#01-4 ただの、個人的なおかえしです


 ――ここはまるで、監獄のよう。


 崩れかけた天井からこぼれる月明かりだけが、室内を照らし出す薄暗い部屋は。まるで世界から隔離かくりされたような錯覚を与えてきます。


 鼻をつくのは、ほこりかびの臭いと、何かが腐ったような悪臭だけ。

 耳に届くのは、下卑げひた男たちの笑い声ばかり。


 ――身体が、痛い。

 傷付けられ関節は外され、全身を支配する痛みは、意識を失うことすら許してくれず。

 両手両足は縄で縛られ、口には猿轡さるぐつわが噛ませられ。動くことも、声も出すこともできなくて。

 最早、何をしても体力を無駄に消耗するだけ。

 その考えに至り、あらがうことをやめて、ただ芋虫のように、床の上に転がされる現状を受け入れるのです。


「おいおい、なんかこいつ静かになっちゃってるぜ」

 部屋の中央、明らかに場違いなほど豪奢ごうしゃ絨毯タペイトが敷かれたその一角には、室内唯一と言えるような家具であるターフルがあって。そこにたむろっていた男たちの一人が、こちらを見ながら声を上げました。

 途端に、たくさんの男たちの視線が注がれます。

「なんだよつまんねぇなあ」

 ニヤニヤと。いやらしい口調で声を発しながら、一人、近づいて来ました。


 ぐい、と。

 顔が無理やりに上を向かされます。

 あごの下には、汚れた靴。

 男がその足で顔を持ち上げ、こちらにその加虐的かぎゃくてきな笑みを見せつけて来たのです。

「もっと泣きわめけよ」

 瞬間。

 視界が暗転したかと思えば、次の場面は暗がりと埃まみれの天井が広がっていて。

 ああ、顔を蹴り飛ばされたのだ、と。

 他人事のように、理解するのです。

 

「あんま顔を傷つけんなよ、売り物にならなくなるだろうが」

 少し遠くから、違う男……おそらく、奴隷商人の大男の声が聞こえます。

「違うんすよ、死んでねぇか確かめたかったんで」

 ゲラゲラと笑う声が、絨毯越しに体中に響き渡って。

 すぅ、と。血の気が引いていくのがわかりました。


「つうか」声がやたらと近くに聞こえたと思った時には、男の顔がすぐ目の前にあって。「マジにそろそろ、泣き声聞きたくないっすか」

 舌なめずりする、べろりという音さえ、ひどく鮮明に聞こえた気がします。

「程々にしとけよ」


「お前、そんなガキ相手につのかよ」

「好きだなー、お前も」


 すぐ側で交わされているはずなのに、どこか遠くの出来事のように聞こえる会話は。

 思考を、視界を、真っ白に染め上げていきます。

「ガキだから良いんじゃねぇか。誰も来ねぇんなら、俺一人で楽しんじゃうぜー?」

「へへ、そりゃずるいってもんだろ」

「俺も俺も」

 ぞろぞろと、男たちが群がってくるのがわかりました。

 薄暗い室内でも。

 そいつらが全員、同じような醜い笑いを浮かべているのだと伝わって。

 男が馬乗りになった重さを感じ。

 この両腕が、男の手によって、手枷ごと頭上に引き上げられます。

「おら、泣いてみろよ!」

 恫喝どうかつを響かせながら、衣服を破り捨てると、男は自身のズボンパンタロンに手を伸ばし――。


 ちゃりん、と。

 の髪をまとめていた、髪留めハースペルが立てた音が。

 

 反撃の、合図でした。



 男が己の下半身をあらわにせんとしたその一瞬。わたしの両腕を抑えつけていた力がゆるんだ瞬間を見計らい。


「…………ッ!」


 どすん、と。

 下半身を露出させた男の体が、わたしの体を覆うようにのしかかってきます。

 周囲から、はやし立てるような声が聞こえました。

 けれど。

「お? おい、どうした?」

 覆いかぶさったまま動きを停めた男に、周りがざわつき始めます。

「おいって!」

 誰かが男を引き剥がそうと手を伸ばすと。

 わたしにかけられていた重しが軽くなって。

 

 ぬるりと広がった赤色の液体を潤滑油に、わたしの体は男の下から脱し、行動を開始します。


「がッ!」

「うげッ!」

 叫び声がいくつも上がりました。

「な、なんだぁッ?!」

 少し遠く……卓の方からも声が上がります。

 その頃には、わたしの周囲に声を発するものは居なくなり。

 そこにいるのは、立っているのは。赤にまみれた人形わたしだけ。

 わたしは手にした『かんざしハースペル』で拘束を引き裂き、硬くなっていた四肢からだを伸ばせば。パキリポキリと音を立て、それは自由を取り戻し。

 次の標的を求めて、地を蹴ります。


 視界に映る人影は、五人。

 それらが臨戦態勢を整えるよりもほんのわずか早く。

 わたしは『かんざし』を彼らの胸に突き立てて行きます。

 いくつかの叫び声と血飛沫ちしぶきがぶちまけられると、残ったのは先程から声をかけていた、大男一人。

「お、おい! 誰かッ! 誰かいねえのかよッ?!」

 きょろきょろと周囲を見渡し、大声で叫んでいます。

 けれどその声に応える声はここには無く、返る声もありません。


 大男の顔に浮かんでいるのは、恐怖の色。

 その色を、より濃くするために。『かんざし』にこびり付いた血糊を、床に叩きつけるように振るってやりますと。

 びしゃり、という大きな音が響き渡り。

「……ひ……ッ」

 後に続いたのは、消えそうなほどにか細い、男の悲鳴。

……?」

 大男が震える声で問うてきます。

「シレネって女は、ただの田舎娘って、話だっただろ……?」

 そこには、困惑と畏怖がごちゃ混ぜになっていて。

「……そうですね。たしかには、ただの田舎娘です。何の取り柄も無い、無力で無害な民草に過ぎません」

「だ、だったら……!」

「ですがそれは、『』、の、お話です」

「……は?」


 恐怖に支配され、指先ひとつ動かぬ彫像と化した大男に視線を合わせたまま。静かに歩み、その眼前へ。

 そのまま、肉薄した大男の目を狙って『かんざし』の切っ先を突き刺します。

「がああああああああッ!!」

 大きな叫び声が上がる中。

「まあその話は、今はあまり関係ありませんので、おいておきましょう」

 素知らぬ振りで、にこりと笑いかけまして。

「奴隷商人、カスペル・スリュウ」

 ずるりとかんざしを引き抜きながら、大男の名前を呼んであげますと。

「……な、なんで、おれ、の、名、を……」

 戦慄わななき、どこか壊れたような動きと表情でわたしを見てきます。


「ごめんなさい、最後に謝っておきますね」

「……な、ん……?」

 唇の端からよだれを垂らしながら、ポカンとしている大男……カスペルに。

 ちょっとだけ、嘲笑わらいかけて。


「貴方は、殺す必要、無いんですけど」

「……あ……?」

 もう一度かんざしを構えて。

 今度の切っ先が向かう先は、その質の良さそうな衣服に守られた心臓ハルト

 ひゅっと突き刺せば。

「が……ッ!」

 新しい苦悶の叫びが上がったので。

「ここまで、結構、痛かったので」

 ぐっと右手に力を込めれば、ずぶり、と音がして、かんざしはその胸に沈みこんでゆきます。

「……これは、依頼ではなくて」

 ずぐりと肉をえぐり進めると。

 その先でこつり、と突き当たった心臓を、そのまま刺し貫いて。


「ただの、個人的な復讐おかえしです」


 勢いよく引き抜けば、ぐらりと、カスペルの身体はくずおれて。

 足元には、じわりと真っ赤な薔薇が広がってゆくでした。

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