日の夕方からさらにその翌日の午前九時まで。浅間山という山で一軍メンバーのみが集まり、キャンプを行うという内容だった。


 僕にとって、これは絶好のチャンス。むしろ、この機会を逃せば、奴らを殺害することはできないだろう。凶器なら潤沢にある。猟銃もあるし、家の中から見つかった工具用の斧、そして先ほどわざわざ購入した柳刃包丁まである。これなら、六人の一軍メンバーを殺害することは容易だろう。しかし、僕の中ではまだ決まらない。


奴らを殺すことが、本当に春香を救うことになるのか。


 僕は思い出す。


 春香が初めて生まれた日のことを。母さんがまだ生まれたての春香を抱きかかえて、僕は新たに誕生した命に興奮し、感動していた。春香は頭も良かった。言葉はすぐに覚え、二歳で会話することができた。小学、中学、高校と山が好きで、好きで、好きで。


 よく家族で山に登った。春香がいつも先頭だ。次は僕でビリは母さん。春香は生粋の山好きで……。ただ山が登りたかった一心で登山サークルに入っただけなのに……。


 刹那の内にいくつもの情景が再生され、気づけば僕は嗚咽していた。


 その時だった。


「慶次、起きてる?」


母さんが僕しかいない兄妹部屋に入ってきた。よく見ないうちに、母は明らかにやつれていた。というか、こうやって面と向かって会話するのも春香が死んで以来初めてである。


「ごめんね、こんな夜遅くに」


「どうしたんだよ」


 僕はしばらく顔を合わせようとしなかった母さんに対して少し冷たくなっていたような気がする。いや、母が僕を無視していたのだろうか。今更何をしに来たというのだ。


「今日まで辛かったよね、ごめんね、慶次」


「いつまでも子供扱いしないでくれよ」


 甘やかすような母の言い方に、僕は溜っていた怒りをぶつけた。


 でも、予想以上に言い方が冷たくなってしまった。


 母さんの顔面は白くなっていったが、やがて真っ赤に赤くなり、憤慨した。


「じゃあどうやって貴方に接すれば良いのよ!」


「ごめん、言い方が気に障ったよね」


「もう、やめて!早く出て行って!」


 耳をおさえて彼女は僕の部屋で暴れ出した。机の上の参考書、人形、投げ散らかしては踏みつけて、地べたを這いずり回った。いきなり静止したかと思うと、わおん、わおん、と泣き出してしまった。


「ごめん、変なこと云っちゃって」


「私……もう、どうすればいいのかわからない」


 泣きじゃくりながら暴れるその姿は、まるで赤子のようだった。もう、母さんはおかしくなってしまったのか。


「母さんごめん」


 やがて母さんは部屋を出て行った。もう、全部奴らのせいだ。奴らのせいで僕の家庭は崩壊しかけている。もう迷う必要は無くなった。


 よし、殺そう。


 僕は普段愛用しているショルダーバッグを投げ捨て、ゴルフバッグを取り出した。中に猟銃をしまい、斧を強引に押し込む。戦場に行くわけでもない。何せ相手は無防備、無抵抗だ。


 最後に何かやり残したかと自室を見渡す。特にない。


 僕は凶器を入れたゴルフバッグを置き、眠ることにした。恐らく人生で最後に、安らかに寝れる機会だ。


 ようし、明日は特攻だ。我が生涯に一片の悔い無し、だ。



目覚めたのは午後の一時半だった。「よし」と僕はゴルフバッグを手に担いだ。自室を出ようとドアノブに手を当てる。今日でこの部屋ともお別れだ。そして、この家とも、母さんともおさらばだ。


 むなしい気持ちになることを想像していたが、案外すっきりとした気分だった。心を渦巻いていた迷いが無くなったからか。


 母さんには、どこに行くかを云うつもりは無かった。あったとしても、昨日の一件で母さんはまともに会話することすらできないはずだ。


 一階に降りて、靴を履き、ゴルフバッグだけを持って、ドアノブに手をかける。


「行ってきます」


 聞こえたか、聞こえていないかは分からなかった。僕の小さな声が、彼女に届いただろうか。でも、そんなことはどうでも良い。僕は外に出て、浅間山を目指して歩き出した。


 僕の心には、「殺す」という邪念だけが渦巻いていた。

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