第17話 カムイ・タスム(神・病)

 翌日カシュンナイのコタンに戻る為、朝早く詰所を発った。

リヤウスナイ(野塚川)を渡河してポロフーレペツを川伝いにコタンに戻るのは五年前松前から帰還した時以来だが、その時と全く変わってはいなかった。

その時は前方からコタンのオッカイポ(若者)達が前方からやって来たが、今回はコタンに着くまで誰一人行き会わず、迎えすらなかったのだ。

 ただ途中の河原で漁をするアイヌを見かけたので、岸辺に座り込んで眺めたのである。

初老の漁師は和人の見学者に気が付いたが、構わず川の流れを注視していた。

 獲物の群れに狙いを定めると、先の方に鈎の付いた銛の様な棒を打ち込むと、三尺ほどの魚が突きかぎに刺さって漁師に手繰り寄せられたのである。

「エカシ(爺さん)それは何だね」

「此れはイトウだよ」

「あぁ違う違う、魚ではなくその銛盛もりの様な道具のことだ」

「これか?此れはよマレクと言って、この鈎にチェプ(魚)を刺して獲物を捕るようになっているのさ。お前は和人か」

「そうだ初めて見たもので、邪魔したな」

暫く行ってカシュンナイという支流に沿って左に入り、そこから森の中に入った。

 真っ直ぐ入った辺りに木立に隠れた台地の入り口があった。

コタンへの階段を上って台地の入り口に立つと両側に杭が打ち込まれて在り、強烈な臭いを放つキト(行者ぎょうじゃニンニク)がくくられてあった。

 此れは料理に使われるものだが、この場合は明らかに魔除けであった。

年の初めならばともかく、普段に於いてこの様なことは殆どしたことが無いのだが…。

それと集落の中は異様なほど静まり返って居たのだ。

 部落民の姿が全く見えなかった。

直ぐ側にあるカイのチセに声を掛けてみたが返事が無いので覗いて見ると、衣類や道具が散らかったままで誰も居なかった。

〈此処が散らかっているということはラヨチも来ていないんだ。変だ〉

 武田信行は酋長のチセを訪ねた。

矢張り空っぽ、藻抜けの殻であった。

〈矢張り何かあったのだ〉と直感すると、ラヨチのチセに向かったが、住まいは焼けてなかった。

右手の熊のおりは半分焼け落ちていて、左手の牛小屋には何時か見た牛が二頭いるだけであった。

そこで反対側にあるアベナンカのチセに走って行き、

菜乃香なのか居るか」

 外から呼んでみると、

「入らないで、そこに居て」

 間違いなくアベナンカの声が返って来た。

「どうしたんだ」

 アベナンカは少し距離を取るように立ち止まると、涙を零すのだった。

「菜乃香何があったんだ。ラヨチのチセはどうして焼けたんだ」

「ノブユキ落ち着いて聞いてね」

「分った」

 と言って地面に胡坐をかいて座り込んだ。

アベナンカは気持ちを落ち着かせるように大きく呼吸すると、

流行はやり病なの。ラヨチの飼っているペコ(牛)の体中に皮膚がただれてがれたりんだりしたらしいの。ラヨチが薬草を煎じたりして治そうとしたらしいけど、今度はラヨチが同じようになってしまったのよ。

 丁度その時オランダ人の医者だという赤毛のマルコ・ファン何とかという人が松前家の侍と一緒にコタンを訪れたの。この時は既に酋長以下コタンの人々は裏の川の水源近くにある山に逃れた後で、コタンには妹のクナウとエルの三人が残っただけだったわ」

 と状況を話して聞かせた。

「その工藤庄衛門はピロロ(広尾)の商場あきないばを束ねている蠣崎蔵人かきざきくろうどの家来だが、そいつがそのオランダの医者のマルコファン何とかを連れて来た訳は何だったのかなぁ」

 オキクルミは不可思議な二人の行動に疑問を抱いたものだった。

「ラヨチとカイは何処に」

「オランダ人の医者の言うことを聞いて大分良くなったのにあの子(エル)を置いて樹林に入って行ったわ。完全に治ったら戻ると言って居たけど…」

「そうかエルは居るんだね」

「居るわ。あの子は大切な人の子ですもの」

 明らかに誰の子か知っている口ぶりであった。

「会わせて貰えるかな」

「良いわよ、ちょっと待ってて」

 アベナンカは中に入ってエルを連れて来た。

「エル、良く見て誰だか分る?」

 とアベナンカは訊くが、エルは旅装を解いていないオキクルミを繁々と眺めて居るだけであった。

〈如何したのだろうか〉

 オキクルミはエルがお父さんと言って抱き付いて来るものと許思っていたのだが、放心したように、キョトンとして居るのだった。

如何やらそれは、母親から無理やり離されて遠のけられた為の衝撃からくるもののようだった。

 恐らくハポ(母親)が傍に居ればそんなことにはならなかったに違いないが、ラヨチにしてみれば可愛い娘が感染したとしても軽く済むようにと願っての行動だったのだ。

 確かにその痕跡として所々に痂皮かひがみられたのである。

良く観るとそれはアベナンカにもクナウにも見られた。

「菜乃香もかかったのか?」

「此れはオランダ人の医者に勧められて牛痘ぎゅうとうを摂取して貰ったの。クナウもエルもそれにカイもして貰ったわ」

 ラヨチは飼っている二頭の牛が牛痘にかかって、自らも感染したので、カイにエルの保護を頼んだ時に偶然にもオランダの医師と松前家の役人がコタンを訪れたというのである。

 この時五人の他は全て山に避難した後だったので、医師はラヨチの症状を見て軽症であることを告げ、後の四人の腕に態と引っ掻き傷を付けて、牛の病変から膿を取ってそこに付けたと言うのだ。

 多少の差異はあったものの、大方の者は発熱の為か寒気が続いて食欲も無くなったが、イイェエワン(十日目)位には回復したようだった。


 軽く済んだのでラヨチのチセを燃やすこともなかったが、ラヨチに降りた病魔をチセを焼くことで天上に帰したことになると考えたようだ。

病魔とてカムイの化身と言えるのだろう。

 オランダから来たと言う医師にしてもアイノ的見方をすれば、カムイの化身と言えなくもない。

何故ならこの当時和人を除くレプンクル(沖にいる人つまり外国人)の蝦夷地への渡来、或いは奥地に来る者は居なかったように思うのだ。

否敢えて言うならロシア人だが、アベナンカはオランダから来たと聞いて居たのである。

然もそれはラヨチが牛痘に罹って直ぐにコタンに現れた辺り、余りにもタイミングが好過ぎたので、

「ロシア人だったのではないか」

 と訊くと、

「ロシア人の目の色は灰色が多いわ。そのオランダ人の医師は綺麗な青だったわ」

 アベナンカは難破したロシア船の救助の際、そのロシア人の多くは目が灰色だったと記憶していた。

顔立ちも違ったというのだ。

同行の松前家の家臣は間違いなく和人で、その目は茶色だったとも付け加えていた。

 そこでオキクルミはその二人のお陰で皆は助かったことは事実であり、どんな用事で来たにせよ、神の御加護と言っても過言ではなかった。

「菜乃香訊くが手当てをして貰ったお礼は如何した」

「シュマリ(キツネ)の毛皮と二個コバンをあげたわ。喜んで持って帰って行ったわ。勝手なことして御免なさい」

 アベナンカは胡坐をかいてるオキクルミの前に土下座をするのであった。

「好いんだ、良いんだよ菜乃香。皆が助かったのだから」


 此れは牛が罹った天然痘で、飼い主のラヨチが感染したのだが、如何やら軽くて済んだ筈なのに、息子を伴って樹林に入ったきり出て来なかったのである。

 トヨニ山に非難した人々はその後コタンに戻って来た。



 この痘痩(天然痘)が蝦夷地に持ち込まれたのは、各地で交易が始まり出した頃からのように思えるが、実はそうでなく、寛永元年(一六二四年)初夏より痘痩が流行して”和人・夷人死する者多く、特に小兒残る者少なし"やその後も萬治、元禄、寛政から幕末に至るまで、各地に於いて流行したことが、記録に残っている。

 そうした度々の災難にアイヌの間では、パ・コル・カムイ(疱瘡の神)として年年季節ごとに訪れる神として、歳神とも言われたようだが、それは山で鹿や熊が獲れなかったり、海や川で鮭や鱒も獲れず、果實の実りもない、疫病が流行るこうした年をパ・ウェン(歳が悪い)、即ち歳神によるやくと言ったようである。



 オキクルミとアベナンカはウトマン(夫婦)となって、酋長のムカルから戴いたチセに住んでクナウとレンカイネ(エル)を育てたのである。

勿論オキクルミタケダは公儀の役人武田九郎信行としてピロロ(広尾)の連絡所勤務を続けていた。

 その間にピロロに在る松前の商場を訪ねた。それは役ではなく、ある疑念を晴らす為であった。

「ご免」と言って商場に入ると、小役人が交易品であろうか、数を数えては帳面に記帳しているところだった。

「何の用だ」

 小役人の一人が見下すような目つきで武田九郎を見た。

「工藤庄衛門殿は居られるかな」

「何だと生意気な。交易は決められた日時のみだ、帰れ」

 と一括する。

「お主名は何という。聞かせて貰おうか」

 口調は穏やかであったが、凄味があった。

「な、何だとそこへ直れ」

 と太刀を取って柄に手を添えて抜いたのである。

他の者達は手を休めて笑って成り行きを見ていた。

 小者は脅かすつもりだったに違いないが、一瞬のうちに、脇差に払われて算盤を持った男の直ぐ後ろの柱に突き刺さると慌てて小太刀を抜こうとしたが、アイヌのような武人に恐れをなして下を向いてしまったのである。

 騒ぎを聞きつけて奥から武士と町人が飛び出して来た。

「あっ武田様」

 町人がそう叫んだので良く観ると、近江屋善兵衛であった。

もう一人の武士は田村玄太郎という商場の管理人であった。

「如何されました武田様」

「さてさて脅かすつもりはなかったが、余りに人を愚弄ぐろうするもので」

 と言いながら脇差を収めた。

「このバカ者ども。このお方は公儀のお役目でお見えになっていらっしゃる武田九郎様だ。確とお詫び致せ」

「ははぁ」

「此方こそちゃんと名乗れば良かったんだが、悪いことした」

 と詫びた。

「ところで本日の御用向は」

「おうそうだ。実は先達て拙者が江戸に戻っている間に、親しい者が痘瘡に罹って、その時工藤庄衛門殿がオランダの医者と来てくれて治療して下さったというのでお礼に参った次第だが、何処かにお出かけで御座るか」

 出されたお茶を飲む。

「左様で、その件につきましては存じ上げませんが、工藤はご家老に呼ばれて松前に行って居りますので、早くてもひと月ほどは戻らないと思いますが、戻ったら連絡所にお知らせ致しますが」

かたじけない。否此処に来たことだけ伝えて頂ければいい」

 オキクルミタケダは脇差を腰に差すと礼を述べて表に出た。

「お待ち下さい武田様」

 近江屋が追いかけて来た。

「ちょいとお話が」

 と言って近くの茶屋に誘った。

「米は届きましたかな」

「確かに頂きましたよ」

「米代は後ほどお届けいたしますのでそれまでお待ち下さい。で話は変わるんですが、工藤庄衛門様のことなんですがね。最近どうもオランダ人医師とつるんで何やらメナシクルのコタンを回っているようなんですよ。何の為か存じませんが、どうも胡散臭うさんくさくって、あの方は本来お城勤めでして、外勤を嫌って居た筈なんですが、如何したことか最近は進んでコタン巡りをしているようなんですよ。如何した風の吹き回しかは存じませんが、草鞋を結構履き潰す程歩いているみたいなんです」

「実はそのことなんだが、牛を飼っていた婦女が突然牛痘に罹ったのだよ。そしたら待ってましたと許オランダ人と松前家の侍が現れて治療して呉れたというのだ。余りにも間が良すぎるというか、運がいいと言えばそれまでだが…、奇跡に近いことだと思う。そのお陰で軽くて済んだのだから有難いのだが、ならば当然のことお礼をしなければならない訳で、妻が毛皮と二両を謝礼として差し上げたというのだ。命に係わること故決して多くはないが、如何も引っかかるんだなぁ」

「では武田様は仕組まれた病とでもおっしゃりたいのですか」

 そう言う近江屋も怪しんで居たから仕組んだものという発想が出来たに違いなかった。

 そのオランダ人医師が本物かどうかは松前に問い合わせて見れば分かることだった。

 でももしそうだとしたら何の為にそのようなことをしているのだろうか…。

 工藤庄衛門は松前家の家臣だが、家老の陪臣のようになって、知行地に於ける儲けの一部を分けて貰っているに過ぎず、与えられた役目の中でうまい儲け話を見つける以外、真面な食い扶持ぶちとはならなかったのである。

 結局数か月経っても、工藤庄衛門は挨拶には来なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る