第34話 二人の嫉妬 『ヤキモチからの営み』
“異常な甘え方” とはこういうのを言うのだろうか?
ここに来てから数日間は、はじめの宣言通り、宗一さんは私達の部屋に入ることなく、夕食後は隣の部屋で静かに過ごしていたのだが、最近は風呂上りに晩酌をするせいか、酔ってこちらに顔を出すようになった。
「お前、弱いんだからあんまり飲むな」
一郎さんが取り上げようとしても、「嫌だ」と手酌で飲む。
お酒に強くない体質は遺伝なのか、宗一さんは日本酒の
「兄さんも飲みなよ」
しかも酒癖が悪く、一郎さんが断ると泣き上戸のまま、「僕の酒が飲めないの」だの(義父の酒なのだが)、「僕が嫌いなんだね」などと絡んでくるのだ。
やれやれ……。
私は極力関わらないようにして、その様子を遠巻きに見ている事が多いのだが、その夜はギョッとした。
なんと、宗一さんが、あぐらをかく一郎さん足の間に座って酒を飲み始めたのだ。
開いた口が塞がらず、私は見てはいけないものを見た気がして慌てて目をそらした。
何、あの図。
——添田さんの言う通りだ。
宗一さんの甘え方は異常だ。あれは兄弟愛というより——……
「おい、十八にもなって、幼稚なことをするな」
一郎さんはさすがに鬱陶しい表情を見せて、宗一さんから離れようとしたが、完全に目の座った宗一さんが抱きつく形で逃がさない。
「お義姉さんは、僕と兄さんが仲良くしている方が安心するんだよぉー、ねぇ、琴子さん?」
名前を呼んで欲しい人が違う。
私は顔を引きつらせて、もう一度目をそらした。
このままさっさと布団に入って、この現実から逃げたい。
夫の実弟に嫉妬するという、悪夢みたいな現実から。
しかし、その悪夢は長くは続かなかった。
「やっと静かになったね」
宗一さんが泥酔して爆睡したのだ。
やれやれ、と言って弟を抱える一郎さんの前に行き、宗一さんの部屋の襖を開ける。
小さな部屋に敷かれた布団、仮の仏壇。小さなタンス。
火鉢もないし、心身とも侘しい気持ちになり得る部屋ではあるが、こうも夫婦の時間を邪魔されると同情もできない。
「全く手のかかる奴だ」
そう言って弟を布団におろす一郎さんの目は、やはり慈しんでいる。
むにゃむにゃと寝言を言う顔は愛らしくはあるが、私は、もう可愛いとは思えなかった。
「何だか色々済まない」
寝室にようやく二人きりになると、一郎さんが私の手を握って引き寄せた。
私は、一郎さんの腕の中で首を振った。
その一言だけで救われるのだから、やはり夫の存在は偉大だ。
本音を言えばもう少し、常識から外れた幼い弟を叱責して欲しいが、長いこと別々に暮らしていたほぼ大人の弟を躾るのは難しいだろう。
何せ、一郎さん自身、ずっと母不在の家で暮らしており、親兄弟に甘えるという行為の常識範囲も知り得ないだろうから。
「……今日も添田に英語を教わっていたの?」
優しい抱擁の中で、「はい」と頷いた。
実際は、本日は語学を教えて頂いたわけではないけれど。
「そう。今日の報告はなかったな」
「え?」
穏やかな一郎さんの鼓動から耳を離し、顔を上げてみる。
「いつも、貴女への学習をした時は報告があるんだ」
「報告ってどんな……?」
今までの勉強内容? もしかして添田さんとした会話の内容まで? やだ、私、余計な事言わなかったかしら?
さわさわとしていると、
「どこまで学習が進んでいるか、何時から何時までやっていたか、その程度だよ」
「あぁ……」
一郎さんが、今度は髪を撫でながら答えた。
再び、一郎さんの胸に頭を預け、その心地よさを堪能する。
「あ、撫で過ぎたら寝てしまうね」
パッと離したその手が、今度は私に顔に触れた。
「添田の事は信頼しているけど、あまり二人きりにさせるのは良くないのかな」
「え」
思わぬ言葉に、自然と顔が綻んでいく。
「添田も、はじめの頃より、貴女の駄目出しをすることは少なくなったし、二人が仲良くなるのは良いことなんだけど、良すぎても困る」
添田。
一郎さんの前でも私の悪口言ってたのね。
でも。
そんなことより、
「一郎さん、もしかして、ヤキモチとか妬いたりしてます?」
嬉しすぎて、訊ねる声が震えた。
「ヤキモチ……この感情がそう呼ぶのならそうかもね」
人に好かれても、好きになったことは殆どないんだよ、と、モテる人間らしい発言をして、一郎さんは、私に軽く口づけをした。
「そんな、珍獣見たような顔をしないでくれるかな」
どうやら照れているらしい。
三歳年下の一郎さんを今まで、″年下″として見たことはあまりなかったのだけれど、今の一郎さんはとても可愛らしい。
「抱擁してもいいですか?」
男性を抱きしめたいと思ったのは、生まれて初めて。
「どうぞ……」
一郎さんがコテンと私の肩に頭を乗せた。 恐る恐る手を回し、浴衣越しに一郎さんの背中を両手で感じ取る。
かたい。
もっと感じたくて、ギュッと抱きつくと、一郎さんが少しだけ、ピクンと動いた。
気がつけば、彼の手が私の腰を抱いていた。
「このまま、いくけどいい?」
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