聖女/国外追放/異世界転移

おいでませエトランゼ

「またレオポルディーネを殺し損ねたのか!」

 その日、チェルハ家の晩餐は和やかだった。

 南方から珍しいオリーブやレモンを取り寄せ異国の風感じる料理に舌鼓を打ち、愛娘の縁談や近々執り行われる秋穫祭などの明るい予定に胸と声を弾ませる様はまさに一家団欒。このまま同じタイトルの絵だって描けるだろう――――一人の従者が当主であるイェルク・チェルハに耳打ちをするまでは。

「役立たずどもが」

 決して安くはない報酬を先払いしたにも拘わらず依頼に失敗した暗殺者への怒りを露わに床にワイングラスを叩きつけるイェルク。そんな主人に怯えた風もなくメイドは慣れた手つきでガラスの破片を拾い、執事は新しいグラスとボトルを用意した。明日の朝には汚れた絨毯も新品に取り換えられているだろう。

「今回もお姉様が死ななかったんですの?」

 当たり年のワインをいつもより多く飲みすっかり赤ら顔のイェルクに、次女のリーゼロッテがナイフとフォークを動かす手を一旦止め聞く。その声色は心底うんざりしていた。

「星霊の加護が強いのも考えものねえ」

 人命、それも血の繋がった娘が脅かされているとは思えないほどのんびりした口調で会話に加わるのは当主の妻エルザ。

「全くだ」

 湧き上がる怨嗟を言葉にして吐き出してから気分を落ち着けるようイェルクはグラスを呷る。残りの二人も優先順位はシェフの自信作であるレモンチーズタルトの方が高いので、以降せっせとデザートを味わうついでに口を動かす。

「国など余裕で滅ぼせる娘が生まれたせいで、未だに俺は叛意の疑い有りと邪推され出世もままならん。こんなことなら聖女の血統など妻にすべきでなかった」

「まあ、随分な言い草ですこと。私だって自分の嫁ぎ先が誇れるところと言えば王家の遠縁という一点のみだけで、出世の見込み皆無だと分かっていればこんな縁談断っていましたわ」

「だからオレが出世できんのは……」

「そう言えば、隣国の青血せいけつ公が最近また嫁探しのお触れを出したんですって。お姉様をそこに嫁がせる形で追放すればいいんじゃないかしら!」

 名案とばかりにリーゼロッテが顔を輝かせ言う。

 青い血――――「高貴なる血統」を意味する慣用表現のとおり、青血公は名家の生まれだ。家格は高く歴史も長ければ、領土は家筋に相応しく豊かで広い。更に資産も備わっている。

 まさに貴族の中の貴族が妻を探しているとなれば国内外からこぞって打診がありそうなものだったが、そうはいかない事情が青血公にはあった。

 青血のもう一つの意味は「鮮血」。彼は娶った若い女に些細なことで濡れ衣を着せては犯し嬲り、残虐な手法で殺してきたという。最早何度目かもわからないお触れが懲りずに出されたのも、そういうわけからだった。

 青い血が流れる由緒正しき緑の瞳を持つ男嫉妬深い怪物。その容姿を描写するだけでどんな人物か窺い知れる有り様だった。

 そんな危険極まりない人物の元に姉を送れば万事解決とリーゼロッテは閃いたのだが。

「馬鹿者! そんなことをしてレオポルディーネが復讐を考えたらどうする! ただでさえ我が領土は国境近くなんだ。隣国程度に追放したところでアイツ相手では脅威の排除になど到底ならん」

「そうなの?」

 リーゼロッテにしてみれば、たとえ馬車でも隣町ですらうんざりするほど億劫で時間もかかる遠い場所という認識だ。国境の向こうなんて距離感もつかめないほど果てしないのだと思っていたのだが、どうやら違うらしい。

「全く、地理も知らん女が政治に口出しをするな」

「はぁい」

 気の無い返事から反省する気は皆無なのが伝わるが、父親として特にたしなめはしなかった。女に知恵があったってなんの得にもならない。そういう意味でもやはり。

「リーゼロッテを次期聖女に推薦すべきだったか」

「だから言ったじゃないですか、目先の欲に囚われすぎてはいませんかと」

「本当ですわ、お父様。あんなに私にしてって言ったのに、お姉様を選ぶんですもの」

 レオポルディーネの優秀さは一目瞭然で、あの時は『親子二代にわたる聖女の家系』という肩書き欲しさに抜擢確実な長女を推した。望み通りその称号は得たが、おかげでいつ爆発しても不思議ではない火薬庫扱いを受けている。

「お姉様が死んだら次は必ず私の推薦状を書いてくださいまし」

 リーゼロッテの聖女としての能力は、姉に見劣りするのは勿論、歴代聖女と比較しても特に秀でてはいない。国の繁栄を望むには心もとないが幸い平和な世の中だ。政治の道具として利用するには十分である。なのでイェルクは「当然だ」と頷く。

「やったあ、これで一生ちやほやされて暮らせるわ」

 母親譲りの美しい顔を綻ばせ、悪いことなど露知らずの笑みを浮かべるリーゼロッテ。美即善、国民も愛くるしい彼女を一目見れば崇め讃え、望み通りちやほやされるだろう。

「しかし追放……仕方ない、奥の手を使うか」

 イェルクは以前から温めていた腹案の採用をついに決めた。




 チェルハ領の片隅には真新しい塔が建っている。その地下で本来なら令嬢として傅かれるべきレオポルディーネ・チェルハは暮らしていた。

 睡眠も食事もここで済まし、年中行事のほかは聖女の力が求められた時にだけ表に出るという窮屈な日々は「お前を守るためだ」と言う父イェルク・チェルハの一言で始まった。

 ――――お前の力はあまりにも強すぎる、遅かれ早かれよからぬ輩がお前を傷つけようと姿を前に現すだろう。

 そう言われて納得するくらいにはレオポルディーネも自分の力に自覚的だったため、甘んじて幽閉を受け入れた。今でも授けられた理由を信じてはいるが、年を重ねるにつれ疑いも生じてきている。

 父は、自分を疎んじているのではないか?

 父だけではない。会う回数は少ないが、母も妹も冷たい光をその目に宿しているように見えた。久しぶりの家族の会話を楽しみにしていても、扇で顔を隠されよそよそしい態度で二、三言葉を交わすだけ。

「レオポルディーネ、客人だ」

 粗末な木のドアが開く。こちらの返事を待たないのはいつものこと。レオポルディーネは見上げていた明かり窓から開いたドアの方へ視線を移した。 父の後ろにはローブを身に纏いフードで顔が隠れた客人が控えている。

「ご機嫌麗しゅう、レオポルディーネ様」

「こんばんは、トルード。こんな遅くに珍しいですね」

 親し気に挨拶を交わすが、レオポルディーネはこの男のことを何も知らない。

 藍色のローブは聖省に籍を置く魔術師の証。そこで活動をする者は男ならトルード、女ならトルートと一律名乗るよう決まっている。レオポルディーネからすれば氏素性も知れないが、聖女の配下である彼らの態度は恭しく、表情から真意が窺えないこともあり少し不気味だった。

「ええ、急難でして……。お休みのところ大変恐縮ではございますがどうしてもお力を貸していただきたく」

「まだ寝てませんから大丈夫ですよ。今回はどうしましたか? 雨乞い? 豊穣祈願?」

「特殊な事情がある故詳細は明かせず……国防とだけ」

 国防を依頼されるのは二度目だ。以前と違いそんな兆候は感じなかったが狭い塔で暮らす自分には与り知らぬ政情もあるだろう。余計な口を出すとイェルクに睨まれるのでレオポルディーネは干渉を控える。

「早速ですが、塔の最上階までご足労願います」

 跪くトルードの請願にレオポルディーネは静かに頷いた。




「レオポルディーネ様にはこの魔法陣の真ん中で、私の唱える呪文を復唱していただきたい」

「それだけ?」

 イェルクはさっさと場を離れ、残ったトルードの先導で上り着いた最上階には既に白堊で陣が描かれていた。初めて見るタイプのものだ。

 前回と同じに大掛かりなのだろうという想定に反し単純な役目で思わず問い返す。以前と仕様が違うのも気になった。

「私では力不足でして、とにかくレオポルディーネ様の力を注がなければ何も始まらないのです」

「分かりました」

 歩いて複雑な図形を消してしまわないよう慎重に裸足で魔法陣の真ん中に進む。中心で立ったままあらゆる雑念を取り除き、目を閉じることで次の手順を促す。

「では、始めます――――Alt lang seit懐かしく思い出される昔.」

 大した打ち合わせもせず開始され一抹の不安を抱いたが、読み上げられた呪文が平易で胸を撫でおろした。言い間違えないよう細心の注意を払いつつレオポルディーネはしめやかに繰り返す。

「Tun eins weiß nacht.」

 ――――白い夜を越え。

「Es gibt keinen Fluch auf dem Gott, der nicht berührt.」

 ――――いと高き君に触れずんば神呪はあらず。

 最後の一節を言い終えた瞬間、眼裏を焼くほど魔法陣が強く白く光りレオポルディーネをを包み込んだ。

 成功か、と目を開いたところで足元が沈み彼女の細い体が傾ぐ。驚きに見開いた目をトルードに向けるが、助ける素振りのない平然とした態度にこれが罠だと気付いた。

 底無し沼に嵌ったように全身が夜気に冷えた固い石の床に埋まっていく。助けて、と声も出せぬままレオポルディーネの姿はこの空間から消失した。




 次にレオポルディーネが目を覚ました時、夜空には白い月が二つ浮かんでいた。

 身を起こして辺りを窺えば、月の数は二つどころではない。三つも四つも、平常より低い位置に等間隔で並んでいる。勿論仰向けのレオポルディーネの頭上にも。そのおかげで夜間でも一人歩きできそうなほど明るい。

「ここは……」

 直前の記憶を辿り、トルードの計略にかかったことを思い出す。父が連れてきたということは、チェルハ家の総意のもと諮られたのだろう。あまりの事実にレオポルディーネは涙さえ流れなかった。

 初めての経験で確証は無いが、あれは転移術なのだろうと現状から推測する。放り出された自分の体を半透明の中身の詰まった沢山の袋が受け止めてくれたおかげで体はそれほど痛まなかった。

「とにかくまずは安全なところに……」

 立ち上がりかけたレオポルディーネだが、体が言うことを聞かず再び袋に身を預けてしまう。これも魔術の余波だろうか……無気力に途方に暮れていると、暗闇から不思議な月光が照らすその場所に人影が現れた。

「あの~~大丈夫ですか? ゴミ捨てたいんですけど……」

 薄汚れた白いコートに眼鏡をかけた男が、若干の距離をおいて心配してくれた。片手には同じ半透明に膨らんだ袋をいくつも掲げている。

「それがちょっと立てなくて……手を貸して下さいませんか」

「あ~~酔っ払いっすか……」

 素直に助けを求めれば、僅かに眉を顰められるも手が差し出される。ありがたく握ろうを腕をあげれば。

 ……グゥ。

 どうやら力が入らないのは空腹のせいらしかった。お互い気まずい表情のまま、仕切り直すように眼鏡の位置を正した男が口を開く。

「あーなんかコンビニで買ってきましょうか? 言っとくけどおごりませんからね」

「こんびにって?」

「マジかよ。convenience storeで通じる? どこ出身? 英語にしようか?」

「私はアーベント王国チェルハ領から来ました」

「どこだよ……ドイツ語圏っぽいな、小見呼んでくるか」

「ちなみにこちらはどこですか?」

「あちゃー自分のいる場所も分かんないくらいの酔っ払い外国人か……鶴丘つるがおか理科大学だよ。留学生じゃないの? えっ部外者?」

「そうではなく国名や都市名を……」

「なんでそこから? トーキョー、ジャパン。Are you lost?」

 それはレオポルディーネが耳にしたこともない、否普通に生きていければ知るはずもなかった国の名。

 

 かくしてローテクノロジー・ナーロッパの聖女は、ハイテクノロジー・ジャパンに異世界転移したのだった。

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