好きと気づいた、そのあとで

空見 れい

第1話 初恋は桜餅

 高校の卒業式も終わり、少し気が抜けたある日。

目が覚めて窓の外を見ると、あまりにもいい天気だったことに気を良くした俺は、そのまますぐに部屋を出て、顔を洗い手早く着替えると、バスケットボールを持ってあっという間に外へ出た。

 ずっと中学・高校とバスケ部を続けていたから、部活の朝練や自主練で早起きは慣れているんだよね。

 伸びてうねった前髪が、太陽の光で栗色に見える。朝の空気って良いよね。パリッとしてるって言うか、人や車がまだ少ないから、空気が澄んでいるように感じる。

 ウチから少し歩いたところにスポーツ公園があって、俺はそこのバスケットボールのハーフコートでいつものように自主練を始めた。

 まあ、部活はもう引退したんだけどね。この場所は俺にとっては特別な場所だから、つい来ちゃうんだよねー。

「あれっ?今井先輩!おはよーございます!」

 しばらく黙々とシュートを打っていると、不意に後ろから声を掛けられた。

「あれー?天王寺君じゃん!はよー!」

 振り向いた先にいたのは、中学・高校の後輩で2つ下の天王寺久志だ。こいつは野球部だから部活の後輩とかじゃないんだけど、俺の仲間の彼女の友達で、時々接点がある。

 髪は短くて切れ長の目が際立ち、パッと見はとっつきにくそうにも見える。だけど本当は不器用で、純粋な良いヤツなんだよね。

「朝練っすか?俺もここの公園にはよく来るけど、こっち側にはあんまり来ないから会わなかったですね。」

 天王寺も動き易そうな服装だ。ちょっと走って来たのかな?

「まあねー。何か、朝は動かないと気持ち悪いって言うか、一日が始まらない感じがしちゃうんだよねー。」

 天王寺が妙に納得した顔をしている。

「なんかそれ分かります!俺も走らないと気持ち悪くて…、走ったら腹が減ったので、ポチのいる店にパンを買いに行こうと思ってここを通ったんです。」

 ポチと言うのが、さっき出てきた俺の仲間の彼女。名前は藤川奈々子ちゃん。白くてふっくらしてて、小っちゃくて可愛いから、俺は大福ちゃんって呼んでる!

「あー、大福ちゃんがアルバイトしてるパン屋さんね!…俺も行こうかな?大福ちゃんを買いに!」

「えっ?そんなこと言うと、また小石川先輩に怒られますよ…。」

 小石川っていうのが俺の仲間で、小石川和己。和己とは本当に小さい頃からの付き合いで、家も近い。

 大福ちゃんの事を溺愛しているやきもち焼きで、クールなようで内面は熱くて真っすぐな分かりやすいヤツ。

 あ!そうそう、俺の名前は今井恭平。チャームポイントは八重歯だよ!

 和己の高校の同級生で、中山真斗ってヤツがいるんだけど、俺と顔の方向性もキャラも一緒だってみんなが言う。

 違いは八重歯だけなんだってさー!まあ、中山は男気があって面白いヤツだから良いんだけどね!

 心配する天王寺を引き連れて、大福ちゃんの働いているベーカリー『mugimugi』へ、レッツゴー!

「そう言えば、今井先輩は大学の推薦を蹴ったんですか?俺、大学に行ってもバスケは続けるんだと思ってました。」

 歩きながら、天王寺が聞いてくる。

「そーなんだよねー。俺さ、こう見えて実家は老舗の和菓子屋なんだよ。いずれ家業を継いでいくって言う、王道のルートが待ってるんだよね。」

「えっ⁉あー…、でも、だから今井先輩のたとえは和菓子なんですね。」

 実家は創業から600年以上続いている、地元では有名な和菓子屋で、俺も和菓子は大好きだ。とは言え、俺は和菓子が作れない。どうやってもあの繊細な作業ができないんだよね…。好きなものだからこそ中途半端なものは作れないし、とは言え、なかなかうまく作れない。その点、姉の美月は昔から手先が器用で、落ち着いて繊細な和菓子を作る。だから本当に店を継ぐのは美月だ。

「…バスケはさ、もちろん好きなんだけど、プロを目指すっていうのは俺にはちょっと違うんだよね。そういう道を選ぶと、純粋にバスケを楽しめなく気がする。そういうのはさ、同じくバスケで大学推薦を受けた佐々野みたいな、メリハリつけられるようなタイプがきっと上手くいくんじゃないかな?」

 俺がそう言うと、天王寺が複雑な表情で考える。

「そっかー。確かに今とは違う向き合い方になるっていうか…、その点、佐々野先輩はモチベーションの維持とか、気持ちの切り替えが上手いですよね!なんか分かる気がします。」

 佐々野秀一も和己と同じで、小学生の頃からの付き合い。体が大きくて眉がキリっとしている風貌に、覇気のある話し方は、まさに応援団長のスタンダードなイメージ。勉強も、委員会の仕事も、バスケもそつなくこなす器用な奴。しっかり、近隣の女子高に彼女までいるし!…あ、そーいえば?

「そういえば、彼女は出来たのか?」

 俺が聞くと、天王寺はギクッとなる。

「えっ⁉誰から聞いたんですか?…って、言いそうなのはたくさんいるか。」

「そうそう、俺の情報網は広いからねー!」

 天王寺はやっぱりという顔をして、ちょっと赤くなる。

「自分でハードル上げすぎちゃって、…まだ出来て無いっス。なかなか良いなって思える子もいないし、そもそも男子校だし…、今井先輩は出来たんですか⁉」

 おっと!質問返しされちゃったか。

「ははっ、俺も一緒―!男子校は出会いが無いねー。」

「今井先輩は良いじゃないですかー!いつも近隣の高校から女子が部活の応援に来てて…あの中に良い子はいなかったんですか?」

 ???

 …そうだったか?言われてみればいたような?

「あ、やっぱり気付いて無かったんスね!今井先輩はそういうことに興味なさそうって言うか…。みんなでプールに行った時も、俺の事を一緒にナンパしようって誘って連れ出したけど、本当は小石川先輩とポチを二人っきりにしてあげるための口実だったし。」

 興味無いわけじゃないんだけどなー。和己とか他の仲間を見てると、良いなって思えるし。

 でも、好きって何か、もう分からなくなってるんだよね。

 しいて言えば、大福ちゃんの事は好きって思ったかな?でもそういう好きじゃないんだよねー。

 うーん。

 しばらく話しながら歩いていると、大福ちゃんのいるお店が見えてきた。久しぶりだなー!

 近付くにつれて、パンの香りが漂ってくる。普段はあんまりパンを食べないけど、この香りにはやられちゃうよねー。入り口を開けると、ニコニコした大福ちゃんの顔が目に入る。

「いらっしゃい…、あー!今井先輩!…と、天王寺!」

 大福ちゃんは相変わらず顔がムニムニしてるなー!

「珍しい組み合わせですね。朝早くからどうしたんですか?」

「大福ちゃんを買いにきたよー!」

 和己がいないから、ちょっとからかってみた。

「今井先輩…パン屋さんに大福は売ってません。」

 あっ、大福ちゃんが膨れてる。こういう所が可愛いんだよね。

「スポーツ公園で今井先輩にあってさ、その流れで一緒に来たんだよ。」

 天王寺がすかさずフォローする。

「あー!そうなんですね。今日のおススメはイチゴのデニッシュですけど、…今井先輩なら米粉のあんぱんがおススメです!あんこ、好きでしたよね?」

 あ、俺があんこ好きなこと覚えてくれてたんだ。いつか、何かの話の中でちょっと言っただけなんだけど。

「さっすがー!じゃあ、俺はそれ!」

「じゃあ、俺はイチゴのデニッシュにしよー。」

 お?天王寺は意外と甘党なんだな。…人の事言えないけど!

「あ、そう言えば!最近、その公園のクラブハウスに、ストリートピアノが設置されたのは知ってますか?時々金髪の女の子が現れてピアノを演奏していくらしいんですが、それがとても素敵で話題になっているみたいですよ。」

「へー!天王寺知ってた?」

「そう言えば、時々ピアノの音は聞こえた気がするかな?」

 あの公園にはよく行くし、今度覗いてみるかな?


 大福ちゃんのお店でパンを買って外へ出ると、街が少しずつ動き出していた。

 休日なので通勤の人は少ないけど、スーツケースを持った旅行者や、出張で来ていそうな会社員がバスを待つ姿が見える。

「天王寺はこれからどうするの?」

 俺は何となく聞いてみた。

「俺はこのあと西谷と買い物に行ってきます。」

 西谷八尋もウチの高校の後輩で、大福ちゃんや天王寺のお友達。運動部の天王寺よりも、体ががっしりしてて背も高いけど、実は料理部。かなり料理は上手いみたいだ。天王寺や大福ちゃんたちは、よく西谷の家に集まってみんなで料理をしているらしい。

「買い物?また食材でも買って、一緒に料理するのか?」

「いえ、今日は西谷が新しい調理家電を見たいって言ってて、電気屋を何件か回ろうかと。」

 調理家電?西谷らしいなー。

「調理家電って、何となく初めは馴染みが無かったんですけど、結構面白いんですよ!そんなに料理はする方じゃないけど、便利な機能がたくさんあって、そのアイデアが面白いって言うか…。よく行くから店員さんにも顔覚えてもらって、いろいろ教えてもらえるんですよ。」

 なるほどなー。俺で言う、和菓子道具か。和菓子にもたくさんの道具がある。その道具からどんな和菓子が出来上がるのかを考えるのは楽しい。

 繊細な味や形を作るために道具も作業場も常に清潔で、キチンと道具が揃っているのも気持ちいいんだよね。


 大福ちゃんの店の前で天王寺と別れると、俺はまた1人で歩き出した。

 まだ時間も早いし、天気も良いし、公園に戻って大福ちゃんおススメの米粉のあんぱんを食べよっかなー?

 うん!そーしよー!

 カフェで大きめのコーヒーを買い、もう一度公園の方に戻ると、ピアノの音が聞こえてきた。

 あれ?もしかして、これが大福ちゃんが言ってた『金髪の女の子』かな?ちょっと見に行ってみるか。

 クラブハウスは公園と駐車場とを隔てるように建っていて、広めの休憩スペースには自販機とたくさんのベンチやテーブルなどがあり、休日には移動販売の軽食が売られている。

 中へはいると、奥にある多目的ルームからピアノの音が聞こえてきた。ここだな。

 ガラス張りの扉から覗いてみると、金髪の後ろ姿が見えた。当ったりー!

 金髪と言われて、不良な感じの子を想像してしまっていたけど、ちょっと違うな?外国の人かハーフとかかな?

 クラブハウスの中は静かで、他に聞いている人はいない。ちょっと顔を見てみたい気もするけど、演奏のじゃまになるよなー?

 覗いていると怖いと思われるかもしれないので、俺は近くのベンチで座って聞くことにした。

 それにしても、キレイな音だなー。なんか話題になるのも分かるかも?俺は音楽には詳しくないけど、弾く人によって曲の印象って違うんだね。

 この曲は…ドビュッシーの「月の光」だ。これは俺でも分かる。

 俺は、この優しいキラキラとした音に、思わず目を瞑り聞き入ってしまった。

 そして…寝た。

 気がつくと、もうピアノの音は止まっていて、目の前に金髪の女の子が立っていた。

 やべっ!よだれとか垂らしてないよな?…なーんて、慌てていた俺を、金髪の女の子がじっと見る。あれ?この子は…。

「キョーヘー?」

 金髪の女の子が、大きな瞳を震わせて俺の名前を呼んだ。

「さくら…。」

 俺はこの子を知っている。


_____6年前。


 小学校の卒業式が終わり、今度は中学生か。部活とかどうしようかな?

 とりあえず、スポーツ公園で桜が咲いたらしいから、和己でも誘って遊びに行こーっと。

 そう思ったんだけど、和己の家に行ってインターフォンを鳴らしても、誰も出てこなかった。

 仕方なく、俺は一人で公園に向かうことにした。せっかくおやつ持ってきたのになー!

 公園に着くと、まばらではあったけどあちこちで桜が咲き始めている。ここは満開になると一気に人で賑わうお花見スポットらしい。

 さてと、どこで食べようかなー?実はこの公園にはあんまり来たことが無い。遠くも無いけど、近くも無いし、そんなに運動する方でもないしね!

 適当に歩いていると、ガツンという音がして、目の前にコロコロとバスケットボールが転がってきた。

 この公園ってバスケのゴールもあるんだなー。何気なくそのボールを拾うと、そこに女の子が現れた。

「Hey…!」

 すこしピンクがかった白い肌と、パッチリと大きな瞳は長いまつ毛で風を切り、腰までありそうな長いブロンドの髪を左耳の上でひとつにまとめている。その西洋のお人形のような雰囲気は、純和風な顔の俺とは対照的だ。

 歳は俺より少し小さく見える。俺が圧倒されていると、その子は水まんじゅうのようにプルプルとした唇を開く。

「オイ!」

 …おい?

「ボール、私!ワルイナ!アリガトー!」

 ちょっとイメージとは違う話し方に、さっきとは違う意味で圧倒されてしまった」。片言といえばそうなんだけど、少し乱暴じゃないか…?

「はい、ボール。」

 俺がボールを差し出すと、その子はニコッと嬉しそうに笑い、両手でボールを受け取った。

「ワルイナ!」

 なんか、調子狂うな…。そう思いながらふと視線を落とすと、…⁉指先から血が出ている!

「おい!血が出てるぞ!」

 血はまだ乾いていなくて、白いワンピースの裾に少し血が滲んでいる。

「…?ボール!当たった!」

 何故か少し照れながら答える。ケガした傷や痛みより、失敗したことが恥ずかしいのか?

「そのままじゃダメだよ。水道で洗ってちゃんと手当をしよう。」

 言葉が通じているのかは分からないけど、俺はその子を水道のある場所まで連れていき、水で傷口を洗うと、持っていた絆創膏を貼った。その子は、傷口を洗う時だけ少し苦しそうな顔をしていたけど、あとは俺のすることをじっと見ていた。爪が少しはがれたみたいだけど、傷は思ったより深くなく、血はすぐに収まった。

 手は大事にしないと。ましてやこんなにキレイな手なんだから。

「とりあえずもう大丈夫だけど、またお家の人に見てもらうと良いよ。」

 俺がそう言うと、またニコッと笑う。

「アリガトー!名前?オマエ?」

 ふはっ。お前って…。

「俺は恭平だよ。キョウヘイ!」

「キョーヘー!ワルイナ!」

 お、通じた。

「”お前”は?」

 聞いておいてなんだけど、外国の名前…分かるかな?そんな心配をよそにその子は自分を指差して答える。

「さくら。」

「さくら…?」

 思いがけない名前に驚くと、今度はまばらに咲いている桜の木を指差した。

 さくらか…。

「さくら、一緒に日本のお菓子食べてみる?」

 俺が誘うと、何となく食べ物の話だと分かったみたいで、さくらのお腹が大きな返事をした。

「ぷはっ!早く行こう!」

 俺は、真っ赤になるさくらを連れて、近くのベンチに移動した。

 片言の日本語を繋ぎ合わせると、さくらはドイツ人で、どうやら親の仕事の都合でしばらくこの近くのホテルに泊まっているらしい。おじいちゃんが日本の事が好きで、小さい頃からよく日本に連れてこられていた父親がさくらという名前を付けたらしい。

 今朝、ホテルから出て散歩をしている時に、ここにあるバスケのゴールを見つけて、ホテルからボールを持って来たんだって。

 年下だと思っていたけど、実はさくらは俺より2つ年上だった。小柄で、無邪気な雰囲気が子供っぽく見えたのかもしれない。

 今回、日本に来ることになり、こちらのドラマを観て日本語の勉強をしたらしいんだけど…一体何を観たんだ?

「さくら…どう?」

 さくらは、手に取ったピンク色のお菓子をしばらく眺めてから、少しづつ口に入れてみる。そして、2口目は大きな口でパクっと食べた。

「ウマい!」

 ニコニコしたさくらの様子を見て、安心した俺も一緒に食べる。

「これさ、桜餅っていうんだ。」

「…さくら?」

「さくらの名前と同じ桜だね。この巻いてあるのは桜の葉っぱで、中に入っているのはあんこっていうんだよ。日本の春のお菓子なんだ。」

 この桜餅はいわゆる関西風の道明寺桜餅。もち米を粗く挽いて乾燥させた道明寺粉を使っていて、つぶつぶプチプチした食感だ。葉っぱの塩気と、優しいあんこの甘みのバランスが俺は好き。

 俺の説明がどこまで通じていたのかは分からないけど、さくらは不思議そうな顔をして、あっという間に桜餅を食べてしまった。

「キョーヘー、バスケ好き?」

 桜餅を食べ終わると、さくらが聞いてきた。うーん。学校でやったことはあるけど、好きってほどではないかなー?

「あんまりやったことがないからなー。」

 無難にそう答えると、さくらは少し考えて、またニコッと笑う。

「キョーヘー!バスケ教えてヤルヨ!」

 そう言うと、今度は俺が連れていかれた。


「くっそ!勝てねー!!」

 シュート対決をしても、1on1をしても全然勝てない。

 さくらは日本までボールを持ってきているだけあって、めちゃくちゃバスケが上手い。

 手の延長のようにボールを扱い、軽い足取りで俺を抜いていく。

 俺は特に運動をする方ではなかったけど、体育などではまあまあ動ける方だったからそれなりにできる自信があった。だから、こんなにぼろ負けするのは悔しい。

 何度も挑戦する俺に、涼しい顔でさくらが付き合う。

 2人で夢中になってバスケをしていると、あっという間に辺りが暗くなってきた。

 年上とは言え、女の子を暗い道で歩かせるわけにはいかないよな。

「さくら、今日はここまでにしよう。…またここに来る?」

 負けっぱなしじゃ悔しい!…カッコ悪いし。

「キョーヘーいる?明日も来る?」

 俺は入学式まで休みだし、さくらもこっちで学校に行ってるわけじゃないよな?

「来るよ!じゃあ、明日もここで!」

そう言ってさくらと別れたあと、一旦家に戻ってからすぐにボールを買いに行った。さくらに教えてもらったハンドリングやドリブルを、もっと上手くなって、早くさくらに追いつきたい!

 本当はバッシュも欲しかったけど、バッシュって高いんだよね…。

 次の日、俺のボールを見たさくらが、嬉しそうに笑った。言葉は上手く通じないけど、心は通じている気がして嬉しくなった。

 それから、俺たちは毎日バスケをして過ごした。朝から陽が沈む時間まで、ずっと。

 毎日、早起きして自分でおにぎりを握り、水筒にお茶を入れて、一緒に食べる和菓子を用意して。

 今までそんな事したことなかったけど、自然とできるようになった。

 さくらはいつも、ワンピースにグレーのテーラードジャケットを羽織り、足元はバッシュという、ちょっとおかしな組み合わせで来る。

 黙っていればお人形の様なのに、話し方も、服装も、ちぐはぐな所がさくららしい。

 バスケの時のさくらは全く手加減なしで、どんどんシュートを決めていく。俺よりも体が小さくて、俺よりも力も無さそうなのに、さくらが放ったボールはきれいにゴールへと吸い込まれていった。

「なんで入んないのかなー?」

 何本も打っているうちに、3本に1本は入るようになってきたけど、上手くコントロールできている感じがしない。

 そんな俺に、さくらは自分がシュートするのを見ていてとジェスチャーで伝えてくる。

「キョーヘー。シュートは、ボイーン!」

 ゆっくりとシュートを打つさくらの体が柔らかくしなる。地面から受けた力が、軽く曲げた膝が伸びるところから体の中を無理なく伝わり、指先からゴールまで放物線を描くような、無駄のない動き。

 それは、繊細な和菓子作りのような正確さがあって、俺はその美しさに思わず見惚れてしまった。

 人の動きを美しいと感じたのは初めてで、さくらがちょっと手の届かない存在になりそうで、少し曇った気持ちにもなったんだけど…。

「ボイーン!」

 シュートを終えて戻ってきたさくらが屈託なく笑うと、そんな不安は吹き飛んだ。

 ボイーン…て、バネの伸びるびよーんとかぽよーんとか、そんな感じか?少し、何かがつかめた気がする。

 今のさくらの動きをイメージしながらシュートを打ってみると…入った!この感じ!

「ボイーン!ボイーン!」

 さくらの嬉しそうな声が辺りに響いていた。


「キョーヘー、おにきり?めし?食べたい!」

 さくらが俺の握ったおにぎりを見て、自分の持っているパンを差し出して言う。

「交換する?ドイツの主食は、パンとじゃがいも?かな?そういえば、ホテルの朝食なら、おにぎりもあるんじゃないかな?」

「ある。キョーヘーの、おにきり食べたい。」

 さくらが、俺の作った不格好なおにぎりを美味しそうに食べている。中身は梅干しと昆布の佃煮だったけど、大丈夫かな?

 和菓子も好きだし、さくらは日本食が好きなのかな?そういえば、お祖父さんが日本びいきなのか。

 お昼はクラブハウスの休憩室で食べたり、景色の良い所を探して太陽の下で食べた。

 一緒に食事をして笑ったり、なかなか伝わらないもどかしさを感じながらもお互いにいろんなことを伝えようと必死になったり。毎日が新鮮で楽しい。

 一緒にいるのが当たり前で、隣にいるのが自然になっていた10日目の事。あの事件が起きた。

 公園のハーフコートは2面あって、たまに他のグループも利用しに来る。

 勝負が好きなさくらは、そういう他のグループの人にも声を掛けて、一緒にゲームをすることがあった。

 俺自身も、知らない人とゲームをするのは、さくらとは違ったプレースタイルを学べるので刺激になった。もちろん、俺は全然相手にならないんだけどね…。

 その日の相手は大学生だった。さすがに体格が違い過ぎて、高さでもパワーでも負けるんだけど、さくらは技術と軽い身のこなしでかわしていく。結構いい勝負だったんだけど、結果は負け。

 俺たちはいつものように相手にお礼を言うと、休憩するためにクラブハウスに向かって歩きだした。

 すると、そんな俺たちを囲むように大学生が立ちふさがる。2on2で一緒にゲームをした2人と、ギャラリーで見ていた2人を含めて4人だ。

 …?

「おいおい、賭けは俺たちの勝ちだろ?賭け代を払っていけよ。」

 は?賭けなんてしてないけど?

 俺はちょっとムッとしたけど、さくらは何のことかよく分かってないみたいでニコニコしている。

 ニット帽のこいつは、さっき気になるプレーをしていた方の大学生だ。ボールを取りに行くように見せかけて、さくらに触ろうとしているように俺には見えた。もちろん、さくらはそんな事には気づいておらず、軽くかわしていたのだけれど。

「あの、賭けはしてませんよね?そもそも何を賭けるとかも話していませんし。」

 淡々と俺が答えると、さらに続けてくる。

「あー、大人との勝負には賭けは付きものなんだよ。当然だろ?…まあ、今回は3万で良いぜ。」

 そう言って、俺に向かって手を差し出す。

 3万?そんなの子どもが持ち歩いている金額じゃない。何を考えてる?

 さすがにさくらもおかしいと思っているみたいで、不安そうな顔をして様子を見ている。…どうする?

「持っているわけないでしょう?」

 嫌な予感がしながらも俺は答えて、同時にさくらの手を握る。

「そうかー。持ってないんじゃ仕方ないな。じゃあ、代わりにその子で良いぜ?別に…ちょっと遊びに行くだけさ。」

 やっぱり、狙いはさくらかよ!気持ち悪りー!

「さくら!逃げるぞ!」

 俺はそのままさくらの手を引いて走り出す。他の人がいるところまでいれば何とかなる!

だけど、数でも体格でも負けている俺たちはあっという間に回り込まれてしまった。

どうする⁉

「遊びに行くだけだってー。さあ…行こうぜ!」

 俺たちは大学生に引き離され、ニット帽がさくらの手を掴んで引っ張っていく。

 さくらは嫌がって、俺の方に手を伸ばして助けを求めた。何か言おうとしているが、怖くて声が出せないみたいだ。

「おいっ!離せよっ!」

 抵抗しようとみたけど、2人掛かりで抑えられている俺は身動きが取れない。

 どうすればいいんだよ!

「さくらっ!」

 俺が叫んだその時、ニット帽の手を振り払おうとして暴れていたさくらが、そのニット帽の男に引っぱたかれた。

 …⁉

 鈍い音を立てて、ニット帽のごつい手のひらが、さくらの頬を捉える。手を掴まれていて避けることができないさくらは、その衝撃をまともに受けた。

「さくらっ!」

 何が起きたのか分からず、茫然としているさくらの頬が赤く染まっていく。

「俺はうるさい女が嫌いなんだ。大人しくしとけよ。」

 ニット帽の男は、人に、ましてや女の子に暴力を振るっておいて、平然としている。

 どうかしてる!怒りで、胸がぎゅっと掴まれるように熱い。

「コージ君…?さすがにそれはやり過ぎだぜ…?」

 俺を抑えている2人は、そのニット帽の様子に動揺したようで、少しだけ俺を掴んでいる力が緩んだ。

 その隙を逃さず、2人を振り切ると、一気にさくらの所に向かいニット帽に体当たりする。

 不意を突かれたニット帽は、驚いてさくらの手を離し、しりもちをついた。

 俺は、更に転んだニット帽の上に馬乗りになり、左手で首を掴んで、右手の拳を振り上げる。

 こんな気持ちも、こんな行動も、生まれて初めてだった。

 争うのが嫌いで、平和主義の俺に、こんな感情があるなんて。

 いろんな思考が巡る中、怒りに支配された拳を振り下ろそうとした時、さくらが俺の腕に抱きついてきた。

「キョーヘー!ダメ!」

「…さくら。」

 ビックリした俺の顔を見て、さくらがニコッと笑う。さくらの笑顔で、一気に拳から怒りが引いていった。

 さくらの手に引かれて俺が立ち上がると、そこへバタバタと走ってくる音が聞こえてきた。

「おまわりさーん!あっちです!あのニット帽です!」

 なんと、警察を連れて走ってくるのは、佐々野だ。

「やべっ…。逃げろ!」

 それを見て、逃げ出そうとする大学生たちの前に、柳と、なぜかすっかり髪色が明るくなっている和己が現れた。

 和己…、この状況で、これ以上俺を混乱させるのはやめてほしい。

 柳行人も俺たちの仲間で、学校一の秀才。長身の細身、長めの黒髪で少し顔が隠れている。年齢のわりに冷静沈着で、感情の起伏が少ないヤツだ。

「ちょっと待った。」

 柳はそう言うと、ポケットからスマートフォンを取り出す。

「ここに賭博の強要と、傷害罪の証拠が残っています。今、逃げても無駄ですよ。」

 抑揚の無く言った柳のスマートフォンを取り上げようと、ニット帽が乱暴に手を出したのを和己が止める。

 そこへ、佐々野と警察官が追いついてきた。

 動揺して逃げ遅れた大学生たちが、あっという間に取り押さえられていく。

「お前ら…ありがとう。」

 こいつらが来てくれなかったら…危なかった。

「最近、恭平も和己も会ってないから2人の家に行ってみたら、和己はコレだし、お前はこの公園に入り浸ってるって言うし。様子を見に来たらなんかトラブルに巻き込まれてるし…、まあ、間に合って良かったよ。」

 佐々野が呆れたように言う。でも、ホッとしたのが伝わってくる。

「さくら…大丈夫?」

 俺はすぐにさくらの様子を確かめた。さくらはニコニコしながらぶんぶんと頷いているけど、さっきよりも頬が腫れている。

「口の中切れてない?ちょっと口開けてみて?」

 俺はさくらの顎を掴み、口の中を覗き込む。…やっぱり切れてる。これはちゃんと診てもらった方がいいな。

「警察の人に言って、この子の治療を…。」

 俺がそう言いながら、3人の方へ振り向くと、なぜか3人とも後ろを向いている。

「…?どうした?」

 不思議に思って俺が聞くと、遠慮がちに振り返った佐々野が言う。

「いや…ラブシーンかと思ってな。」

 違うよっ!


 さくらの治療をしてもらい、警察での聴取が終わると、すっかり暗くなっていた。

 警察の人に家族に連絡すると言われたが、俺はケガもしていないし、ウチは今繁忙期なので断った。

 さくらの家は連絡がつかないようで、特別に婦警さんがホテルまで送ってくれることになった。

「さくら、1週間くらいで腫れが引いてくるみたいだけど…ごめんね。今度、ご両親にもちゃんとご挨拶するよ。日本に来て、俺と一緒にいてこんなケガするなんて、すごく驚くし心配すると思うから。」

 俺がもっと強ければ、さくらを守ってやれたのに。

 …そもそも俺がゲームで足を引っ張らなければ、こんなことに巻き込まれなかったんだ。

 悔やんでも、悔やみきれない。そう思っている俺に、さくらがまたニコッと笑う。

「キョーヘー!ワルくない。アリガトー!明日もバスケする!」

 いつものように大きく手を振るさくらになんだか救われて、俺たちは別れた。


 その日の夜は眠れなくて、2階にある自分の部屋の窓から月を見ていた。

 雲一つない空に満月に近い月が輝いて、少し眩しいくらいに辺りを照らしている。

 さくらはどうしているかな…?きっと、今日は頬が痛いハズだ。

 眠れているかな?

 言葉が上手く理解できず、訳も分からないうちにあんなことになって、すごく不安で怖い思いをさせてしまった。

 俺がもっと強かったら?さくらを助けられたんだろうか?

 …きっとできない。

 俺がこの手で人を傷つけるなんて、できないんだから。

 それでも、今日初めて感じたあの気持ちは俺の意志とは別に働いて、俺の拳を支配していた。

 さくらの不安そうな顔。嫌がる仕草。赤く染まっていく頬。

 そのどれもが許せなくて、爆発した。

 悔しくて、もどかしくて、苦しくなる。

 さくらが止めてくれなかったら、どうなっていたんだろう。

 もっとバスケが上手ければ…。負けなければ…。

 もっと上手くなりたい。絶対に誰にも負けないように。

 …さくらはどうしてるかな?

 俺はずっとさくらの事を考えている。

 ……。

 あれ?

 俺って、…さくらの事が好きなんだ。

 なぜか突然、そう気付いた。

 自覚した途端、今度は違う意味で苦しくなった。

 さくらといると新しい自分がたくさん出てくる。できなかったことが自然とできて、もっと一緒にいたいと思える。

 嬉しくて、もどかしくて、苦しい。

 早く明日になればいい。もう一度さくらの笑顔を見て、早く安心したい!

 明日からのさくらとの毎日を、今まで以上に楽しむんだ!


 …そう思っていたのだけれど。

 次の日から、さくらがあの公園に来ることは無かった。

 俺の『初恋』ってやつは、好きと気づいたそのあとで、すぐに行方不明になってしまった。

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