転生したら、体が元の世界の時間感覚のままだった。
赤茄子エクスペンシブ
第1話
花が咲いている。花が枯れた。雪が降っている。雪がやんだ。頭はもう何日も何年もたったと教えてくる。ただ体は数週間に一度の食事と少しの休息で事足りた。1日程度なら歩き続けられた。半日なら走り続けられた。眠れば季節は変わっていた。
「あんた、昨日もそこにいなかったか?」
「え?...ああ、いたよ。休憩してた。」
転生していたと気づいたのはついさっき。だって、あなたはこの世界の主人公"リンネ"だったんだもの。そこで私は私の体の異常さの意味を理解した。
この世界は目の前の彼を主人公にしたRPG、探索中のゲーム内の1日はたったの24分。この世界は24分程度で1日が終わるのだ。だから私は1日歩き続けられたし、半日走り続けられた。睡眠を取ればこの世界では20日ものときが過ぎて、季節が変わる。
「物思いにふけるってやつか?これで心をリセット!元通り!って感じか」
「いや普通に休憩してただけだよ」
「そうか?変なやつだな。だいたい人間がぼーっとしてるときは恋煩いって聞いたんだけど。あ、俺リンネ、よろしくな。」
取り付けたように自己紹介をする彼に、そういえば自己紹介をしていなかったと気づく。そっか、私が彼の名前を知っていたらおかしいんだった。私は彼が出てくるゲームをしていたから一方的に知っていたけど、彼からすれば私は今日始めてあった人間なのか。今までの受け答えで変なところがなければいいんだけど。
「私はネムだよ。誰しも恋してるわけじゃないからそれはちょっと違うと思うけど。」
「そうなのか。また学習した。」
そうして私の隣に座ったリンネは数秒目を瞑った。少しの沈黙の後に何事もなかったようにまた話を続ける。彼は家族、仲間、いままで旅をした場所など面白おかしく話してくれた。原作からは得られなかった情報を惜しみなく披露してくれる彼に思わず真剣に話を聞いてしまった。
その上、彼の話を聞く限り、
「原作前....」
「なんだ?ゲンサクって」
「いや、こっちの話」
「そうか、続けるぞ」
彼が話していたのは私が知り得ることのない情報、そして一切他のキャラの名前が出ないことからおそらく原作前だと解釈した。そしてそれとなく原作で出てきた地名を出しても彼は「どこだ?それ。ネムはいったことあるのか?」と聞いてきたので本格的に原作前であると理解した。
「俺、しばらくここに住んでて久しぶりにヒトと喋った。なあ、明日も来ていいか?」
「えーっと、リンネが暇なら」
「約束は指を切るって聞いた。どの指を切ればいいんだ?」
「その偏った知識どうにかならないかな」
リンネと指を切ったその翌日からリンネは言葉の通り毎日ここに来た。来たとしても1日程度だろうと思っていたのに彼は毎日毎日1日も欠かさず来た。今朝咲いた花の話だとか、新しいダジャレをおぼえただとか、またまた偏った知識を披露してきたり、とにかく彼の話題は尽きなかった。
しかし私も人間だ。時間が経てばずっと同じところに座っていればおしりが痛くなるし、お腹はすく。そのため、あと少ししたら移動しようと思った。
「リンネ、私そろそろ移動しようと思ってて」
「そうなのか?じゃあ明日移動しよう」
「えっと、そのつもりではあるんだけど。」
なんか、話が噛み合わない気がする。しかしそれを確認する間もなく彼は彼の住処へと戻って行った。最後ならもっと引き止めたりとか、いつもより長く喋ったりとかするものなんじゃないんだろうか。いや、それは私が期待してただけか。現実、そう上手く人から好意を向けられることなんてないんだから。
まだ日も沈んでいないけど、少し眠ってしまおうか。久しぶりにカバンの中から毛布を取り出し、今まで座っていた場所から少し離れた木の上で昼寝をする。
次目覚めた時は、ご飯を買いに行こう。私は不眠不休で働けるからまた配達の仕事とかすれば速達でたくさんお金が……。
そんなことを考えていれば、木漏れ日の温かさに意識は遠のいて行った。
◆◇◆◇
「あんたも俺を置いていくのか」
「死んでないよな。」
「目を覚まして、はやく」
「何も異常はないんだ。本当に、何も」
「泣き落としって、泣けばあんたは起きてくれるのか?」
「あんたが起きるように俺、たくさん調べた。でも全部間違いだって。じゃないとあんたが起きない理由にならない」
◆◇◆◇
ふかふかのベッド、暖かい日差し。心地が良くてまぶたが開けない。今日、なにかしようと思ってたんだけど、まあいいか。あとの私が何とかしてくれる。今日やるべき事なんて後回しでダラダラと眠り続けている。
ヒヤリとした大きな手の感触。その手に手首を握られた。親指でぐっと手首の溝のところを押されて反射的に小指がピクリと動いた。
「眠っている人間はキスすると目覚めるらしい。これって正しいのか?俺はわかんないよ。教えてくれるヒトがいなきゃ」
なんだその偏った知識は。
思わず目を開いた。ほんの少しの距離、琥珀の瞳と目があった。その目はわざとらしく一つ瞬きをすると私から離れていった。ベッドの真横にある木製の簡易的な椅子に座った男性、リンネは深く目を瞑った。
あれ、リンネ?それよりも、私はなぜこんな上質なベッドに寝かせられているんだろう。確か眠る前は木の上で眠りについたはずなんだけど。
そしてリンネはようやく目を開いた。
「ネム、おはよう!出発の予定は1ヶ月延期したけど、よかったか?」
「いやわかんない、わかんない。」
話を聞くと、リンネは私と共に旅をするつもりだったらしい。そのため夜中に準備して私を迎えにきたところ私が眠っていたため、自分の住処のベッドに移動させた。そして私は1ヶ月の間、目を覚さなかったらしい。
「何かの病かと思った。でもただ眠ってるだけだった。だから知ってる知識で対応しようと思ったんだ」
「それおとぎ話だから。効果ないから。」
「そうなのか。」
原作でも世間知らずな印象はあったけど、はたしてこの男ここまで変な男だっただろうか。というか、一緒に旅をするという件についても私はリンネと旅をするとは一言も言ってないし。そんな約束した覚えもない。
「あと、私リンネと旅するつもりはなかったよ。」
「なんでだ?」
「だって約束してなかったし、」
リンネから目を逸らす。すると体ごと移動して私の目線の先まで移動してきたリンネはにぱっと笑った。
「じゃあ今、約束する!もう学習したからわかるぞ、小指を使うんだろ?」
そして強引に私の小指をさらったリンネはこの間教えた通りに、指切りげんまんを歌って寝起きの私に出発を急かしてくる。本当に嬉しいですというような表情のリンネに何もいえなくなった私は二度寝したい気持ちを抑えて出発の準備をすることになる。
「あと、あんたが着てた服はそこに置いてあるから」
「......は?」
私はこの男を教育しなければならない。そう深く感じた。
◆◇◆◇
「で、どこに向かってるんだ?」
「
「クエスト?冒険者ギルドに入ってるのか?」
「入ってるよ。でも配達系しか受けてないんだ。私、結構評判いいんだよ。速達だし、扱いが丁寧だとかで」
いつもよりゆっくりと目的地へ向かう。夜の森では薪とゴミ山から燃えやすい紙とか布を拝借して、ついこの間買ったライターで火をつける。
「リンネさ、こんな時間だけど、寝なくていいの?」
「あんたこそ寝たほうがいいんじゃないか?なんで起きてるんだ?」
「いや、私は眠くなくて」
「俺もそんな感じだ」
その調子で移動の五日間、リンネは私と同じく一度も寝なかった。でもリンネは眠そうなそぶり一つも見せずにそれどころか今は元気に街の中を駆け回っている。
「あれ、なんだ?余計な動きしかしてない。」
「リンネ、失礼だよ。ダンスなんだから」
「ダンス...。あれって"楽しい"のか?」
「まあ、楽しい、かな。」
そうして街を歩くたびにリンネは私に質問をしてくる。これはなんだ?あれはなんだ?その度に説明をしていれば彼は完璧に理解した。と目を瞑って、また開いてもっとおしえてくれ!なんて言う。
「ダンス、覚えたぞ。」
「えっ、ま、リンネ!?」
唐突にそう言ったリンネは往来のど真ん中で先ほどの女性のダンスを全く完全に再現して、それどころか私の手を引いて一緒に踊ろうって私をくるくる回転させる。この男、なにも読めない。
この通りで商いをしている獣人たちが、それどころか道ゆく人が立ち止まって歓声を上げながらこちらを見ている。リンネはずっと楽しいという言葉を繰り返している。
「そこまでだ。芸の披露は公共の舞台を使うように規則に書かれている。」
桃色の長い髪を揺らした男性は鋭い眼光でこちらを見ている。観衆は「騎士団員だ。」「お前ら解散だ。」という声と共に消えていった。リンネは状況を理解できていないようで、ぽかんとした顔で私の手をとったまま停止している。
「すみません....」
「旅人なら、なお気をつけることだ。次はない。」
それだけ言い残した男は私たちの元から去っていった。
「焦った....」
「知り合いか?」
「違うよ。ただ、有名な方だから」
観衆に騎士団員と呼ばれた彼はウヅキ、原作では騎士団長になっている男だ。私の記憶では彼の顔には大きな傷があったはずだが今はまだないらしい。ゲームの中で彼は傷を負ったときに親友を亡くしたと言っていた。なら、彼の親友はまだ生きているのだろうか。
『俺は気づくのが遅かったんだ。誰かを傷つけるより、誰かを守るべきだったと』
『しまった、そんなにひどい顔をしていたか。忘れてくれ、性分じゃない』
ゲームの中の彼は今よりもっと感情的で、当時のことを酷く後悔しているようだった。
「ネム、どうしたんだ?」
「なんでもないよ。先にご飯食べに行こう。私起きた時からお腹空いてて」
「なんでもっと早く言わなかったんだ。もう五日も何も食べてないだろ」
いやそれはあなたもなんですけど。リンネは私を引っ張って歩き出す。
こうして、私の異世界生活はようやく幕を開けるのかもしれない。
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