闇魔法しか使えない俺が絶望の少女を救うまで

青甘(あおあま)

プロローグ

 それは、とある家庭の何気ない風景。

「もう一度やり直せ、成功するまでだ」

 威厳のある、自分こそが正しいという暴君のような表情で男が言った。男の前には生気のない瞳の少年の手に光が集まるが、すぐに霧散してしまう。

「何度言えば分かる!貴様にはやる気がないのか」

 男の視線を受け、少年はびくりと肩を震わせ、もう一度手に光が集まる―がまたすぐに霧散した。


「もういい、この役立たずが」

 そう言い残して男はその場を後にする。少年は静かにそこにたたずむのだった。






 ***

 日本では虐待の件数は年間で20万件にも上るらしい。それは、発見されたから分かるのだろう。実際はもっと多いはずだ。俺みたいに知られていないところで殴られいる人もいるのだから。


「何度言えば分かる。これじゃねえって言ってんだろ」

 激高しながら男は手を振り上げる。知るかお前が買って来いよなどとは口が裂けても言えない。




「なんだその反抗的な目は。どうやらお仕置きが足りないようだなぁ」

「ひっ」

 また殴られたら、かなわない。ずきずきと痛む頭を押さえながら、急いで家を飛び出す。後ろからは罵詈雑言をあげる男の声が聞こえる。



 家に帰りたくない。




 冷たい風が街路樹を揺らし、白い息が空に消えていく。

 薄汚れたパーカーのポケットに手を突っ込みながら、商店街のベンチに腰を下ろしていた。



 目の前を、楽しそうに笑い合う家族連れが通り過ぎていく。クリスマス前の買い物だろうか。小さな女の子が「パパ!早く早く!」と無邪気に手を引き、母親が微笑みながらその後ろをついていく。その光景が、少年の心に鋭い針のように突き刺さる。


「……なんで俺には、ないんだ」


 ぽつりと呟いた言葉は、冬の空気に溶けるように消える。母親の記憶はぼんやりとしていて、笑顔の母親の顔すら思い出せない。残っているのは、父親の荒れた怒声と、冷たい拳の感触だけ。


 少年は立ち上がり、無理やり視線を逸らして歩き出した。その瞬間、背後からクラクションの音が鋭く響き渡った。


 ふと気づけば、目の前には赤信号と横断歩道。その向こうから、一台のトラックがスピードを落とすことなくこちらに迫ってきていた。


「あ……」


 反射的に足を止めるも、冷たいアスファルトの上で身体はすくんだまま動けなかった。


 次の瞬間、強烈な衝撃と共に視界が真っ白に染まる。空気が抜けるような音と共に、身体が宙を舞う感覚がした。


「ああ、これで終わりか……」


 不思議と痛みは感じなかった。ただ、これでようやく苦しみから解放されると思うと、ほんの少しだけ胸が軽くなった気がした。




 ***

 気がつけば、目の前には広がる白い空間。無音で、どこか懐かしくも不気味な空気に包まれている。


 ここはどこだ? 死んだんじゃないのか?


「残念ながら、あなたの想像通りです。あなたは死んでしまいました。」


 突然、穏やかな女性の声がどこからともなく響く。思わず辺りを見回すが、人影はない。


「どこにいるんだ?」


「ここですよ」


 振り向くと、そこにはいつの間にか現れた椅子に腰掛ける女性の姿。純白のドレスを纏い、背中から大きな羽のようなものが生えている。


 …本物か?


「本物ですよ」


 目の前の女性は、俺の心の中を読んだかのように答えた。そのことに眉をひそめる。


「心を読んだのか? どうしてそんなことが……」


「それは私が女神だからです」


 女神。


 嘘くさい響きだが、現実世界にはあり得ないこの光景の前では、真っ向から否定できない。


「疑り深いですね」


「……当たり前だろ。女神なら、俺がどんな目に遭ってきたか知ってるはずだ。それでも助けの一つもなかったんだから」


 声を荒げるつもりはなかったが、気づけば言葉が口から洩れていた。


 女神――彼女は申し訳なさそうに目を伏せ、頭を下げた。


「すみません。私たちは、あなたたちの様子を見ることはできても、直接手を差し伸べることはできないんです」


 深々と頭を下げる姿に毒気を抜かれた俺は、肩の力を抜き、深く息をついた。


「……わかってる。こんなの、ただの言いがかりだ」


「いいんですよ。あなたがどれだけ辛い目に遭ってきたか、私も知っていますから」


 彼女の言葉には嘘がなかった。心の奥にあったわだかまりが少しだけ解ける気がした。


「さて、自己紹介がまだでしたね。私はアリスと申します。どうぞ気軽にアリスとお呼びください」


「アリス……。それで、俺をどうするつもりなんだ?」


「あなたを異世界に転生させるために来ました」


「……異世界?」


 そこからアリスは、魔物が存在し、魔法が使えるファンタジーのような世界の説明を始めた。



「そうです。地球とは違う世界で、魔物などの存在が当たり前にいる場所です。ですが、安心してください。魔物もすべてが危険というわけではありませんし、人類も対抗手段を持っています」


「対抗手段?」


「はい。魔法です。」


「……魔法、ね。」


 その単語に、心が少しだけ踊った。異世界転生もののラノベや漫画でよく目にしたあれが、自分にも関係してくるなんて。


「ええ。魔法には属性があって、火、水、風、地、光、闇、無属性の七つが存在します。そして、魔法を使うためには“魔法適性”というものが必要です。」


「魔法適性?」


「その通り。例えば火の魔法を使いたければ、火属性の適性が必要です。適性がないと、どれだけ魔力を持っていても魔法は使えません。」


 なるほど、適性がないと意味がないのか……。


「ですが、心配しないでください。特別に、あなたには適性を授けます。そして、その中でも一つの属性の適性をを強化して差し上げます。魔力も十分なほどに」


「適性を強化というのは何だ?」


「適性には度合いがあります。高ければ高いほど、その属性の魔法が使いやすくなり、威力も増します。あなたには特別に、一つの属性の適性を最高レベルにして差し上げましょう。」


「つまり、全属性は無理だけど、一つの属性はめちゃくちゃ得意になるってこと?」


「ええ、その通りです。」


 なんだかワクワクしてきた。未知の世界に飛び込むなら、こういう力は絶対に必要だろう。


「それと、転生についても説明しておきますね。」


「転生ってことは、赤ん坊からやり直すのか?」


「いいえ。もうすぐ十歳になる少年の身体に転生していただきます。」


「十歳……。でも、それってその子の人生を乗っ取ることになるんじゃないのか?」


「ご安心ください。その少年は、近いうちに不慮の事故で亡くなる運命にあります。その身体をお借りする形になるので、あなたはその人生を引き継ぐことになります。」


 十歳で亡くなるなんて……。異世界はやっぱり厳しい場所なのかもしれない。


「病気とかじゃないのか?」


「いいえ、違います。」


「じゃあ、どうしてそんな若さで……」


「それは、実際に行って確かめてください。」


 アリスは意味ありげな微笑みを浮かべたが、それ以上の情報はくれなかった。


「では、最後に一つだけお伝えしておきます。」


「なんだ?」


「今までの人生で我慢してきた分、異世界ではどうか、自由に生きてください。我慢せず、あなた自身が心から楽しめる人生を送ってくださいね。」


 アリスの言葉が胸に響いた。その瞬間、俺の身体が柔らかな光に包まれる。


「それでは、異世界での新しい人生をお楽しみください。あなたに幸運が訪れますように――」


 光が一気に広がり、視界が白に染まった。







***

この作品は金曜日に投稿していこうと思っています。もしそれまでにキリのいいところまでかければその都度投稿します。


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