一章、金髪メイドヤンキー

第1話

雨が降ってきた。

 うわ、最近夜は寒いから嫌だな……と思いつつも、傘を差すことはできない。持っていない訳じゃない。折り畳み傘はショルダーバッグの中に入れてある。今朝の天気予報できちんと予告されていたからね。ただ、今は傘を開いてそこに雨が当たる音すら響かせる訳にはいかなかった。

 深夜の裏路地の、煤けたビルの角に身を隠してちらちらと覗き込む先。男が二人、こそこそと話し込んでいた。一方から相手へ封筒が渡され、反対に別の封筒が返される。その瞬間を、シャッター音の鳴らないように設定してあるスマートフォンのカメラで撮った。

 すぐさま角から出していた手を引っ込めて画像を確認。よし……よし! うまく撮れている。今日はもう帰ろう、と踵を返したとき、割と背の高い俺でも見上げるような長身とぶつかった。190センチある友人と同じくらいのように思えるけれど、彼よりもずっとガタイが良く、俺は衝撃で後ろによろめいたのに相手はぴくりともしなかった。ああ、こんなとき。あいつがいたなら「離れよう! 二十秒後に見つかる!」なんて予告してくれただろうに。

「ここで何をしていた?」

「雨宿りです。でももう諦めて濡れて帰ろうかなって」

 路地を塞ぐような巨体の横をすり抜けて走ろうとするのを、腕を掴まれ引き摺り戻された。答えたのを信じないならそもそも聞かなきゃいいのに。物音を聞き付けて取り引き中だった連中もこちらを振り向く。

「兄ちゃん、舐めた真似してんじゃねえぞ!! 今撮ったのすぐ消せよ!」

「俺は何も撮ってませんし見てません」

「はあ?! ふざけんな、お前がカメラ向けてたところを俺は見てんだよ」

 あっという間にじわじわと袋小路に追いやられ、三体一の多勢に無勢。胸ぐらを掴んでいる黒いスーツの袖に手を添えてため息を吐いた。

「撮りましたよ。でも、俺が消したところであなたたちの未来は変わりません。警察はもうあなたたちが麻薬取り引きの常習犯だと掴んでいます。俺が情報を提供せずとも捕まるのも時間の問題です。それなら、そのお金を持って組織なんて捨てて逃げた方がいいんじゃありませんか?」

「脅されてんのによく回る口だな。俺たちが組捨てて逃げるはずないだろうが!」

「そうでしょうか。今あなたたちが逃げずに俺を組へ突き出したら? その後、警察がやってきてあなたたちはトカゲの尻尾切りにあって刑務所行きでしょうね。でもあなたたちが逃げたら? 組織や警察があなたたちを捕まえる前に、組の人間が警察に捕まって終わりだ。どうです? どう考えても後者の方が得でしょう。あなたたちが親父、と慕っている人は本当にあなたたちを大切に扱ってくれていますか? 目を掛けられていて出世が見込まれているのはあなたの兄弟分で、あなたはこんなささやかな商売をしたりと不遇な目にばかり遭っているのではありませんか?」

「お前……何でそんなこと知ってるんだ!!」

 胸ぐらを掴んだまま揺さぶられる。殴られるだろうか。それは嫌だからもう少し時間を稼ぎたいのだけれど、煽り過ぎたか。

 しかし、目の前にいるこの場の兄貴分らしき男は筋骨隆々の割には脳味噌にもきちんと栄養を送っているらしい。今ここで時間を費やして俺を殴らないことにしたらしかった。

「ひとまず事務所まで来い。親父に突き出す前にまずは知ってること全部吐かせてやる。組織の中でも俺くらいしか知らないような内部事情を知っているのは怪しい」

 しまったな。言い当て過ぎた。そう思ってももう遅い。「そ、それじゃ私はこれで」なんてそそくさと去っていく組織の客らしい男を見送り、俺は二人の男に挟まれて路地を出る。どう考えてもカタギには見えない顔つきの男に両脇を固められて繁華街を歩かされた。路地裏とは違い沢山の人とすれ違うけれど、誰もが見て見ぬふり。何かやらかしたらしい真ん中のひょろい男と自分が取って代わられないように、関わらないように。少し距離を空けて反対の方向へ目を逸らして通り過ぎる。

 こいつらの組の事務所に連れて行かれるのはまずい。何か、何かないか。到着までに時間を稼ぐか、隙を突いて逃げ出すか。だけど二人の男が俺から目を離さないというのに、どうやって。

「ヘーイ、お兄さんたちー! ガールズバー! ガールズバー入っていきませんか?」

 そのとき、この空気をぶち壊すような飛び抜けて明るい声がした。繁華街には間違いなく馴染んでいるキャッチだけれど、誰もが避けていた俺たちに声を掛ける異質さに、俺を挟んでいた二人も咄嗟に首を向けるのが分かった。

「そう、そこのお兄さんたち! かーわいいメイドたちとお話しできますよー! 飲み会の後のもう一軒! 私に付いてきてくださったらお安くしますからー! ね?」

 フリルの付いた白いエプロン。その下に見えているのはこれまたレースの沢山あしらわれた黒のワンピース。そこから細く伸びた足は十センチはあるだろうと思われる厚底ブーツを履いている。

「この後行くお店って決まってますかー?」

 面食らって何も言えない俺たちに、そのメイドは高い声で畳み掛けた。ツインテールに結ばれたロングの金髪が、小首を傾げるのに合わせてさらりと肩を滑る。

「決まってんだ、そこ退け」

 俺の左にいた手下らしき男の方が腕を水平に薙いで彼女を退けようとした。

「えー、どこですかー? もしよかったらー、私そのお店にキャンセルの連絡も入れますから! うちが一番可愛い子たくさんいますよ! ね、ほら。値段もこのくらいにしますから!」

 彼女がメイド服姿の女の子たちの画像が映し出されたスマートフォンを強引に押し出してくる。まずい、なかなか引き下がらない悪質なキャッチだ。両隣りが苛立つ気配を察する。

「しつけえんだよ! 退けって言ってんだろ!」

 手下の男が腕を払い、故意か事故か、その腕が当たったスマートフォンが彼女の手から吹っ飛んでアスファルトを滑る。うわっ……自業自得とはいえ、画面大丈夫か。

「テッメェェェェェ!!」

 え? と俺たち男は三人とも再びきょとんとすることになった。今のドスの利いた罵声が可愛らしい彼女から発せられたとはにわかに信じられなかったからだ。てっきり泣いて道を譲るかと思っていたのに、そうはならなかった。

「おっさん、今時スマホがどれだけ大事か分かってンのか! アタシらにとっちゃ命より大事なんだよ、テメェの命よりもなア! 壊れたら弁償してもらっても意味ねェんだよ!」

 素早く屈み込んでスマホの無事を確かめポケットにしまった彼女は、さっきまでとはまるで別人のように啖呵を切る。可愛い衣装に可愛い顔から発せられているとは思えない口の悪さに脳が混乱するような心地がした。

「うるせえよ! 退けこのアマァ!」

 我に返ったときには、止める間もなく手下の腕が伸びて彼女の華奢な肩をよろめくほどに突き飛ばしていた。咄嗟に支えようと伸ばしかけた手が空を切る。そして左隣で風切り音が鳴った。

「え?」

 思わず隣りを向く。そこにいた手下がいない。振り返れば数メートル後ろで何が起きたのか分からない顔で仰向けに転がっていた。

「誰がクソアマだ!!」

 正面では自身が差していた傘も投げ捨て右拳を振りきった状態の彼女が目を吊り上げて憤っていた。いや、たしかそこまでは言っていない。

 遅れて周囲が「喧嘩だ!」と悲鳴を上げて騒ぎ、ますます遠まきにしはじめる。

「黙ってりゃ好き勝手しやがって……」

 兄貴分の怒りで震えた呟きが聞こえて、この筋肉量から生まれる拳を食らっちゃ流石にまずいだろ、と咄嗟に間に割って入り彼女を背後に庇った。

「ちょ、邪魔ァ!!」

 目を閉じて拳の当たるのを待つ中、彼女の初めて慌てたような声が聞こえて、シュー! とスプレー音がする。ウワアアア! という大男の情けない叫び声に目を開ければ、目を押さえて屈み込む彼の顎に彼女の厚底ヒールが食い込むところだった。

 棒きれのように細い脚のどこからそんな力が出たのか。ドォン、と地響きすら立てて巨体がアスファルトに倒れ込む。

「逃げよう!!」

 彼女の手を引いた。激怒したあいつらが起き上がり追ってくる前に。逃げるなら今だ。

 大人しく従ってくれた彼女だったけれど、数メートルで「待って!」と腕を振り解かれる。命より大事らしい携帯でも落としたのかと思えば、彼女はあの可愛い凶器であるブーツを豪快に足から引っこ抜いて片手にまとめて持ち、ストッキングでアスファルトを走り始めた。

「ハハッ」

 もはや笑いが込み上げてくる。

「何で笑ってんのさ!」

「分かんない!」

「アンタはアイツらの仲間じゃないんだろうな?!」

「違う違う!」

 彼女の疑いを躱しながらも、逃げおおせた安堵からか笑いが止まらない。夜の繁華街で背の小さくなった裸足のメイドと二人、事務所までの濡れた歩道を駆け抜けた。

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