第14話 英雄の再誕⑭
貝介は顔を上げる。
そこには一人の娘が立っていた。背の高いほっそりとした娘だった。さきほどの逃げ惑う群衆の中にいた娘であろうか。
「お嬢さん、ここは危ないですぜ」
八が声をかける。娘は何も言わない。何も言わず、じっと地面を見下ろしている。
「るうておるのは……」
娘が何事かを呟いた。小さく、口の中で唱えるような声だった。
「お嬢さん?」
貝介は油断なく、娘の視線を追った。うつむいた娘が見つめているのは、気絶して縛り上げられている男だった。
「もしかして、この男の知り合いか? ならば」
「狂うておるのは」
小さな声が貝介の問いかけを遮る。今度ははっきりと聞こえた。
「ワシか? おぬしか?」
娘が顔を上げる。その目がギラリと輝く。その輝きは模倣者の瞳の怪しき光。
「ワシが発狂頭巾だ」
貝介は身構える。
娘が動く。速い。鋭く伸びた爪をまっすぐに突き出す。貝介との距離が詰まる。貝介の胸の内に苛立ちがよぎる。詰められすぎた。非振動鉈を抜いても間に合わない。組み合いになる。問題ない。
貝介が腰を落とす。先を取る。そのための息を読む。貝介は娘の息を読む。
――ここだ。
手を伸ばす。だが、娘の突進の軌道は兆候なく揺らいだ。伸ばした指先が空を切る。衝撃に備える。再び違和感。衝撃は来ない。娘は貝介の真横を通り過ぎていった。
「八!」
とっさに叫んでいた。背後にはまだヤスケと父親がいるはずだ。無防備なものから狙ったか。
八は間に合うか。
「ぐがあああ!」
悲鳴が上がる。悲鳴はヤスケのものではない。父親の声でもなく、もちろん八の声でもない。それでは? 思考に身体が追いつく。貝介の身体が振り返る。
真っ赤な柱が見えた。
身構える八と、ヤスケを抱きしめる父親が噴出する血に染まっていた。
パクパクと口を開閉させながらのたうち回っているのは、先ほど発狂頭巾の模倣をしていた男だった。
「八!」
再び、叫ぶ。一瞬、あっけにとられていた八が我に返り、自分の服の袖口を破り取ると男の傷口に当てて押さえた。瞬く間に布が赤く染まる。
「女は?」
「あちらに」
八が顎で通りの角を指す。ちらりと着物の裾が見える。
「ここは任せた」
「お気をつけて」
八の言葉を背に、貝介は走り出す。
見失うわけにはいかない。あの娘の模倣具合は剣呑だ。発狂改方としての感が警鐘を鳴らしていた。貝介の意表を突いてすり抜ける腕前、害意を読ませずに男をしとめる無拍子。なによりも不思議なのは荒事に慣れている様子はなかったということだ。どこであのような戦闘術を身に着けた?
思考を高速で回転させながら、追い続ける。狭い路地に入る。問題ない。このあたりの地図は頭に入っている。
わずかな違和感が胸をよぎる。娘の走り方には奇妙な不自然さがあった。先ほど男を襲撃した動きとは違う。何かを片手に持ちながら走っているような、左右の不対称さだ。武器を持っている? だが、先ほどあの娘は爪で男を襲った。何か持っている様子はなった。
思考を追い払う。今は追いかけることに集中するべきだ。武器のことは対峙するときに考えればよい。¥
わざと足音を立て、存在を示しながら追いかける。追う気配を察したのか、娘が慌てたように角を曲がる。しめた。あの先は行き止まりのはずだ。追って、貝介も角を曲がる。
「狂うておるのは、儂か? お主か?」
角を曲がった瞬間に、声が聞こえた。聞き覚えのある声。
同時に影が見えた。だが、一瞬だけだった。袋小路の先に残っていたのは娘だけだった。
娘の首がぽろりと胴から離れた。
「ワシが発狂頭巾じゃぁ」
娘はそう一言だけ呟いて、こと切れた。
【つづく】
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