666の憂鬱
藍玉カトルセ
第1話(完結)
カリカリ…カリカリ…。薄暗い牢の中、白紙に筆を走らせる音が虚しく響く。卓上には紙の山。唯一の蛍光ランプは間もなく明かりが切れそうで、物書きの男は鼻が原稿にくっつきそうな程顔を近づけている。だいぶ長いこと筆を握っているせいで、上手く力が入らない。階下からは、革靴が鳴り響き、足音が近づいてきた。ああ、そうか。もう夜中の3時か。悪夢のような時間が始まるのか。
ドンドン!荒々しいノック音に男はチラと鉄格子の向こう側に視線を移した。いつもと同じ看守が目を細めながら男を見つめる。ポケットに手を突っ込み、鍵をまさぐる。すぐに見つからなかったのか、耳障りな金属音が擦れる音が辺りに響く。やっと見つけた錠の合う鍵で勢いよく牢の鉄扉を開ける。
「666、書けたかね?」
獄中に入るなり、看守は唸るような声で男に尋ねる。
「…まだです。一応、それらしいものはぼんやりと浮かんではいるのですが」
萎んだ声で、うなだれながら666と呼ばれた男は言い訳を並べ立てる。
「何?まだ出来上がっておらんのか?!いつまで時間をかけるつもりだ!」
「クライマックスは決まっているんですよ!…ただ、そこに至るまでの流れがどうにも見えてこなくて…」
「今まで書けた分だけ見せてみろ」
看守はつかつかと卓上に積まれた原稿に近寄り、一番上の一枚をひったくた。文面を呪文のように読み上げるや否や、ガハハッと高笑いをした。
「ハッ。駄作そのものだな。はっきり言っておく。このままだとお前は生涯獄中で原稿のうず高い山とにらめっこすることになる」
「そ…そんな…!!それだけは嫌です!いつになったら出られるんですか?!そもそも最初から言ってるじゃないですか。俺にこんな大役、無茶だって!どうして俺みたいな書き手が…」
「うるさい!陛下直々の依頼なのだ。今までに読んだことのない物語をあの方はずっと求めている。お前の想像力を駆使し、何とかして打破するんだな」
看守はそう吐き捨てるとさっきよりもっと荒々しく鉄扉を閉めた。666は鉄格子に駆け寄り、看守に懇願した。
「俺をここから出してください!それか、何か創作のヒントとなるモノを何か与えてください!こんな薄汚い牢獄に長いこと閉じ込められて、頭がおかしくなりそうだ!!」
だが、看守からの返答はなく、木霊したのは階段を下る足音だけだった。
666が何故囚われの身となってしまったのか。それには訳がある。傍若無人な王の出した難題を果たす候補者の一人として選出されてしまったからだ。
王は幼い頃から書物に囲まれて育ってきたため、知識が豊富で言葉に長けていた。そしてゆくゆくは国で一番の作家になりたいという野望を抱いた。しかし、いざ原稿用紙に向かうと言葉を紡げない。何とかして書き上げた作品も全て似たり寄ったりの内容になってしまう。王は自身の無能さを嘆き、塞ぎ込んでしまう。だが、一つの名案が閃いた。自身で物語を生み出すことは不可能でも、この国には作家が星の数ほどいるではないか。招集状をばら撒き、手当たり次第有能な作家を城に招き入れ、彼らの作った話を自らの名義で世に売り出す。そう、作家たちにはゴーストライターとして執筆を任せ、王はその恩恵にあずかる という恐ろしい計画を王はひそか企んでいた。
そして実行に移したのが1カ月前。城で晩餐会を開くと嘘をつき、招かれた作家の数は888人。会では、睡眠導入剤を混ぜた葡萄酒を飲ませ、意識を失った作家たちを王は次々と牢獄に閉じ込めた。888人の作家たちは薄汚い獄中で物語を完成させることを強いられた。詳細は何も知らされぬまま、「自身で創作した物語を王に献上しろ」という命令が下された。彼らは訳が分からぬまま言われた通り原稿用紙に文章を書き連ねた。血の滲むような時間と労力をかけて一作品、また一作品と新たな話が出来上がっていく。そんな努力も虚しく、どれも王の意に沿う作品は一つとして現れなかった。王の気まぐれな性格が顔を出したのだ。作家に物語を書かせるだけでは飽き足らず、「今まで誰も読んだことのない物語を書け」という無理難題な条件を追加したからだ。
作家たちはそれが死刑宣告を意味しているとに即座に悟った。この世から人が消滅しない限り、物語のジャンル・内容・長さは幾億通りも存在するからだ。無限にある物語の中で、他と全くジャンルや内容が被らないものを生み出すことは不可能。その条件を耳にした作家たちは次々と自死を選んだ。与えられた食事や水を一切受け付けず、最期の瞬間が来るまで愛する家族を思い続けた。
この有様を知った王は激怒し、すぐさま新たな作家を招集しようと試みた。だが、888人も既に作家を招集してしまった故、あと残りどれ程の人数が残っているのかが分からない。同じように自死を選ばれても困る。王の頭の中は苦悩で満ちていた。
「奴らがあそこまでプライドが高いなんてな…さて、困ったな。新たな作家を招集せねばならないときた。どうしたものか」
書斎でブツブツと呟いていた王の背中を見て妻は助言した。
「陛下、S国に住む一人の物書きはいかがでしょう」
「…何を言っているんだ?」
「陛下の出生地のS国です。詳しくは存じ上げておりませんが、陛下のご家族はS国で羊の番をしていた家系だったと…」
「その話はするな!!」
妻が二の句を継ぐ前に罵声をあげて遮った王の顔は紅潮していた。肩をビクッと震わせた妻は深々とお辞儀をして謝罪し、書斎を後にした。
ある日、王は妻の助言に従うことにし、S国に衛兵を遣わした。再び虚言の手法を用いてS国にいる物書きの男を騙したのだ。哀れなその男は名を捨てることを強要され、666と呼ばれるようになった。獄中で書き上げた物語は100はくだらない。鉄格子と煉瓦壁の変わらぬ景色に発狂しそうになっても、家族と引き離された苦しみで打ちひしがれても、666は目の前の原稿用紙と向き合い続けた。今度こそ、解放されるんじゃないか、という一縷の望みに縋りながら。だが、どれ程の心血を注いだ物語を生み出したとて、666が解放されることはなかった。
午前3時、いつもと同じ衛兵がまた扉の前に現れた。
「666、書けたかね?」
「いや…。まだです」
「そりゃそうだよな。新しい物語を書いてからまだ2日しか経ってないもんな」
「でも、今度の話には自信がある。既に一人の旧友に打ち明けてしまった話なんだ。子供の頃に語った話だったが、彼は本当に目を輝かせて聞いてくれた」
「ふぅん。ほんじゃ、お前は幼い頃から作家を目指していたってことか」
「そう。みんな、俺の話なんて聞いちゃくれなかったが、あいつだけは目を輝かせながら俺の物語を楽しんでくれたんです」
「ハッ、それはおめでたいことだ。だが、今、その旧友はここにはいねぇ。お前が満足させる相手はただ一人。ラファエル・アーサー王だ」
その名を聞いた666は、目を見開き鉄格子越しに衛兵に詰め寄った。
「ラファエル・アーサー?!王の名はラファエルというんですか?!」
「ああ。なんだよ、急に取り乱しやがって。あれ、お前にはまだ言ってなかったか?怖いお方よ、ラファエル陛下は。今までに888人もの作家を閉じ込めて自死させるまで追い込んじまったんだから」
「ラ……。ラファ…エ…。」
「おっと、時間だ。じゃあまた明日来るからな。それまでに少しは作品を進めておくんだぞ」
衛兵は時計を見やるとガチャガチャと鍵を開けようとした。
「衛兵!」
「なんだ?!でけぇ声出しやがって。驚かせんなよ」
「………。ペン先が丸くなったので、鋭利なもので研ぎたい。何かありますか」
「ああ?じゃあこのペーパーナイフをやるよ。上手く研げるかは分らんが」
「ありがとうございます。より一層創作に精を出しますよ」
「期待してるぞ」
ガチャンと鉄扉が閉められた音はいつにも増して鈍く獄中に響いていた。少なくとも、666にはそう聞こえていた。
ー翌日ー
「666、書けたか?」
「はい、こちらが原稿になります。あ、あとラファエル陛下にこちらを渡してくれますか?」
666の手には、原稿用紙の束と小さな紙切れが握られていた。
「陛下に、『陛下のおかげで、創作の楽しみを再び見出すことができました。感謝しています』とお伝えください」
「大げさなもんだな。原稿とその紙は、しかと陛下にお渡しする。だが、またすぐさま執筆にとりかかる羽目になるだろうよ。可哀そうだが、期待しない方が身のためだぜ」
「いや、ラファエル…陛下はきっとお気に召してくださいますよ」
「そうかい。とりあえず渡しておくぜ」
衛兵は手をヒラヒラさせて666の牢獄を後にした。
ー王の自室にてー
コンコン。ノックを3度丁寧にした後、衛兵は王の自室に入る。王は、不機嫌そうな顔でチラと衛兵に視線を向けた。
「衛兵か。どうだ。666は今度こそ目新しい話を書けたか?」
「『今回は自信がある』とほざいておりましたぜ。まぁ、今回も駄作に違いありませんよ」
「だが、とりあえず、読んでみるとするか」
「では、俺はこれで失礼します」
衛兵は扉に手をかけた瞬間、666から言伝を受け取っていたことを思い出し、王に伝えた。王は、その言葉の真意をまだ理解できていなかった。原稿に目を通すその瞬間まで。
王は声に出して666の書いた物語を読み上げた。
「貧しい羊飼いの少年2人の回想録」 作:666
あるところにS国という小さな国がありました。
その国の郊外に貧しい羊飼いの少年が住んでおりました。
少年に名はありませんでした。
というのも、彼は空想の物語を作るのが好きで、しょっちゅう仮の名で作家になりきっていたからです。
ただ、困ったことに、少年は貧乏でしたので真新しい原稿用紙もピカピカの羽ペンも黒インクもありませんでした。
頭に浮かんだ物語を形に残すことができなかったのです。
羊飼いの仲間は皆少年の作った物語を馬鹿にしていました。
少年のもつ創作の才能を心底妬ましいと思っていたからです。
『本気で作家になりたいなんて戯言を言うな』、『そんな話を作る暇があるのならもっと羊の番に精を出せ』
しかし、そんな中、目を輝かせて少年の空想物語に聞き入る一人の男の子がおりました。
その子は少年の幼馴染で、少年にとって、とても大切なかけがえのない存在でした。
ある日、幼馴染は少年に言いました。
「君には物語を作る才能があるよ!もし君が将来作家になって本を出版したら、僕が第一の読者になりたい!そのときは、サインも書いてね。約束だよ」
少年は照れながらも、心底幼馴染の言葉に感動しました。
親も、兄弟も、羊飼い仲間でさえも自分の物語をまともに聞いてくれませんでした。
でも、そんな悔しさや寂しさを吹き飛ばしてしまうくらい、応援してくれる幼馴染がいる。
それだけで、少年は幸せでした。
「ありがとう。僕がいつか作家になれたら、最後のページに「親愛なる○○へ」という署名を書くよ」
少年と幼馴染はいつまでもこの関係が続くと思っていました。
しかし、少年と幼馴染が18歳になった年、転機が訪れます。
幼馴染はM国へ旅立ったのです。
織物の商人になるためでした。
あれから30年
少年は別れの挨拶も、幼馴染の微笑みも忘れてしました。
今、少年はM国にそびえる城内牢獄に閉じ込められ、王に献上するための物語を幾日も書いております。
666という名を背負いながら。
「いつか、解放される」
「きっと希望は絶えない」
そうやって、自身を励ましながら。
最後に書き上げる物語は、かつての幼馴染であるラファエルに聞かせた「星の宿り子」にしようか、と少年はとても悩みました。
でも、そうしませんでした。
かつての輝きを帯びた、美しい思い出に傷を付けたくなかったからです。
少年は代わりに、心を灯す記憶の1ページである回想録を綴りました。
瞳を輝かせ、夢中になって物語を聞いてくれたラファエルの面影を瞼に思い浮かべつつ。
ー了ー
物語を読了したとき、王の目には涙が溢れ、後悔の波が心に押し寄せていた。自分はなんという過ちを犯してしまったのか。閉じ込めていたのはかつての幼馴染だったなんて!原稿を勢いよく卓上に置いた拍子に、小さな紙切れがヒラヒラと床に落ちた。震える指で摘み上げると、小さな文字が目に映った。
ーラファエル、僕のことをどうか、覚えていて。さようならー byアーチャー
王は慌てて衛兵を呼び、牢の鍵を乱暴に掴んで牢獄へと向かった。だが、戸を開けたときは既に666が息絶えていた後だった。衛兵が渡したペーパーナイフで自身の左胸を貫き、自害したのだ。壁には鮮血が飛び散り、真白の原稿用紙も緋色に染まっていた。
獄中には獣のような王の泣き声がいつまでも響いていた。
5128字
ー終ー
666の憂鬱 藍玉カトルセ @chestnut-24-castana
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