306. 彼を知り己を知れば百戦殆からず
SIDE:ディステル
クラウト君は頭を抱えたまま、机に突っ伏して動かなくなってしまった。時折、うめき声が聞こえるのが少し怖い。
……まさか、ここまでダメージを負う事になるとは意外だったわね。プリメリアさんやリーリエ様の時だって、ここまで苦悩してる様子は見た事がないはず。
そこまで考えた所でふと気付いた。
「よくよく考えたら、まともに
今までは無理矢理さらったり政略結婚を迫ったり、そんな特殊な相手ばかりだったから変に悩まずに済んだ。
けれど、今回は違う。色々と問題行動はあったものの、ちゃんとヘリオトロープさんに恋焦がれて真正面から求婚してきた。そして、ヘリオトロープさんはそれに返事をしていない。
だからこそ迷う。私たちから見ればわかりきった結果でしかないけど、そこはまぁ……
さて、どうしようかしら。答えを教えてクラウト君の気持ちを楽にするのは簡単だけど、少しくらい私たちの苦労を味わってもらってもいい気もする。
それに……今回を機に、私たちの気持ちにも気付いてくれるかもしれないしね。
「あの、ディステル様……少しよろしいですか?」
「え? あぁ、何かしら」
そんな事を考えていると、難しい顔をしたヘリオトロープさんが話しかけてきた。彼女は、クラウト君には聞こえないくらいの小声で――
「……ご主人様の様子がおかしいようですが、どうしたのでしょうか」
「…………」
本気か。本気で言っているのか、この主従は。もしかしてこの二人、実はとても似ているのでは?
「……そう言えば、ヘリオトロープさん。今回求婚してきた二人とは仲が良かったのかしら?」
「え? いえ、悪いとは言いませんが、たまに仕事上の会話をするくらいの関係です。なので、求婚されたのは驚きました」
「あぁ、そう……」
今日、屋敷の使用人たちが噂をしていた会話が思い出される。
『聞いた? リンクス様とレヒト様が、昨日ヘリオトロープ様に求婚したらしいよ!』
『もう知ってるわよ。……あーあー、私ちょっと狙ってたのになぁ』
『え、ホントに? あの二人あからさまだったじゃん。ヘリオトロープ様に対してだけ、全然態度が違うし』
『そうなんだけどさー。ほら、どうせフラれるから』
『『まぁねー』』
あぁ、確信した。ヘリオトロープさんは――
「貴女って、クラウト君とお似合いね」
「え、あ、ありがとうございます?」
ええ、とっても
「ああぁぁ……」
あと、クラウト君はそろそろ戻って来なさい。
◇
昔の偉い人は言いました。「彼を知り己を知れば百戦
つまり敵と味方についての情報をしっかり把握しておけば、何度戦っても負けはないという事だ。
「……いや、別に戦うわけじゃないけどさ」
今日の俺は極秘任務スタイル。物陰に隠れながらターゲットを観察する、インポッシブルなミッションの大作戦スパイ野郎である。
まさか迷彩服(森用)の出番が、こんな所でやってくるとはな。人生、何が役に立つかわからないものだ。
「む、ターゲット
ミギー……じゃなくてリンクスだっけ。いかにも仕事がデキそうなクール眼鏡イケメンが、一人のメイドと話をしている。しかも、メイドの方が頭を下げているようだ。
視界に入らないように気を付けながら接近する。ある程度の距離まで近付くと、どうにか会話を聞き取れるようになった。
「……そうですか。廊下の壺を」
「申し訳ございません! 必ず、借金をしてでも弁償します! だから、どうか解雇だけは……!」
ふむ、察するに飾っていた壺を割ってしまったらしい。俺的には美術品なんかどうでもいいんだけど、使用人からすれば死活問題よな。
リンクスは頭を下げ続けるメイドの肩に手を乗せ、落ち着かせるように言った。
「頭を上げてください。貴女がこれまで、真面目に仕事に取り組んできた事は知っています。今回の失敗だけで、僕が評価を下げる事はありません」
「リンクス様……」
「一緒にセバスチャン様の所へ行きましょう。きっと悪いようにはなりませんから」
「は、はい! ありがとうございます!」
二人は並んで歩き去って行った。セバスチャンに報告に行くのだろうが、軽い注意くらいで解雇や弁償という事にはならないだろう。
「ふーむ」
なるほど。見た目通り、冷静沈着という感じだな。しかし意外と言っては失礼だが、なかなか部下思いな人物でもあるようだ。
「むむ? ターゲット
ヒダーリ……じゃない、レヒトが早足で歩いてくる。しかも、よく見るとメイドを腕に抱きかかえているようだ。
「も、申し訳ございません……レヒト様……」
「気にするな、と言いたい所だが――」
レヒトはそこまで言って、腕の中のメイドを見下ろした。
「体調が悪いくせに、無理をするのは駄目だ。まずは自分の身体を大事にしろ」
「で、ですが、掃除が途中で……」
「それくらい俺が後でやっとくさ。大した問題じゃない」
「レヒト様……」
物陰に隠れていた俺には気付かず、二人は通り過ぎて行った。今から医務室に行くんだろう。
「ほほぉ」
こっちもワイルドな見た目に違わぬ、豪快な感じだな。そして、彼も部下思いのようだ。
なるほどなるほど……この間は執事候補として不安になったが、確かに二人とも見所はありそうじゃないか。
これなら、俺の専属メイドも任せ――
「――られない。いや……任せ
昔の偉い人は言いました。「彼を知り己を知れば百戦
……
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