第11話  不平等交易

 松前に戻った九郎信行に新たな使命が申し渡された。

松前家は領地が寒冷地の為稲作が出来ないので、領主も家臣たちも他家のように百姓からの年貢が無い為、アイヌとの交易権を知行として与えられていたのだ。

 家臣らは先ず、サモロモシリ(本州)の商人から米や鉄器、漆器等の道具類や衣類から食べ物に至るあらゆる物産をを調達し、アイヌが蝦夷地における自然の恵みによって漁労・狩猟・採取で得た物産と交易して、それを商人に売ることによって利益を得て成り立って居たのだ。

 元々は自由に交易していたのだが、松前家の独占となってからは、松前城下での公平な交易であったのだが、その量が増えて来ると、蝦夷の地に商い場を設け、家臣らに商い場の権利を持たせて交易を盛んにさせ、商場で交換した品を松前に持って帰って、商人に売ったのである。


 こうした中、アイヌ同士の争いがあった。

此れは東側に住むメナシクルと西側のシュムクルとのシベチャ(静内川)の漁猟権を巡っての争いであった。

 それと言うのも、松前家は交易と金の採掘などによって財政を維持しなければならなかったので、その交易が膨らむことによって負担がかさんだのである。

財政困難を解消する為には利益が出るようにしなければならなかったので、次第に交易に於ける取引の料率を松前の有利に変更して行った為、アイヌ側はより多くの物資が必要となったのである。

 その為に漁猟権を獲得し、ある程度の安定した漁獲量を得なければならなかったのである。これは双方ともに死活問題であった。

その他の地区でも同様な部族間の諍いはあった。

それは暫くは続き、双方の首領を失う争いにまで発展したが、松前家の仲介や話し合いでどうにか終息した。


 ところが今度は松前家とアイヌの紛争が起きたのである。

 家臣たちは自ら商場で交易するよりかは、直接商人に任せた方が手っ取り早く、利益も出た。

 この頃になると当初干鮭百本に対して米二斗(三十キロ)であったのが、米は七升にしかならなかったのだ。

此れは決して順当な取引とは言えない。

松前家はあらゆることから、アイヌに対して優位に立っていた。

そうなると決して公平な取引は行われなかったのだ。

 武田九郎信行はその辺の実態調査を下命されたのだった。

商場若しくは場所は北からソウヤ場所・テシオ場所・トママイ場所・モンベツ場所・イシカリ場所・イワナイ場所・オシャマンベ場所・ユウフツ場所・サル場所・ウラカワ場所・トカチ場所・シラヌカ場所・クスリ場所・ネムロ場所・クナシリ場所とある中でトカチ場所を担当したのである。

 別に松前に戻らなくても良かった。

九郎信行はピロロ(広尾)を拠点にして各所に出張ったのである。

 戸勝に知行を持つ蠣崎蔵人ら上級家臣は、知行地として商場権を持って居たが、次第に商人らに直接交易をさせ、その上前の一部を場所賃料として納めさせたのである。

 それは本来松前に持ち帰って、城下の商人に売り捌いたものだが、それでは交易品の調達から管理など、規模が膨れ上がることによって手に負えなくなった為であった。



 公儀の役人である武田九郎信行は役料としては百俵であったので、二十五俵は米で貰って七十五俵分を松前城下で両替商から現金で受け取ったのである。

 玄米二十五俵はポロフーレペツ(豊似川)河口付近の海でイタオマチプ(縫合船)二隻で陸に上げ、小舟も含めて数回に亘ってコタンに運び込んだのであった。

 後日連絡所に調査報告に行った折、両替商から手数料を引いた三十六両を受け取ってコタンに戻った。

蔵前取りなので札差に受け取り料の他売却や運送料で金二分は掛かったが、遠隔地であった分輸送代が嵩み、両替商への手数料も要ったのである。

この時、酋長の指示でカイら戦士二人が護衛として付いて往復したのであった。


 話は前後するが、通常蔵前取りの役料は二月、五月、十月の三回に分けて支給されたものだが、蝦夷地勤務では夏に一回二十五俵を送って貰ったのだ。

此れは担当部署で纏めて処理して呉れたものと思っていたが、その理由は後に判明したのである。

 こうした配慮の元に、武田九郎信行は酋長のムカルに玄米二十俵をコタンの為に使って欲しいと献上を申し出たのである。

ムカルは大いに喜んで、そのお返しに住居や毛皮に食料などをオキクルミに与えたのである。

 稲作はしていなかったが、交易によって大分前から入って来ていたらしく、ニス(臼)で精白して居たのである。

コタンでは今までにない量を入手したことになる。


 オキクルミ(信行)は残り五俵の内の三俵を自家に残して、後の二俵をカイとラヨチに一俵ずつ上げたのである。

 その三俵だが、それはアベナンカに渡したのは言うまでもない。

 オキクルミはカイと共に米を持ってラヨチを訪ねた。

「まぁシアマム(米)をあたしが貰っても良いのかしら。誰かに叱られない?」

 と茶化す。

「ラヨチとカイには散々世話になって居るのだから気兼ねすることはないよ。ところでエル(ネズミ)は居ないの」

 オキクルミはラヨチの娘だというマッカチ(女の子)のことが何故か気になって訊いたのだ。

「裏で遊んでいるよ」

「連れて来るわ」

 カイはそう言って迎えに行った。

確かに裏に居たらしく直に戻って来た。

「ちゃんとご挨拶して」

 ラヨチはエルに母親らしく諭した。

この子の出生を知るカイは、母親の意図を汲んで必要以上のことは喋らなかった。

「ミチ(父さん)は天上に居るんだよね」

 何を思ったか、エルが突然そんなことを言い出したのだ。

「そうだよエル。お前のミチ(父さん)は悪い人に連れて行かれて亡くなったのさ」

 この時もエルの出生を訊いてみたが、肝心な部分ではぼかして教えなかった。

息子のカイも同様であった。



「ただいま菜乃香」

「オッカイポ(若者)があなたの持ち物と言ってあれを置いて行ったの」

 物置部分に米俵が三つ重ねてあった。

「シアマム(米)だよ。粥で食べるといい。それと今度江戸での食べ方を教えるよ。米の炊き方もな。それからこれを持っててくれ」

 と囲炉裏端に座って、懐から財布を取り出すと、黄金色の楕円の板のようなものを見せた。

「これがサモロモシリ(本州)で使っている小判と言うお金だよ」

 アベナンカは手渡された小判を引っ繰り返したり表に戻したりして見ていた。

「これで道具なんかと交換できるのね」

「そうだよ。これがあれば何とでも交換できるのさ」

 オキクルミは小判を左手に持つと、右手に一枚ずつ持ち替えて囲炉裏の端に置いて行く。

「シネプコバン(一個小判)、トゥプコバン(二個小判)、レプコバン(三個小判)、イネプコバン(四個小判)、アシクネプコバン(五個小判)……」

 とアイヌタクで数え始めると、アベナンカもそれに合わせる様に愉しそうに声を出した。「全部でコバン ホツネプ」

「二十個もあるの凄いー。だってこれ光っているでしょ。価値がある事ぐらい解るわ」

「いいかい菜乃香、このシネプコバンでサッケ シぺ(干鮭)が百本以上交換(買える)出来るんだよ」

「本当に凄いのね。でも此処では必要ないから……」

「菜乃香、物と物との交換では必要とする物が双方になかったら取引は出来ないが、このようなお金があれば、その価値に応じて払えば良いのだから便利なんだ。この蝦夷の地でも今は渡嶋の松前辺りだけの流通だが、そのうち全土に流通すると思うよ」

「でもコバンだけでは不便でしょ。他にはないの?」

「流石は菜乃香だ。で流通しているお金は大まかに言うと金に銀に銅の穴銭の三通りあるんだ。具体的に言うと、小判は一両と言って、これに対して銀は六十匁、穴銭は一文銭と言って、四千枚で一両となるんだ。

金には小判の他に一分金(四枚で一両)や二朱金(八枚で一両)等がある。

 だから例えばモユク(タヌキ)の毛皮が一両三分だとして、二両出したら、釣は一分金で一枚か二朱金一枚と穴銭で五百枚出すという感じだよ」

「細かいことは分からないけれど、そうした取引きなら分かり易そうね。でもそんな大事な物を私が持ってて良いのかしら」

「菜乃香は大切なアイヌ(人)だよ。だから安心して預けるんだよ」

 アベナンカはその黄金色に輝くコバンの端を指で摘まんでオキクルミに見せるように掲げながら謎かけで訊く。

「ノブユキ、このコバン如何してこんな形にしたのかしらね」

 何か答えを知っているように微笑むのであった。

「何だろうな。持ち易いからかなぁ」

 アベナンカは時々このようにしてオキクルミとの謎解きを楽しむ。

「わたしはあれじゃないかと思うんだけどどうかしら」

 と物置の方を指さすのだった。

「米!米粒?」

「違う違う、違うわよ。中身じゃなくて入れ物よ」

 アベナンカは米俵という言葉を知らない為、入れ物と表現した。

オキクルミは一番上の米俵を手前向きにして繁々と眺めてみる。

「あぁそうか、確かにそうだ。小判の形だ」

 オキクルミはアベナンカの観察力というか洞察力にほとほと感心した。

確かにそうみると、米俵は黄金色に見えるのだった。

「とにかく菜乃香に持っていて欲し…」

 アベナンカはその言葉を遮る様に体を重ねると、その雄弁な口を塞いだ。

チは滑るようにサマンぺに収まると、何度かのオアトゥの際、外で物音がしたのでアベナンカは慌ててモウルを付けると見に行った。 この日はカイが戻ったことを知ると入れ違いにカイの元に出かけて行ったと聞いて居た。戻るとしたらチュプ(太陽)が、台地の西側の樹林を赤く染める頃なので未だ早かったのだが、誰かが来たようだった。

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