第7話 状況は絶体絶命?(3)

「ちょっとごめんな」


 保健室の入口を塞いでいた数人の生徒をどかして保健室の中へ。

 先生はいなかった。昼休憩だろう。


 見えるのは、ひとつのベッドに群がっている多くの信者たち。雪門が今どんな状況なのか分からないが、矢継ぎ早に出てくる質問が途切れずに飛んでいるところを見ると、雪門が答えられる隙間もないのだろう。答えられずに困っているはずだ。


「あの、先輩」


 信者の中でも目立って活動しているメガネの先輩に絞って話しかける。本が似合いそうな、おとなしめの先輩かと思えば、腕や足を見ればそこそこ筋肉もついており、見た目のイメージで接すると痛い目を見ることがよく分かった。


「雪門、困ってると思いますけど……」


「ああ、神谷陽壱、君ですか。今朝はありがとうございました。私たちの雪門様を助けていただいて。ですが、ここからは私たち『雪門会』が全てのお世話を担当しますので、あなたの出る幕ではもうありません。それとも、あなたも実は雪門様のファンだったりするのですか?」


「それはそうですけど」

「入会の意思は?」

「ないです。そんな会に入らないと声もかけちゃいけないんですか? 友達なのに? ファンですけど友達ですから、普通に話しかけますよ。困っていれば助けるし、逆にこっちが困っていれば相談したりもします。そんなこともできないんですか?」

「できません。雪門深月様は特別ですから」


 さすが信者。ここまでくると雪門にとっては害悪になるんじゃないか?

 以前の雪門なら望んでいたかもしれないが、少なくとも今の雪門は取り巻きとなる信者を望んでいるとは思えなかった。性格的に邪魔とは言えないだろうが、扱いに困ってしまうだろう。今の深月に、多数を制御する力があるとは思えない。


 先頭に立って歩ける子ではない。誰かが手を引いてやらないと。だからそれは、「よーちゃん」と呼ばれるおれの役目なんじゃないか?


「ひとまず、今朝、雪門を助けたのはおれです。差し入れも渡したいですし、ちょっとだけ時間いいですか?」

「いけません。あなたみたいな野蛮な人を雪門様に近づけるわけにはいきません」


「野蛮って……。あぁ、妹の件で下級生の教室に乗り込んで暴れたことを言ってますか? 広く噂になってましたから有名な話ですけど……反省してますよ。もう小学生の時の話ですし」

「隠してるつもりかもしれませんが、あなたはかなり好戦的で有名ですよ」

「喧嘩、弱いんですけど」

「でも、打たれ強いとは聞いています」


 よくご存じで。調べられてるなあ……まあ仕方ないか。集めようと思えば簡単に集まる情報だ。おれだって隠しているわけではないのだから。


「ほんのちょっとですって。挨拶をするくらいで、」

「ダメです。雪門様に、あなたは――」


「……う、ちゃん……?」


 と、控えめな声でおれを呼んだのは、ベッドの上の雪門だった。本当の体調不良ではないのだが、人に詰められて本当に体調が悪くなったようだ。

 寸前まで顔を青くしていたが、おれを見て、顔色がちょっと良くなっているように見える。


「……雪門様」


 気を遣った信者たちが左右にさっと開き、道を開ける。

 ベッドに腰かけていた雪門と目が合う。

 空いたスペースを歩き、差し入れで持ってきたペットボトルを渡す。


「平気か?」

「うん。……ありがと、顔を出してくれて」

「約束したからな。困ったことはあるか?」

「…………」


 彼女は言いにくそうに小さく笑った。なるほど、この状況が、とでも言いたげだ。

 そして、この言葉ない返答に察した信者もいたようだ。


「そっか。まあゆっくり休めよ。また放課後に顔を出すから」

「うん、待ってるね」


 一分もなかったやり取りを終えてから、メガネ先輩に軽く会釈をする。


「じゃあ、おれはもういくんで」

「…………」


 先輩はなぜか、立ち去ろうとするおれを不満顔で見ていた。


「…………んで、あなたが雪門様に認められて……ッッ」


 なんで、と言われても。友達だからじゃないかな? きっと、そんな簡単なことだと思うけど。

 距離を詰めたいのに様付けして、崇めている時点で距離は詰まらない。

 遠いままだ。でもそのことを指摘はしなかった。……してやるもんかよ。



 放課後になった。

 雪門は一日を保健室で過ごし、才色兼備の雪門深月に致命的な穴を開けることはなかった。彼女がそれを望んでいたのだから、病人として部屋に閉じこもっておく回避法は正しかったのだ。


 さて、今後のことだが、雪門が抱える問題を解決するには専門家が必要だ。

 神谷家には、雪門を襲った異常事態を解明できる経験と知識がある。正確に言えばおれのじいちゃんが専門家なのだ。つまり神谷家……おれんちにいく必要がある。


「……なんだけど」


 雪門に、「あとでおれんちまできてくれ」と伝えて待っているのが一番楽で安全だ。まさか雪門の手を引いて学校を出るわけにもいかないし……悪目立ち過ぎる。

 昼休みのことを考えれば、信者たちがそれを見逃してくれるとも思えない。だからと言って伝言と、うちの住所を渡して深月がきちんとこれるかどうか。

 ……いや、バカにするなと怒られそうだが、だけど心配なんだよな……。


「なんにせよ、一度は保健室にいかないと」



 案の定、保健室の前には信者がいた。

 ひとりだけ。メガネ先輩が腕を組んで、まるでおれを待っていたみたいに。


「あの、先輩?」

「雪門様には近づけさせません」

「あ、はい。じゃあ伝言をお願いしても、」

「――会いたければ私を倒してからにしなさい!」


 と、なぜか向こうはやる気だった。

 こちらの言い分を聞く耳を持たず、女性らしく細く見える腕と足に詰まっている鍛えられた筋肉が、一瞬で本来の力を見せたように大きくなっているように見えた。

 力強い先輩の踏み込み――やべっ、くる!?


 スカートがめくれるほどの鋭い蹴りが真っ直ぐ飛んでくる。

 咄嗟に距離を取っていなければ間違いなく顎を蹴り抜かれていた。


「うぉ、っと、」


 この先輩……経験者だ。体幹も強い。そして思い切りがある。

 人の頭を蹴ることに躊躇いがなかった。いやダメだろ。放課後とは言え先生の目があれば問題になっているはずだ。それでも先輩は構わないってことか……?


「……おれが被害を訴えれば先輩は停学になると思いますけど」

「はい。覚悟の上ですけど」

「…………」


「リスクを負ってでも、あなたよりも私が役に立つと雪門様に証明します!!」

「役に立つかどうかで雪門は人を見ていないと思いますけど……ね!」


 すかさず蹴りが飛んでくる。足技主体か。と思えば、先輩の手が伸びてきて袖が掴まれる。

 ぐっと横に引かれ、あっさりとバランスが崩された。立て直す前に、先輩の高所から振り下ろされた踵がおれのこめかみを打ち抜く。「がッ!?」意識が一瞬、持っていかれた……強い。


 廊下に手をつき、本来なら負けを認めてここで止めてもおかしくないけど……まだ。

 おれは、参ったとは、言ってねえ。


「うご!?」


 今度は真下から顎を蹴り上げられた。口の中が切れていることが分かりながら、意識が飛んだ。でも、すぐに戻ってくる。

 先輩は倒れないおれを訝しんでいながらも横からさらに蹴りを入れてくる。堪えられずに床を転がるが、気絶するほどじゃない。


 まだ、おれは立てる。


「……本当にタフですね」

「打たれ強く育てられたもんで」

「痛みに疎い……? 怖くないんですか? 殴られること、蹴られること、なにも感じないわけないはずですよね?」

「もちろん怖いです。。でも、


 気が付いたら終わっている……そんな感覚だ。


「これがおれの武器です」


 フォームもめちゃくちゃで、先輩に飛びかかる。先輩は眉をひそめて正面からおれの顔面に蹴りを入れる。それを受けて、おれの足が一瞬だけ止まったが、目の前に置かれた先輩の足を片手で払って前へ進む。顔に残っているだろう靴の跡。でももう痛みはなかった。


「し、試合なら止められてるわよ……!」

「ですね。だけどこれは試合じゃない」


 なんのために喧嘩してるんだっけ?

 まあいい、とにかく先輩を行動不能にすればおれは解放されるのだ。


「先輩。制服、掴みます」


 腕を伸ばし首裏の襟を掴む。これで逃がさない。

 すると、先輩からの腰の入った掌底が顎に突き刺さった。くら、と意識が揺れたがすぐに回復した。蹴りではないから、まだ軽い方だったのだ。


 先輩がもし掌底を足技並みに鍛えていたら、今の一撃は危なかった……けど。

 先輩を床へ引き倒す。「う、」途中で先輩の蹴りがみぞおちに入ったが、多少ひるむだけで、倒れたりはしない。床に背中を打った先輩の上に跨ったところで、勝負ありだ。


 それとも、ここからまだ喧嘩を続けるか?

 おれは、指先で先輩のメガネのレンズを軽く小突く。


「まだ続けますか?」

「……いえ、私の負けね。……認めるわ。中、入っていいわよ」

「本来、いつでも、誰でも入れる場所なんですけどね……」


 立ち上がり、先輩に手を差し伸べるが、「自分で立てるから必要ないわ」と拒絶されてしまった。仕方ない。


「先輩? どこに?」


 てっきり一緒に入るのだと思っていたが、先輩はおれに背を向けていた。


「会合に出てくるわ。今日も雪門様の素晴らしさを会員同士で確認し合うの。……だから、雪門様のことはあなたに任せたわ、神谷陽壱」

「あ、はい。じゃあ……あ」


 気づいてしまった。しかし触れるなと言わんばかりに先輩は崩れた顔を隠して走り去ってしまった。先輩、武道家として普通に強かったからなあ……。試合じゃないとは言え、床に倒されたことが相当悔しかったのだろう。


 試合だったらおれはあっという間に負けていた、という慰めは先輩が望むことではないな。


「本当に認められた……のか? 今日は会ってもいいってだけの気がするけど」


 明日、またくれば止められそうな気もする。その時はまた喧嘩すればいいか? いやでも、それは野蛮過ぎる考えだ。だが、


「先に吹っ掛けてきたのだから、先輩の方が野蛮だよな?」


 武道を知っていれば仕方ない。

 手段があれば、思考が偏るのも納得だ。

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