第179話 総てをかけて

 そして――みずきは見た。アリスが左足を前に出すのを――後ろ足を前に持ってくるのを。


 みずきが、奥歯を噛みしめる。


 アリスが足を組みかえた分、竹刀が早く深く潜り込んでくる。


(まだ、こんな技を!!)


 技のないアリスが、みずきに追いつくために考えに考え抜いた作戦。


 みずきが、胸で叫ぶ。


(届け、貴女にどどけ!! わたしの体よ、今一瞬に全てを出し切れ!!)


 みずきの腕の筋肉が悲鳴を挙げて、筋繊維が引き千切れ始める。


 アリスの太刀が頭上から迫る。


 みずきの心が、叫ぶ。


(まだだ、まだ出る!! まだ出せる―――ッ!!)


 ―――心技体、いや――魂すらこめて。


「ェェェエエエェェェ――」

「オオオォォォオオオ――」


 アリスが膝の力を抜いた、アリスの体が沈む。まだ早くなる。


(アリス――貴女―――ッ!!)


 そんな術理にまで、自分で至ったのか。


 みずきは、アリスの用意した技が、自分の予想を遥かに上回っていた事に気づいた。

 だから、親友へ対する理解度、尊敬度が勝敗を決めたと気づいた。


 わたしは、やはり一度勝った者として――親友への理解と尊敬が下回っていた。

 それが――


 体育館に、面を打ち抜いた音が反響した。


 続いて、胴。


「一本!! それまで!!」


 勝敗は、決した。


(アリス―――だけど許して欲しい、それは一方で、勝った者の矜持でもあったと)




 会場が拍手に覆われていた。


「優勝、八街アリス」


 賞状を受け取ったアリスが、すべての人に向かって頭を下げる。


 みずきが包帯を巻いた左腕に、右の手のひらを当てて拍手にしている。


「今回は負けたよ、アリスの方が一枚上手だった」


 アリスは負けを認めたみずきに、なぜか挑発するように笑った。


「これでバーサスフレームでも、剣道でもわたしの勝ちですね!」


 みずきが目を見開いて一瞬俯いた。

 ――やがて俯いた顔が、笑顔に変わって挙げられる。


「ぜったい、バーサスフレームでボコす!」


 二人の視線が絡んで笑いあう。


 何のわだかまりもない笑顔、全てを出し尽くした者達にだけ出来る、晴れやかな表情。


「準優勝。立花 みずき」


 みずきが賞状を受け取り、誇らしく笑った。


 今までやれるだけのことをやってきた。それを全部出し切った、だからこの2位を何ら恥じることはない。


 かつてみずき自身が、白泉から何度も舐めさせられた2位という辛酸。


 みずきが「一番悔しい」と語った2位が、今は誇らしかった。


 ――だが、甘んじるつもりもない。


「次は勝つよ、アリス」

「王者は挑戦から逃げません」

「言うじゃん、チャンピオン」

「拙者も、負けないでござるよ」


 突然割り込んできた、隣の白泉が笑う。


 彼女はアリスとみずきの戦いをみて、一瞬、もう二度とみずきには勝てないなどと思った。

 ――だけど違う、互いに高めあうアリスとみずきを見て、このまま負けたままでは居られないと思ったのだ。


「3位。白泉 結菜」


「拙者は精進を忘れない!」


「同3位。中岡 うらら」


 こうして会場が拍手に包まれる中、白泉がこっそりアリスとみずきにだけ聞こえる声で宣言する。


「つぎは、フェイテルリンクで会おうでござる。拙者がマスターをするクラン、空挺師団第3小隊・叢雲をよろしくでござる」


 空挺師団――フェイテルリンクの日本4大クランの名前がでてきて、目を丸くするアリスとみずきだった。


 驚いたあと、アリスは笑顔を向けようと涼姫の姿を客席に探したが――その姿はどこにもなかった。




◆◇◆◇◆




 涼姫は体育館の外の駐車場で、アリスに会わずに帰ろうとする紳士に、涼姫の祖父がイギリスをなぜ去ったのか。約束を破ったのかを伝えていた。


「エリオットさんと会社を大きくしようと約束した祖父ですが・・・出資者が見つからなかった」

「ああ、私達は絶望したよ。間違いなく売れるアイデアなのに、お金が足りないと」

「そこで祖父は、当時経済が好調だった日本にチャンスを探しに行きました。そうして出資を取り付けたのですが・・・交換条件は祖父が出資してくれた会社に務めることだった」

「・・・・なっ」


 涼姫の言葉に目を見開いたあと、呆れたように眉尻を下げる紳士。


「――そうか―――そうだったのか。ならば手紙の一通でも寄越せばよかったのに」

「祖父は、申し訳なかったんだと思います。約束を破ってしまったことが、言い訳出来る立場なんかじゃないと」

「まったく、カイは――なんて頑固なんだ・・・」

「・・・すみません」

「いや、謝る必要はないよ。私だって頑固だったのだから。そして、アリスと立花さんの試合を観て分かったよ。私に足りなかったのは――友を信じることだったんだ。と――あんなに楽しそうに真剣に――夢中で親友と打ち合う姿を見せられては、ね」

「・・・私の祖父をそんなに好いてくれて、ありがとうございます」

「ふふっ。――私は本当はね、嫉妬していたんだよ。カイを奪った日本に、カイを返せと――だから・・・嫌いになった。嫌いになるしかなかった。そして息子が駆け落ちする原因を作り、アリスとアンが引き裂かれる原因を作った」


 そこで、涼姫がちょっと戸惑うような表情になって告げる。


「――あの」

「ん? なんだい?」

「もしかしたらなんですが、いいですか?」

「もちろん、構わないよ」

「・・・私、思うんです――海おいじいちゃんが、私をアリスと引き合わせたんじゃないかって」

「カイが・・・・? どういう事だい?」

「私がアンさんを負かさなかったら、きっとアンさんとアリスは今でも仲直りできていませんでした。海おじいちゃんは、エリオットさんが日本人を嫌いになる原因を作ってしまったのは自分だ――その為にエリオットさんは、ジョンさんを駆け落ちさせてしまった。だから、私にアリスを引き合わせて、アンさんと仲直りさせてあげて欲しいって」


 エリオットさんが息を飲んだ。

 私は続ける。


「アリスと私の出会いって、凄く偶然なんです。――同じ学校にならなかったら。――あの日、アリスの自転車が壊れなかったら――あの日、私がアリスの前に立たなかったら――始まらなかった出会いなんです。それに――あの日、私の動画がたくさんの人に知られていなかったら、今みたいな関係になれていたかも分かりません」


 アリスはなんか、いずれ私には話しかけるつもりだったみたいな事言ってたけど・・・「運命はもっと前から」とか。


 エリオットさんの双眸が、崩れていく。


「・・・そうか・・・そうか・・・カイなら・・・・そうだ、アイツはそんな事をしそうな男だった。――そうか、カイは・・・・見守ってくれていたのか。―――アリスを、アンを・・・・孫たちを、」


 エリオットさんが俯いて、ハンカチを取り出して、目尻を拭った。

 そして顔を上げて、穏やかな笑顔になる。


「ありがとう、あわてんぼうのお嬢さん。君のお陰で、私の長年の胸のつかえは綺麗さっぱり消え去った」

「い、いえ」


 エリオットさんが、空を仰ぎ「そうか、カイが・・・ありがとうな、カイ」と言ってから体育館の方を見た。


「二人の試合、凄かったよ。アリスは、私に認められたいから戦っていなかった。――ひたすらに、二人で大好きな相手を追いかけ合っていた。――私はあそこのどこにもいなかった。だから良かった―――本当に良かった」


 涼姫はこの言葉に返す物を持っていなかった。―――ただ黙るしかなかった。

 すると、紳士は涼姫に、再び穏やかな笑顔を向ける。


「良かったら、孫に伝えて欲しい。『優勝おめでとう』と」


 紳士の言葉に、涼姫は喜色を咲かせる。


「はい! 喜ぶと思います」

「それから」


 紳士は、西の青い空を眺めた。


「『いつでも、故郷へ戻っておいで――お母さんと』と」


 涼姫は刹那、喜びと驚きの息を吸う。

 かくして、それは勢いよく声になる。


「―――はい!!」


 涼姫は、眩しそうに紳士を見つめるのだった。

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