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栞子

悪役令嬢/婚約破棄

花に嵐となるものか

 この国で離婚するのは難しい。

 曲がりなりにも神とその代理人である神官の御前で永遠の愛を誓ったのだ。それを反故にするとあれば、ある程度煩雑な手続きを覚悟しなければならない。ゆえにか我が国の離婚率は低い。

 けれどそうしたこの国特有の事情に反し。

「然るにこの証文への署名をもち、エムロード王国第二王子ベルナール・エムロード殿とジェルソン伯爵家ご息女アンリエッタ・ジェルソン様の婚姻関係が解消されましたことを、謹んで言上します」

 本日、私は晴れて離婚する。


 かつて我々の挙式を見届けた神官が、聖所ではなく今度は王宮の応接室にて同じように厳かな口ぶりで離婚の完遂を告げる。

「なお、今般の離婚はベルナール殿が先んじて神への宣誓を破ったことによる、アンリエッタ様への精神的苦痛が認められたため慰謝料の支払い義務が生じます。ゆめお忘れなきよう、畏くも神の代理人として申し上げます」

「そんなもの、愛するヴィオと結婚できるなら安いものだ。幾らでも払ってやる」

 既定の金額が記入された小切手を王子は指先で弾く。盆にも載せず、使用人も使わず机上を滑って無作法に届いた手切れ金もとい慰謝料。一瞥し金額の誤謬がないかだけだけ確かめその紙切れを私はさっと胸元に仕舞った。

 ソファに腰かけ長いおみ足を尊大に組んだベルナール王子は、もう用事は片付けたと言わんばかりに早速ヴィオの蜂のように細い腰を抱き寄せている。女も勝ちを確信した笑みを浮かべ豊満な胸を寄せ従順に彼にしなだれかかる。

 ヴィオことヴィオレ――――名乗る苗字すらないこの女は、そもそも私を描くため王城に呼ばれた画家だった。しかしその抑えきれない美しさは黙ってしずしずと歩くだけでも多くの人の目を奪い、やがて王子の胸を射止めた。無理もないだろう。エキゾチックな黒髪と黒目は神秘的で、直線的にすらりと伸びた手足は若木のように瑞々しく、肖像画のモデルとして動かず向かい合うのをこれ幸いに同性の私も見惚れるほどだった。

 盛大な結婚式とは打って変わってソファとローテーブルだけで済まされた離婚の儀。参加者も少なく重要度も低いとは言えお互いの両親も揃った神前儀式に違いないのに、背誓の証そのものの浮気相手同行とは呆れる。人のことを言えた義理ではないのだけれど。

「王子、本当に離婚して良かったんですの? わたしは別に今のままでも……」

 媚びを売るような甘い声と上目遣いでヴィオレは王子に問いかける。そんな彼女に王子は堂々と、しかしみっともなく鼻の下を伸ばしながら答えた。

「もちろん。何より君はあの冷血女に虐げられているんだろう?」

「そりゃあもう。今日だってこのドレスを見て『似合わない』なんて酷いこと言われて……」

 このドレス、を強調するようにヴィオレは大きなピンクのリボンが目立つ胸元に手を置く。大仰な仕草はまるで売れない役者だ。思わず笑ってしまいそうになる。

「なんだって? アンリエッタ、それは本当か。このドレスは俺が彼女にプレゼントをした一級品だぞ。それを侮辱したのか」

 ヴィオレが着用しているのは、ピンクと白の太いストライプが可愛さを強調するクリノリン・シルエットのドレスだった。後ろ側にボリュームを持たせ、その上に更に同色のエプロン状のオーバースカートを重ねている。長大な袖口と後方に大きく膨らんだ裾口の前後径の分だけ布とレースを大量に使ったドレスはまさに一級品、財力にものを言わせた至高の贅沢品だろう。

 とはいえ。

「まあ、王子からの贈り物であらせられましたか。贈る方の一方的な趣味を優先したのですから道理で似合わ……相応しくないわけです。得心がいきました」

 厳しい追及の目を向けられたので、鬱陶しいそれを遮るように扇を広げ悠然と構えてみせる。

「忌々しい悪女め」

 それこそ忌々しい目つきで吐き捨てるように言った王子は、しかし瞬時に表情を緩めヴィオレと見つめあう。

「ああ、可哀そうなヴィオ。よくぞ今まであの女の仕打ちに耐えてきた。けれどそんな辛い日々はこれで終わりだ。俺が君を解放しにきたよ、愛してる」

「嬉しいですわ、王子」

「おおそうか、嬉しいか。あそこの女に比べヴィオは本当に可愛いな」

「だって、これでわたし、やっと愛人から恋人になれるんですもの」

「そうだとも!」

 感極まったように声を高くあげ、王子は人目も憚らずヴィオレを抱き締めようとした。ヴィオレはそんな王子にうっとりするような笑顔を向け――――背中に回されそうになった腕をしなやかに退け席を立つ。

「ヴィ、ヴィオ?」

 思いがけず抱擁が失敗したベルナール王子はきょとんとヴィオレを見上げる。これまでの人生で拒絶や否定をされてこなかった王子が驚いた顔を私は初めて見た。いっそ同情してしまいそうなほど幼い表情だった。対して見下ろす彼女はその笑みを崩さず告げる。

「わたし、ずっとずっとあなたの恋人になれる日を待ち望んでた!」

「それは俺だって……」

「そうでしょう、エティ!」

 くるりと体を半回転させ、反対側に座る私と向き合う――――

「ええ、そうね――――ヴィヴィ」

 私の

 呼ばれたからにはゆっくり立ち上がり、腕を広げ呼び返す。ヴィヴィはなんの躊躇いもなく、軽やかな足取りで私の腕の中に飛び込んだ。ふんわり揺れるお姫様のようなスカートがまるで空中を舞うピンクの花びらのようだ。

「あなたがわたしを選んでくれるなんて、夢みたい。ああ、エティ、エティ!」

 子供のように甘えて縋りつくヴィヴィが可愛くて仕方がない。暫く胸の中の存在を堪能し、ふと辺りを見回せば王子も神官も、立ち会っていた国王夫妻も私の両親も当惑の色を浮かべていた。

「失礼。お見苦しいところをお見せしました」

 黒髪に隠れたヴィヴィの華奢な肩を軽く叩き離れるよう促す。

「ヴィオ……?」

「ジェルソン伯爵、これは一体どういうことだ!」

「アンリエッタ、お前まさか……!?」

 困惑、怒気、驚倒。三者三様の言葉が向けられる。告白には今をおいて他ないだろうと私は胸を張って表明した。

「お察しのとおり、私とヴィオレは深く愛し合ってます」

 予想に違わずすかさず反応したのはこの方だ。

「愚弄するな、ヴィオと愛し合っているのはこの俺だ! 何より女同士など認められるか! ふざけるにもほどがある!」

 王族たるもの感情をむき出しにしてはならぬと躾けられてきたはずのベルナール王子が声を荒らげる。見つめ合えばたちまち陶酔を引き起こすと噂の涼やかな青い目も、今ばかりは怒りにひしゃげていた。

「そんなに大きな声を出さずとも聞こえております」

「うるさい話を逸らすな! ヴィオ、何故そんな女の側にいる。こちらへ戻って来い!」

「王子、落ち着いてようく思い出して。わたしが過去、ただの一度もあなたに愛を囁いたことがありましたか?」

「何を言っ……」

 途切れた言葉は心当たりの証明だ。心なしか王子の顔色が悪くなる。

「わたしは王子の仰るとおり、学も教養も後ろ盾もない、空っぽな体に愛嬌だけが備わった女です。ですから言質や誤解を与えぬよう人一倍気をつけておりました。わたしはあなたからの言葉にお礼こそ言え、同じ言葉を返したことはございません」

 きっぱり断言するヴィヴィにこちらの胸まですくようだ。

「なら、アンリエッタにいじめられているというのは!?」

「少し大げさにお話ししてしまったのかも。反省します」

 唖然とした王子にもう興味も用も無い。

「それではそろそろ失礼します」

 二人して軽く腰を下げ別れの挨拶をし腕を組んでドアへ向かうが、背後では激しい言葉がまだ飛び交っている。

「あなた、どうしましょう、アンリエッタが」

「お前の育て方が悪かったんだろう!?」

「無効だ! こんなふざけた離婚があってたまるか、どうして俺が慰謝料を払わねばならない!?」

「その通りだ神官!」

 国王が同意の援護をするが、神官は己の職務に忠実だった。

「お言葉ですが、既に王子は証文に同意の署名をしております。ご自身の非を認め、慰謝料と引き換えに、神前で契約した婚姻の破棄を望んだのです。このうえ更にもう一度偽誓者として神との契約不履行を重ねるのは……」

「くそったれッ」

 下品な一言を最後に背後のドアは閉ざされた。



「ようやく解放された」

 城を出ての第一声はこれだった。

 肩を並べもう二度と潜らない豪奢な門を背に市街地へのんびり足を運ぶ。

「辻馬車がつかまらなかったら、このまま川沿いを下って舟着き場に行きましょう。どっちにしても今日中に目的地に着くわ」

「任せるわ」

 情けないがヴィヴィとは反対に城から離れるほど土地鑑が無いので異論は無い。

 案内に従いながら、こんな晴れた日に川風を感じながら逃避行するのも悪くない、と夢見がちな空想に密かに胸を躍らせるているとヴィヴィはおずおずと切り出した。

「それでね。わたし、エティと手を繋ぎたいの……だめ?」

 互いの気持ちを知り合った私達は、それ以上の言葉のみならず体も重ねることはしなかった。王子だけが姦通の咎を負えば離婚が有利に進められるからだ。更に関係を秘匿するべく証拠を残さないため取り決めた。

 思うだけなら罪ではない。心の奥の奥だけが安寧の聖域だった。

 王子が新しい愛人にのめりこむほど私は彼の寝室から遠ざかったけれど、ヴィヴィはそうではなかっただろう。国内最高権力者から閨に呼ばれるたび大人しくその肢体をさらしたはずだ。あまり想像すべきではないが、彼女から夜の気配を察するたび胸が締めつけられた。おかげで私の幸せな離婚はスムーズだったが、恋人の哀れな献身があって成り立ったも同然なのは未だ遣る瀬無い。

「勿論。遠慮しないで」

 だからこうやって手を繋ぐのが、正真正銘神に誓って初めてのふれあいだった。

 今の私達は周りからどんな風に見られているのだろう。親の異なる姉妹? 出身の違う友人? 忙しない市井の人々は私達に目もくれず家事や仕事に励んでいる。まるで無関心。厳しい視線に囲まれ一挙手一投足に息を詰まらせていたこれまでの日々が嘘みたいだ。

「エティの手って白魚みたい。さらさらで、本当にお嬢様なのねえ」

 すりりと絡めた指を滑らせる感触と言葉がこそばゆい。

「あら、そこのご婦人。素敵な靴を履いてますね。よければこのイヤリングと交換しません?」

 ヴィヴィが声をかけたのはパン籠を片手に提げた小太りの女性だ。どうやら踵の高い靴が気に入らない恋人は、通りすがりの女性に譲ってもらおうとしているらしい。

 大ぶりのエメラルドをたくさんのダイヤモンドが囲んだイヤリングに女性は目の色を変え、喜んでその釣り合いの取れていない交換を受け入れた。おまけに中身が入ったままのパン籠もつけてくれたからありがたい。因みにこのイヤリングも王子からの贈り物だ。

 これからは馬車も召使いも使えない自分の体だよりの生活なので、私も靴を履き替えることにした。同じように町娘に声をかけサファイアのネックレスを差し出す。

 婚約破棄された悪役令嬢の再出発は履きつぶされたくたくたの布靴でとなった。

「早くこんな堅苦しいドレスも脱いでしまいたい」

「そうね、全く似合ってないもの」

「もう城の外だから意地悪は言わなくてもいいのよ? それともエティは本当に悪役令嬢なの?」

「貴女にぴったりのドレスを私が見繕ってあげるということよ」

 幸い胸元には大金が潜んでいる。ドレスの一着くらい余裕だ。どうしてドレスを贈る役目が私ではなく王子なのだろうと密かに不満を抱いていた日々ともこれでお別れできそうだ。

 線が細く全体的にすっきりとした体形のヴィヴィに淡い色合いや暖色はミスマッチ。愛玩する側が押し付けた「可愛い」より、彼女は黒や青などもっとはっきりした濃い色で、自分の体を強調する大人の装いが似合う。

「本当に楽しみ。わたしの故郷でエティと暮らせるなんて。絶対夢を叶えましょう」

 ヴィヴィは大勢の弟子を擁する絵画工房を開きつつ画家として名を残し、私は学ぶ機会のない貧しい子供に学問を教える。目下、それが二人の夢だった。

 横を流れる川の水面のように煌めくヴィヴィの瞳は、夢と希望で鮮やかに彩られていた。その輝きについ見惚れる。

「エティ?」

「ああ、ごめんなさい――――ねえ、ヴィヴィ」

「なに?」

「愛してるわ」

 ぎゅっと手に力を籠め何の脈絡もなく告白する私にヴィヴィは一瞬虚を衝かれ黙ったが、すぐにはにかんで。

「エティ、わたしもあなたを愛してる!」

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