1-6
ジェフ・マクレガー警部は、オールドウォール通りからだいぶ離れた、下水道の居住区にいる。
そこはノースプール地区の中では最も人口密度が高い。人々が住まうバラックは、地上のあらゆる木材が使用されてはいるものの、建築技術のない素人が作ったものなので、粗末に見えてしまう。
居住区の中央では、オイルランプに照らされる数人の子供たちが地にすわり、ボードゲームを囲んでいた。ゲームが白熱しているのだろうか、子供たちはわいわいと興奮の声をあげている。
移動式の缶詰屋がきていた。大人たちは、様々な商品を手に取ってまじまじと見ていた。
ジェフは、居住区の子供たち、大人たちに遺体の写真をみせ、誰だかわかるか聞いて回った。
だが、遺体の身元を知る者は、誰一人いなかった……。
ジェフはノースプールの居住区から500ヤード(約457メートル)ほど離れた場所にいた。そこは、居住区とは違い、トンネルの幅は狭い。
ジェフが被害者を知る人間をもとめてトンネルを進んでいると、前方からランタンの光が近づいてきた。ランタンを持つのは少年だった。
少年が声をかけてきた。
「やあ、おじさん」
「やあ。きみ、お名前は?」
「ピーターだよ」
「そうか、わたしはジェフ。よろしく」
「うん、よろしく」
ジェフはピーターの姿を見る。ピーターは大リーグの観客席をまわる売り子がよく首から下げているトレー〝番重〟を身に着けていた。番重のうえでは、何かが新聞紙やチラシに包まれていた。
何が紙に包まれているのか、ジェフは匂いですぐ分かった。
ピーター少年は言う。
「おじさん、ネズミ肉はどうだい? このネズミ肉は、いままでにないくらい厚切りだよ」
食肉への欲求……人の多くは肉を食べたいという欲から逃れることができない。とくにジェフのようにスーパーフレア発生以前から、アメリカの一般的な食事を摂ってきた者は、食肉への願望が強い。
スーパーフレア発生から21年経ったいま、地下鉄マルタ内で肉を食べたいと思ったなら、その欲望を叶えてくれるのは缶詰か、地下で捕獲されたネズミか、のどちらかになる。
ピーター少年は肉が包まれた紙を手に持ち、それをジェフによく見えるよう差し出す。少年は包み紙を開く。
ピーター少年は言う。
「うまそうだろう? こんないい肉仕入れたことないよ」
その肉は、ステーキの一片のように厚く、香ばしい脂の匂いを発し、食欲をそそられずにはいられない誘惑的な存在となっていた。
ジェフは聞く。
「精肉屋から仕入れたのかい?」
「そうさ。精肉屋は〝特上の太ったネズミが入ったから、売りさばいてきな!〟って、得意げだったよ。1つ30ドル。どうだい?」
食肉の欲求を一時的にでも満たせるのなら、30ドルは高いとは思わなかった。
だが、ジェフはネズミ肉を食べたことは、いまのいままで一度もなかった。
なぜだかジェフ自身でもわからないが、一度ネズミ肉を食べたなら、自分の中の何かが崩れ落ちるような気がしていたからだ。
「すまんね、ピーター。今回はパスさせてもらうよ」
ピーターは少しも嫌な顔をしなかった。
「いいんだ、いいんだ。ぼく、いつもこの辺で商売してるから、気が向いたらまた来ておくれよ」
「そうさせてもらうよ。あ、そうそう……」
いいながら、ジェフはiPhoneを取り出し、写真を表示してからピーターに見せた。
「この人物、知ってる?」
「うん、知ってるよ」
期待していなかっただけに、ジェフはその思わぬ返答に驚いた。
「ほんとうかい! この写真の人物が何者なのか、教えてくれるかな?」
「この人は〝見張り屋〟のロイド・パーカーさんだ」
〝見張り屋〟それは薬屋などの高額な金品を扱う店に雇われ、店舗のまわりに怪しい人間がいないかを監視する仕事だ。見張り屋は、その存在を気取られないように暗所に身を潜め、帽子を深々と被っていることが多い。だから、多くの人間がロイド・パーカーのことを知らなかったのだろう。銃を携帯していたのも、うなずける。
「パーカー氏の家はどこか知っているかい?」
「パーカーさんの家はね、下水道B4の居住区だよ」
ジェフは手帳をとりだし、それをメモする。
「パーカー氏を恨みそうな人は、だれかいる?」
「ああ、ごめん。ぼく、パーカーさんがよくネズミ肉を買ってくれるから家を知ってるってだけで、あの人の個人的なことは、まったく知らないな。力になれなくてごめんね」
「いやいや、いいんだ。十分助かったよ」
そう言いながらジェフは財布を取り出した。
「さっきのネズミ肉、30ドルだったね? 肉はやはりいらないけど、これは情報提供料だよ」
ジェフはピーター少年に10ドル紙幣3枚を手渡した。
「うわ! ありがとう!」
「それじゃ、商売がんばって」
ジェフはそこから去っていった。
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